落ち込んで当然のはず
昨日のブルドンの話に、アリアは心底滅入っていた。
朝、ベッドから起き上がったものの、もう動きたくない。
「今日は気分が悪いの、放っておいて」
心配し、母までアリアの様子を見にやってきた。
無言ながら母にギュッとしがみついた普段にないアリアの様子に、母は優しく抱きしめ頭を撫で、アリアの様子を覗き込み、
「今日はゆっくりおやすみなさい」
と言ってくれた。
全て使用人も退室させようと思ったが、ケーテルが退室前に、そっと、
「何でも、お話しくださいませ。聞くぐらいしかできないかもしれませんが」
と言ってくれたので、ついケーテルだけ残ってもらう。
なお、他の者たちはケーテルに向かって、『お嬢様のことをよろしくね』とでもいうように軽く頷いていた。
ケーテルは寄り添おうとしてくれている。それに、すでに打ち明け話をしたことがある。
このままでは死ぬ恐怖だけが時間を経て大きくなっていく。
アリアがケーテルに手を差し出すと、ケーテルは反応で正解かを確認しながら、その手を握ってくれた。
アリアは握り返した。力になって欲しかった。
「昨日の、ブルドンお兄様とのお話」
とアリアは口を開いた。
「はい」
とケーテルは静かな相槌を打った。
「前に、私は、16歳で庶民になるという未来を知っていると言ったわ。けれど、ブルドンお兄様は、私が殺される未来をご存知だった」
ケーテルは真剣な顔で聞いている。
「エドヴァルド様とご結婚する未来は私には無いのよ。今、エドヴァルド様は私の事をとても好きでいてくださる。このままだと私は邪魔で暗殺されてしまうの」
ケーテルが少し眉をしかめた。
「不躾な質問をしても」
「良いわ」
「では、恐れながら・・・アリアお嬢様は、どのように在りたいですか? エドヴァルド様とのご結婚でしょうか。または他の方と? ご結婚はなくても貴族ご令嬢? それとも庶民? それとも他の、何か」
ケーテルの丁寧な口調の質問に、アリアは目線を上げた。
「・・・私が未来を知ったのは4歳なの。エドヴァルド様と私が結婚する未来はこの世界には無いと分かったの。4歳で、庶民として生きようと思ったの。隠れ家も買ったわ。16歳でどうやって生きて行こうかしらって。でも家を買うから、お父様やお母さまには、お知らせしているの。二人とも、私が等身大のドールハウスが欲しくなったのね、って言って許してくださった。お忍びで町に遊びにいっては、16歳や大人の女性が着そうな、気に入った服を集めたわ。私は、16歳になった後、そこから幸せに暮らすことを目標にしたの。・・・どうなりたいかなんて。ずっと、庶民の暮らしに馴染む事ばかり考えていたの」
「では庶民で良いではありませんか」
ケーテルの言葉に、アリアは視線を上げた。ケーテルは優しく笑んでいる。
「私も協力しましょう。それにもし、希望が変わったらまた考えましょう」
「死ぬのが嫌なの」
アリアはケーテルの言葉に被さるように訴えた。
「死にたくない。殺されたくない。16で殺されるなんて。もうすぐよ。怖いの」
「昨日、ブルドン様は、殺される状況をアリア様に教えたのですね?」
「殺される未来になる条件について聞いたの。私、庶民になる未来について、話したでしょう。私が王立学園に入る年に、庶民の女の子も入学するって」
「えぇ」
「彼女は、エドヴァルド様たちの関心を引いて、エドヴァルド様たちは好感を持つわ。彼女が誰と結ばれても、私は邪魔をして、それが原因で庶民になる」
ケーテルがじっと聞いている。
「でも、ブルドンお兄様の話は、その女の子の恋が上手く行かない場合の事だったの。その女の子より私の方が好かれていると、その女の子は上手く行かない。私は邪魔で、だから殺されてしまうみたいなの」
ケーテルの顔から柔らかさが消えた。
「エドヴァルド様は、今、私の事をとても気に入って下さっているわ。ブルドンお兄様は、このままではその女の子は私に負ける。私は邪魔で、殺されてしまうって。ブルドンお兄様も、私が殺されたら、殺されてしまう未来なのですって」
ここまで言ったアリアは、ケーテルの反応を待つ。
ケーテルは無言で、少し難しい顔をして考えたようだ。
「アリアお嬢様やブルドン様が殺されるなんてなりません。もし貴族に未練が無いのなら、必ずお救いいたします」
えっ。ケーテルの答えに驚いた。酷く真剣な顔をしていた。
アリアは言葉の続きを待った。
「気分が沈まれるのはごもっともですわ。殺されるなんて知って。不安にならないはずありません。・・・お嬢様、今日はどのようにお過ごしになるおつもりですか」
「・・・何もしたくないの」
「でしたらお部屋でお過ごしくださいませ」
皆が優しい。泣きそうになる。
「うん・・・。ケーテルも今日、お休みしてくれていいのよ」
アリアは、ケーテルのお礼にと休暇を告げた。どうせ、アリアは今日は引きこもるのだ。
ケーテルはまたじっとアリアを見つめてから、まだ握ったままの手を握り返してくれた。
「アリアお嬢様。お休みをいただけるなら、お嬢様の大きなドールハウスを見てみたいですわ」
