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6、国王陛下の言うことには

6、国王陛下の言うことには


 アランは大きく息をついた。

 「陛下。だからこの作戦はまずいと言ったじゃないか。お姫様泣いてた。あれ、陛下のことまだ好きなんだぜ。俺の作戦にすればよかったのに。」

 アランは無言で睨みつけたが、男は全く怯んだ様子はない。

「お姫様を心から愛しているからこそ、危険な王宮には近づいて欲しくない。グレーデル公爵は危険な男だ。お姫様が安全に暮らせるのは聖地しかない。どうか帰って欲しいって正直に言えばよかったんだ。」

「今更。俺はフィーネを置き去りにして会いにも行かず、他の女と一緒にいて、婚約の号外まででてた。誰が信じるか。」

「あのお姫様は、陛下のいうことは何でも聞きそうだったがね。何でもするって言っていた。」

アランは返事をしなかった。その通りだった。フィーネは昔からアランに頼りきりで、疑うことを知らない。フィーネのような娘が王宮で生きていける訳はないのだ。

 

            ※


 フィーネと出会ったのは、アランがこの世の醜さを全て知った後のことだった。

 アランは自分が生まれた場所を知らない。

 アランは生まれた時、人里離れた場所にある美しい館に住んでいた。そこには多くの使用人がいた。衣食住は最高級のものを与えられた。しかし、アランはいないもののように扱われた。使用人達はアランと目を合わせなかった。アランと会話をしなかった。ただひたすら毎日の食事を提供された。アランは館から出ることは許されなかったし、館から出る必要性も感じなかった。やがて、教師達がアランに学問や武術を教えるためにやってきたが、教師達もアランと一切の交流をしなかった。ただ、教師達はアランのことを時折天才と呟いたがアランにはよく分からなかった。ただ、アランが一度見たものを忘れることはなかったし、どんな書物でも内容を理解できないことはなかった。また、複数の書物の中から、矛盾抵触を見つけて事実の抽出をすることも、アランにとっては呼吸をするより自然なことであった。


 アランは父を知らない。母と住んでいた。アランの母はこの世のものとは思えないほど美しく儚げであった。そして話さず、表情を変えず、アランには近づかなかった。挨拶を交わすことさえない。

 一度アランは母に近づいたことがある。母はアランのことを見ると奇声を発し、蹲った。手元にあるあらゆるものをアランに投げつけ、投げるものがなくなったら、床に爪を立て床を引っ掻き回した。指が血だらけになったところで、アランは使用人達に母から引き離された。

 後で使用人達が噂話をしているのを聞くところによると、アランの父は高貴な人物らしい。アランの母は下働きの平民だった。その美しさから、父に一方的に見そめられ、手折られた。母は望まず父の愛人になった。その後の子を孕った母は、正妻や親族から嫉妬や侮蔑の対象となった。母は少しづつ病んでいった。母には恋人がいたらしい。母はある時、父に故郷に帰りたいと願った。父はこれに怒って、母の恋人を母の目の前で殺した。母の心は完全に壊れた。

 母はそれ以降話せなくなり、何も分からなくなった。父が側によると狂ったように暴れ回り、自傷するようになった。父は狂った母に飽き、館を与えて以降見向きもしなかった。

 狂った母が治ることはなかったが、放っておけば少なくとも自傷はしなかった。

 アランに興味を示すことはなかった。しかし、アランが父に似て成長するに従って、父に似てきた時、母はアランを見かけると狂うようになった。以後、アランは母に近づけられなくなった。

 アランはそのまま、何も感じず、淡々と成長していった。


         ※


 ある日のことだった。アランはいつも通り淡々と日々を過ごしていた。廊下を歩いていると、目の前の侍女が部屋を見て叫び声を上げているのを見た。

 ふと侍女の視線の先を見ると、母が首を吊っていた。

 屋敷中が騒然としたが、アランは特に感情を動かすことはなかった。

 母が死んだことで、父は屋敷への援助をやめた。

 母の遺体が運び出されてしばらくして、アランは使用人から馬車で遠くに連れ出された。

 

