愛してくれたはず【他者視点】1
彼女がいなくなってから。
時間なんて良く分からないのに、季節はいつの間にか変わっていく。
「エドヴァルド様、湖に行きませんか?」
まるで生粋の高位貴族の令嬢のように。今はいない彼女のように。
マーガレット=テスカットラ嬢が笑みを浮かべた。
「湖?」
「えぇ。兄が教えてくれたのです。保養地に素敵な場所があるのですって。まだ私は行ったことが無くて。行ってきたらどうだと、父も勧めてくれますの」
嬉しそうにはにかんで話す。
エドヴァルドはボゥっとその表情と仕草を見つめてから、正気を取り戻すように、表情を作って笑った。
「そう」
「そこで、あの、お返事を、正式に決めていただきたくて」
チラッと、マーガレット嬢本来の表情を覗かせる。
目の前にいるのは、かつての婚約者とは別人だと、教えるように。
「・・・返事なんて、決まっているよ」
「まぁ」
彼女と同じ口調と態度。
学園の授業後のお茶の時間。
口を挟まずに、傍に、ジェイク=テスカットラが同席している。
エドヴァルドは自分に教えるように、理由を口に出した。
「きみは、もう、テスカットラ家の養女だ。政略結婚だと、承知しているよ」
穏やかな声に、マーガレット=テスカットラ嬢はクスクスと、可愛らしく苦笑した。
「ジェイクお兄様、席を外していただけませんか?」
「ん?」
隣、マーガレット嬢の呼びかけに彼女の義理の兄となったジェイクがふと柔らかな表情を返す。
「エドヴァルド様と2人きりでお話したいのです。私の恋を応援してくださるのでしょう?」
「勿論だ。・・・というわけで、エドヴァルド様。妹があなたとの時間を希望しているので、邪魔な兄は席を外させていただきます」
「同席でも僕は構わないよ? きみは僕の義理の兄になる人だ」
「いいえ。夫婦となる2人の邪魔などできない」
ジェイク=テスカットラが苦笑して見せて、席を立ち離れていった。
向こう、いつもいる、エドヴァルドとも親しい者たちの席に混じるようだ。
歪な関係だな、とエドヴァルドは思った。
彼らのほとんどが、マーガレット嬢を欲しがっているのに。
マーガレット嬢を誰が手に入れるのか。そう考えざるを得なくなった彼らは、彼らより別格、王族であるエドヴァルドならば納得できる、と結託した。
それに、マーガレット嬢自身がエドヴァルドを欲しがっている。
彼らは友人同士だが、あらゆる意味で競合関係でもある。
エドヴァルド以外に負けたくないのだ。
とはいえ、その中で、ジェイク=テスカットラは突出した勝利を手に入れた。義理の兄と妹という特別な関係になったのだから。
夫婦よりも強い絆かもしれない。夫婦より永続的だから。きっと生涯、マーガレット嬢を支えていく。
「エドヴァルド様。政略結婚とおっしゃいますが」
マーガレット嬢が、少し悲しそうに笑みを作って訴えだした。
計算されたその表情と発言が、嫌だ。
でも。
「私は、アリア様が言わなかったであろう気持ちを、エドヴァルド様に伝えることができますわ。偽りなく」
「・・・ありがとう」
こうなってみてエドヴァルドは痛感する。
かつての婚約者は、決して自分に『愛している』と言わなかった。何をしても、『ありがとうございます』としか、言わなかった。
その言葉だけでも、一生懸命求めたけれど。
「あなたが好きです。本当です。エドヴァルド様に思うところがあるのは、よく分かっています。でも」
うん。
きっと、全てきみの言う通りだよ、マーガレット嬢。
エドヴァルドは目を伏せる。穏やかに笑みを浮かべて見せながら。
「エドヴァルド様は、結婚してから、アリア様の心を掴もうと考えておられましたわ。アリア様にとっては政略結婚でしたもの」
うん。そうだね。
マーガレット嬢がじっと自分を見つめているのが分かる。彼女は確かにエドヴァルドこそを欲している。
「だから、証明してみましょう。私とエドヴァルド様で。政略でも愛し合い幸せになれるって。アリア様に願っていて、叶えたかった事を、エドヴァルド様自身が、可能だったと証明するのです。立場が逆になった、今だから」
どうして。泣きそうな気分になってしまう。
真似できない。
相手が自分以外を忘れられないと知っていてなお、真正面に自分の方を向かせる。己が正しいと強さを持って。
それとも、自分もこうだったのだろうか。
エドヴァルドは気持ちを落ち着かせるために、カップに口をつけた。
マーガレット嬢も気づいて、同じようにする。エドヴァルドの気持ちに合わせている。
きみは、どうして僕が好きなんだろう。
聞こうかと思うのを、取りやめる。
彼女への問いは、全て以前のエドヴァルドにも当てはまる。アリア=テスカットラ嬢も、きっとエドヴァルドに聞きたかったに違いない。
そして、気持ちが無い相手を受け入れなくてはならない状況に、彼女がどのようにエドヴァルドを思っていたか、分かってしまう。
