謎の少女
窓から入ってくる光が眩しい。カーテンを閉め忘れたのかダイレクトに顔に当たってくる。
「……もう朝か…ってうわあああああああああああ!!!!」
目蓋を持ち上げた瞬間少女の顔が目の前にあった。飛び起きたせいでおでこ同士がぶつかりゴッと重たい音が響く。
「いっ……ごめん!大丈夫!?本当ごめん!!」
少女は蹲りながらジトッとした目線を向けてきた。痛かったのか額を押さえている。
「ごめんねほんと……おでこ見せてくれるかな…。うん、とりあえず大丈夫そうだね。」
そもそもこの少女は誰だ、と寝起きの頭でぼんやり考えていたが徐々に昨日のことを思い出す。
そうだ昨日、見かけた人影を追いかけようとした時にこの少女と出会ったのだ。僕以外に人がいることに物凄く安堵したが、盛大に転んだところを見られたのかと恥ずかしくなり
「もう6時も過ぎたし危ないから気をつけて家に帰ってね」
なんて早口で伝えた後、そそくさと退散しようとした。が、服をくいと掴まれ、そのまま家まで一緒に帰ってきてしまったようだ。その後の記憶がないが服装も昨日のままなので、どうやら僕は帰ってきた後そのままリビングで眠ってしまったらしい。やらかした、これは一大事だ。
「ねえもしかして僕、君を放っておいて寝てた?」
「…………。」
少女は何も答えない。
「昨日、夜ごはん食べた?体調は大丈夫?」
「…………。」
「…………。」
「…………。」
「……あーとりあえず朝ごはん用意するからちょっと待っててね」
「…………。」
うんともすんとも返ってこないどころか表情すら全く変わらない。どうしていいかわからず理由をつけて会話を切った。とりあえずこのままでは誘拐犯になってしまいそうだ。朝ごはんを食べたら少女を連れて交番へ行ってみることにしよう。
「自炊なんかほぼしないからなあ……確か菓子パンと納豆が……あれなんか野菜入ってる。ねえ……うわっ」
自炊しないのに冷蔵庫には買った覚えのない卵や使いかけの野菜が少し入っていて、少女に聞こうと振り返ると、いつの間にか真後ろに立っていた。
「ねえお嬢さん、びっくりするからもう少し視界に入るところに……じゃなくて。この野菜とか卵、もしかして君が?」
「…………。」
少女はじっと僕を見つめるだけで何も言わない。ふと炊飯器から一定で機械音がすることに気づいた。目を向けると保温状態になっている。まさかと思い蓋を開けてみたら、2杯分はよそえそうな量が余っていた。もちろん自分で炊いた覚えはない。
「お嬢さんもしかして昨日の夜、ご飯炊いたの?……いやあ良かった!何も食べてないんじゃないかと思って心配してたよ!」
もちろん返事は無くこちらを見ているだけだったが、少女が準備して食べたのだろうと思うことにした。そうでなければ何者かが勝手に家に侵入したことになる。怖すぎる。
「準備するから、この椅子に座ってちょっと待っててね」
椅子の方に視線を寄越して伝えるが、少女はこちらを見たまま動かない。
もしかして意味が通じてないのかと思い、椅子を引きながらちょいちょいと手招きしてみる。
「こっちにおいで……そうそう、そうしたらここに座って……あ、座るってこういうことね」
こちらへは来てくれたが、座るという意味がわからないのか椅子のそばに立ったまま見つめ続けるので、隣の椅子に座って見せた。僕と椅子を交互に見て同じように腰掛けた。なんとか理解してくれたようだ。
冷蔵庫にあったミニトマトのヘタを取り、レタスを洗って大雑把に手で千切って皿に載せ、ドレッシングをかける。納豆を生卵と混ぜ、ご飯の上に乗せた。料理スキルを身につけておけば良かったと少し後悔しながら食卓に並べる。
「はい、どうぞ。これスプーンとフォーク」
箸は無理だろうと思い、スプーンとフォークを渡す。案の定使い方が分からないのか、スプーンの丸いところをさわさわと触っている。
