テンペスト④
古い父親と、新しい父
ボクは死んだ……。
首を斬られ、肉体と切り離され、死んだ……はずだ。
だけど意識はある。痛みは多少感じているけれど、首だけになったボクがのたうち回るほどではない。首を斬られて死んだ人の感覚なんて分からないし、知ったら終いの類だけれど、確実に体とは分離されている。なのに、何でボクは生きている? 感覚が生きている?
頭のなくなったボクの体は、勇ましくもあの化け物に立ち向かうよう、ファイティングポーズをとる。倒れることもなく、斬られた首からは血すら流れておらず、まるで生きているかのように……。
ボクはゾンビ、もしくはデュラハンになったのか? デュラハンとは首なし騎士のことで、そんなカッコいいものではない。ただ首なしの体は、重たい頭がなくなったことで動きが素早く、また化け物は図体がでかいためか、動きは緩慢で、また攻撃する前の予備動作がやたらと大きい。軽量級ボクサーの戦い方は『蝶のように舞い、鉢のように刺す』であり、それを身軽な肉体は可能とする。
さらに、頭が切り離されていることで、ボクシングのセコンドのように、客観視できるのも大きいかもしれない。化け物の動きを冷静に見極め、戦略を立てやすい面もある。化け物の周りを素早く動き回り、顔に細かいジャブを当てる。体格差もあって一撃では倒せないので、相手の体力をじりじりとけずっていく戦い方だ。これも一人二役だからこそできることで、セコンドから「ボディー、ボディー」と指示しなくても、体が動いてくれる形だ。
頭が乗っているとやはり目線が近い分、恐怖心も湧いて、冷静な判断ができなくなるかもしれない。でも自分が攻撃されている実感もないので、それも有利だ。まるで格闘ゲームをしている感覚であり、入力さえ間違えなければ、このままK.O.まで行けそうな感じだ。
そんな不利を悟ったのか、堪らず化け物も逃げだしていった。
撃退した……でも……。
首もなく立ちすくむボクの肉体と、道路に転がったボクの頭。これを生きている、と言えるのだろうか……。このまま、デュラハンとして生きていくしかないのだろうか……。
そのとき、ボクの頭が背後からひょいっともち上げられた。え、誰ッ⁈ 慌てるけれど、逆にそうなると肉体が慌てふためくのを見つめる、といった歪な形にしかならないことを知った。背後で頭をもち上げた誰かが、くるりとボクの頭を反転させたとき、ボクは驚愕して叫んだ。
「だ、誰⁈」
そこには白髪の、マントを羽織った初老の紳士然とした男がいた。
「初めまして。私は、ミランダの父です」
ミランダ……百合のお父さん……そして魔法使いだ。
「もしかして、あなたがボクを助けてくれた?」
「助けた? くくく……助けられたのは、私の方ですよ」
ボクの頭を両手で抱え上げると、戸惑って慌てふためいているボクの首なしの体に近づくと、そっと元の位置に置く。するとまるで斬られていないかのように、きれいに首がくっついてしまう。
「これも魔法……じゃないんですか?」
「ミランダから聞いていませんか? 私は魔法使いとされますが、魔法はつかえないんですよ」
そういえば、百合はそんな設定を語っていた。魔法をつかえるのはあくまで魔物である、と……。「じゃあ、今のは?」
「あなたの魔法ですよ」
「……え? 生憎と、ボクはふつうの人間ですけど……」
「彼女は語っていたでしょう? 『お父さんが魔法使い』だって。彼女の父になったあなたは、魔法使いになったんですよ」
「えっと……、あなたが魔法使いなのでしょう?」
「私も魔法使いですよ。あの娘が、私のことを父とする限りは……」
「待ってください。彼女の語ったことが、その通りになるということですか?」
「私はそう考えています。あの娘は、自分で語った言葉を真実にする力がある。いわば〝言霊使い〟なのです。彼女が『父親は魔法使い』といえば、それが真実となる。私も然り、あなたも然りです」
「真の魔法使いは、彼女だ……と?」
「言霊をあつかう者を、魔法使いとするならそうでしょう。私にも、何であの娘がそんな力を得たのか? まるで分かりません。ただ、二つ返事で彼女を預かることを承諾してから、私の人生は一変してしまいました。彼女を社会にだしてはいけない。世間から隔離しておかねば……と」
「幽閉って、もしかして自分から身を隠した?」
ミランダの父は頷く。「先ほどあなたを襲ったのは、彼女の生みだした魔物です。私が魔法使いとして物足りないから、彼女がうみだした。そして魔物が魔法を使えるように設定し直した。でも、そうした設定にも厭きてきたのでしょう。自ら出て行ってしまったのです。自分で魔物に嵐をおこすよう命じ、私がつくった防壁を超えていきました。今日まで、ずっと探していたのですよ。そしてあなたが、彼女の父になってくれた、と知った次第です」
