善意だけじゃないはず
ダンテに就寝を勧められたアリアは、聖堂、ボロボロの長椅子の列の間、布とマットを取り出して作った簡易ベッドに横になった。
なおダンテは、長椅子に座るから不要だという。
アリアはダンテの体力を心配に思った。
昼も移動し続けているのに。
あの老婆は普通に善人なのでは。眠って大丈夫だったり?
でも、アリアは世の中を分かっていないお嬢様だ。
きっとダンテが正しい。
つまり、ここは強盗の住処?
そう思うと怖くてなかなか寝付けない。
ダンテは傍の長椅子に腰かけている。
右手に、短剣と言うには少し長い剣を持っている。
時々、ダンテが動く。そっと立ち上がったり、周囲を見回したり。
本気で警戒している。
「起きてるか?」
「はい」
「いざとなったらあなたを抱えて逃げる。荷物、すぐ回収するつもりで」
「はい」
小さな声で指示が来た。
アリアが寝つけていない事もお見通しの様子。
アリアの緊張を察したのか、ダンテが近づいて頭を撫でてきた。
「おやすみ」
「・・・」
なんだか子ども扱いだ。照れたが拗ねた。
ダンテはまたそっと離れていく。
眠った方が良い、とアリアは自分に言い聞かせた。
明日は明日で移動になる。睡眠不足なアリアは完全にお荷物にしかなれない。
あぁ、だけど強盗かもなんて・・・。
***
アリアはふと目を開けた。眠っていた。
薄明るい。つまり、夜明けが近いか、もう夜が明けている。
アリアは緊張した。
ダンテではない人たちの話し声が聞こえる。近づいている。
寝てるぜ
忍び笑いもした。複数いる。
ドッと嫌な汗が出て鼓動が早まる。
アリアは咄嗟に音を立てないようにしながらダンテの様子を確認した。
椅子に座り、剣を持ち。寝ている。
扉が開けられた音がする。
間違いなく複数。消しきれていない音が近づいてくる。
ドッドッと、自分の鼓動が大きく感じられる。
アリアは手を伸ばし、ダンテに触れようとした。
ダンテ、と呼ぼうとしたところで、目の前、ヒュッと白いものが横切った。
え。
瞬き、顔を少し上げて確認する。
ヒュンヒュン、と白いものが勢いよく飛び回っている。2つ。
ブォン、と大きな羽音のような音がした。
「ヒィッ!!」
男の悲鳴があがった。
瞬間、傍のダンテがガバッと身を起こした。
剣を強く握り立ち上がろうとする。
「ダンテ!」
アリアは小声で呼びかけた。
「!」
ダンテは驚いたようにアリアを見て、それから扉の方を見た。
幽霊が出た! 幽霊だ!
ふざけんな! うわぁあああ!
馬鹿言ってんじゃないよ!
複数の男の声が向こうに逃げていく。老婆の叱責も聞こえた。
「逃げるぞ」
ダンテが鋭く言って剣を鞘に納めて腰につけ、アリアに腕を伸ばした。
「荷物!」
「は、はい!」
簡易ベットを回収する。ほぼ同時にダンテがアリアを抱えあげる。駆け出し、窓に向かい、引き上げた。
窓枠を飛び越える。
ヒュッと風を切る音がした。
白いものが追いついてきた。2つ。
これはあれだ。5つあるはず、他は、と思ったら、1つがものすごい勢いで窓から飛び出してきた。
あと2つは。
一方、抜け出した建物から混乱の声が聞こえている。老婆の叱責の声にアリアはゾッとした。
「クソ、逃げやがった! 外だ! お前ら何してる! 追え!」
上から太い怒鳴り声がした。
ダンテはもう駆けている。抱えられているアリアは、建物の3階の窓、身を乗り出すように睨んでいる男と目が合った。
強盗、本当に!!