 アランは森の奥で、使用人から馬車から出され、馬車はアランを置いて逃げるように去っていった。

 使用人達の話を聞くに、アランは父からは無関心であり、父の正妻や子からは死んでほしいと願われていたらしい。

 アランのことは死んでも構わないと思われて、森に捨ててきたようだ。



       ※



 ここから先は、アランにさらなる地獄が待っていた。

 アランは森の中ですぐに飢えた。飢えて手を出した果物にあたって、腹を壊し、さらに体調を崩した。

 アランは身を引きずりながら、彷徨い歩き、とある街に行き着いた。そこは治安の悪い街だった。アランがなすすべなく蹲っていると、一人の少年がアランに話しかけた。行くところがないなら、孤児達のアジトに来るように言われた。

 他に行くところもなかったので、アランは頷いた。

 橋の下のアジトは、雨風が凌げそうだった。少年は、アランに、今着ている服は汚れたら困るから、着替えたほうがいいと言われて、ぼろの服を差し出された。アランは少年の言う通り服を着替えたところで、少年の態度が急変し、少年はアランの服を取り上げ、アランを叩き出した。

 少年は最初からアランのことなど興味はなく、アランが着ていた絹の服をアランから取り上げることしか考えていなかったらしい。

 アランは薄汚れた服を着て、街に再び投げ出された。街にいるまともな職業を持つ大人も、そんな大人から保護された子供も、薄汚れたアランのことは見て見ぬふりをして通り過ぎた。

 アランは何もする気になれず、ただ道に座り込んでいた。

 このままアランは朽ち果てるのだろうか。アランはそのまま座り込んでいると、ある小綺麗な紳士がアランの前で足を止めた。

 紳士はアランの顔をじっと眺めて、自分の家に来るように誘った。アランはまた騙されているのだろうかと思ったが、アランは今はまともな服さえ着ていない。アランを襲ったところで紳士に何の利益もないと思ったので、そのままついて行った。アランは半ば投げやりになっていた。

 紳士はアランを宿屋の部屋に導いた後浴室に連れ込むとアランのことを自分の手で隅々まで洗った。

 アランは違和感を覚えたが、屋敷にいる時もアランは使用人から体を洗われていたので、大きな抵抗はしなかった。浴室から出たアランは、紳士から寝台に投げ入れられた。そして、首筋を舐められた。生理的な嫌悪でアランは紳士を押し除けた。追いかけてくる紳士に、アランは花瓶を投げつけると、紳士は昏倒した。その隙に、アランは服を着た。そして、投げ出されていた紳士の鞄から、財布を掴むと逃げ出した。

 アランは再び路地に戻った。

 アランは雨風凌ぐため、宿屋に行き、宿を取ろうとしたが、幼くぼろを着たアランは、宿屋の主人から胡乱な目で見られ、追い出された。


 アランは路地で倒れ込み、起き上がることもできなかった。 

 次第に雨が降ってくる。

 アランは冷たい雨風にさらされ、空腹の中で初めての感情が芽生えた。怒りだ。アランのことを顧なかった母への怒り。母とアランを追い詰めた見知らぬ父への怒り。一度も会ったことのないアランの死を願った父の正妻への怒り。何も知らない何も持たないアランから服まで奪い取った少年への怒り。アランを寝台に連れ込んだ紳士への怒りが湧き上がってきた。そして、誰もがアランの生に興味はないのだ。むしろ死を望んでいるのだということを悟った。アランはそのようなもの達の思い通りになりたくない。そう強く思った。そして、アランは死にたくないという気持ちが湧き上がってきた。

