9、小さな騎士との小さな冒険
9、小さな騎士との小さな冒険
フィーネは思った。セレネの言うことは本当なんだろう。地震は本当に来て、王妃になれば生贄になる。
だからアランもババ様もフィーネを聖地にいるままにするよう必死だったのかもしれない。それにしても、なぜアランはそう教えてくれなかったのだろうか。
アランはフィーネを愛してくれているのかもしれない。だからこそフィーネを遠ざけようとしたのかもしれない。
フィーネは何故か平静でいられた。この間とは大違いだ。アランがフィーネを愛して、フィーネのために行動しているのかもしれない。そう思うだけでフィーネは強くいられた。
アランに話を聞きたい。アランは本当にフィーネのことを愛していないのだろうか。アランがフィーネのことを愛していなければ、アランにとってもフィーネが王妃になった方が都合がいいはずだ。地震の時の国民を混乱させにくくなるし、他に愛している人がいるならフィーネが死んだ後後妻に据えればいいのだ。
アランはどんな気持ちなのだろうか。大きな地震が予測されているなんて、きっと国王としても忙しいのかもしれない。そもそもアランは自分が先王の子だと知っていたのだろうか。
アランはフィーネの村に来た時傷だらけだった。どんな思いで村にやってきたんだろう。どんな思いで村から出たんだろう。
フィーネはハッとした。フィーネはアランのことをほとんど知らないのだ。村にいる時に聞けばよかったのかもしれない。でも、辛いことを話させるのは、アランを傷つけてしまうのではないかと思ったのだ。
いや、違う、フィーネは誰に対しても少しでも言いにくそうにしていたり、辛そうに思っていそうなことがあったりしたらそれを聞くことができないのだ。
小さい時からそうだったのかもしれない。
小さな時両親に町に行きたいと頼んだことがある。両親は悲しそうな顔をしてそれはできないと言った。
そして、その夜フィーネがふと目を覚ますと、フィーネに対して申し訳ないと両親が泣き崩れている所を見てしまった。
フィーネは自分のやりたいことをそのままいうことは両親を深く傷つけるのだと知った。
それからフィーネは自分の要望を素直に口に出すことを辞めた。そして、両親やババ様が与えてくれるものにうんと喜ぶことにした。そうしなければいけないと思っていたのだ。
だからアランにも何も聞けなかった。
ババ様に対してもそうだった。
それが正しいことだと思っていたのだ。
でもそれはそうではないとセレネと話して思ったのだ。ありのままを言い合わなくてはわからないこともあるのだ。
アランは常にフィーネに優しかった。ずっと一緒にいて、手を握ってくれた。でも、アランももしかしたら、辛さをフィーネに話したかったのかもしれない。アランはそうは思っていなくても、話を聞けば心が慰められたのかもしれない。いや、お互い傷つきあうだけの結果になるかもしれない。それでもフィーネはアランのことが知りたかった。知らなければならないと思った。
アランに会いたい。フィーネは思った。
シレノス抜きで。アランの今までのことをじっくり聞きたい。
ババ様にも謝りたい。
フィーネはババ様に手紙を書くと、鷹のアルルの足に括りつけた。
「アルル。ババ様にこの手紙を届けてね。」
アルルは任せろと言わんばかりに羽を広げた。フィーネは魔法使いなことも会って、アルルと心が通じ合える。アルルは賢いので、一度行った場所にお使いすることができた。アルルは聖地までとんて行ってくれるだろう。
※
数日後アルルは帰ってきた。足には紙が括ってある。ババ様からの返事だ。
ババ様はそういえば大巫女だったのだ。ババ様の返事はフィーネにとっては希望だった。
これで全てうまく行くかもしれない。薄氷の上ほど危うい道であるが。
※
アルルの助けを借りれば、ババ様とは手紙の交換ができた。
しかし、アランと連絡をつけるにはどうしたらいいのだろうか。
フィーネは思った。
