8、お茶会は女の子の戦い
お茶会は女の子の戦い
「まあ、もったいない言葉。ありがとう。とっても嬉しいわ。」
フィーネは笑顔でこの言葉を優雅に口にした。もう何度目になるのか分からない。顔が引き攣っていた。
ここは令嬢達のお茶会だ。人望があるという評判の伯爵夫人が開催した。国内の主要な令嬢達が集まったお茶会だ。フィーネはここ最近の茶会はすべてそうだが、周りの令嬢達から不自然に持ち上げられていた。
「グレーデル公爵令嬢。本日はいつもにも増してお美しくいらっしゃる。まさに国で一番の美貌ですわ。」
そんな訳ない。フィーネも鏡が見える。そう声かける令嬢の方が遥かに美しいのだから、居心地が悪い。
「ありがとう。とってもうれしいわ。」
「今日のお召し物も何と清雅な。さすが聖女様ですわね。神聖さでめもくらむようですわ。」
侍女が用意した衣装は確かにフィーネに似合っていた。しかし、流行の衣装で、似た意匠のドレスも少なくない。その中でフィーネだけを持ち上げるのも不自然だ。
「ありがとう。とってもうれしいわ。」
すっかりお決まりになった言葉をフィーネは口にした。
フィーネにとって毎日お茶会や夜会に行くことはすっかり日常になった。しかし、周りから不自然に持ち上げられることはずっと居心地が悪い。夜会だとシレノスが常にエスコートしているので、シレノスが応対するため負担は少ない。でも女の子のお茶会はシレノスが同行しないのでずっと気づまりだった。
フィーネはずっと聖地で両親とアランとババ様達に囲まれて生活してきた。知っている人とばかり接していたので、大勢から話しかけられるのは気後れする。
そして、彼女達はフィーネのことではなく、フィーネを通してシレノスやアランの歓心をかいたいのだと言うことは、世間知らずのフィーネにも分かっていた。フィーネ自身にさほど興味はないのだろう。だから実際のフィーネからかけ離れたことばかり言うのだ。
シレノスはフィーネに優しく接しているが、常に優しくて本心がよく分からない。そしてアランはフィーネと結婚はしないと明言していた。フィーネと親しくしてもアランやシレノスの歓心なんて買えないのだ。
フィーネは大声を出してもう放っておいてと叫び出したくなった。
※
「まあ、あの方がいらしてますわ。珍しいこと。」
「よくこの場に来れたものですわね。」
令嬢達は眉を顰めながらコソコソと話し始めた。皮肉であることは明らかだった。
フィーネがふと目を見やるとセレネだった。相変わらず華やかな美しさを誇っていた。
つい先日まで、セレネの周りには人が溢れていて、口々にセレネのことを褒めていた。今のフィーネのように。しかし、貴族達は次の王妃になるのはセレネよりもフィーネだと思い始めたようだ。それで、今までセレネに集まっていた人々がフィーネに集まり出したと言う訳だ。
アランは少なくともフィーネと結婚しないと言っていたが、政略的にはフィーネとの結婚を拒みにくくなりつつあるらしい。
令嬢達の話はまだ続く。
「本当。だってあの方、お母様が。」
一人の令嬢が言いかけて青くなって口をつぐんだ。
他の令嬢華やかに談笑していた令嬢たちも同じように青くなって、フィーネの顔色を伺った。
言いたいことは分かっていた。そう社交界に出入りを始めたフィーネには社交界の噂話が入ってくる。そう、セレネは母親の身分が低いらしい。そのことで他の令嬢達から通常なら軽んじられるところであるが、アランと婚約間近であったため、アランの歓心を買うために周りからもてはやされてきたようだ。
今のフィーネのように。フィーネの母はグレーデル公爵の娘だが愛人の子であった。そしてフィーネはその母が平民の父と駆け落ちした子だ。両親の血統自慢の令嬢達にとって、フィーネは本来なら蔑まれる対象で、今もてはやしているのは令嬢達にとって不本意なのだろう。