 アランは生き残るためにあらゆることを始めた。

 手始めに盗みを始めた。アランは店主の動きからパターンを見つけ、店主の目をかいくぐることが容易にできた。アランは食料を手に入れることはすぐにできた。次に盗んだ金で市場に出た。治安の悪い街では、その日の生活のために手にあるものを売って過ごす。自らが持っているものの価値などわからないまま売り払う。中には高価なものがあっても、自分が手に持つものの価値など分からずわずかな食料と取り替える。アランは価値あるものがわずかな金銭で叩き売られているのを見つけられた。教育を受けたアランが利益を得ることは容易だった。人の動きを読めばどこでどう利益が上がるのかを見るのは容易い。

 次にアランが始めたことは、住むところの確保だった。

 身寄りのない子供のアランには金があっても家を買うことも宿を取ることもできない。

 目をつけたのは、少年たちのアジトだった。少年達を食糧と金で買収し、少年たちのアジトに住むことにした。

 金と食料を生み出せるアランのことを少年達は慕った。それは最初にアランを陥れた少年も例外ではなかった。少年はアランに跪いて謝った。少年は言った。食料がなかった。何日も食べていなかった。アランから奪った服は換金して食料にしたからもう返すことができないと言った。

 アランは少年に裏切られたことを忘れることはできなかった。しかし、こうも思えた。この少年はアランと同じだ。死ぬことができずに食料のために盗みをしているか、人を騙している。

 アランは少年をアジトの中で冷遇することができなかった。

 治安の悪い街では食べられない少年少女は数多い。アランのアジトにいる人数は多くなっていった。

 少年も少女も、アランと境遇は変わらなかった。親から見捨てられた者。親の顔など知らない者。親から売春宿に売られそうになって逃げたもの。売春宿から逃げた者。

 この街の治安が悪化したのは、アランが生まれる少し前にあった地震と津波で、人々が困窮し、犯罪に手を染めるものが増えたかららしい。困窮すれば治安は悪化する。そして一番に少年少女が犠牲になり、少年少女は生きるためにもっと弱いものを搾取しながら生きていくしか無くなり、さらなる治安が悪化する。アランはこの循環を目の当たりにし、ぞっとした。この国中で同じことが行われ、そして繰り返されていくのだろう。アランは自分にできることの少なさが歯痒かった。

 

 アランのアジトで過ごし始めて幾つかの季節が通り過ぎた後、警察がアランのアジトを取り囲んだ。

 周りにはいつかアランに襲いかかった紳士がいる。アランのアジトには、売春していた少年少女や売春宿から逃げた者が多い。そして、食料がなければいずれ売春しなければならなかった者もいるだろう。そんな少年少女達がアランのアジトに逃げ込むことで、売春から逃れられた。ということは、それを面白くないと思う者も多かったということだ。

 少年たちを買いたかった男達や、そんな男達に少年少女をあてがい、中間搾取していたもの達。そして、売春宿の主人達だ。その男達が、アランのアジトが、治安を悪化させていると警察に訴え、アランのアジトを解体させるよう訴えたらしい。

 何が治安だ。アランは思った。治安を悪化させているのは、少年達に売春をさせている商人達であり、それを買う男達だろう。だいたい、帰るところがあるなら、アランのアジトで過ごすわけはないだろう。警察もアラン達ではなく、売春宿を取り締まらないなんて、腐敗しているにもほどがある。

 アランは怒りに震えた。アランは少年少女達を引き連れて裏口から逃げ出した。

 しかし、ほどなくして追ってに追いつかれた。

 「リーダーを捕まえろ。やたらと顔の整ったガキらしい。」

 男達が口々に言う。アランは考えた。どうすればここの子供達を全員逃がせるだろうか。

 「こいつだ。こいつだリーダーだ。」

 口にしたのはアランがこの街で初めて会った少年だった。少年は男達がアランに視線を向け、アランの元に殺到アランから衣服を剥ぎ取った少年だ。アランに詫びたのは口ばかりだったのか。

