2:運営からの荷物
宙に浮くような、無重力のような感じ。
リーフ――泉一花はゲームから現実に意識が戻るときを、そんな風に感じる。夢から覚める、そう言ってもいいかもしれない。間違いなく、一花にとって『シュピルアーツ』は楽しい夢のような世界だから。
装着していたVRを取り、ぐっと背伸びをする。
ゲームをプレイしているときはベッドで寝ているため、体が凝ってしまう。かといって、頭にVRヘッドを装着しているので思うように寝返りを打つこともできない。一度、うっかり寝返りをしてコードを抜いて強制ログアウトして目覚めた前科があるのだ。
(そう、あのときは最悪だった!)
まさにフィールドボスを倒す! という瞬間でのブラックアウト。しかも一花は攻撃の要だったため、いないだけでパーティのバランスが崩れてしまう。
幸いにも、ボスの残りHPがあと少しだったため倒すことができたらしいが……この話は以降ことあるごとにネタにされた。それからは、動かないように体の両サイドにクッションを置いている。
一花がベッドから降りると、階下から「手伝ってくれる~?」という母親の声が聞こえてきた。それに返事をして、ゆったりした部屋着からジーパンとパーカーに着替える。
泉一花は、神奈川で暮らすパティシエの専門学生だ。
家族は両親と兄と弟がいるが、兄は社会人になって家を出ている。そのため、現在は四人暮らし。
両親は家の一階を改装し、洋菓子店をしている。
一花がパティシエを目指すのも、両親の影響が大きい。なんといっても、美味しいお菓子がいつでも家にあるし、新作の味見だって何度もしてきた。特に絶品なのは、『リーフパイ』だ。
リーフパイというと長細いイメージがあるかもしれないが、両親の作るものは丸みがあって可愛らしい。そして一口目のさくっという音が、たまらないのだ。
プレイヤーネームの『リーフ』は、『リーフパイ』のリーフだったりする。
一花としては、キャラクターネームをつけるのに何時間もうだうだするのは性に合わないし、好きな食べ物の名前をつけている人も多い。
一花は机の上に置いておいたリーフパイを口に放り込んで、店の手伝いをしに階段を下りた。
***
朝起きて、店の仕込みの手伝い。その後は朝ご飯を食べて専門学校へ通う。それが一花のルーティンだ。
しかし今まで、いや、一年前からはそれに夜は『シュピルアーツ』をプレイするというのが加わっていた。
リビングのソファに座りながら、一花はスマートフォンの画面を見る。
クローズドβテストが終わってから一ヶ月弱、さすがにそろそろ続報がほしい。というのも、クローズドβテストが終わっても、今までに一切なんの発表もされていないのだ。
よくあるネットゲームであれば、すぐにオープンβテストが始まるか、詳細が出るはずなのに。『シュピルアーツ』には、それらがまったくなかった。
いつまでこんな日々が続くのだろう?
『シュピルアーツ』がしたくて干からびてしまいそうだ。一花やほかのクローズドβテストプレイヤーがそんなことを考えていたからか、たまたまタイミングがよかったのか――いや、ここ最近はずっと『シュピルアーツ』のことを考えていたから、必然だったのかもしれない。
家のチャイムが鳴った。
「……宅配便かな?」
ソファから立ち上がってインターホンを出ると、予想通り宅配便の人が「お荷物のおとどけです!」と笑顔で告げた。
近所の人は家ではなく店へ行くので、訪ねてくる人は宅配便か何かの勧誘や押し売りがほとんどだ。
「はーい、お待たせしまし……た?」
「えーっと、株式会社コスモスブルーさんからのお荷物ですね」
「…………はい?」
一花の目が点になってしまったのを、許してほしい。
玄関を開けて、そこにいたのは宅配便にお兄さん。別にそれは普通で、いつも来てくれるドライバーの人だから一花も顔は覚えている。
しかし問題はその荷物の大きさと、何より――送り主。『コスモスブルー』とは、『シュピルアーツ』を運営している会社だ。
戸惑う一花を見た宅配便のお兄さんは、「大きいですよね~」とのんきに笑う。
――確かに大きい。
その大きさは、一花の身長よりもある。しかも、それが二個口になっているのだからいったい何が入っているの? と、動揺し――いや、わくわくしてしまった。
「依頼元から、オプションで設置する部屋まで運ぶっていうのを頼まれてるんですけど……どうしましょう?」
「じゃあ……私の部屋にお願いしたいです。二階なんですけど、大丈夫ですか?」
「はい! 鍛えてるんで、これくらい余裕ですよ」
割と軽々持ち上げている様子を見て、一花は何となく自分の腕を見る。日ごろから小麦粉の袋など重たいものを持ってはいるが、もう少し鍛えようかな……そう思った。
「ありがとうございましたー!」
宅配便のお兄さんを見送って、一花はさっそく段ボールを開けてみる。
一つ目に入っていたのは、黒光りしているパーツだ。しかしその長さは、軽く一八〇センチメートルを超えている。それがいくつか入っているだけで、説明書のようなものはない。
二つ目に入っていたのは、こまごまとした部品類と、おそらく一番下の土台になるパーツ。そして冊子。
表紙には、『ようこそ、シュピルアーツの世界へ!』と書かれている。下部にはコスモスのイラストと、一花が一番乗りした世界樹が描かれていて懐かしさを感じた。
一ページ目をめくると、スケジュールが書かれていた。クローズドβテストの期間と、正式リリース日。
どうやら、オープンβテストはないらしい。
「正式リリースは……一〇日後!?」
こんなの、驚かずにはいられない。
さらに冊子を読み進めると、届けられた荷物のことや、『シュピルアーツ』のことが書かれている。
冊子によると、一花は選ばれしプレイヤーのようだ。
というのも、リリースしたからといって誰もがすぐに『シュピルアーツ』をプレイできるわけではないらしい。
クローズドβテストに五千万人の応募があったのだから、それも当然だろう。当選者のうちの何人かは、毎日のようにプレイの様子を配信していた。それにより、世界中の期待はかなり高まっていたのだ。
リリース後すぐにプレイできるのは、クローズドβテストをプレイしていたプレイヤー五〇〇〇人と、新規プレイヤー五〇〇〇人の合計一万人。
βテスターは、ランキングで選ばれたようだ。総合ランキングにはじまり、職業ランキング、種族ランキング、スキルランキング、ログイン時間ランキング……などなど。いろいろな側面からランク付けをし、ようは――ゲームを自分なりにもう一つの世界と捉えていた人が選ばれていたように思える。
クローズドβテスト中に〈世界樹〉まで到達したのは一花だけだし、おそらくほかにも一番にボスを倒した人や、率先してフィールドの開拓をした人なども含まれるだろう。ただ、そういった人たちはみんなランキング上位者だけれど。
読み進めると、『シュピルアーツ』の簡単な説明が書かれていた。とはいえ、一年間プレイした一花にとっては馴染のものばかり。
そのあとは、荷物の説明ページが続いているだけだった。
「つまり……これを組み立てなきゃいけない、ってことだ」
説明によると、これは最新のフルダイブ機械のようだ。全身すっぽり入ることができて、脳に始まり体のすべてを管理してくれると書かれている。それにより、ゲーム内で味覚なども感じることができるのだという。
(味覚って、ちょっと嘘くさい)
もし本当なら、『シュピルアーツ』の世界にしかない創造された食材はいったいどんな味がするのだろ。
「それは……食べてみたい! どうせなら、リーフパイがあってもいいなぁ」
なんてことも考えてしまう。
「とりあえず、頑張って組み立てますか!」