第1話
警察学校だったら鉄拳制裁もの。
制服をだらしなく着崩した警官があくびした。
着崩した制服には「応賀賢人<特別巡査>」と書かれた名札がついていた。
格好こそだらしないが、少年を残しながら猛獣を思わせる風貌。
2メートルはあるだろう。背が高く筋肉質。
シャツの肩と胸ははち切れんばかり。
十分美形に入る顔なのにどこか歴戦の武人のような凄味のある男だった。
そんな大男があくびをしている姿は動物園のライオンのよう。
ちぐはぐにもほどがある奇妙な光景だった。
そこはビル一階の店舗。町中華のお店。
男が座るカウンター席の傍らにはラーメンと炒飯。そして餃子。
湯気が立つ醤油味の澄んだ鶏ガラスープ。
チャーシューは自家製の煮豚。厚切り。
昔ながらのナルト。主張しすぎないメンマ。薄切りのネギ。
餃子は皮が厚く一つ一つが大きい手作り餃子。
肉も野菜もぎゅうぎゅうにつまっている。
そこに昔ながらの町中華味の炒飯。
「こういうのでいいんだよ!」の極みである。
【ラーメン公爵邸】
ファミリーからシルバー世代まで。
地域一番の町中華である。
いつものラーメン炒飯餃子セット。ランチタイム500円。
安い。安すぎる。首都近県では驚異的な価格である。
ただ一つ違うのは店主だろう。
店主は豚のような。いや豚そのものの顔をしていた。
コック帽子の脇から金色の髪が見えている。
顔には老眼用の眼鏡をかけている。
おっさんと豚をムリヤリ合成したような姿であった。
だがそんな異様な姿を見ても誰も驚かない。
なぜなら店内には耳の尖ったエルフやら、トカゲ人間のリザードマンやら、日焼け止めで顔を真白にしたバンパイアまでいたのだ。
ここは埼玉県南部地域異世界特区。
名を埼玉県デトロイト市という。
8年前の異世界へのゲート開通で川口市、戸田市、蕨市から草加市までを飲み込んだ広い地域である。
鍋を振って炒飯を作っている店主に無精ヒゲの男が話しかける。
「店主さん、この間電話した件、お話しいただけますかね?」
「あんたルポライターって言ってたな。なにが聞きたいんだ?」
「そりゃ8年前にこの世界と異世界を繋げる門を開いた勇者のことですよ」
「だったらそこの警官に聞け。一番よく知ってる」
警官が露骨に嫌な顔をする。
「いや警察はねえ。ほら、隠蔽しますから。それで、例の噂は本当なんですか?」
「例の噂ってアレか? 勇者が総理大臣拉致してホワイトハウスに殴り込んでアメリカ大統領と門についてナシつけたって話か?」
すでに字面だけでも頭おかしい。
「ええ、本当だったら追求しなきゃなりませんよね? 魔王軍四天王ヴォルフ=ハインリヒ・フォン・ツェッペリン公爵閣下」
「もうヴォルフじゃねえ。重蔵だ。おい、賢人ぉッ! どうなんだ!?」
店主(公爵閣下)が怒鳴った。
すると警官が心底嫌そうな顔で答える。
「国会に乗り込んで総理を拉致してから転移魔法でアメリカに乗り込んだのは本当。人質には米軍の司令官と別の国の大統領もいたから違う。10歳のガキがやったことをいちいち蒸し返すな。つか人の黒歴史ほじくり返すんじゃねえっての! これで満足か!!!」
「だとよ。これで満足か?」
「え?」
「おい賢人! 証拠を出せってよ。どこで会談した?」
「なんだっけ親父。ええっとアメリカの埼玉……」
「ニュージャージー州のニューアーク!!!」
この警官、人生のほとんどのことをうろ覚えで生きている。
「10歳のころのことなんて憶えてねえよ!」
「え……あの、この警官が……?」
「聞いて驚け! 異世界を平定し、異世界の門を開け、人と魔族に救いをもたらした救世主、勇者ケント……のなれの果てだ」
「うるせえ親父! 公務員で夜学通ってて貯金もしてる俺のなにが不満なんだっての!」
「そりゃてめえ! 勇者ならハーレムの一つや二つ作って孫抱かせろってんだよ! それが彼女もいねえとか世の中なめてんのか! この童貞!」
