第7話 サード ストライク3
保健室を飛び出したぼくは愕然とする。そこはゆめちゃんの言った通りに酷い有り様だった。
校舎の窓ガラスは割れ、廊下や天井には黒い血や肉のカケラみたいなものが飛び散っていた。あたりに散乱した人だったモノの破片からは、ツンと鼻をつく嫌な匂いが立ち上っていた。ぼくは思わず吐きそうになる。
「あの小さなクラゲみたいなのに刺されると、体が膨らんで破裂しちゃうの。すい君も危なかったんだから……」
ゆめちゃんが眉間にシワをよせて言った。
ぼくはうなづいて唇を噛む。
「……メデューサっていうんだ」
「メデューサ? 」
「あかねが……、教えてくれた。あかねはメデューサに……、お、犯されて……、沢山のこ、子供を産まされたんだ……。あかねは嫌がってるのに……、アイツはやめないんだ! ぼくは……、ぼくはただ見てた! あかねがヤられてるのを、ただ見てた……」
ゆめちゃんがフッと息を飲み込む。僅かな間、真剣な眼差しでぼくを見つめていたゆめちゃんは、小さく一度頷いて、それからきっぱりと言った。
「メデューサを、全部、やっつけよう」
ゆめちゃんはぼくの手を強く握って言った。ゆめちゃんの手は氷みたいに冷たかった。
ぼくの心に黒い光が射す……。
頭に選択肢は浮かばない。これはぼくが絶対にやらなければいけない強制イベントだ。
あかねをめちゃくちゃにしたメデューサを1匹残らず殺す。殺し尽くす。奴らをのさばらせてはいけない。メデューサを1匹たりとも生かしておいてはいけないんだ。ぼくが、それをやらなければいけない。今のぼくにはその力がある。
そう思って空魚1号を見た。1号はくるりと空中を旋回してから、ぼくの真横で止まった。
廊下の天井についている白い蛍光灯のところに1匹のメデューサがいた。ぼくはそのメデューサを指差す。1号は素早くメデューサの真横をすり抜けた。
「グバァン! 」
1号が横切った直後にメデューサは破裂した。1号の胸ヒレは4枚に分かれ、羽のそれぞれに弾丸を発射する穴が空いている。そして翼のように伸びるその先端は、刃物みたいにキラリと光っていた。この姿が1号の戦闘モードだ。
ぼくは、ゆめちゃんの手を強く握り返して言った。
「やろう。1匹残らず殺してやる! 」
それからぼくらはメデューサ狩りをした。
目につくメデューサを片端からやっつけていく。
ぼくらは手始めに保健室の隣の教室へ入った。すぐに奴らの姿が目に飛び込んでくる。
黒板の前に1匹。その先の先生の机に1匹。さらに机裏の棚にも1匹。
ぼくは教室にいるメデューサの1匹、1匹をなぞる様に指差していく。
「グバァン! 」
「グバァン!」
「グバァン! 」
1号はぼくのなぞった通りに空中を泳いでメデューサを倒していく。
奴らはまだ赤ちゃんのせいか、脆くて弱かった。姿が半透明で見つけにくいけど、一度居場所が分かれば、メデューサを殺すのは簡単だ。空魚1号と2号に小さなメデューサ達はほとんど抵抗することもなく殺されていく。目無しクラゲは射撃の標的のように造作もなく弾け飛ぶ。簡単に死んでいく。「パン! パン! 」と小気味よく弾けていくメデューサを見ていると、ぼくの心はゾワゾワとした快感で満たされていった。
もっと……、もっと殺してやる……。
指先に力がこもる。
メデューサのいる場所を、空間に線を引くみたいに指差してなぞれば、空魚1号はぼくの指先と繋がっているみたいに、思い通りに空中を泳いでメデューサを破裂させていく。それは指先が空魚の一部になったみたいな感覚だった。指先から見えない糸が伸びていて、1号を思うがままに操っている感じ。
段々、コツを掴んできた。1号はぼくの体の一部だ……。
メデューサは次々に弾けていく。
指先一つで「グバァン!」と小気味よく破裂するメデューサを見ているのが気持ちよかった。
「すい君!! 」
ゆめちゃんが不意に叫んだ。
驚いて振り返ると、ぼくの首筋に3匹のメデューサが迫っていた。もうすぐそこに……。空魚1号は教室の隅のメデューサに向かわせていた。
「間に合わない! 」と思った時、不思議な音がした。
