1、初めてのキスはりんごより甘く
月より遠く林檎より近くー結婚するはずだった幼馴染が国王になった途端私を無視します。が、そうはいきません。徹底的に追いかけます。
1、初めての口付けはりんごより甘く
フィーネには生まれてから最も幸せだった瞬間がある。
15歳の時、月の綺麗な夜、林檎の木の下で幼馴染のアランと大切な約束をしたのだ。
「泣くなよ。」
アランはフィーネの涙を親指でそっと優しく拭ってくれた。
そう、その時フィーネは泣いていたのだ。
「泣くに決まってるでしょ。アラン。どうして都になんて行くの?アランがいなければ、私は本当に一人ぼっちなのに。」
アランが都に行くといいだしたのだ。アランとフィーネは村で唯一の同じ年の2人だった。というより、フィーネが生まれ育った聖地アプサラスはアランとフィーネの他は、老人ばかりだった。アランとフィーネはいつも一緒だった。退屈を嫌って、村中を駆け回るフィーネにアランはいつもついてきてくれたし、助けてくれた。フィーネが走って転びそうな時は転ばないように支えてくれたし、足を痛めた時は背負ってくれた。
アランは美しい少年だった。神様が丹精込めて作り上げたような、人間離れした端麗な顔立ち。黒い髪に鮮やかな緑の目を持ち、少年にしてはすんなりと高い身長で、細身だがしっかりとした筋肉がついている。
アランは普段は無表情で、無口だった。いつも静かに椅子に座ってじっとしているか、難しい本を読んでいるかのどちらかだった。でも、フィーネが遊びに誘うと、いつも必ずついて来てくれた。フィーネが話すことを静かに聞いてくれた。そして、ほころぶように笑ってくれた。フィーネが転んだり悪さをして怒られたりした時はいつもそばにいて助けてくれた。
フィーネはアランがいない生活なんて考えられなくなっていた。
「ママもパパももういないのに、アランまでいなくなるなんて嫌。嫌だよ。」
フィーネの涙は止まらなかった。フィーネは老人ばかりの聖地。聖地とは名ばかりの山奥の村で、フィーネとフィーネの両親。そしてアランと小さな家で暮らしていた。退屈なだけの村だが、フィーネは両親とアランが好きだった。しかし、去年国中に大きな地震があり、フィーネの両親が亡くなったのだ。その両親がすでにいないのに、アランまでいなくなったら、フィーネは本当に一人ぼっちだ。
「ババ様も他の爺様達もいるじゃないか。」
「そうだけど、そうじゃないの。アランみたいにずっと一緒にいてくれないし、一緒に遊んでくれない。あのね。アラン。私達家族じゃない。家族が一人もいないなんで苦しいよ。」
アランは少しだけ眉間に皺を寄せた。何かにぐっと堪えるような表情だった。フィーネは少し驚いた。普段アランは無表情だ。時々笑ってくれるけど、アランが苦しさとか悲しさとか、負の感情を表に出すことは本当に珍しい。
「フィーネ。俺達ももう15歳だ。いつまでも子供じゃいられない。今まではフィーネのおじさんとおばさんがいた。でも、もういないからこそ、これからどうするか考えないといけないと思うんだ。フィーネの家ももうないんだ。」
フィーネは何も言えずに俯いた。フィーネの両親の命を奪った地震で、フィーネの家も崩れてしまった。今は聖地の神殿にフィーネとアランは住んでいる。大巫女のババ様は口うるさいし、いろんなことを手伝わされる。でも、ババ様はフィーネとアランに神殿に住まわせてくれたし食事も着替えも小遣いもくれた。ババ様も、他の神官達もフィーネとアランに何かと気遣ってくれていた。
「確かにババ様は良くしてくれているよ。今は食うに困ることはない。でも、俺は魔法も使えない。魔法が使えるフィーネとは違う。いつまでも神殿にいる訳にはいかないんだ。俺は都で建築の勉強がしたい。フィーネのおじさんとおばさんだって、村の建物が都の最新の技術を使った建物だったら死ななかったかもしれない。それに、地震の多いこの国で、地震に強い建築の勉強をすればどこに行っても食うに困ることはないと思うんだ。家にはフィーネのおじさんの書物がたくさんあったね。地震や建築にまつわる書物。あの技術があれば、地震があっても、壊れない建物が建てられるかもしれない。地震がいつ来るかの予測がつけば、避難できるかもしれない。そうすれば、フィーネをもう泣かせないで済む。」
