第12話
宗教施設の入ったビルのエレベーターのボタンを押す。
動かない。電気が入ってない。
照明はいまだに蛍光灯のようでチカチカ明滅していた。
ビルの内部はアンモニア臭がこもっている。
アル中か。ヤク中か。
侵入者が漏らしたのだろう。
掃除もされてない。
焼きそばパンの袋が放置されていた。
賢人が三階まで上がると、いかついエルフが立ち塞がった。
薄汚れたタンクトップの下にはトライバルの入れ墨。
アンダーウェアは迷彩柄。
いかにも鍛えてますという見た目のエルフだった。
「悪いな応賀さん。ここは立ち入り禁止だ」
男はポケットからバタフライナイフを出すと片手で開く。
「俺をただのエルフと思わない方がいい。俺はモヤシどもと違って魔法なんかにゃ頼らねえ。ナイフと拳がありゃあ怖いもんはねえ」
胸筋がピクピクした。
「そうかよ。じゃあ俺も魔法使わないでやる。今ならナイフで斬れるぞ」
男はやれると思った。
伝説の男を。
憎き亜人どもの救世主を殺せるチャンスが訪れたと思った。
魔法を使わない勇者なんぞ秒でぶち殺せる!
そう確信したのだ。
男はナイフを振りかぶった。
なんのためらいもなく頸動脈を斬りに行く。
だが次の瞬間、男は飛んでいた。
漫画のようにひしゃげた顔面で。
賢人の砲弾のような拳が顔面を直撃したのだ。
見えなかった。
構えた瞬間すら見えなかった。
男の体は格子を突き破り窓ガラスを破って部屋の中に落ちた。
反則だ。
あれじゃ本物の化け物じゃねえか!
頭の中でつぶやきながら男は意識を失った。
「口ほどにもねえ。カツオの方が強いじゃねえか」
やたら弟に甘い賢人だった。
三階のフロアを進むと女神教の教会があった。
落書きだらけのドア。
一見すると安っぽいストリートペイントにしか見えない。
だが古エルフ語で「エルフに解放を!」「日本を女神の聖地に!」「我々を抑圧するものに死を!」などのスローガンが書かれていた。
「アホか」
あまりにアホらしいスローガンの数々にあきれるしかない。
そもそもエルフは抑圧されてない。
現に大学の教授にも学生にもエルフがいる。
サラリーマンとして活躍してるものも多い。
飽きられたとはいえ、今でもモデルを続けているものだっている。
それにダークエルフのほとんどは普通の生活をしているのだ。
ミッドガルドで教育を受けたことのなかった獣人やオークの方がスタートラインは不利だったのだ。
このビルにいるような連中は、やれオークと働きたくないだの、獣人に物を売りたくないだの。
上司が人間だなんて許せないなんていう連中だ。
そんな連中が評価されないのは当たり前だ。
「さーてと」
ピンポンダッシュの構え。開き直りの型。
ボタン連打。
なお令状などない。
すると声がする。
「警官お断り」
「そうかよ!」
賢人はドアを蹴破る。
もう一度。令状などない。
中に入ると何人ものエルフがいて賢人に拳銃を向けていた。
「なんだつまんねえな。いきなり銃刀法違反かよ!」
「うるせえ! 勇者なんて怖くねえぞ!!!」
エルフの男たちは一斉に引き金を引いた。
だがそんなものが効くわけがない。
すべて賢人に当たる前に弾かれていく。
賢人は先ほどの筋肉くんとは違い、男たちにデコピンをしていく。
デコピンの威力は恐ろしいものだった。
内装の石膏ボードを突き破り、男たちはコンクリートにぶち当たって気を失っていく。
少し手加減を間違えた相手はコンクリに半分埋まっている。
悲しい事故であると言えるだろう。
一瞬で男たちを蹴散らすと賢人はため息をついた。
「誰かに言われなかったのか? 俺が来たら中途半端な攻撃をするなって」
埼玉県デトロイト市では賢人に対して殺意のある攻撃をしてはならないのは常識だ。
賢人は熊や虎、ライオン、キメラやドラゴンよりも強いのだ。
一なでされただけで死ぬかもしれない猛獣だ。
そんなものを殺そうとするものの末路は想像に難くない。
なお喧嘩程度ならボコられる程度ですむので腕自慢がよく挑戦している。
賢人は部屋を進む。
奥は祭室になっていた。
女神像が置かれ、信者の座る席には女神教の聖典が置かれていた。
日本では違法なはずの血のついた懺悔用の鞭も置かれている。
伝統的な女神教の姿だ。
聖典は二冊。
ミッドガルド標準語版と最近出た日本語版だ。
女神教のこういった出版物は遅れている。
仏教や神道ではゲート開通直後から漫画版を複数言語で配布している。
お墓の取得や葬儀の方法、墓地の案内、各種補助金、祭事の動画なども大量に作っている。
明るく楽しい既存パリピ宗教の圧倒的情報量を前に、暗くてマゾマゾしい陰キャ女神教が勝てるわけがない。 祭壇には男が待っていた。
ゲートの近くで賢人が髪をむしった男だ。
古ぼけたローブにトゲのついた懺悔用の鞭を片手に持っている。
そしてその後頭部は鶏肉のように地肌が見えていた。
それでも男は格好つけた。
「よう、勇者」
賢人からしたらハナクソみたいな存在である。
「ハーフエルフがなんで女神教なんかに手を貸す? お前らを絶滅させようって連中だぞ」
ハーフエルフとエルフの違いはすぐにわかる。
耳の形と髪の色だ。
耳の形は尖っていながらも丸く、髪の色は薄い。
そして賢人が見れば一目瞭然。
魔力の量が明らかに少ない。
転移魔法を使えること自体がおかしいほどだ。
そんなハーフエルフが要所を任されてるのだから、なにか奥の手があるのだろう。
男がローブを脱ぎ捨てた。
「これが俺のとっておきだ!!!」
男の体にはありとあらゆる場所に呪文や魔方陣が書込まれていた。
ジークと同じものだ。
だがジークとの違いはその密度だ。
男の体に書込まれているのは、よく使う攻撃呪文と逃亡用の転移魔法。
ジークよりも効率がよく割り切った構成だ。
「つまりここに見られたくない重要な、【なにか】があると……」
賢人がつぶやくと男は「え?」と声を出した。
「待て……お前……本当にただの捨て駒……なのか?」
男の顔色が青くなっていく。
その姿はあまりにも哀れであった。