4、ダンスレッスンはお兄様と
4、ダンスレッスンはお兄様と
フィーネはだんだんと貴族の令嬢生活に慣れていった。
最初は全てのことが新鮮で、疲れるばかりであったが、慣れてしまえば何てことはない。つまりは毎日単調なレッスンが延々と続くだけだ。フィーネは村では単調な生活に慣れていたから、そこまで苦痛に思うことはなかった。使用人との関わりに慣れてきたことも大きかったかもしれない。それにラーンとも親しくなれたことも大きかった。
「お嬢様は素晴らしいダンスの才能の持ち主ですわ。」
最近始まったダンスの先生から絶賛されて、フィーネは得意になった。
でも、ダンスのレッスンでフィーネが上手くできたのは、フィーネの才能ではない。フィーネはアランから教わったことがあったのだ。
※
フィーネは小さな頃、家にあった物語に夢中になっていた。その物語では、家族に虐げられていた少女が魔法の力でお姫様に変身し、お城で王子様とダンスをする。途中で魔法が解けてしまい、少女は慌てて帰る。王子様は少女を見初めて、少女が残した靴を頼りに少女を探し出す。そして2人は結婚するのだ。
フィーネは物語に夢中になった。普通に生活していた女の子が魔法の力で変身して、しかも王子様と踊るなんて素敵だ。
「でもね、魔法でもらったのはドレスと靴と、あと馬車と馬だけよ。どうしてダンスが踊れたのかしら。」
「フィーネ、あれはただの物語・・・いや、きっと練習したんだよ。」
アランは言いかけたことを修正した。今考えれば、フィーネに現実を突きつけて、フィーネが拗ねたら面倒だと思ったのだろう。
「アラン、大変だわ。私も練習しなきゃ。」
「なんの?」
「ダンスの練習。だって、私の所にも魔法使いがやってきて、舞踏会に行った時、王子様とダンスが踊れないと困るじゃない。」
「・・・そうだね。」
アランの返事に間があった。よく考えれば、フィーネ自身が魔法使いなのだし、そんなことは現実にはできないと分かっていたのだが、この時のフィーネは村の外には自分には想像もつかないような素晴らしいものがたくさんあるに違いないと思っていたのだ。
「でもどうしよう。ダンスなんてどうやって練習したらいいのか分からない。」
練習しようにも先生がいないし、ダンスなんて見たこともない。このままでは舞踏会に行けない。フィーネはしょげ返った。
「・・・俺が教えるよ。」
「アランが?踊れるの?」
アランは黙って頷いた。
アランはすごい。とても賢いし、足も速いし、力持ちだ。それにダンスまで踊れるなんてアランは本当にすごい。
フィーネとアランは、ダンスの練習をしに、家の裏をずっと先に行った陽だまりに行った。
その陽だまりはたくさんの花が咲き乱れ、りんごの木がなっている。風通しのいい美しい場所で、他の村人が滅多に来ない場所だった。フィーネとアランはその場所がお気に入りで、2人でよくここに来ては、花冠を作ったり、追いかけっこをしたり、昼寝をしたりしていた。
アランはフィーネの手を取ると、フィーネの手をアランの肩に導き、フィーネの腰にアランの手を添えた。
「こんなに近づくの?くすぐったい。」
フィーネはおかしくなった。
「そうだよ。ダンス中にお話をして仲良くなるのが目的なんだ。」
フィーネは顔を輝かせた。
「そっか。それで、王子様と仲良くなれたのね。」
やはりダンスは素敵だ。
「アラン、私たちもダンスをたくさん踊れば、もっと仲良くなれるわ。」
アランは表情を少しだけ綻ばせた。
「ああ。そうだね。」
フィーネとアランはそれから陽だまりの中で、たくさんダンスをしたのだ。
※
あれだけダンスをしていれば、上手くなって当然だ。だから、フィーネはダンスが初めてではないが、ダンスの先生は初めてだと思って大絶賛している。フィーネは褒められて悪い気がしなかったし、アランのことを話していいものか悩んだので、黙っていることにした。
ダンスはまず、一通りフィーネ一人にステップの練習をするところから始まった。
「素晴らしいですわ。では、次は殿方と踊る練習をしましょうか。護衛騎士と練習することが多いのですが、ええと、お嬢様の騎士は・・・。」
「はい。僕です。」
控えていたラーンが元気よく名乗り出た。ラーン以外の護衛騎士はフィーネにはまだいない。慎重に吟味しているのだとか。ラーンは真面目で正直者だ。責任感が強く、一緒にいて信頼できるのだが。まだ小さい。フィーネのダンスのレッスン相手としてはお互いにやりにくいかもしれない。先生は少し黙った。フィーネも心配だったが、ラーンをがっかりさせたくない。ともかくお相手をラーンにお願いすることにした。
「では、お嬢様。お手をどうぞ。」
ラーンが優雅に跪いた。フィーネは手を預ける。ラーンは貴族で、小さなときから騎士を目指していただけあって、容姿もいいし、真面目だ。まだ小さいのに爵位を持っているので、きっとさぞモテるのだろう。もう少し大きくなれば。
