命令には従わなければならないはず
「では、戻ろうか。・・・あぁ、少し彼と話したいのだけど、借りられるかな」
エドヴァルド様がダンテの方を見やった。
アリアはドキリと恐れた。
「どうしてでしょうか?」
と固い声にならないよう気をつけながら確認する。
エドヴァルド様がアリアに視線を戻し、内面を透かすように見つめてきている。
その視線を跳ね返したい。アリアも見つめ返す。
エドヴァルド様が苦く笑った。
「白状すると、ジェイクを通して彼を連れてくるよう命じたのは僕だ」
「まぁ」
「アリア様は先に会場に戻っていて」
「いいえ」
アリアは答えた。
「彼はブルドン様からお預かりしている者ですわ。私には責任がありますもの。お話が終わるまでこちらで私も待たせていただきたく思います」
「駄目だ」
エドヴァルド様の目が険しくなった。
「この国の王子として命令する。彼を残して会場に先に戻れ。アリア=テスカットラ嬢」
驚いた。エドヴァルド様がこのような形でアリアに指示をした事は今までにない。
命令となると従うほかない。それでも。
「どうか、あまり遅くならず無事に私の元に戻してくださいますように」
「どうして」
どこか突き放した笑みをエドヴァルド様が浮かべた。
ゾッとした。
まさか。アリアがダンテが好きだと知られている?
どうすれば、エドヴァルド様の機嫌を損ねず、無事に穏便に、速やかに、ダンテを返してくれる?
演じる必要さえあるのに、必死に考える。
「どうして、彼を選んだの。僕の何がいけなかった?」
エドヴァルド様が、小さく呟いた。
アリアは震えた。知られている。
「お願いします。どうか。お預かりしている者なのです、私には責任があります」
エドヴァルド様がアリアの言葉を鼻で笑った。
「もう、全てが遅い。・・・さぁ。アリア=テスカットラ嬢。命令だ。もう行け!」
エドヴァルド様が怒った。見たことの無い厳しい表情の、叱責に近い命令だった。
一瞬立ちすくんだ傍に、侍女が慌てたように近づいてきた。
「アリアお嬢様。さぁ」
エドヴァルド様の様子を恐れて、アリアを促しに来たのだ。
それでも動きたくない。
一方で、ダンテも来た。
エドヴァルド様に礼を取り、少し身体の向きを変えた。アリアとは違う方向に誘導する気だ。
エドヴァルド様が頷いてみせる。そして、アリアの傍の侍女には改めて命じた。
「アリア=テスカットラ嬢をきちんと会場まで連れて戻るように。今すぐだ」
侍女が礼を取る。
それを見たエドヴァルド様とダンテが歩き出す。
「アリアお嬢様。戻りましょう。命じられたのです。お戻りにならなければ、なりませんわ」
侍女が言い聞かせてくる。
だけどあまりに心配で、アリアは二人の後ろ姿を見つめてしまう。
二人とも振り返らない。
どうしよう。
「アリアお嬢様。エドヴァルド様がお命じになったのです。従わなければなりません」
何度も侍女が言い聞かせてくる。
「お願い、私はここで待っているから、様子を見て来てくれない?」
アリアは侍女に頼んだ。
侍女は数秒、固まったようにアリアを見つめた。
「お願い」
侍女は、
「いいえ」
と断った。
「私は、アリアお嬢様を一人残すことはできませんわ。どうか、私を助けると思って、会場にお戻りになってくださいませ」
「でも、心配なの」
「エドヴァルド様ですもの。大丈夫ですわ。とても聡明でお優しい方ではありませんか」
侍女が折れてくれない。
何度も促されて、ついにアリアは後ろを何度も振り返りながら、会場に戻ることにした。二人の姿ももう見えない。
会場についてもダンテの戻りがどうしても気になる。
あまりの心配ぶりに、侍女が不審がっている気がする。
だけど、これ以上取り繕えない。
***
半時間程度だろうか。
ダンテが戻ってきたのが分かった。
姿を見つけて、アリアはやっとホッとした。
「ダンテ!」
「あぁ」
ダンテもアリアに気づき、肩の力を抜いた様子だ。
「お話は大丈夫だったの?」
「いえそれより、まさか、こんな端で待っておられたのですか」
ダンテがどこか驚いて見せた。使用人の返答だ。つまり、アリアへの返事をかわされている。
とはいえ、アリアと、侍女の様子に、何らかの返事が必要だと判断したようだ。数秒経ってから、
「私が男なので、アリア様の傍には普段女性がついていますから、私から見て気づいた事など確認したいと思われたご様子です」
などと答えた。
嘘だ。
だけど、傍の侍女が、納得したように頷いている。
それなら、アリアも、ここは一旦そう受け取っておくべきだ。今は侍女がいるのだから。
後できちんと確認しなくては。
「そう。戻って来てくれて良かった。何かあれば、私、ブルドンお兄様に本当に申し訳ないもの」
「お気遣いありがとうございます。この通り戻りましたのでご安心ください」
ダンテが使用人として礼儀正しい笑みを浮かべる。
一段落したという事にして、アリアは改めて会場の方を見回してみた。
他の人たちは、もうダンスよりも、食べたり話したりを楽しんでいる。
「ねぇ、もうたくさん躍って疲れてしまったわ。帰ろうかしら。ブルドンお兄様やケーテルもいないのだし」
そう発言してみれば、貴族令息たちがアリアの方に近づいてきた。耳ざといなぁ。
会釈だけして動き出す。
「帰りましょう」
貴族令嬢たちからも、声をかけてもらえるのでは、と期待を込めて見られているの分かったが、申し訳ない事に、もうそんな気分では無かった。
やはり会釈だけして、帰ってしまうことにした。
***
帰宅。入浴の上、パーティ用ではなく普段用のドレスに着替えた。
夕食前に戻ったので、簡単な夕食を部屋に運んできてもらう。
そして、ダンスを大勢と躍って疲れたの、と早々に自室に引きこもった。実際に大勢と躍り続けたので、皆も納得してくれるだろう。
そして、ダンテが来てくれるはずと信じて待つ。
ソファに座って、ぬいぐるみを作ってみる。
ただ、日中もアリアの付き添いだったから、夜の護衛には来ない?