そしてまた、皮肉なことに。今のマーガレット嬢の気持ちさえも。
なぜなら、マーガレット嬢は、かつての自分の立場だから。
「きみは、すごいね。マーガレット嬢」
エドヴァルドは褒めた。
「僕の命を助けてくれた。あの時は打算なく必死で。きみは聖女なのだと思った。人を助けることができる」
エドヴァルドは、あの瞬間、好きな相手を、目の前で連れて行く男を、どうしても許せなかった。明確に殺意を抱き、攻撃してしまった。
そのせいで、きっと殺してしまったのだ。彼女までも。
あの時、自分があんな凶行に出なければ。計画通り、彼女の幸せを祈り、見送っていれば。
彼女は、襲撃に巻き込まれず、無事に逃げられたかもしれない。あの男は護衛代わりだったから。
エドヴァルドも、己の殺意の実行に呆然としなければ。隙も生まれなかったはず。襲われたとしてもすぐに対応できたかもしれない。
マーガレットに命を救われた。
普段の猫かぶりを脱ぎ捨てて、彼女は必死で治してくれた。救われたと実感があった。
「とんでもありませんわ。誰でも、あの場にいればエドヴァルド様を助けようと動きます。私は幸いにも成功しただけです」
「きみを支える大勢が味方になって、襲撃者たちを屠ってくれた。僕の護衛たちだけでは、全滅の可能性もあった」
「・・・彼らも、エドヴァルド様のお力になる事を認められて喜んでおりますわ」
「・・・」
恨みある敵国の王族なのに、と。
エドヴァルドは思った言葉を飲み込んだ。
この国は、周囲の国を取り込み領土を増やした。
その手法を正確に知ったのは最近だ。卑怯な手しか使っていない。
けれど戦争とはそういうものかもしれない。
しかし、多くが恨みを持って潜んでいる事が理解できた。
その恨みの一塊が、エドヴァルドを助けた。目的があって。
この国の自業自得。自らもこの国の王族、責任を負うものとして。
彼らを受け入れることが、エドヴァルドの贖罪だ。
とはいえ、多くの者は、マーガレットたちが何者か知らない。
養女に迎えたテスカットラ家ですら知らないだろう。
あの日。
アリア=テスカットラ嬢は、遠出に赴いた地で、エドヴァルドを狙う襲撃に巻き込まれて殺された。
彼女に剣が突き刺さる瞬間を、護衛たちが目撃した。
怪鳥まで加わって現場は入り乱れ、やっと敵を封じた時には、彼女の姿は消えていた。けれど、血だまりがあった。
彼女を探さなくては。しかし護衛たちはエドヴァルドの安全を最優先し、まだ潜んでいるかもしれない襲撃者たちからエドヴァルドを守るため、全てで王都に帰還した。
妹が心配だと密かに後をつけて来ていたジェイクも、妹を探したくて仕方がない様子だった。
けれど一人で残るのは危険だと、護衛たちに説得され、彼も共に王都に戻る事になった。
帰還したのは夕刻を過ぎていた。
騎士団が彼女の捜索に向かったのは翌朝になった。遠方のため、到着したのは昼過ぎのはず。
そこから、彼女が遺体で見つかったのは3日後だった。彼女は谷底に落ちていたという。
なお、見つけたのは、彼女の愛馬だ。
町の入り口にいたところを発見され、一旦、テスカットラ家に戻された馬は、ひょっとして彼女の捜索に役立つのではとあの地に連れていかれた。
馬は放されると歩み出し、山の奥深くまで進んで立ち止まり、谷底をじっと見つめて動かなくなった。その様子に、騎士たちが谷底を確認し、やっと彼女を見つけた。
とても降りていけないところに。
ボロボロで、すでに獣に食べられたあとだったという。髪が散らばっていた。衣服はやはり血で染まっていた。彼女が母から贈られたという、常に身につけていた、細い金の腕輪まで、あった。
まさか。それは代わりの死体で。でも。
否定したかったが、否定できない。助かっているはずがない。
愛娘を突然失ったテスカットラ家は嘆き悲しんだ。
特に、その母親は気が狂うかのようになった。
彼女が作った人形を彼女自身と思い込もうとして、常に泣きながら話しかけていたそうだ。
一方、父を回復させたのは、ジェイクだった。ジェイクが最も立ち直るのが早かった。
彼はテスカットラ家を継ぎ家の未来を担う者として、また悲しみに沈んだテスカットラ家の救済のために父に提案した。
エドヴァルドとの婚姻関係を取り消すわけにはいかない。王家との縁談だ。
だから、継続のために、アリアの友人のマーガレット嬢を我が家の養女に。義理の妹に。
そして彼女を、エドヴァルドの相手に。
マーガレット嬢は、エドヴァルドの命をつなぎとめた聖女のような存在になる。
他家が手を出す前に、一刻も早く。
そしてマーガレット嬢ならば、きっと、嘆き悲しむ母親も救ってくれる。
アリア嬢から直接作法を学んでいたマーガレット嬢。協力を頼み、まるでアリア嬢のような、ふりを。




