【コミカライズ】「君を愛することはない。だから安心して行っておいで、討伐に。」
私はミレニア・ルージュ・ヘレスカイヤス公爵息女。グリズリー屠りの魔女と呼ばれる私は、短い銀髪に金瞳を持つ公爵家の長女。片耳のピアスは魔術師の証。紅いルビーは魔術師団長を示す。
私は女性魔術師として初めて、遊撃部隊の魔術師団長として活躍している。
日々の業務は魔物討伐、治安維持目的の出撃、国境警備、などの現場指揮だ。
もちろん、抜擢当初は未婚の若い貴族の娘が前線で戦うことに、親や周りの人の猛反対を受けた。
働くことの条件は、私が未来の女公爵として誰かを婿に迎えること。
その条件に私は困った。
魔術学校時代に元婚約者から「お前みたいなはしたない女は不適当だ」と別の貴族令嬢に乗り換えられ、婚約破棄をされてしまっていたからだ。
婚約破棄された女、という悪評と魔術師としての成績の相乗効果で、ますます結婚相手は見つからない――いや、一応ちらほらといるにはいた。
けれど彼らの条件は一様に、魔術師団長を辞めるなら。女公爵にならずに爵位を夫に渡すのなら。すぐに子供を産むのなら。といったもので。
それで結婚してしまっては、そもそも本末転倒だ。
そんな私に、ようやく、声をかけてくれる人がたった一人だけ現れた。
「僕でよかったら、未来の女公爵の婿にしてくれないかな」
かくして私は、レイ・アルバート・カルディスガード第三王弟殿下を婿に迎えた。
淡い金髪に杏色の瞳。柔和な美貌のその彼は、社交界の令嬢たちの間では立場上出世は見込めない『顔だけの王弟殿下』と言われていた。
国王陛下は健康で名君で子供もすでに四人いる。
レイ殿下は王位継承権を放棄しているし、上が死んでも代わりはいくらでもいる、政治的には全く問題のない人で。
私たちの結婚は、誰もが納得する婚姻だった。
綺麗な金髪に穏やかな眼差し、常に微笑みを湛える柔和な口元。
唯一、妙に据わった風に見える瞳だけが、結構厄介な男では?と思わせる人だった。
神と列席者が見守る結婚式にて。
彼は私に誓いの口づけをするふりをしながら、間近で微笑んで囁いた。
「君を愛するつもりはないよ。だから安心して行っておいで、討伐に」
鮮やかな杏色の瞳で微笑む彼。私はぱちぱちと目を瞬かせた。
◇◇◇
――愛するつもりはない。
この世でいう『愛する』が妊娠を目的とする性行為を意味するのであれば、彼はこの上なく私を『愛する』つもりはなさそうだった。
「そもそも閨を共にして肌を重ねて子供を孕ませて、それこそが『愛です』って言うのも信用できないんだよね」
「はあ」
「貴族社会の既得権益の存続を目的として行う貴族社会内での交配・繁殖行為に愛という単語を用いるのは愛という単語への冒涜だ」
「…………はあ、まあ」
初夜。彼は同じベッドで寝そべりながらこう語る。
顔だけ見ればたおやかな『王子様』然としているのに。
意外と、意外なほどに、私生活ではずけずけとした人だった。
彼は国王陛下の異母兄弟であり、お手つきになったメイドから生まれたいわゆる『妾腹』だ。
そのメイドのお母様も悲劇の人というより、手切金を渡して無かったことにしようとした前国王に対し、宮廷に乗り込んで認知を求めた豪胆な人らしいけど。結果としてお母様は修道院送りになる代わりに、息子である彼は妃の息子として嫌々育てられたらしい。
そんな下半身の愛に振り回された彼は言う。
「だって『愛する』が孕ませることと同義なら、親父が母を愛してたってことになる。孕ませたら愛するってことになるのかい? まあ、お手つきした女が腹を痛めて自分の子を産んでくれたってのはさ、男として確かに嬉しいってのはわかるけど。愛? ハハハ笑わせる」
「そんなに斜に構えて生きてると、しんどくないですか王弟殿下」
「斜に構えないとやってらんないとき、ない? 自分が綺麗事と建前にすりおろされていくようなさ。ところで」
彼は枕を抱いて金髪を傾ける。さら、とシーツに髪がかかるのを見せつけながら、目を細めて私に言った。
「ベッドの中なんだからレイって呼んでよ」
「愛するつもりはない、んじゃないですか?」
「繁殖行為を行うつもりはないけれど、僕は君を好ましく思ってるからさ」
「……」
「ね。よかったら仲良くしてよ、ハニー?」
なんて。
王弟殿下はご令嬢が黄色い声をあげそうな、とろける蜂蜜の笑顔で微笑む。
「好きな女の子に名前で呼ばれると嬉しいじゃない?」
好きな女の子、って。それこそキレイゴトのタテマエじゃないのか。
「レイ様」
「様もやめてよ」
「レイ」
「いいねえ、ミレニア♡」
「物好きですね。グリズリー殺しと言われてる女にそれって」
「敬語も止めて欲しいけど」
「まだ慣れないので敬語でいさせてください」
「オーケー。で、本当にグリズリー殺したの?」
「そりゃあまあ……魔物討伐は日常ですので」
「へー。かっこいい♡」
「はあ……」
王弟殿下改めレイは、にこにこと邪気のない顔で笑う。
私はこの人と、どんな調子で過ごせばいいのかわからない。建前と綺麗事で肉欲を包み隠して、さっさと抱いてくれても想定内だったのに。
ちょっと正直、想定外すぎて、どう振る舞えばいいのか戸惑う。
ただ。
少なくとも、私はこの面倒臭い夫を好ましく思っていた。
それに私は、この人の妻として閨を共にする限り、魔術師団長として前線で戦うことができる。
「レイ。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ。幸せになろうね、ミレニア」
彼が綺麗な顔で微笑むので、流石の私もどきっとする。
「……はい。お互いに幸せになりましょう」
「僕のことも思ってくれるんだ?」
「当然です。夫なのですから」
王宮では肩身の狭かった彼にとって、この公爵家が居心地の良い場所になればいいと心から願った。恋や愛がなくても、情の湧いた相手の幸せは願いたいものだ。
「肩身が狭いふりをしている方が、何かと便利なだけさ」