「どどどどど童貞言うな!」
童貞である。
むしろ童帝と言っても差し支えない。
「あの……ちょっと待ってください。……親父って?」
ルポライターが質問すると面倒とばかりに雑な答えが返ってくる。
「ああ、ここな勇者の実家なんだわ。なあ勇者様! 孫はまだか!?」
「うるせえ! 弟に言えよ!」
「あいつはだめだ期待できん」
「ひっでえな、おい!」
「いやちょっと待って勇者!? 実家!? いやだって公爵さんはオーク族でしょ!?」
確かに店主と警察官はどうやっても血が繋がっているようには見えない。
なぜなら店主はオーク族だからだ。
オーク族。亜人種。
亜人種を人間に分類するか否かについては科学者の間でも異論がある。
特に見た目が獣に近いオーク含めた獣人やゴブリン、ドラゴンなどは人類ではないと主張する学者は多い。
DNAもホモサピエンスとの違いが多い。
だが遙か昔から人間種と交配しており、実際子どもも生まれるため有力説は人類であるとしている。
日本国政府公式の政府見解では人権を持った人間に分類され、個人として尊重される。
重蔵もオークの一人であった。
オーク族はかつて異世界で魔王軍と呼ばれた軍の騎士階級を務めた精鋭。
その肉体は頑強。精神は鋼の如く。
ミッドガルドの人間たちを苦しめた一騎当千の種族である。
「ああ、そうだよ。賢人ぉッ! めんどくせえ! 説明してやれ! 俺は法律は苦手だ!」
「あーはいはい。記者さんさあ、5歳で行方不明になった子どもが10歳で日本の首相とアメリカ大統領を人質にして帰ってきたらどうする? 親の管理能力飛び越してるだろ?」
「い、いやそれでも! 親なんだから当然受け入れるでしょ!」
「ないない。両親だって新しい生活があるだろが。さっさと離婚して。お互い幸せな家庭を持ってて。とっくの昔に苦い思い出として処理されてったのに。そこに悪夢が戻ってきて新しい生活を邪魔してみろよ。俺が恨まれちまう。お互い思い出にしてしまう方がマシ。かつての強敵の養子に入ってもおかしくねえってもんだ。俺の親はそこのおっさん、はい終わり」
へへっとオークのおっさんがうれしそうに笑う。
「……なんてことだ。なぜそんなひどい話を誰も知らないんだ」
「そりゃ、口封じされてるからな。もう何人も記者が行方不明になってる」
「嘘だろ……あんた勇者、いや警官だろ! 捕まえないのか!?」
「無理無理。警察は捜査しない。なにせこの街は日本国憲法が適用されないからな」
【コノ先日本国憲法通用セズ】
旧川口駅などデトロイト市の主要駅にデカデカと貼られた横断幕に記されている。
これは埼玉県デトロイト市が無法地帯という意味ではない。
住民に人権などの憲法の一部が停止されてるという意味なのだ。
例えば亜人種は隣接する東京都などに住むことは許されてない。
出るときもデトロイト市の数カ所に設置された関所で外出許可証の提示を求められる。
人間種が入るときも関所で手続きをする必要がある。などだ。
だがそれも亜人種を守るための措置である。
奴隷や実験動物、ひどいものになると薬の材料として亜人種を欲しがってる悪党は意外に多い。
また本土の人間がいなくなっても誰も探さない。
それも「よくある」ことである。
探さないような人間が来るのか、それとも
それほど役所と住民の信頼関係は強い。
記者は冷や汗を流している自分に気づいた。
脅されたわけじゃない。
なのに底冷えする恐怖があった。
「他人様に黙って威圧を使うなバカ息子!」
ゴツッと店主が賢人の頭に拳骨を落とした。
「痛って! いきなり叩くな!」
「おまえの防御力じゃ痛いわけねえだろ! 俺のハルバード頭突きでぶっ壊したのは誰だ!」
「そのあと拳で殴られた方が痛かったぞ! 親父の拳骨硬すぎなんだよ!!!」