村にいる時も同じことを思っていた。
今はアランとフィーネは同じ都にいるが、同じことを思っている。前よりずっと近い場所にいるはずなのに、なんだか遠くに来たみたいだ。
国王への謁見か。シレノスに頼めばお膳立てしてくれるだろう。でもフィーネはアランと2人で内密に会いたいのだ。
侍女達に伝えてもシレノスに伝わるだけだ。どうすればいいのだろう。
「お嬢様。最近元気がないです。心配です。」
ラーンだった。フィーネの小さな騎士だ。
「ねえ、ラーン。あなたは私とお兄様のどっちの味方をする?」
「もちろんお嬢様です。」
ラーンは迷わなかった。
「お嬢様。僕はお嬢様のことをこの身に変えてもお守りします。」
ラーンは幼い顔だったが真剣であった。
他に当てはない。フィーネは覚悟を決めた。
「ラーン。お願いがあるの。」
「何なりと」
「国王陛下にお会いしたいわ。お兄様にも陛下の側近にも内密に。2人だけで。どうにかできないかしら?」
ラーンは顔を紅潮させた。
「国王陛下にですか。陛下とお嬢様は幼馴染で恋仲ですし、お2人で会いたいのは当然です。ええ。僕にお任せください。」
ラーンは自信ありげだった。
ラーンは純粋にフィーネとアランとの関係を好ましいものだと思っているようだ。
ラーンは地震のこと知っているのだろうか。何となく知らない気がした。フィーネに仕えることを素直に喜んでいる。そんな気がした。
※
実の所フィーネはラーンに頼んだ所で実現するかは半信半疑だったのだ。
ラーンがそうは言ってもシレノスに黙っていられないかもしれない。それにラーンは幼い。国王と内密に会うことの段取りなどできるものなのだろうか。フィーネがラーンくらいの年齢の時は、物語に夢中で、箪笥の奥に異世界があると半ば本気で信じていたのだ。
一人前の大人と一緒に働くなんて想像もつかなかったのだ。
しかし、そんな予想は当たらなかった。
※
「では、作戦を説明します。まず前提条件を確認しましょう。本作戦の目的はお嬢様と陛下が面会することです。加えて条件として、グレーデル公爵には悟られないこと。そして、陛下の側近にも悟られないことです。具体的方法としてどうするか。グレーデル公爵家および王宮での面会は、グレーデル公爵と陛下の側近達に知られずに面会することはまず不可能です。なので、他の方法を模索しました。」
「は、はあ。」
ラーンの話にフィーネは圧倒されていた。まるで大人のような話し方と内容だ。
「まずグレーデル公爵に悟られない方法です。グレーデル公爵はお嬢様お一人での外出は今まで許していません。お嬢様が特別望まなかったこともあります。しかし、今まで一人での外出を特別希望しなかったお嬢様が一人での外出を希望すると怪しまれます。なので、お嬢様の外出先から抜け出す方法を考えました。次にお嬢様が外出先でどうやって一人になるかです。グレーデル公爵は今までお嬢様の外出はご自身で付き添うか、グレーデル公爵の腹心の侍女を付き添わせてきました。」
改めて聞くとフィーネは今までシレノスからずっと監視されていたのかもしれない。フィーネは生まれた時から閉鎖された村で住んでいたから、特に違和感なく受け入れてしまった。
フィーネは自分が世間知らずであることを改めて思い知った。
「結論を申しましょう。お嬢様。3日後の王宮で開かれる未婚の令嬢達のためのお茶会。ここしかお嬢様が一人になれる機会はありません。未婚の令嬢達のお茶会にはグレーデル公爵は同行しません。そしてお嬢様の侍女たちの中核の数人は同行しません。」
「まあどうして?」
「実は侍女の身内に不幸がありました。数日間休みを取ります。」
「まあ、お気の毒に。でもなんでそんなことラーンが知っているの?」
「僕が若いからみんな油断して色々話すんです。でも、僕は両親が小さい時に死んだので、小さい時から働いていました。大人よりも長く働いていますし、優秀なので、色々任されます。だからみんなのちょっとした事情には詳しいんです。」