 男達がアランに向かって殺到してくる。アランは、周りを見渡すと、路傍の木を蹴飛ばした。

細い木はアランが蹴飛ばすと、大きくしなり、木に吊るされていた洗濯物が一斉に落ちる。男達の足が止まった。

 アランはとっさに、今にも出発しようとしている行商人の馬車の荷馬車に飛び乗った。

 

 アランは荷馬車で息を潜めた。数日間馬車が動き続ける。アランは荷台で息を潜めながら、空腹の時は荷馬車に入っていた食料を齧る。

 ある時行商人がアランの存在に気がついた。行商人はアランに罵声を浴びさせ、殴り、路傍にアランを捨て置いた。

 時間は夜で、周りは何も見えない。

 アランは思った。この世界はクソだ。弱者が生き残るためにさらなる弱者を売る。

 母を捨てた父も。アランを顧みなかった母も。アランを売った少年も。アランを辱めた紳士も、さらなる弱者であるアランを踏みつけながら生きている。そして、自分を慕った少年少女達を置いて、逃げたアランもまたクソだ。

 アランはゆっくりと夜道を歩いた。ここがどこなのかも分からない。

 どこに行きたいのかも分からない。

 アランは見つけた畑で食べられそうなものを盗み食べると、また隠れた。



          ※



 「あなた誰?」

 少女がアランに話しかけた。少女は、紫の大きな瞳と艶やかな茶色の瞳をしている。可愛らしいと言ってもいい容姿だ。

 少女は質素だが清潔な服を着ている。頬もふくよかで、栄養状態もいい。殴られた傷もない。

 まともな家庭で両親に守られているような少女だ。アランは驚いた。少年少女も大人も、まともな環境で育った人間はアランのような薄汚れた人間のことを気に留めない。

 「あの、林檎食べる?」

 「いいのか?」

 少女は頷いて本当に林檎を差し出した。

 アランは不思議な生き物を見つけたような気がした。

 今までアランは弱者がさらなる弱者から奪い取ることと、ある程度の力を持つものは、自分の力を奪われないように、弱者とは関わりあいにならないようにしているところしか見たことがなかったのだ。

 「何しに村に来たの?」

 そんなことアランが知りたい。

 「何もない。」

 「そうなの?ずいぶん遠くから来たんでしょ?何かやりたいことがあったんでしょ?」

 「何もない。行きたい場所もやりたいこともない。ただ死んでないだけだ。」

 アランは生まれてからこのかた何かをやりたいという欲求を持ったことがない。

 「あの、私の家に来たい?」

 アランは大きく目を開いた。この生き物は本当に不思議な生き物だ。

 「俺を家に招待するのか?」

 フィーネが頷く。アランはしばらく黙ってから、再び口を開いた。

 「忠告する。知らない奴に家を教えるな。早く帰れ。」

 アランはなぜか安心した。この少女と出会ったのがアランでよかった。アランが街で会った例の少年のように、生きていくためなら何でもする。せざるを得ないような者だったら、少女の家まで行って、少女から全てを奪い取ったかもしれない。少女が無事でよかった。

 アランは生まれて初めて自分の中に暖かい感情が芽生えるのを感じた。

 少女はアランの言葉に驚き、目に涙をいっぱいためて、去っていった。

 

        ※

 

 やがて夜になった。アランは森に潜んでじっとしていた。

 遠くから声がして、咄嗟に逃げようとしたが、暗がりで上手く逃げられない。

 やがて男がアランの腕を捕まえた。

 「放せ。」

 「大丈夫。乱暴なことはしない。」

 アランを捕まえたのは、若い男だった。

 男は自分の家に来るよう説得した。

 男は、もう遅いからここにいたら危ないとか、お腹は空いていないかと声かけた。

 アランはいつかの紳士がアランのことを虐げようとしたことを思い出し、鳥肌がたった。

 「放せ。俺を押し倒そうとしたら殴る。」

 アランが叫ぶと男はぴたりと動きを止めて、痛々しいものを見る目で見た。

 「違うよ。私の娘が君を心配していたから、様子を見に来ただけだ。」

 アランは動くのをやめた。あの少女の顔が頭によぎる。

 男はアランを抱えるように家に連れていく。


       ※


 男がアランを連れて行った家は、アランが昔住んでいた屋敷よりも、街のアジトよりも小さかった。家の窓から暖かな光が灯っていて、食べ物の匂いがして、中から話し声が聞こえた。