「ま、記者さんも余計な事はせん方がいい。今まで何人も勇者のことを暴こうとしては消えていった。社会正義やら知る権利ってのはわからんでもない。だが俺たちの生活にはなんの関係もない。この街じゃ死体を消滅させる方法なんて星の数ほどもある。痛い目見る前に帰るんだな」
店主が言い終わると賢人が笑顔になった。
そしてとんでもない質問をする。
「ところでおっさん、どこの国の殺し屋だ?」
次の瞬間、ルポライターが懐に手を入れ銃を抜いた。
そのまま賢人めがけて発砲する。
「ひゃははは! 賞金100億円ゲット!!!」
ルポライター、いや殺し屋は勝利を確信した。
賞金100億円。
それが賢人の首にかけられた賞金である。
そう男はルポライターなどではなかった。
某国の残党がかけた賞金目当ての殺し屋だったのだ。
ところが賢人は動かない。
何発もの銃弾が賢人の身体へ数ミリまで肉薄し……そのまま潰れて落下した。
賢人の魔力の障壁に阻まれたのだ。
「拳銃かよ。つまんね。おっさん、俺を殺したきゃ核ミサイル持って来い」
賢人は殺し屋へ近づく。
そのままゆっくりと親指で押さえた中指を近づけ、一気に弾いた。
いわゆるデコピンである。
バンッと音がした。
そのデコピンのは大砲のようだった。
どかんっという音とともに殺し屋の身体が吹っ飛んだ。
そのままガシャーンと店内のガラスを突き破り外へ放り出される。
賢人はポケットに手を突っ込んで外へ行き、半分死にかかっている殺し屋に手をかざす。
「パラライズっと」
次の瞬間、記者の全身の筋肉がつった。
悪鬼羅刹の所業である。
「ぎゃあああああああああああ! な、なぜだ! なぜわかった!」
「殺気出しすぎだ。この間抜け!」
その後、無線機で応援を呼ぶ。
すぐにパトカーの音が聞こえてくる。
24時間体制で賢人を監視してる本土の警官。本物の警官だ。
「お疲れさん」
と賢人はつぶやいてまた食事に戻るのだった。
20XX年。
今から8年前のある日。
突如として東京と埼玉の境に開いた門。
そこから現れたのは数千万人の亜人。それと巨大な剣を持ったわずか10歳の勇者。
勇者は警察を尻目に国会に乱入。
総理大臣を人質に取って転移魔法でアメリカのホワイトハウスに。
大統領やら他の国の大統領やら国連総長やらを脅して亜人を難民として、人として認めさせた。あと逆らった某国が消滅した。
いきなり東京都を超える人口を抱えることになった各市町村はパニックに。
連日の徹夜作業で少しおかしくなったある日。
複数の市町村の会議でとある市の市長がつぶやいた。
「もう市町村合併しちゃえばよくね?」
「名前なんにするよ?」
「デトロイトでよくね?」
「「デトロイト!!!」」
こうして世界一のメガシティ、埼玉県デトロイト市が爆誕した。
一時的には日本全体で食糧危機やらエネルギー危機やらがあったがそれもすぐに解消。
東京都を超える人口、しかも若年人口が多い世帯が一気に増え日本の少子化問題は解決。
住宅に生活インフラに通信にと官製工事でウハウハ。
公務員も増量。天下り先も爆増。
世界中から勇者がカツアゲし……げふんげふん、投資を呼び込んで株価も爆上昇。
需要増と国民の困った人たちを助けてる感で景気も一気に回復。
労働者を教育せねばならなくなった教育産業に大バブルが到来。
大学やら専門学校やら語学学校やら資格スクールやらが確変を起こした。
世界中からデトロイト市に入るあらゆる分野の研究者。
恐ろしい勢いでまわっていくお金。
その間にも起こる亜人のベビーブーム。
戦後のバブル景気など歯牙にもかけぬほどの大好景気が到来した。
鉄道は網目状に敷かれ、あちこちにある大学へはモノレールが走る。
まさに文化、芸術、商業、工業の中心地と化したのだ。
これは埼玉県デトロイト市のちょっと変わったお巡りさんである応賀賢人<特別>巡査とその家族の物語である。