7、国王陛下の言うことには(2)
アランは馬車に乗せられて都まで連れて行かれた。
そこでアランはアランの父親の正体を知ることになる。
アランの父親は国王だった。国王が美しい愛人に産ませた子がアランだった。
国王は病死した。皇太子も事故で死んだ。そして、他の王位継承権保持者達は高齢者ばかり。それでアランが生きていないか探されたようだ。
一度はアランを殺そうとして随分都合のいい話だ。
アランは一蹴しようとした。
「陛下。ご心配なく。政務は我々が補佐しますぞ。」
重臣達はアランに即位してもらわないとよほど困るらしい。アランに付き纏って何もしなくてもいいからと即位を迫った。
アランが全く興味を示さないと、次はアランを美食や宝石を与えて懐柔しようとした。
そしてそれにも興味を示さないところを知ると、次は美女達をアランにあてがおうとした。
どの美女も大層な美貌と教養、家柄の持ち主だ。だがアランの望みは聖地でフィーネと静かに暮らすこととフィーネに家をたててやることだ。アランは興味を示さなかった。それにも関わらず、重臣たちは次から次へと美女を連れてくる。
ついにはこんなこともまで言い出す始末だ。
「陛下。ご心配はいりませんぞ。政略のために結婚は必要。ですが、お気に召した女性がいれば、いくらでも召し抱えてかまいません。どんな女が好みですかな?なんでもおっしゃってください。用意しますぞ。屋敷を召使を与えて、何不自由なくお過ごしいただけますぞ。」
この男はなにを言ったのだ?アランの脳裏にアランの母が首を吊った姿がよぎる。
この男はアランにアランの母と存在を作れと言っているのか?
アランの脳裏にアランの母の姿がよぎる。アランの母は大きな屋敷に住み、多くの使用人や豪華なドレス、宝石に囲まれていた。そして、何も話さず、何も表情を動かさず、心を壊し、最後は首を吊って死んだのだ。
フィーネを母と同じように扱う?柔らかくて暖かくて、心優しいフィーネが美しい屋敷で少しずつ表情をなくしていく姿を想像した。そして、フィーネが首を吊る姿が脳裏によぎる。
吐き気がする。フィーネは聖地で。安全な場所で安全に過ごさせなくてはならない。
母のことを思い出す。そしてアランのアジトの少女たちのことも。
権力を持ったものは弱者を好きにできると思っているのだ。フィーネは無力だ。フィーネのことなど権力をもった重臣など好きにできる。
アランの歓心を買うためにフィーネを聖地から連れ出してアランに捧げることもできるし、アランへの要望を通すためにフィーネを誘拐することもできる。アランに敵対するものはフィーネを殺すこともできる。
こいつらにフィーネの存在を知られてはならない。
そのためにはこいつらの上に君臨して制御しなくては。
アランは即位し、権力の頂点に立つことを決めた。フィーネのことをアラン自身から守らなくてはならない。そのためならフィーネとはもう会えない。それに耐える。耐えてみせるとアランは誓った。
即位してからは意外にも順調であった。
アランが朝執務室に赴きすべき日課をするだけで臣下達はたいそう喜んだ。
いままでどれだけ腐敗していたのだろうか。
表情を動かさずただひたすら毎日執務をし続け、常に最適解を出すアランはいつしか氷の少年王と呼ばれるようになった。
執務の中には興味深いものもあった。炎の王家の最大の仕事は国の大堤防を修築し耐震技術や学問を奨励することだ。
アランはフィーネの父の蔵書を含めこの手の学問はもともと興味深いと思っていた。学者達に解説をさせてそれを聞くのは興味深かった。学者たちの解説の質問をしたり、矛盾点を指摘するとアランのことを天才だと学者たちは口々にほめたたえた。人からどう思われるかなどアランはどうでもいいと思っているが、それでもアランの言葉で研究が成果を増していくところを見るのは達成感がある。
この研究があれば、フィーネのように家族を失って泣く子供も減るかもしれない。そう思った。
慈善事業の仕事をすることもアランは悪くないと思っていた。