ラーンは優雅なステップを踏み、フィーネを尊重したエスコートをしたが、お互いの身長差から何ともやりにくかった。
※
ふと、フィーネは後ろから肩を叩かれた。
「私と代わって。」
シレノスだった。ラーンは一礼して下がった。
ダンスの相手がシレノスに変わる。シレノスの肩に手を置くと、シレノスと顔を合わせるには、フィーネはずっと見上げなければならなかった。ラーンはもちろん、アランと練習していた時より
もずっと高い位置だ。シレノスは大人の男の人なのだ。今更ながらフィーネは実感した。フィーネの胸は高鳴った。お兄様相手なのに変だ。
シレノスは優雅にステップをふむ。フィーネも続いた。シレノスのダンスは踊りやすかった。
「フィーネはレッスンをよく頑張っているようだね。教師たちが褒めていたよ。」
「本当?とってもうれしい。」
「ああ、舞踏会までには間に合いそうだね。とっても上手だよ。」
フィーネは嬉しかった。そして、シレノスには言ってもいいのかもしれないと思った。
「あのね。お兄様。村にいるときにアラン・・・陛下に教えてもらったのよ。」
シレノスは驚いた様子もなくにっこりと笑った。
「そう。それはいい思い出だね。」
フィーネは話せたことでほっとした。
「フィーネ。君は私を信じるかい?」
「お兄様?突然何を言っているの?」
「いや、大巫女殿は私を丸切り信じていなかった。ひどく疑っていたからね。大切な妹が大巫女殿と同じように私を疑っていたら辛いと思ったんだ。もしそうなら、関係を修復するために努力したい。」
信じる。か。今まで小さな村で生きてきたフィーネには誰を信じるか見極めることは難しい。
「お兄様は、私を探してくれた。迎えにきてくれた。一緒に住んでくれて、食事や綺麗なドレスをたくさんくれて、いろんなレッスン手配してくれている。会う時はいつも優しくお話ししてくれる。今日も忙しい中私に会いにきて、一緒にレッスンしてくれている。優しい人だと思う。私はお兄さまを信じたい。」
「信じたい。か、信じていると言ってくれないんだね。」
フィーネは、ババ様が言っていた、シレノスがフィーネを騙している。という言葉を忘れることができなかった。
「お兄様は立派な方よ。大人の男の人で、責任ある仕事をたくさんしている。色んな交渉とか話し合いもしてきたんでしょう。それに対して私は、村でずっと知っている人に囲まれて過ごしてきたの。お兄さまが私のことを騙そうとしていて、もし私のことを今騙していても、私には気がつけない。だから、分からないの。でも、お兄さまは私に優しくしてくる。だから信じたいの。」
「君以外には優しくないかもしれないよ。何か企んでいるのかもしれない。」
そうなのか。
「それでも、私の家族はお兄さまだけよ。家族だって言ってくれて、一緒に住もうと言ってくれて本当に嬉しかった。それに私に優しくしてくれていることは確かだもん。それに、本当は優しくないのに、優しくしてくれてるってことは、そのために頑張ってくれているってことでしょ?やっぱり優しいと思う。信じたい。」
シレノスは声を上げて笑った。
「フィーネの勝ちだよ。君は素晴らしい女性だ。誰にも負けない。」
シレノスの目が輝いた。シレノスが認めてくれた。
フィーネは単純に嬉しかった。なぜシレノスがフィーネを試すようなことを行ったのかなんて丸切り考えもしなかったのだ。
曲が終わった。シレノスはフィーネの手を取り、手に口付けた。
「今ので確信したよ。君は素晴らしい。フィーネ、君はこれからもっと美しくなる。そして、もっと相応しいものを得るだろう。国で最も素晴らしい女性になる。そしてそれに相応しい地位につくんだ。」
フィーネはシレノスが物語の王子様のようにその手に口付けたので、恥ずかしくなった。そして、童話の王子様のように美しいシレノスとの時間にすっかり舞い上がっていた。
※
久々にフィーネはシレノスと晩餐を共にできた。
「そろそろ王宮舞踏会の衣装を考えないとね。希望があるかい?」
「ええと、全然分からないの。でも、桃色が好きだわ。ここに来たときに最初に着せてもらったドレスはどうかな。」
「フィーネ、あれは普段着だよ。フィーネの社交界デビューの衣装だ。とびきりのものを仕上げないとね。職人を呼んで仕上げないと。」
そうだったのか。あれよりすごい衣装か。豪華な衣装を身につけられて嬉しいが、その反面、重い衣装になるのだろう。最近侍女がコルセットを締める手がキツくなっているのはそういう訳らしい。
なんでも、貴族社会では、令嬢が社交界デビューする時は、国王陛下に拝謁をする。拝謁の時期は通常の貴族は一挙にするが、公爵家など、最上位貴族は個別に機会をもうけられるらしい。シレノスはフィーネのその機会は王宮舞踏会の時が相応しいと判断したようだ。ドレスは自由だが家をあげてドレス選びをするらしい。色や意匠も自由だ。流行や領地の特産、本人に似合うかどうかを含めてよく吟味して決められるらしい。