エドヴァルド様と何の話をしたのだろう。
無事そうに見えたけれど、本当に大丈夫だったのだろうか。
侍女がカーテンを閉めに来た。
ぬいぐるみの出来をついでに見てもらう。まだ頭と胴がついていないが、組み合わせて見せると可愛いと褒めてくれた。良かった。
ぬいぐるみ、名前をつけてブランド化できるかしら。ちょっと統一した特徴を持たせた方が良いかしら。
侍女の手伝いを受け日中のドレスから寝間着に着替える。カーディガンを羽織る。
これでもう侍女の入室は無いはず。
机の灯りをつけて、外国語の勉強に切り替える。
ダンテはまだ来ない。
気になってカーテンの方を何度も見てしまう。
早く来て。
ちょっと今日は早く眠くなりそう。眠気と戦わなくては。
じりじりと待っていたら、やっとカーテンがふわりと揺れた。
来た!?
見つめる。
ダンテが現れた。
走り寄りたいのを堪えて、アリアは立ち上がり、灯りをさらに落とした。
静かにダンテのいる場所に向かう。
ダンテも窓ではなく壁のある場所に移動する。
アリアは囁いた。
「待っていたのよ。いつもより早く来てくれて嬉しい」
「どういたしまして」
ダンテが小さな声で返してくる。
それから、ダンテがアリアの頭を撫でてきた。そして、アリアを引き寄せるようにした。
じっと黙る。
ダンテの心音を少し耳にして、照れてきたアリアは顔を上げた。腕の力が緩む。
「今日、あの後」
「・・・色々と、バレていた」
とダンテが口調を崩して答えた。
「え!? 逃亡計画のこと!?」
小さい声ながら驚いたアリアを、ダンテがじっと眺めている。
頭がまた撫でられる。
「それ以上に、全て」
「それ以上? あっ、私の気持ち」
やはり。青ざめたアリアに対し、ダンテは意外そうな顔になり、少し嬉しげに笑んだ。
「そうだな」
と頷く。
あれ?
「違うの? 何? とても心配なの。教えて」
ダンテはアリアを見つめ両腕で抱きしめてきた。
なんだか様子が変だ。
抱きしめられて、またドキドキしてきたのでアリアは訴えた。
「ダンテ。教えて。心配なの」
「・・・あぁ」
ダンテが話し出そうとした。
「俺は、手放すのはもう無理だ。守らせてくれ。必ず。約束するから」
「大丈夫? 私に分かるように話して?」
ダンテはまた少し黙り、ボソリと言った。
「殴らせろだと。冗談じゃない。絶対嫌だと断った」
えっ!?
「当然よ! 殴られなくて良かったわ」
「俺の方こそ殴ってやりたい。・・・そんなものじゃ気が済まない」
ん?
アリアは疑問に黙ったが、ダンテはアリアを包むように抱きしめている。縋られているようだ。
ダンテの声が暗くどこか嘲笑するようになる。
「命令だと。俺に。馬鹿が。くそったれ。聞くわけないだろ。馬鹿にしやがって。あいつ、でも今回だけは。聞いてやることに」
心配して、アリアは動いてダンテの拘束を緩めて、ダンテの表情を確認しようとした。
「顔を見せて」
手を伸ばして頬に手を添えた。
辛そうな悔しそうな顔に見える。
「エドヴァルド様に無理を言われたの?」
「・・・キスさせてほしい」
「えぇ・・・もちろん。良いわ」
頷くと、ダンテのなんだか硬い怖い表情が近づく。そっと触れて離れた。
様子が間違いなく変だ。
なんだろう? 悔しそう。不安? 辛そう。真顔? 真剣。混乱?
「俺が、大事にするから」
とダンテが言った。
「ありがとう」
とアリアは答えて、付け足した。
「私も、ダンテを大事にすると誓うわ」
「ありがとう」
とダンテが答えた。
なんだか、危うい感じがする。いつもと違う。
「お願い、具体的にきちんと何があったのか話してもらいたいの」
先ほどから何度も頼んでいるが。
「絶対、幸せにするなんて、とても誓えない」
と、ダンテが言い始めた。
「でも、不幸にさせたくない、頑張るからどうか」
なんだか苦しげに言葉を絞り出すようだ。
邪魔にならないよう、相槌も打たず、アリアはじっと聞いた。
「お願いだ、俺に、どうか守らせてくれ」
ダンテがアリアに頼む。
「もちろん。私からもお願いしているわ。とても頼りにしているし心強いの」
安心させたくて、アリアからギュッと抱きついてみる。
ダンテが無言ながら、少し嬉しそうに笑みを浮かべる。だけどそれでも苦しそう。
本当に、どうしたの?
安心させたくて笑いかけてみる。
急に、ダンテが震えた。瞬きするうち、あっという間にダンテの目が潤み、拭き取る間もなく、ボタリと涙が落ちていった。
誤魔化そうとしたのか、ダンテが笑おうとして失敗した。
さらに涙が溢れてくるのを、アリアは正面から見てしまった。
「ダンテ」
理由が分からなくても慰めたい。アリアは頬に手を伸ばし、涙を拭こうとした。
「俺が守っても、良いだろう?」
完全に涙声だった。
「えぇ。むしろ私がお願いすることだわ?」
言い聞かせるように告げた。