令嬢達はフィーネの顔色を伺って、フィーネが赦しの言葉を言うことを期待したようだったが、フィーネはそんな気になれなかった。
ゆっくりと会釈し、その場を離れた。誰もフィーネを追わなかった。
※
フィーネはひとりになれそうな場所を探した。静かな東屋を見つけたのでしばらくそこで時間を潰すことにした。今ごろさぞかしフィーネの悪口で盛り上がっているだろう。
「まあ、妃殿下ではありませんの。」
艶やかな声がした。フィーネは一人ではなかったようだ。
セレネだ。セレネも一人でこの東屋にいるようだ。
「今をときめく妃殿下がこのようなところでお一人とは。取り巻きの者達はどうなさいましたの?」
取り巻き?ああ、フィーネにどこにでもついてきて、フィーネをただひたすら褒め続けるアレは取り巻きというのか。セレネの言葉は明らかにフィーネへの皮肉であったが、令嬢達と話すよりも、本心を話しているような気がした。
「父の身分の低い子が嫌いなんですって。」
セレネははっとした顔で少し口をつぐんだ。
これだけ言いたい放題のセレネにフィーネは遠慮をしないようにした。
「ねえ、あなた王妃になりたいの?それともアラ・・・陛下が好きなの?」
「まあ両方ですわ。妃殿下。」
「そうなの?まあ地震なんてあとずっと来ないものね。陛下と恋人なの?」
セレネは大きく目と口を見開いた。
よほど驚いているらしい。
「ふっあはははは。」
セレネが大きな声で笑い出した。
上品なセレネらしくない。大きな口で大笑いをしている。
フィーネは驚いた。
「あはははは。あなた本当に何も知らないのね。地震は近いうちに来るのよ。王立研究所が研究をしている。私たちが生まれる前の地震はおかしかった。そして、その予兆が13年前の地震よ。で、今の地層は500年おきの地震がくる直前の地層というわけ。王妃は生贄になるの。死ぬのよ。あなた。」
フィーネはセレネが言っていることが信じられなかった。
「う、うそ。嘘よ。じゃあどうしてあなたは王妃になりたいのよ。死にたいの?」
セレネは鼻を鳴らした。フィーネの前でもう取り繕うことはしないようだ。
「教えてあげる。世の中にはね。死んだ方がマシなことってあるのよ。」
セレネは話だした。
セレネの父は侯爵。母は父侯爵が手をつけた下層メイドだった。妊娠したセレネの母を正妻が追い出し、父侯爵は見て見ぬふりをしたらしい。セレネの母は妊娠が分かると、両親から勘当された。そして、貧民街に流れ着き、貧民街でセレネを出産した後、貧困に喘いだ。わずかな食料のために働きづめで、セレネがまだ小さい時に死んだ。
セレネはすぐに困窮した。飢えながら彷徨っていると、娼館に拾われた。娼館で下働きとして娼館で食事と住むところが与えられた。なんて事はない。セレネは容姿が良かったので、いつか客を取るため。娼婦になるためだ。
娼館の下働きは過酷だった。朝早く始まり、夜明けまで続く。食事も燃料もろくになかった。寒い時は凍えるしかない。そして何より辛かったのは娼館にきた男達の女への扱いだ。暴力を振るい、罵り嬲る。性病で多くの娼婦が若くして死んでいった。セレネもいずれ娼婦になる娘として好色の目に晒された。そして娼婦でいる間はまだマシだ。年齢を重ねて客がつかなくなれば大抵の娼婦は娼館から追い出される。そして道端でわずかな金で客をとり、飢えを凌ぐ。それすらできなくなったら路傍で死ぬのだ。
セレネは娼館から出て行きたかった。毎日叫び出したかった。このままどこにも行けず、食料のためだけに体を売り続けて死んでいくしかないのか。