 扉の向こうには、さっきの少女が本当にいた。少女はアランを見ると、ほっとした顔になった。

 これがフィーネとフィーネの両親との出会いだった。

 アランは風呂に入れられ、清潔な服を着せられた。そして、食卓につき、フィーネと同じ物を食べた。

 フィーネはよく食べてよく話した。

 全てとりとめのない話だ。野いちごがたくさんなっているところがある。花が咲いた。林檎をもらった。ババ様に叱られた。

 アランに熱心に話しかける。よくそんなとりとめのないことを話し続けるものだと感心するくらい話した。

 フィーネはアランの反応を伺い、アランが小さく頷くと、大喜びでまた話し続けた。

 フィーネの両親もそんなフィーネとアランの反応を微笑ましく見守っていた。


      ※


 フィーネは食べ終わっても食卓についたまま話し続けたが、やがて話つかれて机に顔を付して眠ってしまった。

 フィーネの母は笑いながらフィーネを抱き上げ、ベッドに運んだ。小さな寝室にはベッドがあって、やや大きめのベッドにフィーネの両親が。やや小さめのベッドにフィーネを横たえた。フィーネの母は、アランにフィーネの隣に横になるように言った。

 「おやすみなさい。いい夢を。」

 アランは暖かな毛布をかけられた。

 清潔な服を着て、清潔な寝台で眠るのは、アランの母が死んで館から連れ出された時以来だった。

 そして、誰かの隣で眠るのは初めてだった。

 

 フィーネの隣は暖かかった。考えれば考えるほど、フィーネは不思議な生き物だ。アランのような薄汚れた少年に食料を与えて、家に招き入れて、アランに話しかけた。そして、アランが反応すると喜んで、今は同じ寝台で眠っている。

 アランはフィーネの頬に手を伸ばした。

 アランが少し手に力を込めれば、簡単に傷つけられる。この家から食料と財産を持って逃げ出すのはたやすい。

 フィーネの頬は暖かくて柔らかかった。フィーネの暖かな体温がアランに移って、アランの体が温まっていく気がした。

 アランは思った。フィーネを傷つけなくて良かった。フィーネが傷つけられなくて良かった。アランはフィーネの布団をそっと掛け直した。フィーネは心地よさげに布団に潜り込み、口をわずかに微笑ませた。アランはフィーネに布団をかけてやった自分がこの上なく満たされているのを感じた。