「行きたい?」
「はい。お忍びはいつ行かれるのですか? 私、お忍びについて存じ上げず驚きました」
クスクスとケーテルが笑う。
アリアは慌てた。
「ここしばらく行ってないわ。その、・・・ケーテルがいたから、お忍びをちょっと控えていたの」
「まぁ」
ケーテルが苦笑している。
「・・・あの、ケーテル。一緒に行ってくれる?」
「光栄ですわ。ぜひ」
「今日、行ってみても、良い?」
「今日。えぇ、私は大丈夫ですわ。今日は天気も良く、良い日ですし、気分転換に町にお忍びはとても楽しそうですわ」
ケーテルが本当に楽しそうに行きたそうに思えた。
アリアも気分が上向いてきた。
「ご一緒できましたら、庶民のアドバイスもさせていただきますわ!」
「うん・・・そうね、そうしましょう。今日は町に行きましょう!」
元気が出てきた。
***
お忍びは簡単だ。
『お忍びで町に遊びに行ってきます』と皆に知らせて、服装を整えて行くだけである。一人、侍女か護衛をつければ良い。治安も良く、それで十分という平和な世界だ。
お忍び用の資金まで貰える。もし足りないなら、家紋を見せて『あとで屋敷から支払わせる』と言えば何でも買える。
早速、アリアはケーテルと一緒に屋敷を出て、町を歩いていた。
皆、アリアが元気を取り戻したことに安堵してくれていたようだ。心配させてしまった。
何を買おうかな。お母様にもちょっと気に入ったお土産があれば良いな。
母はなんでも喜んでくれる。
すっかり気分が向上したアリアは、はぐれないようケーテルと手を繋ぎ、暖かい日差しの中をニコニコ歩く。
ケーテルも楽しそうで嬉しい。
食べ物屋が多いエリアに来た時だ。
「おい」
誰かがケーテルを呼び止めた。
「まぁ」
とケーテルが確認してから足を止める。
誰だろう、とアリアも見れば、ブルドンの付き人、ダンテだった。
「何してる・・・」
と言いかけたダンテは、アリアの存在に気付き、口をつぐんだ。
「お忍びの最中ですわ」
ケーテルが警告するようにダンテに教えた。他言無用という事だ。
「それより、ダンテさんは、今日はどうされたのですか?」
とケーテルは不思議そうだ。
「あぁ、急にお休みを、いただいて・・・。よろしければ、ご一緒しても?」
ダンテがアリアに許可を求めてくる。
え? 困る。
今日はケーテルと、庶民用の家に行く予定なのだ。ダンテがいると家にいけない。
「あの、急にそのように言われましても、他家に仕える方が一体どうされたのですか」
ケーテルが困惑を受け取り、確認してくれた。
「ブルドン様が、アリア様のご様子を気にかけておられたので、少しご一緒できればと」
「ブルドン様は本日はどちらに?」
「今日は学園です。私は、息抜きすればよい、とお休みを」
実は、昨日、アリアの菓子を受け取ったダンテを見たブルドンが、ダンテも菓子が好きだったのか、そういえば倒れた時も色々助かった、明日は褒美で休みをあげる、などと言った結果だが、そこまでダンテに説明義務はない。
「・・・予定もありますから、それまでででしたら・・・」
とアリアは答えた。
ブルドンが気にかけていたからというのであれば、少しだけ一緒に過ごせば様子も分かり、ダンテもブルドンに伝えられるはず。
「はい。感謝いたします」
ダンテがニコリと、使用人の鏡のような態度で礼をした。
ブルドンが一緒の時と態度が違うな、とアリアは思った。
***
予定外に他家の使用人が一緒になる事になったが、そのうちアリアもリラックスしてきた。
せっかく天気もいいのだ、楽しまなければ。
「あ、見てケーテル! エクレアよ!」
「エクレア・・・あぁ、あれですね。召し上がりますか?」
「えぇ、食べましょう!」
「では恐れ入りますが、ダンテさん、あなたの分も一緒に、私たちの分を買ってきてくださいませんか」
「え、俺・・・私も、ですか」
ダンテが『俺』と言ったのを慌てて変更した。どうやら普段は『俺』らしい。
せっかく休みなのに使用人モードは気の毒だが、使用人根性でアリアとの同行を希望したので仕方ない。
ケーテルがダンテに頼んでいる。
「3人で並ぶと嵩張りますし、お嬢様を置いていくのは心配です。申し訳ありませんが、ダンテさんに行っていただけますと助かるのですが」
「・・・承知しました」
ケーテルがダンテにコインを渡す。ダンテは指示を受けた店に買いに行った。
「どこか座って待ちましょう」
「その噴水のフチで良いわ」
驚くケーテルを引っ張って噴水のフチに二人で並んで座る。先ほどまでいた場所からそう動いていないし店の様子も見えるので、ダンテにも分かりやすいはずだ。他の人も座っているし。
「アリアお嬢様。突然ダンテさんが同行する事になって、申し訳ございません」
「ケーテルが謝る事じゃないわ。許可したのは私だもの」
「はい。あの、時間も限られますし、お嬢様が嫌だと思われましたら、合図をくださいませ。私の方からダンテさんにここまでと告げますので。私の手を二度ギュギュッと」
「分かったわ」