セレネは逃げ出したかった。でも、どこにも行くところがないのだ。セレネは学もないからまともな職業にはつけない。母はもういない。娼館から出れば、また路傍で野垂れ死ぬだろう。
娼館の主人は成長しつつあるセレネを見て、初めての客を物色し出した。セレネはいつか母と行った市場で見た豚の競売を思い出した。セレネとあの時の豚はどちらが高いのだろう。まあ豚によるのかもしれない。
セレネは紐を見ては紐で首を吊るせば楽に死ねるという話を思い出したが、吊るすところが見つからなくてため息をついた。馬車が目の前を通ったとき、そこに身を投げ出したいという衝動
を覚えたが、いざその時になると馬車が速度を落としたのでそのまま立ち尽くした。
そんな時、一人の男が娼館にやってきて、セレネを検分し、屋敷に連れ帰った。セレネは男から何をされるのか怯えた。
しかし、男はメイドに命じてセレネを風呂に入れ、着飾らせ、信じられないほど美味しい食事を出してくれた。メイド達は親切だった。セレネは生まれて初めてお腹いっぱい食事をした。美しい服を着たのも初めてだった。母が死んでから優しくされたのは初めてだった。
男はセレネの父を名乗った。セレネの父はセレネに取り繕う事はしなかった。淡々とセレネに事実を伝えた。
セレネは男の愛人の娘であること。男が家の娘を次の王妃にするためにセレネを引き取った事。王妃は地震が来れば生贄になって死ぬこと。地震は近いうちに来ることを淡々と説明した。
そしてセレネに言った。このまま家の娘になり、貴族の娘として何不自由ない生活とどこに出しても恥ずかしくない教養を身につけ、王妃となって国のために華々しく死んでほしい。嫌なら出て行っても構わない。と。
セレネは悩まなかった。迷わず貴族の娘となり、いずれは王妃となって死ぬことを選んだ。セレネは娼館でいずれ娼婦になり、どこにも行けず、なんの選択肢もなく死んでいくところだったのだ。娼館にいた時のセレネは死ぬことを恐れてはいなかった。むしろ苦しみながら生きていくよりも、楽に死ねるならそのほうがいいと思っていた。セレネはやっと死ねるのだ。それも人知れず野垂れ死ぬのではなく、王妃として、国を救うと信じられているものとして華々しく死ねるのだ。そして、それまで何不自由なく暮らせる。勉強だってできるのだ。
セレネは必死に行儀作法と教養を身につけ、豪華な衣装と宝石を身につけて社交界に出た。アランから気に入られなかったらどうしようかと思ったが、アランはセレネが近づいても、頻繁に会っても、婚約間近だと号外が出ても平然としていた。アランはセレネに特別優しくすることも微笑みかけることもなかったが、殴ることも暴言を吐くこともなかった。そして何より美男であった。セレネは満足だった。
社交界ではセレネは侯爵令嬢として、誰より美しく着飾り、誰よりももてはやされた。セレネは毎日幸せだった。幸せなまま華々しく死に、母の元へいけるはずだったのだ。フィーネが来るまでは。
※
「あなたのせいよ。」
セレネはフィーネをまっすぐ見つめて糾弾した。セレネの言葉は、力強く、何よりも説得力があった。そして、この時フィーネはセレネのいうことは真実なのだということを悟った。フィーネが疑問に思っていたこと。違和感があったことがセレネの言葉が本当だとすれば納得できる。
なぜ屋敷に母の肖像画がないのだ?なぜ使用人達は母のことを話そうとしないのだ?なぜ屋敷に母の部屋がないのだ?シレノスはどうして母が都から離れて何年も経ってもなお母の居場所を探していたのだ?グレーデル公爵家とはいえ、母もフィーネも婚外子だ。そんなフィーネがなぜここまで王妃に推されるのだ?美男で若いアランの王妃候補が少ないのはなぜだ?何より、アランとババ様はどうしてフィーネを必死に聖地に止めようとしたのだ?セレネの言うことが本当なら全て説明がつく。