「心読みました? レイ」
「んー、そんなこと考えてるのかなって気がしただけ♡」
◇◇◇
――あっという間に一年が経過した。
結婚して、閨も共にしながら、私たちはちっとも『愛しあう』ことをしなかった。妊娠の話が出ない故に、社交界の下世話な声が不仲を囁いたりもした。
私を「家持ち娘だから気位が高いんじゃないか」と謗る声を聞いたりもした。
レイが不能なんじゃないか、などの揶揄も聞いた。
グリズリー殺しの女魔術師団長と、顔だけの王弟殿下の結婚は、面白すぎて噂には事欠かない。
けれどどんな噂にも、レイはどこ吹く風で、私を遠征ににこやかに送り出す。
「周りに言われたからって『愛する』ことはしないよ。気をつけて行ってらっしゃい」
「行ってきます、レイ」
「お土産の魔物肉、楽しみにしてるよ♡」
私は翼竜に乗って遠征地へと向かう。
私が見えなくなるまで、屋敷でレイは手を振っていてくれた。
不遇の妾腹とはいえ王弟殿下。
領地経営と当たり障りのない社交と、品のない噂話を有耶無耶にする情報操作はお手のものだった。
彼の手腕のおかげで、悪口もただの噂話以上には盛り上がらず、穏やかな私たちの日々は過ぎていった。
◇◇◇
そして二年目になった。
子供に恵まれない(作っていないから当然なのだが)私たちのあいだに新たな面倒事が舞い込んできた。
私に子供ができないのならと、妾に立候補し、私の遠征時を狙って押しかけてくる女が増えたのだ。
「やあ、おかえり」
私が国境の凶暴化した獣を殲滅し、返り血もそのままに帰宅すると、レイは屋敷で笑顔で出迎えてくれた。
いったん肉だけ置いて、王宮に報告に行ってまた戻る。
屋敷で湯を浴びて服を整えて食堂に向かうと、早速レイは肉を夕食にしてくれていた。肉断ち包丁を持って返り血を浴びて、レイはにっこりと「美味しいステーキができたよ」と笑う。
彼もまた湯を浴びて服を整えてから、彼と二人の夕餉が始まった。
「……美味しいです」
「肉が柔らかかったから、結構大胆に使ってみたよ」
「ソースが甘いです。サワークリームが濃くて……こんな味、初めてです」
「酸味が強いヨーグルトを使ったんだ。遠征中は薄味のものしか食べてないでしょ? だから『帰ってきた』って感じやすい味にしようかなって」
レイのいう通り、遠征では携帯食の魔術レーションばかり食べていた。齧ったレーションでパサついた口の中を唾液で潤す日々を過ごしていた私に、とろっと酸っぱいサワークリームは優しい味がした。ステーキ肉も丁寧に筋切りがしてあって、添えられたいくつかの香草が、独特の臭みすら香ばしく感じさせてくれた。
私たちの食卓に、従者が続いてあたたかなスープを注いでくれる。根菜を発酵させ、コトコトと長く煮込んで味を出した素朴なスープ。王族が作ったとは思えない素朴な彼の料理が、私は大好きだった。
レイは料理が好きだ。
元々は「王位に全く興味ありません」のポーズとして料理に没頭していたらしいけれど、元々キッチンメイドだった母直伝の手料理は飾らない郷土料理として絶品で、外交の場では意外なほどに好評を得て、賓客へのもてなしとして評判になったという。
レイは「想定外だったよね」と笑うけど、王家の手による料理が一番のもてなしになるというのは理解できる。むかし、歴史書で読んだ隻眼の竜王が確か、料理で人をもてなすのが好きな人だった。ドクガンリュウマサムネ王、だったかと思う。
ご馳走を平らげながら、二人であれこれと近況を伝えあって。
話題が途切れたところで、私は思い切って、彼に気になっていたことを訊ねた。
「今回の遠征の間も、妾希望者が押し寄せてきているらしいじゃないですか」
「もう知ってたの?」
「……まあ」
私はずっと考えていたことを打ち明ける。
「レイ。他の女性を『愛し』たいのなら、私も対処します。一人一人の家柄と人柄を考慮して、生まれた子を養子として承認できるように――」
「嫌だよ」
間髪入れず、レイは真顔で拒絶した。
「余計な子種を火種にするのは」
「顔に似合わず、下品なこと言いますね」
「はっ。子供を作る作らないで、下品じゃないことって、ある? やることも、纏わる大人の事情も」
「……まあ、それは……」
「それはそうと、この獣の白子。東国では生で食べるらしいよ。食べる?」
彼がにっこりとフォークで提示したそれに、私は思わず顔を顰めた。
「勘弁してください」
「じゃあ僕が食べようかな。軽く炎魔法で炙って、と――」
「う、……うわぁ……」
彼は大口を開けて、美味しそうに珍味を平らげる。ぺろり。
「引いた?」
「……いえ、勉強になります。食料がないときは食べなければならないので」
「あはは、君は真面目だねえ」
彼は笑う。私は呆れつつも、居心地の良さを感じていた。
「ああそうそう。君の部下の妹に手を出そうとした貴族、シメといたよ」
「……ありがとうございます」
「あの家……ストレリツィ家だっけ? 領地に病気の苗を売りつけて土地をダメにして領地経営ガタガタにさせて、助けて欲しけりゃ妹をよこせってなかなか悪だよね」
「ええ。私では証拠が追えなかったので、助かりました」
「僕こそ王弟として国土保全と貴族社会の秩序の管理は義務だ。情報感謝するよ」
レイはそう言って、ウインクする。
二年の間ともに過ごすあいだに、私はレイに対する認識を改めた。
出世から縁遠い顔だけ殿下なんて、嘘だ。
彼はのらりくらり飄々と、権力に無縁な男のふりをしながら、かなり狡猾な政治家だった。無害な美貌でにこやかに国王の秘書官を務めつつ、それでいて、国政のあらゆる要を掌握している、なかなか食えない男だった。料理は美味しいのに。
近衛兵の不祥事、大臣らの弱み、教会の献金の首根っこ。
下はメイドから上は宰相に至るまで、彼は多くの人々の心を掴みながら同時に全てを支配している。
国王陛下はご立派な方だけど、まだお若くて基盤が弱い。
そこの地固めをして差し上げている王弟殿下はもはや、陛下の足元すら左右している存在ともいえるのでは?