フィーネが両親を失った地震の影響で、この国には孤児が多かった。フィーネと同じ境遇の少年少女たちだ。予算の報告に来た役人たちが予算の内約を見て、フィーネがりんごを食べたがっていたけど、なかなか食べられなかったことと物語を読むのが好きだったことを思い出した。そして、街のアジトにいた子供たちは文字さえ読めなかったことを思い出した。
孤児たちへの予算を増やして果物か菓子を与えること。本を与えること。読み書きを教える教師を雇うことを命じた。アランが孤児院へ視察に行くと、孤児達と孤児を世話する聖職者達に涙を流して感謝された。
人は態度では判断できない。だが、孤児達は善良そうであった。
弱者は飢えなければ。虐げられなければさらなる弱者から奪わずにいられるものもいるのかもしれない。
アランはアジトでは周りから搾取し、ついにはアランを慕った少年少女達のことを見捨てたが、飢えなければ。騙されなければ。蹂躙されなければ、アランは人から何かを奪うことなど思いつかなった。
いつかの少年もそうだったのかもしれない。
この孤児達もこれから傷つかずに済むといい。
アランのすべてが順調だったわけではない。今まで父王の元で民への搾取を許されてきたものは、アランが即位した後も当然のごとく搾取を続けようとした。
最初は臣下達はアランのことを侮った。
水増しした予算案をアランに示し、サインだけをするように迫った。
アランが予算案の矛盾点を指摘すると顔を赤くしたり青くしたりして、アランの執務室から逃げ去った。
そのうちに高名な学者達に改ざんを手伝わせるようになったが、アランが矛盾点を見つけることが容易にできるということには変わりがなかった。徐々に臣下達を掌握しだしたアランは、信頼できそうな臣下を数名はさみ、周りには悟られないように細心の注意を払ったうえで、フィーネの家を建てる計画を進めた。
フィーネが瓦礫を見ながら目に涙をためるところを想像するだけで胸が締め付けられるのだ。フィーネの家を考えるのは楽しかった。まずフィーネの家は頑丈でないといけない。地震があっても耐えられるほどの頑丈さが必要だ。アランは自身が支援した最新の耐震技術でフィーネの家を作ることにした。次に外装や内装も必要だ。フィーネは物語ばかり読んで夢見がちだった。フィーネが気に入るように優美な作りの家にしよう。あまりに豪華で繊細すぎるとフィーネには管理ができないかもしれないし聖地では浮くだろう。聖地を思い出しながら、聖地での幸せな生活を思い出しながらフィーネの家を考えている時間はアランを幸せにした。フィーネは離れていてもアランを幸せにしてくれる。
アランは聖地でフィーネがアランの建てた家で暮らしているところを想像して満足した。フィーネはこれからもずっと安全な聖地で幸せに暮らすのだ。綺麗なまま優しいまま、どこにも行かずに。アランはそれがフィーネを閉じ込めていることになっていることに気がつかないことにした。
※
「グレーデルの聖女?」
アランに相対した男は妙なことを言った。
男の名前はウエスタ。王立研究所の誇る天才と名高い男だ。
ウェスタは元々アランを論破し貴族の腐敗した特権を守るべく、とある貴族に莫大な報酬で雇われた男だった。
ところが、ウエスタはアランと数時間討論をするなりこう言った。
「陛下。あんたは天才だ。俺と同じくらいな。だからこれ以上は時間の無駄だ。」
「無駄?」
「分かってるだろ。陛下。この話は単に腐敗した貴族が自分の利益を守りたいだけで、それ以外の理由なんて取ってつけただけだ。ってことが俺もお前も分かっている。だから時間の無駄だよ。」
ウエスタはおかしそうに話す。
「それでお前は困らないのか?」
「まあ困らんね。俺は天才だからな。この国じゃ天災が溢れている。だからその対策ができそうな頭の持ち主はまあ、死なせることなんてできないさ。まあ地位や金を奪ったりする嫌がらせはするだろうがな。」
それ以降この男はアランのところにふらりとやってきては、食事や菓子を要求し、アランにとりとめのないことを話しては帰っていくということを定期的にするようになった。
その男が今日している話がこれだ。