「!?」
ダンテが急にバランスを崩した。
「きゃ!?」
慌ててしがみ付く。ダンテが体勢を立て直そうとする。
えっ、地面がうねっている。ボコボコと。
「きゃあっ!?」
アリアごと、ダンテが地面に持ち上げられる。
「ッ!?」
ヒュン、と白いものがアリアの目の前を横切った。
余りに激しいぐらつきで、ダンテから振り落とされそうで怖い。
「おい、何だこれは」
ダンテが独り言のように驚いている。
「馬!! 馬か?」
「え」
アリアとダンテの周囲、白いものが4つ飛び回っている。
一方で、ダンテがアリアごと、大きな盛り上がりの上に乗り上げている。しかも移動している。
たしかに、まるで大きな馬の背に乗っているようだ。
「うわっ!?」
ダンテが慌てて、馬の一部をグッと掴んだ。
「馬具がついている」
信じられないように呟く。
「アリア様、後ろ見てもらえますか」
「えぇ」
アリアはダンテにしがみつきながら、後方を確認してまた驚いた。
「馬車、馬車がある! でも」
「何」
「真っ黒なの。幽霊とかお化けとか、そんな感じ、気持ち悪い真っ黒なの」
「しっかり捕まって。俺も見たい」
ダンテがアリアを片手で支えつつ、片手で馬の馬具を掴みつつ、上体を少し捻って後方を見た。
「本当だ」
「でしょう?」
「あぁ。あと、俺だけなのか」
「何?」
「『逃げろ逃げろ』って急かす声がずっとしてる」
「私は聞こえないわ」
「そう、なのか。・・・なぜ?」
アリアにも分かるはずがない。
「どこに、向かっているのかしら?」
降りないと不味いのでは。
「あいつらから逃げている」
「ダンテには分かるの?」
「どうしてか。謎だ」
「聞いたら理由を教えてくれないかしら」
「そういう感じではない」
二人とも怯えた顔だ。
「あの、助けてくれた、湯気みたいな白い子たちも、飛んでるわ」
「え、あぁ」
ダンテが事態を飲み込むように頷く。ダンテも必死の様子だ。
「1つ足りないの」
とアリアが訴えた途端、後ろからヒュッと白いものが飛んできて、アリアたちの目の前に現れる。
「あ。5つよ。揃った」
「また助けてくれたのか?」
ダンテが尋ねたが、返事もないので分からない。
「まさかこの黒い馬たちは仲間?」
「でも、この子たちは真っ白よ。でも馬も馬車も、真っ黒で雰囲気が全然違うわ。怖い」
話している間に、白いものの1つが、ダンテの荷物袋の中に入っていった。ひょっとして入れ物に戻っていった?
「アリア様」
「はい。サクラよ」
「サクラ。今分かったんだが」
ダンテが怯えつつも、進行方向をじっと見定めようとしている。
「・・・何?」
「こいつら、あいつらに殺されて死んだ人間だ」
「・・・」
「逃げなきゃと、ずっと言っている。俺たちを逃がそうとしている。逃げ出すつもりで動いてる」
「数、もの凄く、こんなに多い、の?」
アリアは咄嗟に言葉が上手く出なかった。それって、物凄く恐ろしい事実だ。
「飢饉で大勢死んだ。そこに、殺されたのが入ってる。商人が一番最近だ。だからこの馬と馬車で、まだ形が残ってる、と言ってる」
怖いよぅ。
「降りた方が良くないの?」
アリアは半泣きになった。
「宿泊を断って離れたのに襲われて殺された。大きな町まで逃げろと言ってる。・・・いざとなったら、飛び降り、あぁ、いや、このまま行こう。徒歩では逃げきれない。確かに」
「・・・怖い」
「あぁ。大丈夫だとは、ちょっと言えない」
ダンテが辛そうに顔をしかめて、苦笑した。
あ、ダンテに負担が。
「大丈夫。一緒に怖がって、一緒にいれば。仮にも、もう夫婦ですもの」
