息子より、犬が可愛い
「おかあたま、ごきげんよう。今日はせんせいにおべんきょうを習います」
「まあアルフォンソ、ごきげんよう。上手に挨拶出来たわね。お勉強は大切だわ、頑張っていらっしゃいね」
「はい、いってまいります」
アルフォンソは私の息子。3歳になるがとても賢く、可愛い子だ。私に似た瞳の色に、夫にそっくりの髪色と髪質。
このエイクハースト公爵家の跡取りに相応しい資質を持つ掌中の珠だ。
可愛いし、愛している。けれど息子は、私のものではない。エイクハーストの為に生まれた、エイクハーストのもの。
私は名のある侯爵家に生まれた。父は政に、母は社交に忙しく、私は仕事熱心な使用人達によって大事に守られ大きくなった。貴族の夫人は跡取りを産むのが仕事だ。それを育てるのは乳母をはじめとした下の者の仕事。それはこの国の誰もが知る当然の事実。
だから私がこの家に嫁ぎ、子を産み、そしてその子をこの手で育てられないのも当然のことなのだ。
乳母が乳をやり、家庭教師が知識を授ける。親子が食事を共にする機会はほとんどなく、たまにサロンで顔を合わせてお茶をする程度。
幼子は見かけるたびに大きく、出来ることが増えていく。知らない間に語彙も増え、おもちゃのような剣を使って鍛錬も始めたようだ。
彼はいずれこの家を継ぎ、立派に公爵として領地を治めていくだろう。
私が産んだ子。私がいなくても育っていく子。
ある日私は公爵邸の広大な庭で、ボロボロの犬を拾った。
罠に引っかけたのだろう、血まみれで足を引きずっている。毛はもつれ、所々が禿げている。
「まあ、可哀想に……」
私はタオルを持って来てその子を包み、邸の風呂場で丁寧に洗った。
使用人たちが慌てて、代わりますと言って来たけれど、断固として断った。
この子は私が拾った私だけの子。拾った責任を持って、私が世話しますと。
消毒し、包帯を巻き、栄養を摂らせて。甲斐甲斐しく面倒を見たその子は、白銀の毛に金色の瞳の綺麗な犬だった。
拾った当初はボロ切れのようだったのに、こんなに美しくなるなんて。
美しくなくても愛おしかったけれど、美しくて悪いこともない。
私はその子にボーと名をつけ、毎日同じ寝台で眠った。足の裏の匂いを嗅ぎ、腹のモフモフに顔をうずめて。
ボーは嫌がりもせず、スンスンと鼻を鳴らしていた。
早朝に起き、簡単に身支度をしてボーと庭を歩く。
「花が綺麗ね」
「あら、穴掘りが上手だわ」
「暖かくなって来たわね」
ボーといると自然と口数が増える。
職務熱心な使用人たちは無駄口をきかないので、私は基本的に喋ることがないのだ。静かな部屋で本を読み、ちらりと視線を向ければ温かいお茶が出てくるから。
運動を終えて部屋に戻り、食事を用意する。
「さあ、ボー。ご飯よ。お食べ」
この子は私がご飯をあげなければ死んでしまう。使用人には手を出さないよう言い付けてあるから、私がやらなければ飢えるのだ。
私が用意したご飯を食べて育つ、私だけの子。
私が生かす、私の子。
その日は久しぶりに夫の渡りがあった。そろそろ第二子を、ということだろう。
私の寝台ではボーが待っている。夫婦の寝台で役目をこなし、夜更けに私はボーの元へと戻った。
ぺろ、ぺろ、ぺろ
頬が温かい。
だるい身体で目を開けると、濡れた頬をボーが熱心に舐めていた。
「慰めてくれるのね……ボー、ありがとう。大好きよ」
ぺろ、ぺろ、ぺろ
「今日の散歩はお昼にしてもいいかしら。その代わりいつもよりたくさん一緒に歩きましょうね」
息子は私がいなくても育ち、生きていく。
けれどボーは私が朝ごはんをやらなかったせいで腹を空かし、熱心に私の頬を舐める。
放っておけば死んでいく、弱い命。
私が拾い、手当し、生かした、私だけの犬。
「可愛いわ……」
息子よりも。
いつかボーを獣人に進化させて、みんなを幸せにしてあげたい……