彼は異母兄弟である陛下を尊敬している。彼の為ならば影として生きるのが喜びだという。
「愛しい優秀な人の足元を固めるのが、僕は好きなんだ」
なんて、彼は言う。
あまり深く政治を考えられない、脳筋の私ではとても太刀打ちできない男だ。
そんなレイはポテトケーキを切り始める。余った獣肉を刻んでタネにしてじゃがいもで包んで焼いた、ほくほくの料理だ。
たっぷりとサワークリームをつけて、ぺろりと平らげる。
「ん、……余り物で作ったけど、なかなか美味しいね」
うっとりと目を細め、唇を舐める顔に不覚にもぞくりとする。
私は目を逸らしながら、世間での彼の人気をあらためて思う。
政治家としても腕が良く、そして男性としての魅力も、女性たちを惹きつけてやまない。彼ならもっと違う人と結婚して、子供をもって、普通の幸せを得た方が良いのではないか。私は彼の『愛』への潔癖さに、甘えているだけではないのか。
本当に彼に、『愛さない』生活を続けさせて――良いのだろうか。
◇◇◇
三年目。
相変わらず彼は突きつけられる妾希望の女たちを一蹴し、私の婿を続けている。
遠征で離れている間にも、ちっとも浮気はしていないらしい。
精力つきそうなご飯ばっかり食べているのに、だ。
それを言うと、レイはびっくりした様子で頬を染めた。
「えっち。ミレニアもそんなこと言うんだ」
「あ、あの。一般論です一般論」
「美味しいもので元気になるのはね、仕事のためだよ。考え事をするとき、しっかり栄養とってないと先の手が読めなくなるんだ」
「そうなんですね。ちなみに私はお腹いっぱいになると眠くなります」
「知ってる。時々食後酒呑みながらうとうとしてるよね、ミレニア」
「恥ずかしい」
「可愛いよ」
「……あの」
「ん?」
「他の女性は、本当に……いらないのですか?」
レイは笑みを消す。私は心からの心配として、進言した。
「そろそろ契約結婚を終わりにしなくても良いのですか? ……私も魔術師団長としてのキャリアを積んできました。そろそろ離婚したって誰も文句は」
「嫌だ」
彼はきっぱりと、据わった目で私を見て言う。
「何度だっていうけど。僕は君以外を愛することはないよ。だって君が妻だから」
「私を愛することはない、私以外も愛することはない。どこでなにを愛するんですか」
「金と権力、あと美食かな♡」
「全部持ってるじゃないですか」
「そう。だから君以外を愛することはないよ」
彼は話をはぐらかすようににっこりと微笑む。
「愛する必要なんてないんだ。僕は十分満たされているよ」
◇◇◇
彼と結婚してよかったことの一つに、髪を伸ばせるようになったことがある。
独身で、男世帯で働いていると女らしくするとなにかと面倒が多かった。それが『王弟の妻』となるだけで、髪を伸ばそうがリボンを結ぼうが、まわりから変な扱いを受けることがなくなった。
伸ばして初めて自分の髪が、銀から青のグラデーションになりやすい髪ということを知った。短いとわからなかったのだ。
『焔よ風神と踊りて、悪魔百足を一掃せよ』
詠唱と共に、ごう、と吹き飛んでいく魔物たち。
爆風にポニーテールを靡かせ、心地よいと思う。そして気づく。
――私だってそれなりに、女性であることを楽しみたかったのだと。
遠征から帰宅すると、仕事の都合を合わせて待っていてくれたレイが迎えに出てくれた。
「おかえり! 今日も返り血すごいねえ」
「すみません。今日の肉は森で獲った普通の獣肉です」
「あはは、大丈夫。僕だって百足を食べる趣味はないから。ありがとう」
彼は翼竜から降りた私に手を貸し、そして汚れた頬を親指で拭い、ポニーテールを指ですいた。眩しそうに目を細め、彼はつぶやく。
「髪、伸びたね。綺麗だ」
「……ありがとうございます」
遠征の汗や土で汚れているだろうに、彼はこんなことをいう。褒められるとくすぐったい。肉体労働していないレイの金髪の方がよほど天使の輪が見えるほど綺麗なのに、褒め言葉が上手だ。
清い結婚は貫きながらも、私はちり、と焦ったいような、甘い感覚を、彼の指や視線に感じるようになってきた。
◇◇◇
これまで魔術師の正装で出ていた晩餐会や舞踏会も、少しずつドレスで参加するようにした。ドレスを着たいと、急に思い立ったのだ。
以前はドレスを着ていると、どこか『結婚相手』として常に見定められているような気がして、気持ちが悪かった。けれど今なら既婚者だし、気楽にドレスを着られるような気がしたのだ。
そんなことを告げると、レイは一瞬ぽかんとする。
「ドレス、何がいいのかわからないんですよね」
「……僕が! 僕が選ぶよ! 妹も明日呼ぶから、ね!」
「い、いきなりですね」
というと、レイは目を瞠って喜び、妹――つまり王妹殿下をわざわざ呼び、彼女と一緒に私に似合うドレスを作ってくれた。
そしてドレスを着て夜会に赴くときは常に彼は私のそばを離れなかった。ギラギラとした目で少々やりすぎかと思うほど周りを威嚇して。
「君が綺麗な女性だと知られるのは嬉しいけど、今更鼻の下伸ばしてくる奴らは社会的に消したいよね」
「何いってるんですか」
それでも、腰を抱いて嬉しそうに夜会を楽しむレイを見るのは嬉しかった。
いつも普段着と軍服で接しているから、礼服とドレスで過ごすと――まるで、本当の夫婦のような感じがして。それもまたよかった。
◇◇◇
何度目かの舞踏会で、私にある男が話しかけてきた。
「久しぶりだな、ミレニア」
「……カウンタス侯爵令息」
「他人行儀にいうなよ。同じ教室で首席を取り合った仲じゃないか」