そういって、ミランダの父は肩を落とす。なるほど、事情が分かってきた。
この父親が、言霊つかいである百合を社会から隔離するために、幽閉したのだ。しかしその父親が、彼女の望むような魔法使いではなく、その設定にも厭きて、嵐を起こしてその幽閉状態から脱出し、杏と出逢った……。
分かったけれど、ボクには分からなかった。
「あなたは、彼女の本当の父親ではないんですか?」
「私は預かっただけです。真の父親が誰かは、私にも分かりません」
「あなたは、彼女をとりもどそうと?」
「とんでもない。むしろ、私はあなたのような保護者が現れてくれたので、彼女をお任せしたいと思っています。先ほど魔物をけしかけたのも、あなたの力を試したまでのこと。魔法使いとしてあなたが覚醒しているのなら、もう父としても任せても大丈夫でしょう。心置きなく、あなたに委ねられます」
「なるほど……。彼女があなたのことを、魔法使いといった理由が分かった気がしますよ。あなたは父になったけれど、父親になったわけじゃない。だから彼女は、あなたのことを不思議な人、という意味で『魔法使い』と呼んだのでしょう。自分が言霊使いであるとも知らずに……」
ボクの言葉にトゲがあることに気づいたのだろう。ミランダの父は、不快そうに眉根を寄せて「私が……不思議な人?」
「あなたとのことを、彼女は『あまり交流がない』と言っていた。父を名乗りながら娘に関心をもたないあなたを、彼女は『魔法使い』だと思った。その結果、そうなってしまった、ということでしょう。何であなたが、彼女のことを預かったのかは知りませんが、預かるべきではなかった。愛情ももてず、距離を置いてしまったあなたには、父親の資格はありません」
「くくく……。それでも結構ですよ。私はお金をもらって、あの子を預かっただけですから。あなたがその役割をうけもってくれるなら、私としては好都合、勿論、お金は払いませんよ。もう、もらったお金はすべて使い切ってしまいましたから。誰かが育ててくれるなら御の字です」
恐らく、殺すことも考えたのだろう。でも、言霊使いである彼女を、いくら魔法使いの設定にされたとはいえ、この父親では殺すこともできない。彼女のことを幽閉したのも、きっと社会の迷惑を考えてのことではなく、自分に害がふりかかるのを恐れたのだ。
「お金なんて結構です。あなたに預けておくことはできない。それだけはハッキリと分かりましたから。最後に一つ、聞いていいですか?」
「何でしょう?」
「彼女は、あなたが弟に幽閉されて、それから逃れるために嵐を起こした、といっていましたが、その話は……?」
「弟? あぁ、そういう言い方にしたのかもしれませんが、彼女を幽閉した、街にでられない理由を、そうこじつけただけですよ」
なるほど、でも……。百合は、嵐を起こしたのは通りかかったグループが幽閉した人たちで、それに仕返しするためだ、と言っていた。彼女は一体、何をみて、何に対してそう思ったのだろう……?
「あなたは、彼女のことを『結婚させようとしている』と言っていましたが、それは本当ですか?」
「幸せに結婚して出て行ってくれるのなら、父としての存在からは、切り離せるとおもっていましたからね。ただ出て行くというのなら、私の父としての属性は、残ったまま……。私がああした魔物たちに囲まれ、望まぬ状態をつづけることになってしまいますからね」
「父親という存在から、義父へと責任を転嫁させるつもりだった……ということですか。ますます、彼女をあなたに返すこともできなくなりました。ボクが育てますよ、責任をもって」
ボクは自転車に跨った。背後から、ミランダの父親の「この荒々しい魔法の力を、今日限り捨てよう!」という高らかな言葉と、高笑いが聞こえてくる。無責任……そう表現することもできるだろう。これは言っても詮無いこと。ボクはその高笑いが聞こえなくなるまで、必死で漕ぎ続けた。
アパートのドアを開けると、右のカウンターパンチが飛んできた。毎回、こうして殴られてくらくらするのも、父の役目なのだろうか……。
「イタタ……。何するんだ!?」
「遅い! 何時だと思っているの!」
百合はそういって、時計をさす。化け物に襲われたり、彼女の父親と話していたりして、いつの間にか十一時を過ぎていた。
「悪かったよ。夕飯を……あ」
襲われたとき、タッパーの入ったリュックを放りだす形になったので、中はぐちゃぐちゃだった。