「そのために、あの人についていくの?あの人いい人なの?今までアランのこと全然気にかけてなかったじゃない。変だよ。」
アランが都行きを決めたのには理由がある。フィーネの両親がなくなり、フィーネとアランが神殿に身を寄せてからしばらくして、見るからに豪華な4頭立ての馬車が村に来たのだ。馬車は金の装飾がある見るからに豪華な馬車だった。そして、それを引く馬も、村での農作業に使う馬とは比べようがないほど精悍だった。
フィーネが住むのは聖地アプサラスだ。国には多くの神がいて、多くの神殿、多くの聖地があるが、その中でも最も僻地にあるのがアプサラスだろう。
聖地とは名ばかりの古い神殿があるだけの小さな村で、神殿にいる神官は全員老人ばかりだった。神殿の下働きのもいるが、彼らも老人ばかりだ。隣町まで馬車で一日かかり。時間が止まったようなこの村で、豪華な馬車などあるわけもない。村中の住人が馬車を見に来た。フィーネは遠目に馬車を見て、物語に出てくるような馬車だとはしゃいだ。アランにもっと近くに見にいこうと誘ったが、アランは無表情なまま何も言わなかった。アランは無表情で無口だが、フィーネの言うことに反応しないことは珍しかった。フィーネは不思議に思ったが、仕方がないので、フィーネは一人で馬車を見に行こうとした。が、ババ様に見つかり、先週壺を割ったのを隠していた仕置きに物置きに閉じ込められたのだ。
フィーネは間近で馬車を見られず、ずいぶんがっかりした。フィーネはババ様にありとあらゆる罵倒をして、ババ様から倍の罵倒が返ってきた。
後に村人から聞くところによると、馬車に乗っていたのは都の貴族で、立派な身なりであるが、随分横柄な男達だったらしい。その男は、アランの親戚を名乗り、アランを家に引き取りたい。都で学問をさせてやる。村に援助もしてやると持ちかけたそうだ。
男達は数日後また来ると言って村から立ち去った。
フィーネはそれを聞いて、喜ぶことができなかった。普通に考えれば、貴族の子息だったなんて、そして学問の援助をしてくれるなんて、今までとは比べ物にならないほど広い世界が見れるだろう。いい暮らしができるだろう。物語の主人公のようだ。喜んで行くだろう。だが、村に来た時のアランの様子を見る限り、アランは親戚から大切にされているとは思えなかった。
アランが村に来たのは、フィーネとアランが10歳の時だ。アランは村まで歩いて来た。村は隣町から馬車でも1日かかる。大人でも滅多に歩かないし、子供が歩いて村まで来ることなんてない。そんな道を、アランは靴も履かずに、ぼろをまとって、歩いて村まで来たのだ。アランは夜中に村に入り、神殿の畑の野菜を盗み食いし、また森に隠れた。村人は、畑が荒らされたのを見て、猿か猪か。動物の仕業かと思ったほどだ。
フィーネは退屈しながら村を散歩している時、森で木の影にうずくまるアランに初めて会ったのだ。最初フィーネは人だとは思わなかった。それだけアランは薄汚れていたのだ。そして、よく見ると人。しかもフィーネと年の変わらない男の子だということが分かった。フィーネは怖かった。フィーネは今まで小さな村で、村人以外とほとんど会わずに暮らして来たのだ。怖い男の子かもしれないと思った。フィーネは思わず踵を返そうとしたが、アランと目が合った。アランは無表情だったが、フィーネはなぜかアランが泣いているようにも見えたのだ。
「あなた誰?」
「誰でもいいだろ。」
とりつく島もない。アランからお腹がなる音がした。
「あの、林檎食べる?」
フィーネがおやつの林檎を半分差し出すと、アランは驚いた顔をした。
「いいのか?」