ラーンはサラッと言う。自信がありそうだ。そうだ。ラーンも両親を亡くしているのだ。両親を亡くして何もできなかったフィーネとは違って、ラーンは小さい時から働き、信頼されている。フィーネはラーンのことが羨ましかった。フィーネがラーンのように優秀じゃないのがいけないのだろうか。それとも女の子だからいけないのだろうか。
「お嬢様、話を続けます。このお茶会はグレーデル公爵は同行しません。そして、有能な中核の侍女も同行しません。そして代わりに同行する侍女も決まっていますが、未婚の女性だけのお茶会です。侍女の監視もさほど厳しくはないでしょう。」
なんだか出来そうな気がしてきた。
「いつもならお嬢様はお嬢様の関心を引きたい令嬢達に囲まれています。しかし、先日その令嬢の一人がお嬢様にとんでもない失言をして、お嬢様がお怒りになったとか。お嬢様がお許しにならない限り、お嬢様は令嬢達に遠巻きにされるので、この問題も解決しています。」
そんなことまで知っているのか。というか、あれはフィーネが怒ったと言えるのか。まあ悲しかったのは事実だが。
「さらに、お茶会に同行する侍女は、王宮の使用人に片恋をしているそうです。その使用人を買収しました。使用人が侍女の気を引いてくれます。その間に抜け出しましょう。」
「まあ、買収なんて悪いことではないの?それに侍女が可哀想な気がするわ。」
「お嬢様。買収という言葉を聞いて驚いたかもしれません。でも、難しく考えないでください。僕は使用人に、侍女が使用人のことを好ましく思っているようだから話しかけてあげてほしい。このお茶会なら、侍女の仕事はあまり忙しくないと言っただけです。そして、使用人には親しくなるためのちょっとした贈り物をしただけです。侍女にとっても使用人にとってもお嬢様にとってもいいことでしょう。」
そうなのか?何だか引っ掛かるが、ラーンに任せるしかない。
「お嬢様。当日は服装は白もしくは茶色の服を選びたいと言ってください。そして、髪型はあまり盛りすぎないよう侍女に言ってください。移動の時には王宮の侍女が外出する時のケープを羽織っていもらいます。目立ちますからね。ケープの間から見える服の色があまり華やかだと目立ちます。」
「わかったわ。」
「次に陛下です。陛下は尊い身ですので、警護が厳重です。そして、執務熱心なので、日中はほとんどの時間を執務にあて、側近達に囲まれています。」
「・・・2人で会いたいの。」
「わかっています。しかし、3日後は今月最後の日です。この日は奇しくも陛下は王立研究所で研究の成果を聞きにいきます。陛下はいつもその前に王立研究所に赴き、研究論文をお読みになります。その時大抵他の人は寄せ付けません。」
「それじゃあ。」
「ええ。そこで会いましょう。王立研究所は王宮ほど警護が厳しくありません。それでも警護がいないわけではないのですが。」
フィーネは不安になった。
「大丈夫です。僕の3番目の姉の嫁ぎ先の弟が王立研究所の研究員です。彼の協力が得られました。」
姉が随分たくさんいるようだ。
「お嬢様。あとはお嬢様次第です。大丈夫。僕が全部何とかしますよ。でもお嬢様が不安そうにしていたらグレーデル公爵が勘付きます。なるべく落ち着いていつも通り過ごしてください。」
「ラーン。ありがとう。でも、どうしてこんなに良くしてくれるの?」
ラーンは少し驚いたようだった。
「これはこちらの台詞です。お嬢様は初めてあった僕に魔法で治療をしてくれました。お嬢様を見つけたから僕は騎士になれたんです。僕は貴族とは名ばかりの貧乏な家だったので。代わりに命に代えてもお嬢様をお守りします。」
そういえばそうだった。ラーンがフィーネを見つけなかったらまだフィーネは村にいたかもしれない。いや、アランがいた村だ。時間の問題だっただろう。
※
作戦決行の日が来た。