「私は既婚の身です。あまり異性と近くお話しするのは控えたいので失礼します」
「……ッ……馬鹿にしやがって」
そもそも首席を取り合った覚えはない。私が全戦全勝だった。
私が女の身で爵位を継ぎ、魔術師団に入るためには全戦全勝が絶対条件だったのだから。
「髪伸ばしたのか? いいじゃねえか」
彼は私の髪に触れようとする。
私が身を引くと、くく、と馬鹿にするように笑う。
「なんだ、あの男まさりだったミレニアスが、髪を伸ばしてドレスを着て。女になっちまって。なあ聞かせてくれよ。お前は閨でどんなツラしてあの男に抱かれているんだ?」
「カウンタス侯爵令息、言葉を弁えなさい」
にやにやと、彼は態度を改めない。
ミレニアスとは、学生時代に私を揶揄する人々がつけた男性名だ。
しかし当然、彼らがミレニアスと揶揄したとて、私が髪を伸ばすこともドレスを着ることも揶揄される謂れはない。
それでも彼は取り巻きを連れて、にやにやと私を見下ろしてくる。
付き合っていられない。私は踵を返した。
「夫以外の男性、特に未婚男子の集団と話すつもりはありません。失礼」
「待てよ」
しつこく、カウンタスは行く手を遮ってくる。
長身で胸を張って私を見下ろし、にやにやと口の端を吊り上げる。
「夫って言ったってあのヒョロヒョロした妾腹だろ? あの男のことなんざ、魔術師団長サマが気にしなくったっていいじゃねえか」
「……今ならまだ聞かなかったことにしていい。これ以上夫と私を侮辱するな」
「おっ、ようやくミレニアスがおでましか」
睨みあげても、くく、と笑って肩を抱こうとする。
この様子を見られて変な噂を立てられたとき、不利になるのは私だ。
「……ッ」
気づけば似たような風貌の令息たちに囲まれていた。
高い背丈で囲われてしまえば出られない。ヒールの足では、咄嗟の身動きが取れない。こちらの不利を示すような追い詰め方に腹が立つ。
魔法なら吹き飛ばせる。やるか。
――と思ったところで。
不意に、柱に設られた鏡に映った自分が見えた。
この姿も私のあり方も、レイが認め、レイが自信を持たせてくれた姿だ。
(……侮辱に直接的な暴力で返しても、面倒だ。頭を使え、ミレニア……)
背筋を伸ばし、私はじっと見つめる。
それだけで、彼らがみじろぎしたのを感じた。
「ヒョロヒョロした妾腹――か。彼のことをそうとしか捉えられない君たちが、出世できず、良縁に恵まれないのは当然のことだな」
「……なんだと?」
「己の太鼓持ちをしてくれる者、もしくは同じ程度の思考しかできない者で固まっていれば、自然と情報狭搾になる。社交の場を、女を追い詰め揶揄する場所にしか使えない『少年』ならば、その幼さも致し方あるまいが――着飾って背筋を伸ばすより、外で球蹴り遊びでもした方が楽しいのではないか?」
「てめえ、手が出せねえと思って舐めやがって」
そこで肩を強引に掴もうとする手を払い、私はカーテンに彼を巻き込む。
「えっう、うわっ!?」
カーテンを巻き込みゴロゴロと倒れ込むカウンタス。その重たいベルベットに巻き込まれ、取り巻きも一緒に潰された。
騒ぎになる前にさっとその場を後にする。人混みに逃れると、レイが息を切らしてそこにいた。
「ごめん。助けが間に合わなかった」
「大丈夫です。私だけでなんとかなりました」
「なんとかって」
「レイが馬鹿にされたんです」
「だから?」
「なら黙ってやられていられません。私、あなたが馬鹿にされるのは我慢できないんです」
にっこり微笑むと、彼はつられるようにクスッと笑った。
「君のそういうやたらと強いところ、僕は好きだよ」
「以後、隙を作らないよう気をつけます」
「僕も君から離れないよ。それに……うん、大丈夫。誰が君に絡んだのか、ちゃんと覚えているから」
「ふふ、怖いですね」
「僕だって君が馬鹿にされるのは我慢ができないのさ」
私たちは微笑み合い、そのまま先ほどの不愉快を忘れて上機嫌にパーティと社交界を楽しんだ。
後日、私に因縁をつけた貴族令息集団は、一般騎士団の魔物討伐の最前線基地に飛ばされることになったらしい。しばらくは社交界で騒ぎを起こされることもないと、私は安堵した。毎回、うまくいくとは限らないから。
「最近は仕事、順調?」
レイが食事をしながら訊ねる。
「ええ、順調です」
「そう。よかった」
彼はミートパイを切り分けてくれながら、にこりと微笑んだ。
◇◇◇
また別の折に、私たちは長期休暇で旅に出た。
周りには内緒にしてお忍びで、レイのお母様の暮らす修道院へと向かったのだ。
前国王陛下のお手つきになって、王宮に乗り込んでレイを認知させた剛の者だ。
「よく来てくれたね、あたしの大切な義理の娘。ああ、凛として可愛い娘さんだ」
白髪混じりの長い髪を一つにまとめ、化粧気のない笑顔で迎えてくれたお母様。
窓越しにしか会えないけれど、お母様はレイとよく似た顔で元気に笑ってわたしを受け入れてくれた。貴族令嬢は修道院を刑務所のように恐れるけれど、外の身寄りが息子しかいない一般女性にとってはありがたい居場所らしい。
「今こそ王子様らしくしているけれどね、レイは私に似てやんちゃくれさ。面倒な子だから、困ったらいつでもあたしのところに言いつけに来なさい」
「やだなあ、もう僕はとっくに20歳超えてるんだけど。いいかげん大人だって」
「ガキがいっぱしの権力持つのが、一番怖いんだよ。ちゃんと覚えときなさい」
そう言って、お母様は全てを見透かしたような微笑みを浮かべた。