 アランは生まれて初めてぐっすり眠った。


      ※


 アランが流れ着いた村は聖地アプサラスだった。

 アランが館にいた時に本で読んだ。

 数ある聖地の中でも特に辺境にある人里離れた聖地で、数々の修練を積み皆伝の領域になった聖職者しかいない。特に現代の大巫女は大きな力を持っている。 

 フィーネが言うには、何もなくてジジババばかりが住んでいてつまらない村だそうだ。身も蓋もない。

 フィーネとフィーネの家族はそんな村に聖職者でもないのに身を寄せ合うようにして暮らしていた。

 どうやら訳ありらしい。

 その割にはフィーネは能天気で元気いっぱいだった。

 フィーネは初めてあった同年代のアランと一緒で楽しくて仕方がないようだ。

 村中を案内して回る。大して広くもない村なので、すぐに案内が終わり、アランに飽きるかと思ったが、そうではなかった。

 フィーネは毎日のようにアランを連れ回した。綺麗な花が咲いたからアランに見せたい。神殿に住み着いた猫が子供を産んだ。野いちごがなったから食べに行きたい。

 良くもまあ毎日することを思いつくものだ。アランは感心した。

 フィーネの家には本がたくさんあった。フィーネの父は学術書を難しい顔をしながら読んだり、書き物を書いたりしていた。アランもフィーネの父の蔵書は興味深いと思った。フィーネの父は地震の発生とその予測の本を驚くほど持っていた。フィーネは父の専門書の蔵書には大した興味がないようだったが、物語は好きだった。フィーネは母から物語を読んでもらうのが好きだった。フィーネが自分で本を読めばいいと思ったが、フィーネは読んでもらうのが好きだった。

 母が情感をたっぷり込めて本を読むのを聞いて、笑い声をあげたり、怯えたりするフィーネは興味深かった。

 アランは思わず顔を綻ばせた。

「アランが笑った。」

フィーネが満面の笑みを浮かべた。

笑う?自分が?

「アランこの本好き?楽しい?」

アランは考えた。物語自体はさほど興味が惹かれた訳ではない。ただ、夢中になっているフィーネは興味深かった。アランがそういうと、フィーネは飛び上がって喜んだ。

「じゃあ、アラン私のこと好き?一緒に遊んで幸せ?」

アランは考え込んだ。そうか。フィーネといると暖かくなって、フィーネのことを傷つけたくなくて、フィーネが他の者から傷つけられたくないと思う。この気持ちはフィーネが好きなのか。そして、フィーネと毎日一緒にいて、楽しそうにしているフィーネと一緒に過ごし、フィーネの両親に守られ、毎日安全に過ごしている。食事も住むところも与えられているこの状況は幸せというのかもしれない。

「そうか。そうだな。フィーネが好きで、幸せだ。」

 フィーネは飛び上がって、喜び、アランに抱きついた。

「アラン。私もアランが大好き。」

 フィーネは暖かくて柔らかかった。そしてフィーネの言葉はアランの心を暖かくした。

 アランは苦笑した。アランが好きなのはフィーネと。あとフィーネの両親だけなのに、フィーネには好きなものがいっぱいだ。フィーネは両親が好きなのはもちろんだが、猫の親子も野いちごも本も花も太陽も月も大好きだった。

 そしてアランはフィーネがフィーネの好きなものに囲まれて笑っているところを見るのは悪くないと思っていた。

 村とは言っても聖地なので、聖職者が住んでいる。聖職者達はほんの少しだけ不思議な力が使えた。

 とは言っても、遠くのものを持ち上げたり、動物と気持ちを通じ合わせやすくするくらいであった。そして、その力はどういう訳だかフィーネとフィーネの母も使えた。アランは初めは驚いたが、村が聖地であったこととフィーネがあまりに自然にしていることでなんとなく受け入れてしまった。フィーネの力は特に強いようだったが、フィーネがいうには良いことはないらしい。魔法と言っても、物語に出てくる魔法使いのように、大空を飛び回ったり、動物に変身したり、手から攻撃する火球を出せたりする訳ではないのでつまらないそうだ。魔法使いが魔法に夢みるなんておかしな話だ。でもなんとなくフィーネらしいので受け入れてしまった。

 


