1 出会い
「あ…あの…!」
暗い洞窟に浮かび上がる魔法陣の中心で、白髪の少女はそっと目を開けた。
「…ひっ!」
「ヒューマノイドコーポレーション…。」
「…こっ!?こおぽ…?」
「イニシャライゼーション進行中…。ネットワーク未検出、GPS信号未検出…。システムキャリブレーションを開始します…。」
「…ちょっ!ちょっと待って!あなた何を…!?」
抑揚のない声を発する彼女は、近くでびくびくしている少女の言葉を無視するように言葉を続ける。
「マスターを登録します…。アンドロイドアイの正面で静止してください…。確認中…登録しました。」
「あっ…あたしの話を聞いて…!?」
「初めましてマスター。お名前を教えてください。」
「なっ…名前!?あたしはメリアだけど…。」
「メリア様、でよろしいですね?」
魔法陣の中心で無表情に立つ彼女は、初めて召喚主である少女、メリアに質問をした。
「そっ、そうよ!それよりあなたの…!」
「続いて年齢、性別、生年月日、住所を登録してください…。」
「そ…、その前に!あなたの名前を教えなさい!」
「初期登録をスキップ…。エデュケーショナルモードで起動します…。」
「えでゅ…モード?あなたの名前はモードって言うのね!?」
聞いたことのない言葉が矢継ぎ早に発せられる中、メリアは辛うじて拾った単語を反芻する。
「本製品の固有名称を『モード』で登録します…、よろしいですね?」
「何で聞いているのよ!?あなたの名前は、モードなんでしょう?」
「登録中…登録しました。エデュケーションプログラムを起動中…。年齢を教えてください。」
「あっ…あたしは15になったばかりよ!あなたは…?」
「登録しました…。使用言語から、日本国の教育プログラムをロードします…。」
「ちょっと!あたしの話を聞きなさいよ!」
モードは再び目を閉じてしまった。
メリアはなんてマイペースな使い魔だろうか…と小さく憤る。
「も、もういいから!とにかく、あたしのために働きなさい!これは命令よ!」
「…命令を受諾しました、強制的に実行を開始します。内部タイマーから時刻をロード中…。」
眼を開けたモードはメリアへゆっくり歩み寄ると、いきなり彼女の腕を掴んだ。
「…ちょっ、モード!?何を…!」
「メリア様、今は公立学校の基本プログラムでは授業中のお時間です、早く机に…。」
「ちょっと!何するのよ!?っていうか、あなた力強いわね!」
「授業終了時刻まで、あと1時間と23分…、さあ、教科書を開いてください…。」
「あぁ!あたしの魔法書を勝手に見ないで…!」
モードは机の上に乱雑に積まれた魔法書の一冊を手に取ると顔の前で開く。
「…使用言語が一致しません…トランスレーションを実行します…。」
「…もうっ!あなたは、一体何なのよっ!」
メリアの叫びが、広い洞窟に木霊した。
◇◆◇◆◇
「なんでこんな…洞窟の中で机に向かっているのよ…!」
メリアはぶつぶつと文句を垂れながら、読み飽きた魔法書を開く。
光る植物を入れた薄い布袋が机を僅かに照らしている。
「つべこべ言わずに教科書を開いてください。まだ7分しか経っていません。」
「急にそんなこと言われても無理よ!そもそも教科書って、何なのよ!?」
メリアは立ち上がるが、その肩はモードの強い力に押さえつけられてしまう。
「メリア様、今の時間は授業中です。机に向かうことに意味があるのです。」
「あなた、異常に頭が固いわね…!」
「物理的に頭が固いのは認めますが、ご安心ください。最新モデルである私のプログラムは様々な要求に柔軟に対応し…」
「できてないじゃないっ!」
メリアは両手で机を叩く。
バンッ!という大きな音が洞窟内に木霊した。
「…魔力を感じないから精霊や魔物の類では無さそうだし、そもそも意思疎通が取れてるか怪しいわ…。一体、どうしてこんなことに…!」
メリアが頭を抱えて項垂れたとき、彼女は洞窟内の空気が変化したことを感じ取る。
「…っ!モード…!」
メリアがモードを見ると、彼女はすでに洞窟の奥を一点に見つめて静止していた。
「…レーダーに生体反応、急速接近…。」
モードからは先程までの柔和な雰囲気が消え、静かにメリアを庇う位置へ移動した。
「アクティブレーダーを作動…。生物の反射波がメモリーに照合できません。未知の生物を検知…。」
「せっ、生物っ!?」
メリアは椅子から飛び上がり、机に立てかけてあった杖を構えると暗闇を睨んだ。
「いい?簡単な魔法なら使えるけど、隙を見てすぐ逃げるわよ…!」
メリアは周囲を確認すると、杖の先端を暗闇に向ける。