セレネは続ける。
「あなたさえいなければ私は幸せだったのに。毎日美味しい食事がもらえて、綺麗な服を着せてもらえて、毎日周りから褒められたのに。優しくしてもらえたのに。こんなの初めてだったのに。王妃になれなきゃ私に価値はないのに。」
セレネの美しい顔が徐々に歪んでいく。
「あなたに私の気持ちなんて分かるもんですか。あなた飢えたことも殴られたことも娼婦になれって言われたこともないんでしょう?」
ついにセレネの目から涙が溢れ出す。
「どうして死んじゃったの?ママ。」
絞り出すような声だった。
セレネのやるせない感情がフィーネに注がれる。
フィーネは思わずセレネにハンカチを差し出した。
「辛いわね。」
セレネはギョッとした顔でフィーネを見据える。
セレネはフィーネが差し出したハンカチを奪い取る。そしてフィーネの胸ぐらを掴んだ。
「何よ。憐れんでるの?あなたが私に?あんたなんて何も知らされないで故郷から連れ出されたんでしょ?ちやほやされているけど、そいつら全員あんたがもうすぐ死ぬと知ってるのよ。あんたのグレーデル公爵は自分の家の権威を保つために十年以上行方不明の姉を探したのよ。姉が死ぬなんて知ってたわ。あんた叔父から、ううん、叔父だけじゃない。国中から死ぬことを望まれているのよ?あんただって私と一緒じゃないの。やめて。憐れむのはやめて。」
そうだ。セレネはフィーネ自身だ。
フィーネも産まれた時から選択肢などなかったのだ。そしてフィーネも両親を失い、選択肢はもっとなくなった。辺境から一歩も出れず、将来を悲観していても自分では何も変えられなかった。フィーネには両親もお金も外で働くための能力もなかったのだ。よく知らないシレノスの手を取った。シレノスはドレスと宝石と教養を与えた。しかし、フィーネは今も現金を持っていないし、外で働くような能力もないままだ。そして、今、来るべき地震に備えて、シレノスはフィーネの死を望んでいる。いや、シレノスだけじゃない。国中がフィーネの死を望んでいるのだ。
確かにフィーネは両親が死んだ後も飢えることも殴られることも娼婦になれと言われたこともない。でも
「そうね。一緒ね。」
フィーネもセレネも孤独で他に選択肢を持たず、自分以外のもののために死ぬことを周りから求められているのだ。フィーネの目から涙が溢れる。フィーネはそのまま膝を折り泣き崩れた。
「何よ。何よ。」
セレネはフィーネの胸ぐらを掴んだまま、フィーネが泣き崩れるのと一緒に膝を折った。セレネはフィーネの胸ぐらをより強く掴み、顔を寄せた。
「あなたなんて。嫌いよ。私をちやほやしてたくせに手のひら裏返した奴らも嫌い。娼館の奴らも嫌い。のうのうと生きてる国民も嫌い。何もできない自分も嫌い。みんな大っ嫌い。」
セレネはフィーネに顔を寄せて泣き喚いた。
フィーネも泣き崩れた。
フィーネもセレネが嫌いだった。フィーネのアランを奪った少女。フィーネが欲しくてたまらなかった美貌と教養を持つ少女。フィーネのせいじゃないのに、フィーネを恨んでいる少女。
フィーネはセレネが嫌いだ。でも、今目の前にいるセレネだけが今はフィーネと同じ苦しみを持っているのだ。
フィーネはセレネの前で素直に泣くことができた。
優雅な令嬢達のお茶会は続いているのだろう。彼女達は今も裕福で身分の高い両親が健在で、例え地震や津波が来たとしても、最大限安全な所に避難するのだろう。本来令嬢達のお茶会は安全圏にいる少女達の会だ。
その中で、フィーネとセレネだけが危険な場所で死を願われるのだ。
フィーネはこの時世界にフィーネとセレネだけしかいないような思いになっていた。