母には弱いらしく、う、とレイは言葉を詰まらせる。
「ミレニアも言ってよ。僕、外でちゃんと真っ当に生きてるってさ」
「はい。とても頼りにしている夫です。尊敬しています」
「本当かい? 言わせてるんじゃないだろうね?」
「もー」
格子越しながら和やかな二人のやり取りに、私は気がつけばくすくすと笑っていた。笑った私に母子は顔を見合わせ、そして声を上げて笑い始めた。
「可愛いお嬢さんじゃないか。仲良くやるんだよ」
そう言って見送られた帰りの馬車、私たちは向かい合わせではなく隣に座った。
肩を寄せ合って微睡んで浴びる夕日は、眩しいけれど温かだった。
触れる体温と寝息に、私は急に、彼の言葉が頭をよぎる。
――君を『愛する』ことはない。だから安心して行っておいで。
(……忘れていたわ。彼は私のことを愛することはない)
彼は無意識なのか、眠ったまま手を繋いでくれていた。レイは文官であるにもかかわらず、その骨張った手は魔術師団長として鍛えた私の手よりも、大きくて温かい。
この手にもっと触れられたいと素直に感じ、私は胸が痛くなる。
都合がいいと思っていたこの契約関係が、悲しくなる日がくるなんて。
(さみしいだなんて、都合が良すぎる)
顔に見とれていた私は首を振って、醜い邪念を振り払う。
私は魔術師団長を続けるため、利害目的で王弟殿下であるレイと結婚した。
レイも妻の枠を空けておく煩わしさから逃れるため、都合の良い私と結婚した。それだけだ。
今更愛してほしい、女として見てほしいだなんて、浅ましい。
(そうよ。……私は女として見てほしいと思える立場? 体はあちこち傷だらけ、戦場ではグリズリーも粉砕し、声を張り上げ、男言葉で、部下の男性魔術師たちを激しく叱咤し指揮を執り、魔女と陰口を叩かれるような女。ミレニアス、なんて男性名で揶揄されるような女。……そんな私を妻として大切にしてくれて、笑顔でいつも受け入れて、接してくれるだけで十分満たされているじゃない)
帰宅して私は湯を浴び、ネグリジェ姿で鏡に映った自分を見つめる。
髪を伸ばし、女らしい私服を纏うようになった、己の本心は。
(……彼に、綺麗って言われるのが嬉しかったんだ)
結婚してもう4年が経過していた。
(だから、私はもっとわがままになっていたんだ)
私は22歳になり、彼は24歳になった。
(『愛してくれる』ことが、もしかしたら起こりうるかもしれないと)
――子供を求める貴族なら、そろそろ離婚や側妃が視野に入ってくる時期だ。
「『君を愛することはない』……今もまだ、レイはそう思っていますか」
◇◇◇
「お帰りなさい、ミレニア。昨日から仕込んだロールキャベツができてるよ」
彼が用意してくれたのは、獣肉のハンバーグを包んだロールキャベツ。ナイフで半分に切ると、とろとろの白いチーズが溢れてくる。驚く私に、彼は目を細める。
「学生時代の学友が、美味しいチーズを分けてくれたんだ。ビーツのスープに入ったセロリはうちの庭で育てたもので、添えてるクリームも学友が分けてくれたやつ」
「……美味しいです」
「どうしたの? 元気がないけど」
「そんなことはありません」
レイの美味しいご飯をいただくたび。レイの交友関係の話を聞くたびに。
このまま、彼を『愛することはない』結婚で縛り付けたままでいいのかと悩むようになった。
仕事は順調だが、この調子ならば私は一生前線で戦って団長として役目を果たすことになるだろう。周りももう、私とレイの関係をあれこれと詮索しなくなってきた。
(そろそろ、離縁しても……私は離縁された行き遅れの魔術師団長として、いよいよ周りから再婚を迫られることもないだろう。彼を解放するなら、今のうちかもしれない)
料理も美味しくて、家柄もよく、政治手腕も巧みな、美貌の第三王弟殿下。
家付き女の婿という立場で終わらせるのは――愛さない結婚のまま終わらせるのは、彼にとってあまりにも、残酷なことではないか。
「ご馳走様です。美味しかったです、今日も」
悩んでいても食欲は正直なので、全て満たされるまでしっかり胃に収めることができた。彼は心配そうに私を見ていたが、それ以上――深く踏み込んでくることはなかった。
「一人であまり思い詰めないでね。僕はあなたの夫なんだから」
「ありがとうございます。……今日は、先に休みますね」
夜、レイはいつものように同じ褥に入ってきた。
背を向けて、狸寝入りをしてやり過ごそうとする私を前に――彼は頭を撫で、後ろ頭に口付けて、背を向けて寝入った。
(……私が普通の妻ならば、このまま、彼は愛してくれたのだろう)
隣の体温が温かいと感じれば感じるほど、私は、体の芯が淋しく切なくなった。
◇◇◇
◇◇◇
一年に一度行われる、『白の記念日』。国王陛下の誕生日だ。
よく晴れた青空のもと、国王広場には王国全土から権力者が集まり、国王陛下への祝辞が順に述べられている。この日ばかりはレイも王族の一人として、国王陛下に近い場所に並んでいた。私は魔術師団長として、翼竜を率いて参列していた。
式典は滞りなく進行していた。
しかし北の空から突如、黒い霧のようなものが近づいてくる。
「翼豚か……ッ!」
阿鼻叫喚に包まれる広場。
私は部下に命じ、翼竜に跨り空へと舞い上がる。陣形を組み、翼豚を迎え撃った。
部下たちの防衛魔法で時間を稼ぎ、私は炎魔法を詠唱する。
汗が散る。体が強い魔力にぶるぶると震える。
「皆、散れ!」
部下の翼竜が私に道を開ける。翼竜と共にぎりぎりまで翼豚に迫り、私は魔法を詠唱した!