少し冗談めかす。ダンテの気分が少し楽になれば。
「仮にも。そうだな」
ダンテがさらに苦笑した。
「あの届け出、やっぱり嘘なのね」
「教会だったのは本当らしい。こちらは出したつもりで良くないか」
「そうね。落ち着いたらきちんとした教会に出し直しましょう?」
「あぁ。そうしよう」
こんな会話で気が紛れてきた。
「頼もしい旦那様。いてくださって良かった」
アリアが笑むと、ダンテが嬉しそうに笑った。
「良かった。俺もあなたがいるから、一人でないと思えて、良い」
あ、なんだかちょっと今、じーん、と来た。
「嬉しい」
とアリアは呟く。
「あぁ。それに、俺たちを逃がしてくれる気満々だ。何とかなる」
「えぇ」
***
荒野を爆走した。
どうしても休憩が必要な時は懇願すると止まってくれた。
とはいえ、ダンテには常に急かす声が聞こえるらしい。
止まるのは最小限にして、すぐにまた馬の背に。
ちなみに後ろの馬車は、怖くて乗りたいと思えない。黒々しく、怨念が渦巻いている、という雰囲気。
こんな状況なので、馬の背で非常食を口にする。
ダンテにはアリアが口に放り込んであげたら、ダンテがはっきり照れた。アリアもくすぐったい気分になる。甘い理由ではないのが自分でちょっと残念。
なお、水も零すことなく飲めたが、ダンテにあげる時には零してしまった。難しい。
馬上での飲食に、アリアはエドヴァルド様の事を思い出した。すぐ頭の隅に追いやった。今そんな事を考えている場合ではない。
星が美しく瞬いている。
夜遅くに、やっと馬が自発的に止まった。
さすがにこんな馬の上で寝るのは無理だとダンテも懸念していたので、止まって安堵する。
馬車の影に隠れて眠れ、とダンテには聞こえるそうで、その通りに休むことに。
色々と怖すぎて、アリアはダンテにしがみつくように眠った。ダンテもこの状況に強張った厳しい顔をしている。
とはいえ、『見張りをしているから休んでいて良い』という声もするそうだ。
親切?
そして、翌朝。
まだ早い時間にダンテに揺り動かされて起こされた。
「サクラ。おはよう。お嬢さんがいるなら馬車に乗るか、と聞かれているが、どうする?」
ダンテは真顔ながら困ったようにこう聞いた。
アリアはとっさに判断できなかった。
「どうしましょう・・・」
「乗るなら乗り心地を良くするそうだ。ただ、相席になる」
「誰と・・・?」
「商人とその奥さん。のように見えるが、黒い影が集まったもの」
「・・・。あの、相席は辛いわ。その、気を遣ってしまうもの」
アリアは聞かれても良い表現にて返答をした。
ダンテとアリアと顔を見合わせ続ける。
ダンテには、今も声が聞こえているようだ。
困惑したように眉が時々しかめられる。
「本当に、乗ってもいいと。俺個人は、完全な善意を感じる」
「あの、念のため聞かせて。昨日のお婆さんには、善意を感じなかったの?」
「全く信用する気になれなかった。狙っている感じがしていた」
「そう」
そんなダンテが、提案を伝えるのを止めず、善意だと言っている。
「ダンテも、一緒に乗るのよね?」
「・・・あなたが望むならそうなる」
「どういうこと?」
「馬車側がそういう感じなんだ」
「ダンテも一緒に馬車に乗るなら、じゃあ、馬車に、乗せてもらいましょう。馬の背に、ずっとだと、大変でしょう?」
泣きそうになったアリアを、ダンテが困ったように抱きしめてきた。
キィ、と扉が開いた音がする。
見れば音の通りで、馬車の中、黒い人影が2人見える。手招きされていた。
行くしかない。
アリアはダンテの腕にしがみつくようにしながら、馬車の中に乗り込んだ。




