何かおかしいはず
エドヴァルド様が、アリアを放置するようになった。
マーガレットばかりを誘う。
マーガレットが、喜びのあまり輝いて見える。
マーガレットに恋する取り巻きは悔しそうだけれど、相手がエドヴァルド様なので文句が言えない様子だ。
なお、不思議なことがある。
アリアはエドヴァルド様の婚約者。だけど、エドヴァルド様はアリアを放置してマーガレットに。
そんな状況なのに、兄ジェイクが何もアリアに言ってこないのだ。
兄ジェイクは優しいが、
「もっとエドヴァルド様の心を掴まないと駄目だろう」
なんてアリアに注意や苦言を呈して良い立場だ。
エドヴァルド様とアリアの婚約は政略でもある上に、エドヴァルド様とアリアの関係が良好であれば、兄ジェイクにはマーガレットと恋人になれるチャンスも出るのに。
どうして、何も言ってこないのだろう。
変な気がする。
なお、違和感を持っているのはアリアだけでなく、ブルドンもケーテルもだ。
ダンテについては、エドヴァルド様の、アリアの気を引く作戦では、と言っている。その可能性もあるが、アリアに全く接触してこないなんて事があるだろうか。
マーガレットがアリアたちと一緒にいる事は無くなった。
完全に別行動、別グループだ。
でも、これがこの世界の正しい光景のはずだから、問題ないのかもしれない。
様子を注意深く見ているうちに、1ヶ月も経ってしまった。
結局アリアは、まず口頭でと思っていたためにタイミングを完全に逃し、誕生日祝いの品のお礼を、まだエドヴァルド様に伝えていないまま。
***
さてマーガレットたちの様子に、アリアは、この世界が乙女ゲームなのだと実感する。
それはつまり、アリアは悪役令嬢で、良くても庶民化。または、暗殺コース。
今はマーガレットが順調にエドヴァルド様と仲良くしているから、アリアは暗殺は免れる?
だけど、アリアはマーガレットに嫌がらせはしていない。エドヴァルド様に対しては、エドヴァルド様に恋をしていないと伝えていた状態ではあるが。
ブルドンに相談しても、やはり気を抜くべきではないし、結果を待たずに逃亡する方が安全だという意見だ。アリアも同感だ。
逃亡準備として、アリアはブルドンに、旅の便利グッズを注文していくことにした。
こうすることで、ブルドンにはお金を払うから、ブルドンの資金になる。加えてアリアも欲しいものを作ってもらうことができる。
とりあえず、誕生日プレゼントに貰った『のろし玉』と『ジャーキー(保存食)』、それから庶民の服や靴の着替えを肌身離さず身に着けていられる便利アイテムを依頼した。お守り袋のイメージでいたが、それだと着替えの時に取り外しが必要だろうし、盗まれる可能性もある。
相談結果、アリアがダミーで身に着けている金の腕輪と似た腕輪で、物を出し入れできる魔法をつけたものを作ってくれるそうだ。アリアでないと着脱できないようにもしてくれるそうである。素晴らしい。
アリア自身は、健康管理に気をつけつつ、運動を欠かさずにいる。
それから、どの国に向かうのか教えてもらったので、そちらの言葉を勉強し始めている。
とはいえ、アリアの行動から逃亡先がバレるとまずいので、あからさまにそれだけに集中することは避けている。
一方で、ぬいぐるみ制作に凝りだした。
というのは、刺繍を売る場合、生地や糸の良さも値段に影響を与える。貴族だから簡単に手に入る布も、色とりどりの糸も、庶民には高価で手に入らない。つまり刺繍は、食べていくのが難しいらしい。
そこでケーテル、それからブルドンの家で働く子どもたちにさらっと情報を聞いてみて思いついたのが、ぬいぐるみ。
布の良さよりも、愛らしさで売れるらしい。
庶民向けなら特に、使い古した布を加工する事も普通にあるそうだ。
ぬいぐるみの場合、今の内から型紙を考えて作っておけば、逃亡先でも使えるし、型紙なら嵩張らない。
それに、ぬいぐるみ自体に刺繍を施しても良い。名前の刺繍をして欲しい人もいるだろう。
まぁ、普通に布鞄を作っても良い。
とはいえ布鞄なら各家庭でも作れるしわざわざ買わない気がする。だから、ちょっと凝ったぬいぐるみ。
テディベアとか。
刺繍で食べて行こうと考えていたぐらいには、針と糸と布で作るのは得意。
***
そんな風に、着々と逃亡に向けて過ごしていたある日の晩。
秘密の語学の勉強をそろそろ終えて、今日は寝ようかな、とアリアが自室で考えた時だ。
ふわ、とカーテンが揺れた。
まさかダンテ?