『焔よ風神と踊りて、翼豚を一掃せよ!!!』
次の瞬間、広場には翼豚が爆発霧散した紫の体液が迸った。
最前線にいた私は全身に体液を浴び、頭からつま先までどろどろになった。
人々はすでに安全な場所に逃げているので、一人も被害は受けていない。
私は滑空しながら、勇敢な翼竜の頭を撫でる。
「ありがとう、体を洗ってもらいなさい」
空から降りて翼竜から降り、国王陛下に報告に向かうと、私を中心に人の波がザッと左右に分かれる。
体液まみれでぐちゃぐちゃになった私を見て、人々は青ざめていた。
「まるで魔女だ」
「なんという恐ろしい……」
「なんてはしたないの、竜に跨って、人前であんなに絶叫して……」
助けたっていつもかけられる言葉はこれだ。もう、慣れている。
国王陛下の前に跪き、私は報告をする。
倒した翼豚の数、方角と残留魔力から想定する敵について。
みんなしんと静まり返っていた。
「大義であった。改めて会議の席を夜に設けよう」
下がって良いと言われ、頭を下げて陛下の前から退く。人々は静まり返って、私を凝視して固まっている。
すると、青ざめた人々の群れの中に私は夫の姿を見た。
夫もまた、私を見て杏色の瞳を大きく見開いている。
汚れ一つない美しい王族の装束に、抜けるような肌に透き通った金髪。
ぽたりと、腐臭の漂う体液が私の顎を伝い落ちる。
魔物に刺されるより激しく、胸に、ぐさりと深い痛みが走った。
――夫に、怖がられてしまっている。
私は泣きそうになるのを堪え、その場を早足で立ち去ろうとした。
けれどそんな私を、夫は足早に追いかけてきた。
「待って」
立ち止まった私が振り返った時、包み込まれたのは夫の胸だった。
美しい装束に体液が染み込んでいく。躊躇いなく彼は歯で手袋を脱ぎ、直に、私の頬を撫でてうっとりと微笑んだ。
「綺麗だ、ミレニア」
「……やめてください、人前です。それに、汚いです」
「汚くないし、僕たちは夫婦だし。人前でも問題ないでしょう? ですよね、国王陛下」
国王陛下は固い表情ながら、頷いている。
まるで苦笑いに見える。弟への親愛すら浮かんでいるように見えた。
「陛下。大義を勤めた我が妻を労ってきてもよろしいですか?」
「勿論だ」
「ありがとう存じます」
爽やかな笑顔を浮かべるなり、レイは私を軽々と抱き上げると、踊るような脚取りで運び去ってしまう。
あっけに取られた人々が、まるで埴輪のような顔をしてぽかんとしていた。
静かな回廊を抜け、幾つも角を曲がり、王宮内の一室に連れて行かれる。
レイがすでに話をしていたのだろう、豪奢な王族用の浴室で、私は丹念に身を清められた。
薬草の浮かぶ香りの良い湯に浸かって深呼吸をしていると、体の力が抜ける。
ふと目を開ければ、レイがこちらを覗き込んでいた。
「ッ……!?」
ばしゃ、と湯に入る私に、レイはくすくすと笑う。
「大丈夫だよ、遮蔽魔法で見てないから。安心して」
「……あの、……なぜあんなことを、皆様の前でしたのですか?」
「あんなことって? ハグして抱き上げて、お風呂に連れてきたこと?」
「そうです。それにここにいらしては……その、……噂が立ちます」
「噂って?」
「それは……」
私は意を決して、夫に向き直った。
裸だからと気にしている場合ではない。
「レイ。私と人前で仲良くしすぎないでください。離婚しにくくなります」
「……離婚?」
穏やかな態度が一転。
冷気が漂うほど冷ややかな眼差しで、レイは私を見た。
「……あの。レイは……そろそろ、私との契約結婚をやめた方が良いのではないでしょうか。私は魔術師団長としてキャリアも積みましたし、とうのたった私を、誰も結婚相手として見ないでしょう。離婚したって仕事は続けられます。だから、レイをこれ以上、愛のない結婚に縛り付けるのは、心苦しくて……」
「好きな男でもできた?」
「私は、そんなことはありません!」
「じゃあなぜ、」
レイが徐にタイに手をかけ、放り投げる。
躊躇いなくがばりと服を脱ぎ、真顔で、湯船に足を入れる。
「あ……レイ……」
「他の男はいない、それは間違いないね?」
「当然です。私の夫は、レイです」
「じゃあなぜ僕と離縁する?」
今までの柔和な態度が嘘のように、レイは鋭い眼光で私を見つめ、じりじりと近づいてくる。後ずさる私の背に、浴槽の端が当たる。
追い詰めた私を前に、レイは前髪をかき上げた。
「……どうして?」
「それは……」
「君の実家――ヘレスカイヤス公爵もお金に困っていないだろう? 妹の女学校進学も良い家庭教師をあてがった。学校生活も楽しくやっている。……やはり男か?」
「あの、レイ……」
「君に浮いた話がないのは知っているよ、君を下卑た目で狙う男は何人もいたけれどね? 君の部隊のアレクは君と二人きりになるために必死だったけれど、西方に飛ばしたから関係ないよね。ジョシュとレオナード、あの辺の連中は君を『わからせ』て自分のものにしようとしていたね? くだらない。君が第三次オーク討伐戦線で首級を45首上げた時にちょうど同じ部隊に入るようにしてやったけど、確かあの時、君の強さに失禁してそのまま退役したはずだ。……マイクとトマスは手の者と結婚させて今は順調みたいだし……うん、やっぱり男関係は違うな」
「あ、あの」