フィーネはなるべくいつも通りを心がけながら身支度をした。フィーネはあまり服装に口を出したことがなかったので、どうやって白い服を希望するか内心悩んでいたが、侍女が提示した服が白かったので安心した。
フィーネはそわそわしている心が態度に現れないよう必死だった。が、同行した新人の侍女は明らかにそわそわした表情だったので返って安心した。
※
お茶会は滞りなく始まった。確かにフィーネに話しかける令嬢はいない。身分の低いものは身分が高いものに自分から話しかけることはできないのだ。失態が会ったあとなら尚のことだ。
話しかけられないのは結構なことだが、令嬢達はフィーネの様子を必死に伺っている。
ものすごく注目を浴びてるわ。どうやってここから抜け出そうか。フィーネは焦りを顔に出さないよう必死だった。
その時だった。
「まあご機嫌よう。」
華やかなドレスと艶やかな声がする。セレネだった。相変わらずすごい存在感と美貌だ。
令嬢達の注目がセレネに集まる。
さすがはセレネだ。フィーネはこの隙にお茶会から抜け出した。
※
ラーンの誘導で人気のない東屋に抜け出す。ラーンからフード付きのケープをもらい、頭から被った。これで遠目にはフィーネは王宮のメイドだ。
これがアランやセレネだったらどんな服装だろうと目立つ美貌であるが、フィーネはそうではない。嬉しいやら悲しいやらだ。
お茶会の会場と王立研究所は近い場所にある。古い重厚な建物だった。門には衛兵が立ち、敷地の中にも騎士達がいる。いつもの警備なのだろうか。それともアランの警護だろうか。
セレネは一瞬まごついた。
騎士の一人と目が合う。
「やあ、休憩かい?」
一人の騎士がフィーネに話しかけた。フィーネは今までほとんど男性と話したことがないので目に見えてびっくりした。
「あの、ええと。」
「都に来たばかりかい?」
「ええ。そうなんです。ずっと田舎に住んでいて。」
「よかったら今度城下町を案内しようか?」
フィーネは困ってしまった。確かに城下町は行ってみたいが、それよりアランに会いたいのだ。断って目立ちたくない。
「やめてください。」
ラーンが口を出した。
「ラーンじゃないか。お前の姉さんか?」
「従姉妹ですよ。ウエスタ兄さんの忘れ物を一緒に届けに来たんです。」
「お前の従姉妹か。じゃあ、お前さんに許可を取ればいいのかな?家長どの」
「許可は出しません。もうすぐ結婚するんです。」
「そりゃあ残念だ。」
騎士は肩をすくめた。騎士もこのやりとりを見ていた衛兵達もラーンとフィーネが王立研究所に入ることを止めなかった。
人気がないところについてフィーネはラーンに囁きかけた。
「ねえ、あれどういうことなの?私バレたのかしら」
「いいえ。ああいった男は若い美人には全員話しかけるのです。関わりあいになってはいけません。最も、お嬢様には関係のない話ですが。」
そうだったのか。美人と思われて悪い気はしないが都会にはおかしな人たちがいるものだ。
王立研究所まで行くことはできた。でも、ここからアランはどこにいるんだろう。王立研究所はフィーネが想像したよりも広かった。
「私の親戚の研究室に行きましょう。そこに私の親戚が陛下を連れてきます。」
「そんなことできるの?」
「陛下と私の親戚は気安い関係のようです。」
友達なのだろうか?当然ではあるが、アランにはフィーネが知らない人間関係があるのだ。
※
ラーンは勝手知ったる様子でどんどん奥に進んでいく。
ラーンと一緒に入った部屋は広く、四方の壁の本棚には本がぎっしり詰まっていた。そしてあらゆる場所に紙が散らばり、フィーネにはよく理解できない数式がぎっしり書かれている。何とも雑然とした部屋だ。
程なくして部屋の主が帰ってきた。
「やあ、お姫様。」
まだ若い男だ。フィーネと幾つも年が変わらないだろう。顔立ちは整っているが、髪はボサボサ、服は皺になっているので台無しだ。
ラーンの紹介によると、男はウエスタ。王立研究所の天才と名高い男だそうだ。
「噂のお姫様に会えるとは恐悦至極。」