「そう、グレーデル公爵家。あの最近権威が落ちてる神秘主義の大家。その家の魔法が使える女がグレーデルの聖女。奇跡を起こし、国を津波から救うと信じられているのがグレーデルの聖女。それが陛下の花嫁候補だ。」
「まさか。魔法にできることには限界があるだろう。本当に津波を止められる訳はない。」
「そう、その通り。だから、実際は止められない。まあ、本当に津波を止めたなんて伝説はあるけどまあ、眉唾ものだな。実際は生贄みたいに祭壇に立たせて津波に飲み込まれてる。それでも、まあ堤防があるからな。国中が沈む訳でもない。だから設定としては、グレーデルの聖女が身を捧げたから神の怒りが鎮められて被害が最小限に抑えられたって設定になってる。それで、傷ついた国民は心が慰められる。王宮は国民が制御しやすくなる。グレーデル家は王妃を輩出できて権威が復興する。いいことだらけだ。実際死ぬ女の子以外はな。」
アランはため息をついた。
「そんな気休めのために本当に死ぬことも無いだろう。」
「まあ、地震は来ないと思っているのかもね。地震が来たとしても犠牲にして。それで繁栄してきた一族だ。」
吐き気のするような話だ。
「地震は来る。しかも500年に一度の大地震と津波の規模のものがまた来る。外れて欲しい予想だ。」
そう、これは王国中枢部の最高機密だ。国では地震の研究に多額の予算を注ぎ込んでいる。王立研究所が、地震から地震の間の地層の変動を調査し、その情報を集積している。その結果20年前の地震では従来の地震後の地層とは大きな差異があったのだ。そして、13年前の地震ではその差異がまた大きく変動した。そう、500年に一度の地震が起きる直前の地層だ。
目の前のウエスタを含め王立研究所の天才達は500年に一度の地震がくる。それも間もないと予想している。アランもその予想は正しいと思っている。
そして、極秘に堤防の修繕を始め、地震の対策に多額の予算をつけ、学者達に研究させ、役人は奔走し、アラン自身も研究をしているのだ。
機密といっても、国の高位貴族達にまで隠せるものでもない。予算をつけて役人を動かしている以上当然だ。貴族達は、地震に備えて地方に財を移したり、建築資材に投資したりしているらしい。そして、地震が来るとなると難航するのが王妃だ。この国のバカげた風習だと、大地震では王妃が生贄になる。当然貴族は自分の娘を今は王妃にしたくないというわけだ。今の結婚適齢期の貴族の令嬢達は、さっさと結婚もしくは婚約させている。貴族が早婚がちであったとしても、それにしても早すぎる結婚や婚約であるらしい。それでも娘など犠牲にしても構わないから家から王妃を出したいという腐った家もあるようだ。
「おぞましい話だ。その娘は納得しているのか?」
「それが笑えることに、今グレーデル家には娘がいない。」
「それじゃあ死ぬことも俺と結婚することもない。何バカなことを言っているんだ?」
「まあ聞け。20年近く前に王妃候補だった娘がいる。500年に一度の津波の前だ。その娘は大層美人で魔法の力も強かったらしい。しかも愛人の子で家族から虐げられていた。生贄。じゃなかった。家のために王妃にするにはもってこいの娘だ。生贄にされそうになって、駆け落ちしたわけだが、その娘を探し出そうとしているらしい。」
「随分俺より年上じゃないか。」
「まあ、王族の結婚なんてそんなもんだ。」
「だいたい20年も会っていないんだろ?どうしてグレーデル家の娘だって分かるんだ?」
「まあ、そこだ。この話の元ネタだ。グレーデル家は大抵は紫の瞳だろ?もちろんグレーデル家以外にも紫の瞳なんているがね。珍しくて美しい色であることには変わりはない。で、魔法が使えるなんて女もそうはいない。だからまあ、紫の瞳で魔法が使えればまあグレーデルの娘でしょ?ってわけだ。これ以上ない目印があるから探すのはそう難しくないはずなんだがね。まあ万が一の偶然で違ったとしても、とにかくそれらしい女を探して、陛下の花嫁にする。で、地震が来ようと来なかろうと王妃を出せればそれでいいのさ。」
紫の瞳を持った魔法が使える女?