「もし拘りがないなら、私にドレスを選ばせてくれるかい?」
「わあ、ありがとう。お兄様」
シレノスはにっこりと笑った。
「フィーネ、君には紫の衣装を着てほしい。紫は我が家の瞳の色。我が家の色だ。君を公爵令嬢として披露するのに相応しい。」
紫か。特に嫌いな色ではない。それに、瞳の色と同じドレスもいいかもしれない。フィーネは同意した。
※
後日、フィーネの衣装選びが本格的に始まった。普段の衣装選びの時もフィーネは驚いたが、今回はその比ではない。
数えきれないほどの商人が屋敷にきて、衣装や宝石、靴を売り込む。侍女や家政婦頭が頭を悩ませながらフィーネの衣装について激論をしていた。シレノスまで同席して、あれこれ口を挟んでいる。
フィーネはメイドたちに、商人が持ってきた布や見本を着せ替えさせられて、目を回しそうだった。
フィーネがよく分からない間に、衣装は決まったらしい。意見を聞かれたがまるで口を挟む余地はなかった。
※
ついにフィーネの衣装が完成した。
淡い紫色で、薄絹を重ねてあるので、じっとしていると細身にも見えるが、動くとスカーとがふんわりと広がる。一見飾りが少なく清楚にも見えるが、近づくと、同系色の色で刺繍が施されている。そして、同系色の宝石がふんだんに縫い付けられているため、フィーネが動くと照明に反射し、煌めくようだ。装飾品は清楚な真珠をたくさん連ねたものに統一されている。
侍女が言うには、一見清楚に見えるが、フィーネが動く度に光り輝き、近くに寄ると存在感を増すように作ったそうだ。デビュタントとして、また若い令嬢として清楚さを保ちながらも、グレーデル家の威信をかけて、豪華に着飾らせることの両立に腐心した結果らしい。
メイド達に着付けられた。普段よりも多くのメイドに着付けられ、コルセットもいつもよりきつく絞められた。髪型を決めるのも、侍女やメイドの大激論より決定した。
これからも手直しをしたり、作り直すこともあるらしい。フィーネは恐れ慄いた。
「まあ、お嬢様。お美しいですよ。旦那様にも見ていただきましょうね。」
フィーネはシレノスの元まで侍女に導かれた。
シレノスは上機嫌な様子で、満面の笑みを浮かべた。
「君のお祖父様にも見てもらおう。」
シレノスから導かれて赴いた先では、数多くの肖像画があった。フィーネは驚きながらも、興味深く眺めた。
シレノスは一つの肖像画の前で立ち止まる。
「君のお祖父様だよ。」
絵にはシレノスそっくりな男性が描かれている。そして、その隣に小さなシレノスだろうか。今のシレノスそのままの小さな男の子と、金髪の美しい女性が描かれている。
「この男の子はお兄様?」
「ああ。私と私の両親だ。」
「ママの肖像画もある?」
フィーネは興味が出てきた。フィーネの母は、フィーネから見ても驚くほど美人だったのだ。シレノスも大人の成人男性であるが、優しげな容貌なので、フィーネの母とシレノスはよく似ていた。対して、フィーネはさほど美人とは言えない。くっきりとした大きな目と艶やかな茶色の髪は、それなりに可愛らしいと言われたこともあるが、その程度だ。どうも評判の美人の母ではなく父に似てしまったらしい。でも、こうも思った。フィーネの母も若い時はフィーネに似ていたのではないか。そうすれば、フィーネも大人になったら母のような美人になれるかもしれない。
「いや、姉上の肖像画はないよ。肖像画を描くときに体調を崩していてね。とても残念に思っている。」
フィーネはがっかりした。
「フィーネのお祖父様にフィーネのことを紹介したくてね。君は公爵令嬢としてデビューするのだから。」
シレノスはフィーネの腰に手を添え、肖像画に真っ直ぐ向き合った。
「父上。姉上の遺した子です。フィーネです。とても素直で聡明な気性の娘です。わが水の一族の娘として、我が家が誇る娘となるでしょう。」
フィーネもシレノスに続いた。
「お祖父様、直接お会いできなくて残念です。お祖父様が誇れる公爵令嬢になれるよう、私は一生懸命がんばります。」
フィーネはとびきり優雅にお辞儀をした。
シレノスは満足気だった。
「大丈夫だよ。フィーネ。君は完璧だ。我が水の一族がついている。さあ、君の国王陛下に拝謁しようね。」
王宮舞踏会まで、もうすぐだ。
フィーネの教師達も侍女たちも、今までよりなお一層フィーネへの教育や、美容に熱心だった。コルセットはどんどんきつくなった。
「お嬢様は素直なので飲み込みが早いですな。よくできております。」
「お美しいですわ。」
フィーネは褒められることが多くなった。容姿も少しづつ垢抜けた気がする。そして、衣装と装飾品が最高級なので、より美しく見えるきがする。
フィーネは徐々に自信をもてるようになって行った。