お姫様?フィーネは公爵家の娘であるので、大抵はお嬢様と呼ばれる。
「あまりいい意味で言っていなさそうね。」
「あれ?噂だと人のいうことを全部鵜呑みにするいい子ちゃんって噂だったけど?本性はそっち?」
フィーネは少し考えた。フィーネは小さい時から閉ざされた村で自分を大切にしてくれる人とだけ囲まれて育った。周りはフィーネのために全力を尽くしていたのだ。だから、村でフィーネがやりたいことを本心から伝えると、困らせるだけだったのだ。だからフィーネはいい子でいなければならないと思っていた。でも、都に出てきて、セレネと出会ってわかったことがある。他人はフィーネのことを知らないし、知ろうともしない。自分のことを知って欲しければ、自分が何かを得たければ自分から言うしかないのだ。
「私がいい子なのかどうかは分からない。私はもう自分を取り繕うのはやめたの。自分の意見ははっきり言うと決めた。じゃなきゃ周りには何も伝わらないもの。」
「いい意見だね。ね、君から見て陛下はどんな人?」
フィーネは少し考えた。
「いつも一緒にいてくれた。一緒に遊んで、一緒に食事して、一緒に成長した。自分があんまり興味がなくても私と一緒にいてくれた。心配してくれた。優しい。そう、優しい人だった。」
「僕から見た陛下とは随分違うね。」
「あなたから見た陛下は?」
「この上なく優秀だ。この国は日々揉め事を抱えている。地震も津波もある難治国家だ。そんな国を淡々と統治している。これは並大抵のことじゃない。様々な利害関係が入り乱れているし、情もある。歴代の王は統治が全員うまかったわけじゃない。でも陛下は違う。淡々とその場の最適解を機械のように出していく、表情も変わらない。少し人間離れしていると思わないか?」
そんなことはない。アランは表情がわかりにくいけど、ちゃんと笑う。難しい政治問題だから困っているだけなのではないか?村にいるときのアランは自分よりもフィーネを優先してくれた。今は自分よりも国を優先しているのではないか?アランの本質は変わらないのではないか?
「私はそうは思わないわ。でも、それを聞きに来たのよ。」
「だってさ。陛下。」
フィーネの背後のドアが軋む音がした。振り返るとアランがいた。
「ふーむどんな会話があるか興味あるな。でも、ま、野暮なことはしないよ。」
ウエスタはそう言い残すと去っていった。
※
アランは無表情だった。都で再会してからはこんな表情ばかりだ。フィーネは早速自信を失った。
「フィーネ、君がどうしてこんなところにいる?」
「アランに会いに。」
アランの表情は変わらない。
「君が何を言っても俺の意思は変わらない。フィーネ、君とは結婚しないよ。」
「分かった。もう結婚してとは言わない。ごめんね。アラン、私自分のことばっかり言って、困らせたね。」
フィーネは続けた。
「今日は私のことはいいの。アランのことを教えて?」
「俺の?」
アランの目がかすかに見開かれる。
ほら、アランはちゃんと表情もあるし感情もある。ちょっと分かりにくいだけだ。
「そう。私アランのこと知りたかった。でも、アランは話したくないんじゃないかって思って聞けなかったの。でも、そうとは限らないよね。話したらすっきりするかもしれない。一人で抱え込まなくてよくなるかも知れない。私たち、ずっと一緒にいたけど、お互いのことがなんとなくわかっている気がしたけど、分かってないんじゃないかって思ったの。だから、アランのことを教えて?」
アランは少し黙った。
「俺のことを聞いても面白いことはないよ。」
「面白そうだから聞きたいんじゃない。アランの話が聞きたいの。いっつも私が話してばかりだったじゃない。って言っても言いにくいよね。そうだな。アランはどこで生まれたの?アランは両親のこと覚えている?自分が王子様だって知ってたの?」
アランはじっとフィーネを見つめた。フィーネは目を逸さなかった。アランは躊躇ったあと、諦めるようにため息をついた。