「ルァァァァ……」
その音が響いた瞬間、メデューサは半透明から白い体を実体化させると、空中で小刻みに震えて固まってしまった。
音を出していたのは、ゆめちゃんの空魚2号だった。2号はロケットみたいに尖った鼻先を、平たくて丸い膜に変化させていた。そしてその膜を振動させて音を出していた。その音はまるで歌声のようだった。
ぼくは指先で目の前で痙攣しているメデューサ3匹をサッとなぞる。
1号は素早くぼくのところまで戻ってきて、ぼくがなぞった軌道を泳いだ。
メデューサ達は空中でプルプルと震えて動かない。
「グバァン! グバァン! グバァン! 」
3匹のメデューサが弾けた。
「ゆめちゃん、これは……? 」
一息ついたぼくは、すっかり顔の形が変わった2号を見ながら言った。
「分からない……、けど、すい君が危ないと思ってとっさに……」
ゆめちゃんも驚いていた。
2号の口は平べったく伸びて、まるでスピーカーみたいな形に変わっていた。
「2号の音を浴びるとメデューサは動けなくなるみたいだね……」
「うん……、それに姿もハッキリ見えるようになった……。この音を出していればメデューサを倒しやすくなるね」
「うん! ゆめちゃんありがとう。今のは危なかった……」
「そうだよ、すい君。油断したらダメ」
そう言ってゆめちゃんはメガネを押し上げた。
こうしてぼくらは戦い方を覚えていく。
ゆめちゃんの2号は口から音の波を出して、ソナーのように見えない相手の位置を浮き上がらせる事ができた。2号が口を開けて唄うみたいに音波を出すと、不思議な音が空気を水のように波打たせる。その波に触れたメデューサは実体化した上に体を痙攣させて動きが止まるから、そこを1号が撃ち殺していく。
このやり方を見つけてから、ぼくらさらに効率よくメデューサを駆除していった。
そうだ、これは駆除なんだ。害虫をやっつけいるのと同じだ……。
一体どれだけあかねからメデューサの子供が生まれたのか分からなかったけど….…。もしかしたらあかね以外にもメデューサの子供を産まされた被害者がいるのかも知れない。そう考えた方が自然なくらい、沢山の化け物が校舎中にいた。
奴らを殺しているうちに、ぼくは自分が空魚1号になったみたいな錯覚に落ちていく。まるでぼくの手には機関銃や切れ味鋭い刀が生えていて、それでメデューサを殺しているみたいな気分になった。ぼくは兵器になった。目につく敵を次々殺していく殺人マシーン……。でもそれでいい。今のぼくにはそれが必要だった。
ゆめちゃんの2号がメデューサを炙り出して、ぼくが奴らを殺していく。醜いクラゲは次々に弾け飛んでグチャグチャになった。メデューサが弾けて崩れていく瞬間が快感だった。そうして死んだメデューサは白い塩の塊に変化した。
ぼくらはどんどんメデューサを駆除していった。
けれど……中には、あかねと同じように犯されていたり、または寄生されている人もいた。
高学年の女の子や、大人の女の人は犯されていた。男の人は年齢が高いと寄生されるようだった。寄生された人間は頭の上にメデューサが取り憑いて、耳に深々と触手が刺さっていた。
ぼくは迷った。頭に選択肢が浮かぶ。
1 寄生された人間ごとメデューサを駆除
2 メデューサだけを狙って駆除
3 駆除しない
今のぼくなら1号を上手く操作して、寄生しているメデューサだけを狙うこともできる。
けれど、あかねの最後を思い出す。一度寄生されたら……、助からない。メデューサがダメージを受ければ、寄生された人間もダメージを受ける。一緒に……、殺すしかない。
「ボボボッッ!!! 」
ぼくは選択肢を決めた。
そして空魚1号は機関銃みたいに見えない弾丸を放つ。
ぼくは寄生しているメデューサを宿主ごと撃ち殺していく。犯されている人にも弾丸の雨を浴びせてた。人もメデューサも、みんな次々に弾け飛んでいく……。
やっぱり、これは駆除じゃない。
だってぼくは人を殺している。それも自分の意思で……。でも….…、やっぱり、悪いのは奴らだ。メデューサを生かしてはおけない!