「こうやって持って掬って食べるんだよ。フォークの方は……ほら、こうやって刺してみて」
理解は早いようで、そろりと真似して食べ始めてくれた。少しぎこちないが、黙々と食べ続けているので味は悪くなかったようだ。まあどれも素材そのままなので僕の力量は関係ないのだが。
「お嬢さん、食べ終わったら一緒に交番に行ってみよう。ちょっと部屋の確認をするから、そのままゆっくり食べててね。ああ、すぐ隣の部屋に行くだけだから安心して!そこから見えるとこだからさ」
ささっと食べて状況を確認するためにリビングへ行く。あれから1日経ち、一人ではないこともあり冷静になれた。窓の外を眺めてみるがやはり昨日と同じく人の姿は無い。
テレビをつけてみるがどのチャンネルも真っ黒だ。音量を上げても無音、暗闇の中に時々ニュースらしき番組が一瞬波のように映ったりするが、判断できるほど鮮明には映らなかった。
電話の受話器を取って耳に当ててみる。こちらも無音だ。回線を繋ぎ直してみても、ボタンを押しても反応することは一度もなかった。
「テレビも電話もダメか……ん?」
ふと電話のディスプレイを見て気づいた、時間は出ているのに日付がでていなかったのだ。壁に目を向けると、カレンダーは写真だけで日付部分は空白になっている。そういえば今日は何年の何月何日だったか全く思い出せない。
溜まっている新聞や雑誌の発行日を見てみる。やはり日付の部分はすべて空白になっていた。
新聞は毎朝読んでいたので、内容を見れば大まかな月日くらいは分かるはずなのだが、不思議なことにいくら読んでも一切頭に入ってこない。読んだそばからスウッと頭から抜けていくのだ。
「どういう事だ……?そうだ携帯は、」
携帯を確認しようとポケットに手を入れて気づいたが、携帯が無くなっていた。山に行った時からずっとポケットに入れていたはずだ。もしかして転んだ時に落としてしまったのだろうか。
昨日は昨日でこの異常事態に混乱を極めていて、詳しく覚えていなかった。
「あああもう、馬鹿か僕は!」
今更嘆いても仕様が無い。とりあえず思い出せるまで昨日を1日として考えようと、カレンダーの日付があったところに1、2と書き込んだ。
ご飯を食べ終えたのか少女が隣に立った。書き込んだカレンダーを見つめている。
「……どこにも日付が書いていないんだ。僕も思い出せなくて……今日が何日か分かる?」
少女はこちらをチラと見ただけでカレンダーに目線を戻し何も言わなかった。
……もしかして人間だけじゃなくて「年」の概念まで消えてしまったのだろうか。日付が思い出せないあたり、何かしらの異常が僕自身にも起きてるのは確かである。寧ろ、消されたのが「年」だけで体が消されなかったのは幸運なのかもしれない。
「…………とりあえず、交番、一緒に行ってみようか」
考えるだけでは何も始まらないので、少女に声をかけ、菓子パンとお茶をカバンに入れて一緒に玄関へ向かう。
というかこの少女は一体どこの子供なのか。見た目は小学生になるかならないかくらいだと思うのだが、それにしてはあまりにも無知ではないだろうか。しかも言葉が返ってこないどころか表情すらほとんど変わらないので能面のようである。
……この少女は人間だよな?なんて変なことを考えてしまう。
もし、人間じゃなかったらどうしよう。幽霊だったらどうしよう、……触ると死人のように冷たかったりしたら。
そんなことを考えつつ、少女の前に手のひらを差し出す。緊張で少し指先が震えていたが、一度ギュッと強く握り込んで無理やり抑えた。
僕の顔と手のひらを、少女は交互に見続けていた。
怖がらせないよう笑顔を作り、意図が伝わるようにと少女の左手を指差して、もう一度ゆっくりと手のひらを少女へ向ける。
しばらくこちらを見続けていた少女だったが、戸惑いつつもそっと手を重ねてきた。
おずおずと触れてきたその手はとても温かかった。