逃亡と駆け落ちは違うはず
アリアに腕をとられて、ダンテが動きを止めてアリアを見た。
アリアもケンカを止めようと見つめ返したが、じっと黙って見つめ合う状況にアリアは動揺してきた。
先ほど好きだと自覚したところだ。
恥ずかしくて、アリアはそっと腕を外した。
「そういえばアリア様の手を握らせてもらうって・・・」
「黙っててくれ!」
マーガレットの呟きを制するダンテの声が、どこか悲鳴のように聞こえた。
「あの、心配だから言うんですけど、怒ってばっかりだとアリア様が逃げちゃうと思いますぅ。愛想が尽きちゃいますよ?」
マーガレットが心配そうに、そしてアリアを労わるように視線を投げてきた。
「ね、アリア様? あ、苛立つ人が好きだったら話は違いますけど」
ダンテが動揺した気がする。つまりマーガレットが優勢に。
「よく怒る人が好きなんですか?」
困ったようにマーガレットに尋ねられた。
「い、いえ。違いますわ」
アリアはどうしたら良いのかオロオロしてしまう。
「でも・・・。じゃあどうして? ダンテさん、怒りっぽいですよ?」
「え、あ・・・」
「いい加減にしてくれ! 頼むから!」
「あ、あの、私、ダンテが好きだとは、一言も言っていませんわ・・・」
アリアは抵抗したくてそう言った。
しかし、『好き』という単語に泣きたくなってきた。
それでも、ダンテがこの状況をどう思っているのか気になって、つい盗み見ようとしてバッチリ視線が合う。
アリアは思いっきり動揺した。
「態度で丸わかりです?」
とマーガレット。
ダンテが呻いた。
「マーガレット嬢。頼むから口を閉じろ」
「あの・・・、私が言ってあげなきゃって思うので言いますね。ダンテさんも気持ちを言うべきだと思います。アリア様だけ言わせて、酷い。可哀想です」
「い、言ってないですわ・・・」
「もう何なんだ・・・」
震えるアリアの傍でダンテがため息をついた。
そして、勝手にアリアの片手を取り上げた。
アリアは驚き、自分の片手を握るダンテの手を見つめ、ダンテを見上げた。
「こういうことですよ。俺もうまく言えない。・・・これで十分だろう? もう止めてくれ」
「ふ、ぅーん。でも、言って欲しいですよね? アリア様ぁ?」
マーガレットがアリアに尋ねる。応援します、というような真摯な顔で。
「お前、単に色々確認したいだけだ。いい加減にしてくれ。この人を巻き込むな。頼むから」
ダンテが困り果てたようにマーガレットに告げた。
どういう関係なんだろうとアリアは思った。ダンテの口調が随分砕けている。
でもきっと、アリアの分からない4ヵ月で、仲良くなっているのだ。
なんだかモヤモヤ。
「どうして、駆け落ちしないんですか?」
無邪気にマーガレットの声が聞こえる。
「駆け落ちって、そんな・・・」
アリアはうろたえた。
好きだと自覚したのは先ほどだ。
逃亡はずっと考えていた。逃亡ならすんなり受け入れられる。でも駆け落ちは似ているけど気持ちが違う。
「今すぐ駆け落ちすれば良いのに。どうしてしないんですか?」
まるで責められているようだ。
アリアはマーガレットの表情を確認したくて顔を上げた。
マーガレットが真剣にアリアを見つめていた。どこか咎めるように見えるのはアリアの気のせい?
「私、エドヴァルド様が好きです。エドヴァルド様の力になりたい。私だったら両思いだったら駆け落ちを選びます。私はまだ片思いだから、無理だけど・・・良いなぁ、アリア様とダンテさん」
「いい加減にしろ」
ダンテが窘めるように呆れるように怒った。
そしてダンテがアリアを見る。
「とりあえず家の方に行きましょう。ブルドン様から指示を受けています」
「え、えぇ」
手は握られたまま、アリアはダンテに頷いた。
「あまりにも早いから慌てました。俺だけ急いで馬で探した。あぁ、あなたの侍女が泣きそうになって町を探していましたよ。知らせてあげないと気の毒だ」
「えぇ・・・」
「トニーに行ってもらおうか。とにかく移動しましょう。・・・大丈夫ですか?」
「えぇ・・・」
アリアは俯いていた。
「・・・何も聞いていないし、俺も何も言っていないけど」
ダンテが、少し声を小さくした。
「・・・大事ですよ。怒りっぽいのは直したいと思います」
意外な言葉だった。
アリアは真意を確かめたくなってじっとダンテの瞳を見つめ返した。
ダンテの耳が赤くなっている。表情がふと柔らかくなった。
「再会できて良かった。何度も泣きましたから、優しくしてください」
アリアはドキッとした。驚いた。
ダンテが楽しそうに笑う。
「とにかく話さなければならないことが多い。・・・行きましょう」
握っていた手が離され、代わりにエスコートの姿勢を取ってくる。
ドキドキする。恥ずかしいけれど嬉しくなった。
ふふん♪
機嫌のいい鼻歌に、振り返れば、妙にマーガレットがニヤニヤしていた。
アリアの視線に気づいて驚いたマーガレットは、エヘ、と照れたように可愛く笑った。
アリアの思考はぐちゃぐちゃだ。
自覚した気持ちと、今の周りの態度と状況と。
そして落ち着かない。
だけど、アリアはダンテが好きで、そのダンテは手を握ってくれて泣いたほどにアリアを大事に思ってくれているという。