バラバラに弾け飛ぶ人間と、ミンチになっていくクラゲの化け物を見ていると、吐き気と一緒に、頭にあかねの無残な姿が蘇ってきた。それが原動力になってぼくはさらにメデューサを憎み、奴らを殺しまくった。
吐き気はどんどん酷くなった。
そしていつの間にか、空魚1号はひと回り大きく成長していた。ゆめちゃんの2号は、前のまま、大きさは変わっていない。
きっと1号はぼくの怒りや憎しみを吸収して大きくなったんだ。ぼくの成長にあわせて1号も成長する。成長……、つまり大人になっていく事……。けど……、こんな気持ちになる事が大人になる事なの??
ぼくの中の怒りや憎しみは、どんどんしぼんでいった。残ったのはメデューサを倒さなくちゃいけないっていう使命感。それと……、すごく無駄な事をしているような感覚……。
こういうのってなんでいうんだっけ……?
徒労感?
ぼくの目の前では、クラゲの化け物が次々に破裂していく。人間も破裂していく。
目の前では、頭にメデューサを乗せた男の子が逃げていく。男の子は廊下の窓を開けて外に飛び出そうとした。
「ボボッッ!! 」
1号の弾丸が男の子の頭に巻きついたメデューサを貫くと、男の子は窓に掛けた足を滑らせて崩れ落ちた。男の子の頭の先から白い煙が立ち上り、空に吸い込まれていく。
ああ……、今、撃ち殺したのはこの間、ゆめちゃんの噂を聞きつけて、ぼくの家に遊びにきたいって言ってた子だ……。ろくに話したこともなかったけれど、彼の名前はなんだっけ……?
ぼくの目の前で、次々と惨劇が起きる。自分の手で起こしている。
隣にいるゆめちゃんは、唇をギュッと結んで、空魚2号を操っていた。
ゆめちゃんは辺りを警戒しながら、ぼくの手を握った。強く握った。その手は眠い時の赤ちゃんみたいに熱くなっていた。
「すい君……」
わかってる。ゆめちゃんだってこんなことしたく無いんだ。だけど……、メデューサを逃しちゃいけない。これは僕らがやらなきゃいけない事だ。
ゆめちゃんが手を握っていてくれるから頭が冷静になっていく。周りにの景色が鮮明になって、やらなきゃいけない事がハッキリする。ぼくはこの短時間で随分、大人になってしまったみたいだ……。
そして気付いた。メデューサは殺す人間と利用する人間をはっきりと区別していることに。
ぼくにはその理由もすぐにわかった。メデューサは子供を作れる状態に成長した人間を狙っているんだ。だから小さな子供や、ぼくらのように攻撃してくる相手に対しては毒の触手で攻撃して排除しようとする。逆に生殖可能な個体には寄生して支配する。そうして自分達の子供を産ませる。あかねみたいに……。
ぼくらは一階の端っこにある保健室から地図を塗りつぶすみたいにして、一部屋ずつしらみつぶしにしてメデューサを駆逐していった。
そうして3階の1番奥にある音楽室に隠れていた最後のメデューサを倒した時、タイミングよく5時を告げるチャイムが校舎に鳴り響いた。もうこれで校舎の中にメデューサはいないはずだった。
外にはパトカーのサイレンが聞こえる。誰かが通報したんだ……。
終わった。
全てのメデューサを殺したはずだけれど、ぼくの気持ちは全然、晴れなかった。
結局、やるべき事を終えてしまうと、残ったのはぼくがあかねを殺したという事実だけだった。もう2度とあかねは息をしない……。ぼくはあかねの他にも、メデューサに取り憑かれた人間をたくさん殺した。メデューサに寄生された人間が元に戻れるとはとても思えなかったけれど……、それでもぼくが自分の手で人を殺したことに変わりはなかった。ぼくはやってはいけないことをやってしまったんだ……。
横顔にゆめちゃんの視線を感じた。ゆめちゃんはどう思っているんだろう……。