「ちょ、ちょっと盛り付け直すから、待っていて」
「乙女に、こんな時間に食事をさせて、太ったらどうするの? どう責任をとってくれるのよ!」
「百合は太るタイプじゃないだろ? これまでだって、結構食べているのに全然太らないし……」
「育ち盛りだから! むしろ食べ過ぎたいタイプだから! それに、これから胸だって大きくなるから!」
「いや、そこはまだ全然……」
ふたたび右のストレートが、ボクの頬を襲っていた。
夕飯を食べ終えると、やっと百合はイライラから解消された様子で、満足げに横になっている。
「食べた後、すぐ横になると牛になるぞ」
「も~」
「鳴き声が牛になる前に、胸を牛並にしないと……痛い、痛い」
横になったまま、ローキックを入れてくる。六畳一間ではからかうと反撃を入れられる、という覚悟をもってすることが必要となる。
「百合は、前の世界にもどりたい、と思っている?」
「え~……。別にぃ~」
もし帰りたい、といったら、あの父親のところに返さないといけない……。それは彼女にとって、幸せなのだろうか? 彼女は恐らく、あの男を実の親と信じているのだろう。幽閉されたことで、言霊使いなんてものになったのか、それともそうだったから幽閉されたのか……。でも、貧乳いじりをしたからといって、巨乳になることもないのだから、言霊使いといっても大したことない。ボクが不死身になったのだって笑い飛ばせるぐらいだ。
「百合がいたいなら、いつまでもここにいていいからね」
「どしたの? 遅くなった懺悔? 謝罪するならお布施の形で❤」
そういって、両手をさしだしてくる。
「バイト代が入っても、生活費でカツカツだから。今度買ってあげると約束した、漫画やラノベで我慢しなさい」
そう言いながら、中学に通いだしたら、買い食いすることも考えて、お小遣いも必要だろうと考えていた。お金の使い方も教えてはきたけれど、欲望のまま、使い過ぎないように、色々と考えないといけない。
色々と……。分かったこともあるけれど、まだ分からない部分を解消しておかないといけない。そう、杏に尋ねてみる必要を感じていた。
以下、メールのやりとり。
『杏はどこまで知っていたの?』
『彼女と話して、すぐにピンときた。彼女自身が魔女だ、と』
本当にすぐ気づいたのだろうか? だとすれば、何を話したのだろう?
『杏も嵐に巻きこまれたから?』
『それもある。でも、彼女の言葉にぴりぴりきた』
ぴりぴり……杏も魔法の影響でもうけたのか? むしろ杏が魔法をつかえる、魔法使いにも思えてくる。
『彼女は言霊使い?』
『どうかしら? 言葉を実現してしまう、という意味ではそうだけれど……。アナタも魔法使いになったのでしょう?』
『魔法使いというか、不死身になったよ』
『不死身じゃない。多分、死なないってだけ』
同じことじゃないんのだろうか? ただ、杏の中で、それは明確に区別されるもののようだ。
『もしかして、それを百合が望んだ?』
『彼女にとって父は強い存在。小さい子が、大人がすることをみて、感じるように魔法使い、と定義した。兄ではダメ。近い存在だし、それは魔法使いほどの力をもつものとなり得ない〟
五歳差なのに、ボクを父にしたかった理由も分かった。
『父と、父親はちがうの?』
『全然ちがう。アナタは父にはなれるけれど、父親にはなれない。だって、親じゃないもの』
『それだけ?』
『〝父〟という漢字は、斧を手にした象形文字。アナタは彼女の武器になった。彼女を守る力になった』
杏がボクに百合を押し付けてきたときの言葉が、やっと分かった。「守って」の後で「父になって」と続けたのも、ボクが彼女を守るための力、武器になることを求めたものだったのだ。
杏がどこまで最初から想定していたか分からないけれど、状況をつたえても驚いていない点をみても、予想はついていたはずだ。むしろ、誘導された感すらある。
あれ以来、杏には会えていないけれど、それすら何か理由があるのかもしれない。無鉄砲で、唯我独尊ではあるけれど、理屈に合わないことはしないだけに、今後もまたトラブルに巻きこまれるかもしれない。
……否、もう巻きこまれているじゃないか。
「ちゃんと制服の下はインナーを着なさい!」
「ぶ~、ぶ~」そういうと、中学校の制服を脱いで全裸になった。
「またパンツも穿いてない! 学校に行くときは、下着をちゃんとつけなさい!」
こんなやりとりを毎朝、かわしている。ボクにとって子育ては分からないことだらけで、彼女が現れてから、ボクは嵐のような日々を過ごしているのであった。