フィーネとフィーネの母親だ。
フィーネの家族は本来なら聖職者しか住まないはずの最僻地に身をひそめるように住んでいた。フィーネもフィーネの両親も聖地から一歩も出ずに生活していた。何やら訳ありだとは思っていたが。グレーデル家の娘なのか?
まさかそんな偶然がある訳はないと思いたかった。しかし、グレーデル家の娘だろうとそうでなかろうとグレーデル公爵がフィーネの存在に気づけばアランの王妃に推挙するだろう。
そうなればグレーデル公爵は家から王妃を出せて家の権威は復活する。国民も王妃が生贄になれば心慰められる。国は国民のことを制御しやすくなる。
全員が幸せになるのだ。アランとフィーネ以外は。フィーネは死んで、アランはフィーネを失う。
何としてもフィーネを隠さなければならない。
アランは誓った。
※
アランはフィーネとの連絡を断ち切った。それだけではダメだ。
アランが聖地で見つかったことは大抵の物に知れ渡っている。
フィーネを見つけ出すのは簡単だ。
しかし、アランがそれまでに結婚してしまっていれば別だ。
早く結婚してしまおう。アランはそう思っている自分自身の醜悪さに気がついていた。
今アランと結婚する相手はそうせざるを得ない少女だ。まともな家族がいれば死ぬのが分かっていてアランと結婚させる訳はない。フィーネを守るために、見知らぬ少女を犠牲にしようとしているのだ。
※
ウエスタは首をすくめた。
「いやーグレーデル家が聖地で聖女を見つけたって聞いた時の陛下の落ち込み方はすごかったな。それにしてもさすがというか。グレーデル家はお姫様を逃す気サラサラないね。聖地で見つけてそのまま都に急行。その後屋敷から一歩も外に出さない。陛下に会わせるのも都中にお姫様が見つかった後。徹底してるな。」
その通りだった。
「しかし陛下。あんた笑うんだな。びっくりしたわ。」
フィーネとアランが会っている所を盗み見たらしい。言われてみればアランの表情が動いたのは久しぶりだったかもしれない。
「昔は何とも思わなかった。フィーネといると楽しいという気持ちと人を好きになる気持ちになる。フィーネと別れて元の自分に戻った。元の何も感じない自分に戻ったと思った。でも、フィーネと会って感情と表情が動いた。」
「純愛だねー。で、陛下お姫様にどうして欲しいわけ?」
どうして欲しいのだろうか。
昔聖地でフィーネと二人だけで暮らしていた時は、フィーネが悲しい顔をするのが辛かった。フィーネに何もできない自分に耐えられなかった。自分でフィーネを養い、自分が建てた家にフィーネを住まわせ、自分が毎日フィーネを守り、いつかフィーネとの間の子供を授かりたかった。
今はどれもができない。それでも。
「生きていればいい。ああ、違うな、できれば元気で笑っていて欲しい。」
アランと結婚すればフィーネは死ぬ。それは確信していた。シレノスの元からフィーネを逃がし、聖地に送り届け、聖職者になる。
それくらいしかフィーネを守る術がない。
アランはフィーネと一緒に歩く未来はすでに諦めている。アランが好きなものはフィーネだけだ。それは今も変わらない。アランはフィーネが傷つけられたり蔑ろにされたり殺されたりするのが許せない。そのためならフィーネとはもう会えなくなる覚悟をアランはすでに決めていた。