ゆめちゃんは何か言いかけて口を開いたけど、結局、何も言わなかった。ただグッと口をつぐんで空を見上げている。
雨は大分弱まっていた。ゆめちゃんのメガネに雨の滴が伝っている。
「すい君……、帰ろう」
そう言ったゆめちゃんは、またぼくの手を優しく握った。その手は少し暖かくなっていた。
「……うん」
ぼくらは校舎3階の非常口から、外階段を抜けてこっそりと校舎を出た。深いグレーに染まった空から、ぽつぽつと弱い雨が降っている。
どうせならもっと土砂降りだったらと思った。そうしたら泣いているのがバレなかったのに……。
ぼくは我慢しても流れてくる涙を服の袖でゴシゴシ擦る。
隣のゆめちゃんは、わざと明後日の方を向いていた。
……。
……。
家に帰ったぼくらは、ぼんやりと並んで黒いソファーに座った。ゆめちゃんはずっとぼくの手を握ってくれていた。ゆめちゃんの手はつるりとしていて柔らかかった。
「……」
「……」
空魚達は何事もなかったようにスイスイとリビングを泳いでいた。
しばらくしてからゆめちゃんが言った。
「メデューサはどこからきたのかな? 」
「……えっ? 」
「半透明のクラゲって、なんだかわたし達の空魚に似てる気がするの。それにわたし達が空魚に出会ってからすぐにメデューサが現れたでしょう? メデューサは空魚と同じところからやってきたんじゃないかしら? 」
確かにゆめちゃんの言う通りだった。
「多分……、この家の……、あの地下室から出てきたんだと思う」
そう言ったぼくは、地下室の棚にあった空のひょうたんみたいな瓶を思い出した。側面が割れたあの瓶からは、強い塩の匂いがした。あの瓶は本当に空だったんだろうか?
ゆめちゃんはフラフラ部屋の中を泳いでいる空魚2号を指で軽く弾いた。2号は体操選手の鉄棒競技みたいに縦にクルクルと回転した。それからゆめちゃんはぼくの目を覗きこむ。ゆめちゃんのメガネにはぼくの情けない顔が写っていた。
「もしそうだとしても、今日の事はすい君のせいじゃないよ。地下室の扉はひとりでに開いたんだし、外に出てしまったメデューサはわたし達がみんなやっつけたんだから。すい君はやらなきゃいけない事をちゃんとやり遂げたんだよ」
「でも、ゆめちゃん……」
言いかけたぼくをゆめちゃんは抱きしめた。ゆめちゃんの胸に抱かれると体の奥から熱い何かがこみ上げてきて、また泣きそうになる。取り返しがつかない事をしてしまったことを考える。悔やんでも仕方ないけれど……、それでも悔やむ。
あの時、地下室に入らなければ……。地下室で瓶の蓋を開けなければ……。あの朝、あかねの異変にもっと早く気づいていれば……。
これがゲームならセーブポイントに戻ってやり直すのに、人生にはセーブポイントが無かった。つまり人生にやり直しは効かない……。そんな当たり前の事をぼくは今更、実感を持って受け入れた。
色々な想いがぼくの中で渦巻いていた。
でも……。
こんな時なのに、ぼくのちんちんは硬くなってしまう。ゆめちゃんの胸の感触。肌の匂い。無防備にめくれたスカートから覗く太ももにムラムラしてしまう。
ぼくは最低だ……。
「……だしてあげようか? 」
ゆめちゃんは耳元で優しく囁いた。
「えっ!? 」
「それ……、また硬くなってる」
ゆめちゃんがぼくの膨らんだ股間を指差した。
ぼくの頭に選択肢が出るより早く、ゆめちゃんはぼくのズボンをスルスルと脱がした。そしてすっかり勃起しているぼくのちんちんをそっと握った。
外ではシトシトと弱い雨が降り続いていた。その時のぼくには雨音がやけにくっきりと聞こえた。
「やったことないから、あんまりうまくできないかも知れないけど……」
メガネに光が反射して、ゆめちゃんの瞳は見えなかったけど、耳まで真っ赤になっていた。それからゆめちゃんはぼくのちんちんにそっと口をつけた。