         ※



 フィーネはなんとも危なっかしい少女だった。

 フィーネはある時、箪笥の中を進むと異世界に行ける物語に夢中になったのだが、フィーネは自分も異世界に行きたいと言い出した。

 もちろんアランも一緒に行くことはフィーネの中では決定事項らしい。

 フィーネはアランの手を意気揚々と引き、箪笥の中に入り、箪笥の奥にたどり着いてフィーネの冒険は終わった。

 フィーネはたいそうがっかりした。

 フィーネは冒険を諦めなかった。神殿の箪笥に入ろうとするくらいならアランも付き合っていたが、そのうち井戸からも異世界に行けると聞いたらしい。

 井戸に入ると言い出したフィーネをアランは慌てて止めた。

 そんなことをしたら普通に死ぬ。

 それ以外にも、子猫を追いかけて木に登って降りられなくなったり、崖の近くまで花を取りに行こうとしたり、大嵐の夜に咲いたばかりの花が散らないように守りに行きたいと言い出したり。本当にフィーネは不思議だ。今までよく死ななかったものだ。フィーネが心配した両親に叱られたり、ちょっとしたかすり傷をつくる度に、フィーネは目に涙をいっぱい溜めてこういうのだ。

 「アラン。ね、お願い。」

 そしてアランはため息をついて、こういうのだ。

 「仕方がないな。」

 フィーネは村で生まれて村から出たことがないらしい。

 「ねえ、アラン。村の外ってどんなところ?」

 無邪気に尋ねるフィーネに、アランは何も答えられなかった。

 アランも生まれた時からずっと屋敷に住んでいて、外に出たことがなかった。そして、その後は治安の悪い街の孤児達のアジトに棲みついていた。フィーネが聞きたいことはそういうことではないのだろう。フィーネは村の外には物語に出てくるような異世界や、治安がよく美しい街並み、都の王宮には王子様とお姫様が住んでいて、その2人は心から愛し合っていると思っているのだ。

 アランはフィーネの夢を壊したくなくて、つい黙って無表情になった。フィーネはアランを気遣うように微笑んだ。

 「でもいいんだ。もし異世界に行けなくても、パパとママとアランがいるもん。そうすれば私は幸せだもん。」

 アランも同じ気持ちだった。フィーネがこれからもずっとこの平和な村で笑っていればいいのに。そう思った。

 

 アランはある時フィーネの父に聞いたことがある。フィーネの父は、なぜアランを家に招いてくれたのだろうか。

 「まあ、私達も命からがらこの村にたどり着いてね。君のことが他人とは思えなかった。それと。」

 フィーネの父はじっとアランの顔を見つめた。

 「アラン、フィーネは少し迂闊で夢見がちなところがある子だ。」

 少しですむだろうか。

 「でも、心が優しい子だ。私たちがもしフィーネと一緒にいられなくなったら、君がフィーネを助けてくれるかい?」

 アランは一瞬も迷わなかった。

 「もちろんです。」

 フィーネの父は安心したように笑った。



        ※



 静かな村でフィーネと暮らしていくことが永遠に続いてほしいと心から願っていた。変化の少ない村では時間が止まっているように感じたし、世間から隔絶しているようにも思えた。村は安全な場所なのだと心から信じきっていた。

 しかしそうではなかったのだ。時間は止まらないし、村も国から隔絶している訳ではない。

 

 大きな地震が国中を襲った。村も例外ではなかった。アランとフィーネが花畑にいるときに起きた地震だった。

 アランとフィーネはお互いの手を取り合いながら過ごしたが、フィーネの家は自身で倒壊した。フィーネの両親は下敷きになって亡くなった。

 アランが子供でいられる時間は終わった。

 フィーネは突然の両親の死に嘆き悲しんだ。アランも同じ気持ちだった。

 フィーネは今までもアランとずっと一緒に過ごしていたが、それ以上にアランから離れようとしなかった。

 アランもそんなフィーネが気の毒で、アランに頼りきっているフィーネが愛おしかった。

 アランとフィーネは大巫女の厚意で、神殿に身を寄せた。衣食住と引き換えに雑用をした。老人ばかりの神殿ではアランとフィーネの若い人手は歓迎されたので、神殿の居心地はそう悪いものではなかった。