「ならばストレス性の気の迷い? 屋敷では何不自由なく健康的に過ごせるようにしていたはずだ。魔術師塔の居心地も悪くないと思うよ、女性用更衣室の水回りも改築させたし。社交界で君に無理に酒を勧めたあいつも、今は家督を失ったはずだ」
「レイ……?」
「つまり全てを考えても、君が僕と離婚する理由は外部にはない。ストレスもできる限り減らしている。つまり君の内的な理由だね? ――浮気以外の。聞かせてくれるかい、君が僕と離婚したい理由を」
にっこり。
私はこくこく、と頷くしかなかった。
◇◇◇
屋敷に戻って一息ついたところで、私は彼に洗いざらい、負い目に感じていることを打ち明けた。『愛さない』結婚が三年も続いていて申し訳ないこと。政治家としての腕もよく、男性としての魅力もあるレイにはもっと、違う幸せがあるのではないかと思ってしまうことを。
「愛しいと思う人と結婚して、子供を持って……普通の幸せを得なくて良いのですか? 私は……あなたの『愛』への潔癖さに甘えているだけなので……」
「……」
「本当に、『愛さない』生活を続けて良いのですか?」
たっぷりと私の吐露を聞いたのち、彼はあごを撫で「ふむ、」と言う。
「つまり君は、僕に好意を抱いてくれている」
「ッ……そ、うです……」
「そして……僕と性的な関係にないことを後ろめたく思っていると」
「っ……あの…………はい」
「なるほどね……」
彼は溜息をついて、やれやれ、といった風に自らハーブティをお代わりして、飲んだ。そして言った。
「弱ったな。君がそこまで僕のこと気に入ってくれてたなんて」
「……」
「僕は結構我慢してんだよね」
「え」
「君を愛することはないって言ったけど、愛せないとは言ったことはない」
「え」
「むしろ君を愛さないでいることって、結構しんどいんだよね」
「え、ええ」
「ちょっとこんがらがった話でね。君を愛することはないんだけど、愛したくないわけじゃない」
「ええと……」
混乱する私に、彼は気さくな風に笑う。
王弟殿下をしている時とは違う、ただの男としての笑顔だった。
「……ちょっと話そうか、お互い。僕たちは対話が必要だ」
◇◇◇
「結論から言うとね、僕は君に一目惚れしていたんだよ。九歳の君に」
「ずいぶん早いですね」
「君が貴族の子供の交流会で、翼竜に乗って、水魔法を使って虹を作っただろう」
「はい……その虹が思いのほか魔力を帯びすぎて、魔物が襲撃してきた時ですよね」
調子に乗ってしまった黒歴史だ。
あの当時、私は女公爵を志すことも魔術師団長を志すこともない、ただの公爵令嬢だった。
交流会で褒められたくて、隠れて一生懸命勉強して得た召喚魔法を、人々の前で浅ましくも披露してしまったのだ――虹を出す魔法が、第一級魔術師しか行使できない禁忌とも知らずに。
不安定な幼い魔力で発動した魔力に呼び寄せられ、交流会に小型の魔物が集まってしまった。
阿鼻叫喚の中、私は責任をとって、全ての魔物を一網打尽にしたのだ。
あの席に、レイもいたなんて。
レイはうっとりした眼差しで思い出を語る。
「あの時、君が竜の背に乗って杖を振るって魔物たちを一網打尽にした時、その殺気に満ちた眼差しと興奮の笑顔に、僕はゾクゾクしたんだ。この子は普通の子じゃないって」
「……あれはだいぶん両親と教育係に怒られました」
「あはは! だろうね! でもご両親も教育係も君に謝罪するべきだ。君があの能力を見せつけてくれたからこそ、僕は君の才能を愛し、絶対伸ばしたい、君と結婚したい! ……と思ったんだから」
「……そんな前から目をつけられていたんですか、私」
「ああ。だから僕は頑張ったよ。『顔だけの王弟殿下』と侮られる立場を維持しながら、兄を盛り立て権力を握るためにね」
「……ッ」
「魔術師学校試験、君を女だからと書類選考で落とそうとした奴は配置換えした。そして君を正しく厳しく指導し、伸ばしてくれる教師や上司が配置されるようにした」
「そんなこと聞いてません」
「彼らも知らないよ。自分がまさか僕の思惑で人事異動させられたとはね」
「な、なんてことが」
「この話を語るのは、今が初めてさ。君のお父上も知らない。兄は流石に気づいているけどね……けれど、国益としても君の育成には賛成していたから、特に反発はされなかったよ。身内にも結構厳しいからあの人」
「……そう、なのです、ね……」
「君は他の女性魔術師のような後方支援は似合わない。絶対、血肉を浴びる前衛が似合うと思った。敵の血飛沫を浴びている君が、やっぱり一番美しい」
「……………………」
「ふふ、流石にさっきは興奮しちゃって。いきなり抱きしめてごめんね」
「……そんな理由が……」
「あとはまあ、僕が君に夢中だってことをはっきり示したかったしね。ああでも、パーティで侯爵家のボンクラどもをカーテンでいなしていたときも、よかったなあ。ゾクゾクしちゃった。力でも君が負けるわけがないし、僕も見守っていたけれど――まさか僕が手を下す前に、君がカーテンで奴らを一網打尽にしちゃうなんて。ドレス姿の君が汗ひとつかかずに、ぐちゃぐちゃになった奴らを見下ろしたあの冷たい目。最高だった」
「……あの……レイ……」
「前に言ったでしょう? 愛しい優秀な人の足元を固めるのが、僕は好きなんだ」