アリアが学園に通いだしてから、学園で毎日会えるので夜の訪れは無くなっているのだが。
少し緊張し、構えつつ見つめていると、姿を現したのはやはりダンテだった。ホッとする。
緊急の用だろうか。アリアは机の灯りを小さく落とし、静かにダンテに近づいた。
ダンテはアリアの姿を目に留めてから、周辺に視線を飛ばすようにした。
どうしたのだろう。
アリアが傍に近づいて、未だに無言のダンテの様子を見つめる。
「無事ですね」
と小さな声でダンテが聞いてきた。緊張しているのか、聞き方に鋭さがある。
「えぇ」
どうしたの?
ダンテはアリアを抱きしめて、少しだけ息を吐いた後、すぐに離れた。
また周囲を、それから窓の外、天井にも視線を向けている。
アリアよりも周りが気になっているようだ。
「お願いが」
「えぇ」
「何事も無ければ迷惑をかけない、気づかれないようにいる。一晩、護衛に俺を傍に置いて欲しい」
「・・・分かった、わ」
コクリと頷く。
ダンテが非常に緊張して周りを警戒しているのが分かる。
何かあったらしい。だけど今の時間に、あまり話し声も出さない方が良い気がする。
「明日、ブルドン様たちが迎えに来るはず。一人で動かないで」
「・・・えぇ」
どうやら、アリアの身に危険がある?
なお、エドヴァルド様は、あれ以来、アリアを一度も迎えに来ない。
だからアリアは将来のためにも、ずっと馬で通っている。便利だし小回りが利く、と令嬢としてアウトな発言だが、我儘を通し認めてもらい続けている。
両親は難しい顔をしていたが、アリアの姿を見ることができる町の人たちからの人気がさらに高まったと知ってからは、今の内だけだぞ、と大目に見てくれるようになった。
そんなアリアに憧れたらしく、すでに何人もの貴族令嬢が真似をしているぐらいは人気がある。
さてじっとアリアがダンテを見ているのに、ダンテは詳しい理由を話してくれないようだ。
仕方ない。話さない方が良いと判断する何かの事情があるのだろう、とアリアは思った。
ダンテが指の背でアリアの頬を撫でてた。
ただし、じっと真顔で、怒っているかのように見えるぐらいだ。
「傍にはいるが邪魔はしません。あなたは普段通りに」
「えぇ」
「こちらには見つからないようにします」
「分かったわ。じゃあ、もう今日は休むけど、良いかしら」
「はい。普段通りに。こちらは気にせず」
「・・・」
気にせずと言われても何だかドキドキするわけだが、ダンテにとっては何らかの異常事態のようだ。
とりあえずもう寝よう。
ベッドの方の灯りを小さく灯してから、机の方の灯りは消す。
そんな動きをしているだけの間に、ダンテの気配が分からなくなった。
アリアは首を傾げた。
部屋を探してみると、少し動いたのでじっと見つめると、物陰に隠れていたようだ。
頷いてきたのがわずかな灯りの中でも分かったので、アリアも頷き返して、もう気にしない方が良いんだろうな、と思った。
緊張するけど。
え。私、寝相悪かったらどうしよう。イビキとか寝言とか言ってたらどうしよう。
などと考えると、なかなか寝付けなかったが、あまりにも静かで普段と変わらないのでいつの間にか眠ってしまったようだ。
***
朝。部屋にダンテの姿は無い。もう帰ってしまったのだろう。
昨晩は何だったんだろう。
そう思いながらも、学園に行く支度をする。