 フィーネの家は瓦礫のままだった。瓦礫を片付けるには人手がいる。もしくはお金が必要だ。アランにもフィーネにもどちらもなかった。

 フィーネは時折、フィーネの家の瓦礫を見つめて目に涙を溜めていた。そして決まってこういうのだ。

 「ね、アラン。」

 アランは最初フィーネがアランになんとかしてほしいと願うのではないかと思った。しかし、フィーネはこう続けた。

 「私、アランがいればいい。だから大丈夫。」

 その言葉が何よりもアランは辛かった。自分を幸せにしてくれたフィーネにアランは何もしてやれていないのだ。アランはお金と力が欲しいと思った。

 お金があればフィーネの家の瓦礫を片付けて、フィーネの家を建て直す。フィーネ家と同じものはどうやったってできない。でも、フィーネの気に入るようにしてやりたい。フィーネは物語のお姫様が大好きだから、少しだけ豪華で華やかな家を建ててやりたい。フィーネは赤い屋根と白い壁の家が好きだと言っていた。そうしてフィーネにドレスやクッションやカーテンを好きに選ばせたい。

 アランはフィーネと結婚してフィーネに何不自由なく過ごさせてやりたいと思った。そのためには金が必要だった。

 神殿で暮らしていくうちに、魔法の力が強いフィーネはどんどん仕事を任されるようになっていった。

 フィーネは面倒くさがりながらも、毎日の仕事を片付けていたが、アランにとってはそれも焦燥の原因となった。このままでは、魔法の力が強くて清らかで身寄りのないフィーネは聖職者になってしまう。

 アランは安定して金を稼がなければならない。それも真っ当な方法で。

 アランが以前治安の悪い街で金を稼いでいた時のような稼ぎ方でフィーネを養いたくはなかった。それにフィーネを危険に晒したくない。

 何をすれば金を稼げるだろうか。

 そういえばフィーネの父の家にはフィーネの父は多くの蔵書を持っていたが、地震の本が多かった。その中には確か地震があっても壊れにくい家の本があった。都はこの方法で家を作るから、家が崩れなくて済むことも多いらしい。その技術があれば、フィーネの両親は死なずにすんだだろうか。

 そして、その技術さえあれば、聖地であっても仕事はありそうだ。時折近くの街まで行けばなお生活には困らないだけ稼げるだろう。

 しかし、そのためには技術を学ばなくてはならない。アランが昔習っていた教師達のような。そしてその技術を学ぶためにはまた金がかかるのだ。アランは手詰まりだった。



           ※


 そんな中、アランの親族を名乗る者達がアランのことを迎えにきた。アランの父も腹違いの兄達も死んで、後継がいなくなったから困ってアランを探しに来たらしい。

 アランは数日間考えた。アランの母のことを思い出す。アランの母を殺し、アランも殺そうとしたアランの親族だ。今更どの面を下げてきたのだ。とアランは憤った。

 フィーネの両親が生きている時ならそうしたかもしれない。

 しかし、このままではフィーネとはいずれ離れる時が来てしまうかもしれない。無力感に襲われながらフィーネが聖職者になるのを見るのは耐えられなかった。

 どのみちアランには選択肢はないのだ。

 自分を殺そうとした父や正妻達はもういないのだ。他の親族のところに行って、いくばくかの金を受け取り、建築の勉強をして、後は聖地に帰ってフィーネと暮らそう。

 フィーネの両親のように毎日一緒に過ごして、いつかは子供を授かるかもしれない。

 フィーネが安心して暮らせるようにしたい。いつか授かる子供も何不自由なく生活させたい。

 フィーネにそのことを告げると、案の定アランを心配して泣いてくれた。

 そして、フィーネに約束をした。フィーネは大喜びをしてアランとの将来を喜んでくれた。

 フィーネに優しく触れるだけの口付けをする。

 フィーネの唇はどんなものより暖かだった。



         ※



 アランはこの時忘れていたのだ。

 村の外は地獄だということを。持てるものは自分も物を守るために弱者を蹴落とし、弱者はさらなる弱者から搾取しながら生きていくしかない世界だということを。

 

       ※


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