今までにない饒舌さで、レイはうっとりと私への愛を語り続けた。
ふふ、と熱っぽい吐息を吐き、彼は髪をかき上げる。
「ミレニア。僕は空を舞う君が好きなんだ。誇らしげに魔力を行使し、傷を負うことを厭わず、ギラギラの瞳で魔物を屠る姿が美しくて好きなんだ。強い君が強いまま、颯爽と生きていくのを眺めるのが好き。料理だって……僕が作ったものが君に咀嚼され、君を形成する血肉になるなんてたまらないから、学んだんだ。本当は僕が食べられたいくらいだけどね? ……ふふ、冗談だよ。だから君の翼を折ることになるくらいなら、君を『愛する』ことはない。一生。だから安心して空を舞って」
「レイ……」
「女性にして最強の魔術師団長の君が余計な思惑に足を取られないように、僕は君のためなら君に言えないような手が黒いことだってたくさんしてきた。君の翼が守られるなら、僕はそれだけで満たされる」
「……私は……」
「だから安心して。僕が浮気することなんて永遠にない。だって、僕が愛したいのは、君だけだから。――でも僕が愛することで君が空を飛べなくなるなら、一生愛さないでいられるほど、僕は君を愛してる」
「……あの、私の話も聞いてもらえますか」
「うん、何」
「…………あの。私……あなたをがっかりさせてしまうかもしれませんが」
「うん」
私はそこで、飾り棚に置いてあったシャンパンをとってきて、飲み干したハーブティのグラスに注ぎ、そしてぐいっと煽った。
「えっ、お酒、飲めるのミレニア」
「飲めません」
案の定、ふわふわとと体が熱くなる。
けれどお酒の力でも借りなければ、私は続きを言えなかった。
「私はあなたに愛されたいと願ってます」
「愛してるよ? だから愛さなくていいって」
「……その、そういう愛ではなくて。あなたに愛されるためなら、少しのあいだ……空を降りても、全然嫌じゃないって言ったら、空を飛ぶ私が好きなあなたは、私を愛したくはなくなり……ますか?」
「……え」
彼は目をぱちぱちとする。頬が赤い。
私はもう、恥ずかしくて酔いもちっとも力にならなかった。
「ええと……らめです、ごめんなさい。お酒弱くて。『愛する』『愛さない』が……多すぎて……ちょっと話が分かりにくくなっていふので……ここからは直接的な言葉で言い合ひませんか?」
「呂律大丈夫? 記憶飛んだりしない?」
「大丈夫です。ろれつだけなので」
「……そうだね、ちょっと待ってて」
呂律以外はシャッキリとした私を前に、彼も無言でシャンパンを注ぎ、一息に煽った。
いつもの柔和な笑顔は消え、彼は真顔だった。
――意外と、お酒は強いらしい。
「僕も素面では聞けないと思った。君の口から吐かれる直接的な言葉は他の誰にも聞かせたくない。ついでに朝まで、人払いするけれどいいよね」
「いーと思います。明日はきっと私、二日酔いなので」
「二日酔いくらい魔法で飛ばそう。きっと今夜は人生で大切な話し合いになる」
「好き。大好きです。レイ。すき……」
「うーん……弱ったな。これでは一旦酔い覚ましさせないと何もかも忘れて愛してしまう」
「愛して欲しいんですが、愛さないんじゃないんですか?」
「愛さないことにしておきたかったけど愛さないわけにはいかないなあ、ええと、……ああもう、とにかく君が好きだ、愛してる、ミレニア」
この時の私たちは、どちらもいわゆる『勢い』そのものだった。
彼は私の手を引き、腰を取り、そのまま寝室へと誘った。
そこで行った話は、とてもあけすけでどうしようもなく、彼と私の秘密だ。
ただ言えることは――結論としては、私たちはその日から、正式に夫婦となった。
◇◇◇
「行ってらっしゃい、僕の愛しのミレニア」
「行ってまいります、レイ」
「愛しのってつけてよ」
「……愛しのレイ、行ってきます」
「ふふ、新婚って感じ」
はにかんで、私を遠征に送り出す彼は言った。
「僕は君を『愛する』ことはないよ。もうしばらくはね。君が功績をたっぷり残して、前線復帰を求められるような最強の魔術師団長になるまで」
「早く出世しますね」
「うん、待ってる」
両頬と唇に、軽く口づけをして、私は翼竜に乗って空を舞う。
明け方まで起きていたから、しばらくは竜の背中で眠ろう。
「……愛されてしまったわ……」
まどろみながら、私は呟く。
そして風を受けながら目を閉じる。これから激戦なのだから、寝ないと。風が頬を撫でる心地も、髪を揺らす心地も、まるで彼に撫ぜられているよう。そう感じるのは、私がすっかりに彼のものになってしまったからだろうか。
そういう、愛しかたもあるのだと彼は私に教えてくれた。
◇◇◇
それから数年。
愛されつつ絶妙に愛された結果が出ないように愛された日々を続けながら、各地で歴戦の成果を挙げた私は父から爵位を譲られ女公爵となった。
さらに数年。
今はいったん前線を退き、後輩の育成に力を入れている真っ最中だ。
私を愛さない契約結婚の王弟殿下はもういない。
傍にいるのは、愛情たっぷりに愛してくれる、私の愛しいお婿さんだけだ。
来月、双子を兄に持つ女の子が生まれる。
お読みいただきありがとうございました!
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