フィーネは頷いた。村は質素な暮らしをしている。林檎は滅多に食べることができないご馳走だったが、フィーネはアランに分けてあげたいと思ったのだ。村で子供はフィーネだけであったから、フィーネにとって初めての感情だった。
アランはフィーネからりんごを受け取ると、意外と上品にも見える仕草でゆっくりとりんごを食べ始めた。
「何しに村に来たの?」
「何もない。」
「そうなの?ずいぶん遠くから来たんでしょ?何かやりたいことがあったんでしょ?」
「何もない。行きたい場所もやりたいこともない。ただ死んでないだけだ。」
アラムの言うことはずいぶん難しいことのように思えた。
「あの、私の家に来たい?」
アランは大きく目を開いた。ずっと無表情だったアランの表情が初めて動いた。
「俺を家に招待するのか?」
フィーネが頷く。アランはしばらく黙ってから、再び口を開いた。
「忠告する。知らない奴に家を教えるな。早く帰れ。」
フィーネはどうしていいのか分からず、その場を立ち去った。
家に帰ってからもフィーネは悩んでいた。アランは悪い男の子なんだろうか。心配した両親にアランのことを打ち明けた。父はアランを探すと家をでて、長い時間が過ぎた後、父はアランと一緒に帰って来た。それからフィーネとアランは家族になったのだ。
フィーネはアランが村に来る前のことが気になった。でも、聞いてはいけないことのような気がしたのだ。確かなのは、裕福な貴族の親戚がいて、その親戚から、大切にされている子供が辺境の村まで歩いてくるはずはないということだ。貴族がほんの少しの援助をすれば、アランが飢えるはずはない。アランは家族から大切にされていなかったとフィーネは確信を持っていた。
アランの親族を名乗る男達が村に来た時、アランは少しも嬉しそうではなかった。フィーネはアランは親戚についていかないに違いないと思ったのだ。アランは貴族の男が都に帰った後、いつもにも増して無表情で無口だった。それから数日して、フィーネに話があると言って、神殿の裏の林檎の木の下に誘い出した。月の綺麗な夜だった。そして、アランはフィーネに貴族の男達について都に行き、学問がしたいと言い出したのだ。フィーネは心配だった。アランが男たちから親戚として大切にされるとは思えなかったのだ。
「まあ、貴族だから、性格が悪いかもしれないな。でも、お金持ちであることは確かだよ。伝手もありそうだ。ほんの少しの間だよ。勉強してくるだけだ。」
「私も行きたい。」
アランは静かに口元を綻ばせた。
「ダメだよ。都は危ないからね。俺を心配させるな。」
「私を心配させるのはいいの?パパとママが言ってた。いつかパパとママが一緒にいられなくなったとしても何の心配もいらないって。パパとママが守っているって。」
アランは静かに微笑んだだけだった。
「フィーネ。約束するよ。俺は都できちんと勉強して稼げるようになる。家族を養えるようになりたいんだ。そうしたら、フィーネの家を建て直すよ。フィーネが気に入る家を建てる。物語にあったような赤い屋根と白い壁の家でもいい。そうしたら、そこにフィーネの好きなものをたくさん集めよう。」
アランは静かに微笑んでいて、そして少し頬が赤くなっていた。
フィーネは飛び上がった。
「アラン?それって、もしかして。」
アランは静かに頷いた。
「フィーネ。どうか待っていてほしい。」
「うん。っうん。嬉しい。」
フィーネの心臓はいつもより大きく脈打っていて、フィーネは自分の全身がドキドキしているような気がした。フィーネは自分の顔が真っ赤になっているに違いないと思った。
フィーネは思わずアランにぴったりと寄り添った。
アランはフィーネを優しく抱きしめて、フィーネに優しく口づけた。フィーネの初めての口づけだった。
初めて会った時、アランはフィーネよりも痩せっぽっちで小さかった。でも、今のアランはフィーネをすっぽり包み込むことができるのだと言うことを、フィーネは改めて感じた。
眩しいくらいの月明かりと、りんごの甘酸っぱく優しい香りとアランの腕に包まれて、フィーネは幸せだった。