「それで君の気が済むのなら。」
アランはそれからゆっくり話し出した。アランが生まれてからフィーネの村に来るまでの出来事だ。
フィーネはアランの話に驚いた。
アランと村で初めて出会った時、アランは薄汚れていた。だから、フィーネはアランには辛い過去があるのだろうということは予想していた。でも、予想以上であった。アランは誰からも省みられず、思いやりを与えられてこなかったのだ。
アランの辛い姿を想像するだけでフィーネの目には涙が溢れてくる。
「アラン、辛かったね。悲しかったね。」
アランは不思議そうな表情だった。
「そうだろうか。俺はただひたすら怒っていたし憎んでいた。憎んで怒っている俺も同じことをあいつらにした。俺も怒られているし憎まれている。」
「アラン、辛くて悲しいから怒るし憎いんだよ。怒っていいし、憎んでいいんだよ。」
アランは少し口をつぐんだ。
「・・・そうか。そうだな。」
アランの表情が少しだけ和らぐ。もっと早くにアランの話を聞いてあげるべきだったのだ。フィーネは後悔した。アランは辛い時に辛いということを誰にも言えなかったから、辛さが心の底でたまっていたのかもしれない。そんな気がした。
「アラン、話をもっと聞かせて?突然王様になって大変?お仕事はどんなお仕事をしているの?」
アランはゆっくり話し出した。日々の政務のこと。最初は臣下がアランをみくびっていたこと。徐々にアランの言うことを聞くようになったこと。地震の対策の仕事は悪くないと思ったこと。孤児達の支援も悪くないと思ったことなどだ。
「そう、アランはいい王様なのね。」
「そうか?」
「私はそう思う。子供達とても喜んだと思うもの。弱い立場にいる人のことを思いやれるのはいい王様だわ。私はそう思う。」
アランは少し黙った。
「そうか、・・・そうだといい。」
アランの表情がまた和らいだ。
「アランは政治が好き?」
「好きじゃないさ。汚いことはしたくない。でも、王になってからはできることが多くなった。それは悪くないと思っている。」
「それって好きで向いているってことじゃない?」
アランは小さく頷いた。
「アランの今の望みはいい王様でいること?そのためには私と離れても平気?」
アランは穏やかだが断言した。
「ああ。そうだ。王になることは望んでいなかったが、だからと言って悪政をするつもりはない。フィーネ、君の幸せを望んでいる。でも一緒にいなくてもいい。」
「それって顔も見たくないってこと?」
アランは顔を顰めた。痛みに耐えるような表情だった。
「そうじゃない。フィーネが安全なところで幸せにしていればそれでいい。他には何も望まない。」
「そのためなら地震や津波で国民が死んでも平気?」
アランは目を見開いてフィーネの両腕を掴んだ。
「フィーネ、君。どういう意味で言っている?グレーデル公爵が君に言うはずはない。」
その通りだ。フィーネはアランにセレネのことを言う気になれなかった。
「ねえ、アラン。本当は平気じゃないんじゃない?地震が来て、国民が津波に呑まれるの辛いんじゃない?」
「認めるよ。辛い。でもフィーネ、君は魔法使いだろう?魔法には限界がある。津波なんて本当は止められない。あれはただの迷信だ。そのために君が死ぬ必要なんてない。」
「もしあったら?」
「え?」
「ねえ、もし私に津波が止められたらどうする?千年前津波を止めた伝説上の王妃がいるわ。私にも同じことができるかもしれない。ババ様に手紙で聞いたのよ?」
「そんなバカな・・・。いや、起こらないかもしれない奇跡のために君を命の危険に晒すことなんてできない。」
やはりそうだ。アランはフィーネのことを想っていてくれている。
フィーネの身の安全のために、アランはフィーネに聖地にいてほしいと言ったのだ。
「ねえアラン、私にも聞いて、私が今までどう思ってきたのか。どうしたいのか聞いて。」