そういえば、今日はブルドンたちが迎えに来てくれると伝言があったっけ。
いつ頃来るのだろうか。
アリアはいつもと違う状況に、少し落ち着かない気分になった。
ダンテが昨日現れた理由を早く聞きたい。
あの様子から見て、多分アリアに何か危険がある。
アリアはふと思い出して、普段は使わない引き出しを開けた。奥に、昔にブルドンから貰った秘密のメモと、紫に光る光源をしまっている。
「・・・え」
アリアはドキッとして思わず声を漏らした。
身をかがめて奥を覗き込んでみる。手を突っ込んで何度も探る。
紙と、光源が無い。
嘘。
ここは大事なものを片付けておく秘密の引き出しだが、大事なものゆえに滅多に使わない。
あの秘密のメモの内容は頭に入っているから、ここ数年見る事もなかった。
アリアは慌てて、引き出しを全て抜いて奥を覗き込んだ。挟まっている? 無い。
念のためその下の引き出しを開けた。構造的にあり得ないが、落ちていないか。無い。
嘘、いつから無かった?
誰かが持って行った?
そうだ、昨日ダンテが来た。持って行った?
だけど、ダンテに置き場所を話したことも無い。
ケーテルが知っていてダンテに教えた?
それしかない気がする。確認しなければ。
***
ブルドンたちの到着を今か今かと待っていた。
馬の準備も進めていると、本当にブルドンが乗る馬車が来た。
「毎日馬で通っておいでで、妻がアリア様を心配したので、迎えに来ました」
などとブルドンは皆に告げる。
執事長がブルドンの親切に礼を告げている。執事長は、アリアが単独で馬で通う事に戸惑い続けている一人だ。
さて到着の知らせに行ってみれば、ケーテルがいない。馬車の中にもいないようだ。
「おはようございます。ブルドンお兄様」
アリアが不思議そうに尋ねるのを、ブルドンがニコリと笑顔だ。
「おはようございます。アリア様」
「お一人なのですか?」
「今日は妻は休ませることにした」
「まぁ! ケーテルがどうかしたのですか!?」
「馬車の中で話すけれど、病気では無いよ」
少し照れたようにブルドンが言う。
何だろう、とアリアは思ったけれど、見送りの侍女の中にはハッと何かに気づいた様子。見てみれば、なんだか嬉しそうだ? けれど礼儀として黙っている。
なんだろう?
いってらっしゃいませ、と皆に見送られて、馬車に乗り込んだ。
***
馬車が動き出した瞬間、アリアは尋ねた。
「ブルドンお兄様、ケーテルはどうしたのですか?」
「・・・実は黙っていたけれど、妊娠しているんだ」
「えっ!? まぁ、本当に!?」
それで、他の侍女が気づいて嬉しそうな様子を見せたのか。
アリアも途端、嬉しくなった。
ブルドンは嬉しそうに照れたようにしながら肯定した。
「うん」
「おめでとうございます、ブルドンお兄様! ケーテルも!」
「ありがとう。照れ臭かったのと、まだもう少し様子を見てから、皆に言おうと考えて秘密にしていた」
「まぁ! とても楽しみですわね」
「うん。そうなんだ。ただ・・・」
ブルドンは照れた様子だったのに、急に真面目な態度に変わった。
「色々伝えないといけないことがある。色々だ」
「はい」
アリアも顔を引き締めてしまった。
「昨日ダンテが来たよね?」
「えぇ」
「アリア様は本当に狙われている。ダンテは多分これから毎日、夜にアリア様の護衛に行くよ」
「・・・えっ?」