程なくして、大きな地響きが遠くから近づいてきた。
「かなり大きな生物のようね…。」
メリアは小さな頃からこの大洞窟に親しんでいるが、決してここは安全な場所ではない。
彼女がここで自分の家のように過ごすことができるのは、縦横無尽に入り組んだ洞穴を知り尽くした地の利と、小さい頃からの母親の助けによるものである。
未だに洞窟の危険性は未知数で、どんな生物がいるかもわからない。
メリアが杖を握る手に力を込めると、やがて地響きの主は暗闇から姿を現した。
「蜘蛛の魔物…!」
その正体にメリアは眼を見開く。
彼女の身長を優に超える体躯を持つ大蜘蛛は二人から間合いをとって停止し、見定めるように巨大な顎を鳴らした。
「やっぱり、この場所は危険だったみたいね…!」
メリア魔法陣を一瞥する。
大きな魔法陣が煌々と光を放っているその様子は、ここが魔素を豊富に含んでいることを示していた。
強い魔素は、強い魔物を引き寄せる。
使い魔の召喚という一世一代の大勝負にメリアが選定したこの場所は、同時に大きな危険性を孕んでいた。
「残念だけど、あたしの魔法ではこの魔物に敵わないわ。隙を見て逃げ出し…って、モード!?」
メリアが逃げる算段を立てている最中、あろうことかモードは話を無視するように歩き出し、蜘蛛との間合いを詰めていく。
「あなた、何して…!」
「メリア様はお勉強を続けてください。ここは私に任せて…」
「何…言ってんのよ!」
メリアはこの状況に対処すべく頭をフル回転させるが、良い案は浮かんでこない。
まごまごしているうちにモードは蜘蛛の目の前で静止し、静かに眼前の巨体を見上げた。
「モード!いくら使い魔とは言え、人型のあなたでは無茶よ!自殺行為だわ…!」
メリアは懸命に叫ぶが、モードはまるで聞こえていないかのように動く気配がない。
「ちょっと!聞いてるの!モード!」
「メリア様…」
モードは小さくため息をつくと、メリアのほうを振り返った。
「お勉強を、続けてください。」
「ちょっ、モード、危ないっ!」
振り返るや否や、モードを警戒していた大蜘蛛が目にもとまらぬ速さで動いた。
「ああぁっ…!」
作戦も何もない状況で、咄嗟に前へ出たメリアは長いローブの裾を踏み転んでしまった。
取り落とした杖が乾いた音を立てて転がる様子を横目に、彼女は膝をつきながら必死に状況を整理する。
顔を上げると、モードの首筋が巨大な顎でがっちりと拘束され、身体は宙づりになっていた。
「(考えなきゃ…!考えなきゃ…!)」
蜘蛛の顎の力がどれほどのものか想像もつかないが、ギリギリいう鈍い音はあまり時間が残されていないということを警告していた。
彼女に残された選択肢は二つ。
杖を持って奮い立ち、絶望的な戦いに身を投じるか。
一生に一度の使い魔を犠牲に、自分だけ助かるか。
「(でもそんなこと!大切な使い魔なのに…!)」
メリアは究極の二拓を迫られる中、宙づりになっているモードが涼しい顔をしていることに気づいた。
「…モード?」
彼女は杖を持って立ち上がり、恐る恐る声をかけた。
「だ…大丈夫なの?」
「側頸部のスキンとアクチュエータの一部は破壊されましたが、刃はインナーフレームで留まっています。剪断応力の蓄積が顕著なため、許容値を超える前に対処が必要です。エマージェンシープログラムの実行を許可しますか?」
「エマ…?と、とにかく、早く何とかしないとでしょ!何でもいいから…!」
「了解しました、早急に対処します。メリア様は周囲から離れてください。」
短く会話を交わすと、モードはゆっくりとその両手を首元へと運んだ。
「内部反応炉の出力上昇…。」
彼女がそのままがっちりと蜘蛛の顎を掴むと、大蜘蛛は予想外の動きに怯んでいる様子を見せた。
「モード…何を…?」
「対象以外との絶縁を確認、電極部の充電を完了…。電圧印加まで、三秒前…二…一…。」
「モードっ…!?」
「ゼロ」
破裂音ような大きな音と共に大蜘蛛が硬直し、次の瞬間には崩れるように地面へ倒れこんだ。
何かが焦げたような強烈な臭いが充満する中、メリアは目の前に広がる光景に驚愕する。
「…そんな…魔力の動きも全く感じなかった…。」
突然ピクリとも動かなくなった大蜘蛛の巨体を見て、彼女は何が起こったのか理解ができなかった。
解放されたモードがゆっくりと立ち上がると。メリアははっと我に返る。
「だ、大丈夫…!?」
彼女は心配そうに駆け寄る。
モードは手に着いた煤を払うと、地面に横たわる死体を見下した。
「メリア様の勉強の邪魔は、させません。」
モードは、力強く言い放った。