アランはフィーネにしがみつくように肩を握りしめて、目をギュッと閉じ、小さく首を振った。
「じゃあ勝手に話す。アラン。私は今まで愛されて幸せに生きてきた。それは自分でも分かってる。恨んだりしたらばちが当たるわ。」
それでも、フィーネと同じような状況にいるものはフィーネしかいない。フィーネの感情はフィーネだけのものだ。それをアランに伝えたい。
「でも私辛かった。ずっと辛かったの。私には生まれた時から選択肢なんてなかった。周りから与えられたもの以外のものを欲しがれば周りを傷つける。だから何も言えなかった。そんな中で、アランが来てくれた。アランは私を一方的に保護するんじゃなくて、一緒にいろんなことをしてくれた。一緒に遊んでくれたし、一緒に過ごしてくれた。私生まれて初めてだった。一緒に考えてくれる人。私ね、アランが好き。アランと結婚して王妃様になりたいなんて、そりゃあちょっとは思ったけど。でも、それだけじゃない。アランが好き。アランのためなら何でもできる。」
フィーネは続ける。
「私ね、辛かった。村で一人きりで孤独で何もできずに辛かった。都に来た後、周りから、死んでもいいと思われていることも辛かった。でもね、アラン、私両方ともおんなじくらい辛いの。どっちも辛いから、アランのためになることをしたい。」
アランはフィーネを抱きしめた。息もできないほどきつい抱擁だった。
「俺のためを思うなら生きてくれ。生きていればそれでいいんだ。」
アランの背中が震えていた。フィーネはゆっくりと背中を撫でる。
「アラン、昔はそうじゃなかったのに、パパやママやババ様みたいな言い方するのね。私はこうするしかないのだからこうしなさいっていうの。他の選択肢なんて見せてもくれないし考えさせてもくれない。」
「君が死ぬような選択肢じゃなかったら俺だって君の意見を尊重したさ。」
フィーネは少し考えた。
「そうかな。そうでもなかったんじゃない?だって、アラン都にきてすぐの時は私がグレーデルの娘なんて知らなかったんでしょ?それでも都に私を呼んでくれなかった。私はアランと一緒にいられれば良かった。本当よ?正妻じゃなくてもいいの。」
「君にそんなことさせるわけないだろう?」
「ほら。私の意見を聞いてくれない。」
「フィーネ。王宮は恐ろしいところだ。まして王の周りは権力が全ての腐った連中がたくさんいる。そんな中では、君は心を壊してしまう。」
「そうかもしれない。でも違うかもしれないわ。村にずっといても心を壊したかもしれないわ。どっちにしてもアラン。私は自分で選んだ選択だったら自分で結果を背負うわ。都に来て、死ぬかもしれないって聞いて怖かった。周りを恨んだわ。でも後悔はしてないのよ。自分で選んだ道だからだわ。」
「フィーネ、君は。」
「ねえ、アラン、私にどうしたいか聞いて。私が決めたことなら頑張れって言って。」
アランはフィーネにしがみつくように抱え込んでいた体を起こすと、フィーネの顔を覗き込んで言った。
「・・・フィーネはどうしたい?」
フィーネはにっこり笑った。
「私ができることなら津波を止めたい。方法はないわけじゃないのよ。そしてあなたの隣に立てる立場を手に入れたら、アランにこういうの。私家を建てる。いつかアランと読んだ物語のように赤い屋根と白い壁の家よ。私とアランの家。これからずっと一緒に過ごしましょうって言うのよ。」
アランは目を見開いた。アランの声は震えていた。
「・・・君を危険に晒すことはできない。」
アランはわからず屋だ。
ふと部屋の外がざわつく。
「お嬢様。まもなくお茶会が終わります。お戻りにならないとグレーデル公爵の耳に入ります。」
どうやらそろそろ時間切れのようだ。
「アラン。あなたは私がどこにいてもいいって言ってくれる。でも私は一緒にいたい。そのために戦う準備はできているわ。愛してる。」
フィーネはラーンの所に戻ろうとアランの手を離そうとしたが、アランは逆にフィーネの手をギュッと握った。そしてゆっくり離した。