アリアはそっと、ダンテの腕に手を添えた。
***
ブルドンとケーテルも馬車で戻ってきた。二人とも、アリアを見てホッとしていた。
なお、町でアリアを探しているアリアの侍女には、トニーが会いに行ってくれた。ブルドンの家が責任をもってお送りします、と伝え、先に屋敷に戻ってもらう。
ブルドンの住まいの方のエリアの応接間で、ケーテルとダンテがお茶やお菓子を用意してくれる。
ケーテルはブルドンの奥様なのに、アリアのためにといそいそと働いてしまうようだ。
ケーテルが嬉しそうなので、ブルドンも好きに動くので良いと思っているそうだ。
さて、皆それぞれソファに座る。
ダンテだけが着席を固辞して立っている。ブルドンも勧めを断ったダンテを許している。やっぱり信頼関係があるのだろう。
「さて。アリア様にも聞きたいことがあるのだけど、私たちに聞きたいことも多いと思う」
「はい」
アリアにとって重要だろう話を切り出したのはブルドンだ。
「説明の前に、一つ確認させて。アリア様に、その細い金色の腕輪をつけたのは誰? 言われたことや状況も覚えていたら教えて欲しい」
「・・・学園の前日でしたわ。お母様が、ご褒美でお守りだと言ってつけてくださいましたの」
「何か言われた? こうしなさい、というような事とか」
「立派な淑女になりなさい、とか・・・えぇと・・・」
あれ。つい先日の事のはずなのに、記憶が曖昧だ。
光景はよく思い出せる。母が優しく話してくれる。心得だ。腕輪を綺麗だと思ってアリアは見とれた。それで・・・。
それで?
首を傾げるアリアを皆がしばらく待っていたが、アリアがずっと困ったようになっているので、ブルドンが頷いてアリアに声をかけた。
「もうそこから記憶が曖昧なんだね。まぁ、そうしたのは私かもしれない」
「・・・どういう事ですの?」
「実はね」
ブルドンが、どこか重々しく口を開いた。
ケーテルもダンテもマーガレットも、全く口を挟まなかった。
しばらく、ブルドンが話をしてくれるのを聞いた。
アリアにとっていつの間にか過ぎている4ヵ月の事。
「・・・だから、アリア様には4ヵ月間の記憶が無い」
詫びられながらの内容に、アリアは酷く動揺して、勝手に手が震えた。
裏切られた。
お母様に?
いや、裏切り?
洗脳って。
4か月間。
ケーテルが立ち上がり、そっとアリアの手を握ってくれた。アリアはホッとした。
ダンテさんは? とマーガレットの囁きが聞こえた。
ダンテが動き近づいてきた。アリアが見ると、難しい顔をしていたくせに、急に困ったような表情になる。
「手を、握らせてください」
まぁ、とケーテルが驚いたように呟き、アリアの片手をそっと外す。
その手をダンテが両手で握った。
「勉強については、私がサポートします」
ダンテが優しく告げてきた。『私』という言葉に違和感を持ったが、ブルドンがいるから口調も丁寧なのだろう。
アリアは、分かったと頷いた。
「ありがとう」
ギュッとアリアが握ると、少し強く握り返してくれた。
「何があったんだろう? 私たちが戻るまでの間に」
ブルドンが意外そうに、マーガレットに確認する。
「恋人だという確認です!」
とマーガレットがニコニコ笑っている。
ブルドンが目を丸くした。ケーテルも、まぁ、と驚いた。
「え、恋人とか、そんなことは言っていないわ・・・」
アリアの声は小さく消える。
ダンテも苦情を漏した。
「私としては、マーガレットさんと若干言い合いをした記憶しかありません」
「違いますよぅ。お二人とも、照れてるんです。恋人同士なのにっ」
「そう言った覚えは、私にもアリア様にもありません。自重をお願いしたい」
ダンテがアリアの手を握ったまま、どこか突き放したように答えている。
「怒りっぽい人はアリア様嫌いですよ?」
「・・・まぁ、ダンテも落ち着こうか。ふぅん」
マーガレットとブルドンに、アリアは震え、ダンテは深くため息をついた。
勝手に関係を恋人に決められてる!
アリアの『エドヴァルド様の婚約者』という立場からもそれは不味いし、ダンテは実際どう思うのかも気になるし。
うぅううう・・・。大変。困る。
「ブルドン様にご報告します。ご到着を待つ間に、アリア様とマーガレット嬢との時間があり、マーガレット嬢がエドヴァルド様を慕っているので協力を、とアリア様に。その他の事は些末な事です」
「全然! 些末じゃないわ。酷いわ、ダンテさん。アリア様が可哀想!」
「本当に止めてください、恥ずかしい・・・」
アリアの耐えかねての発言に、皆がピタッと会話を止めた。
皆が注目してくる。
うっ・・・。これ以上何を言えと・・・。
「人の気持ちを周囲がはやし立てるのは良くありませんわ・・・」
ケーテルがそう言ってくれた。
マーガレットがムッとした。
またダンテがため息をついた。
「全くだ」
「あの、マーガレットさんは、私に協力して欲しいって言いましたわ」
別の話の流れを作ろうと、アリアは焦りつつもマーガレットについて発言した。
「皆さんが、私を腕輪の洗脳から助けてくださったのでしょう。本当に感謝いたします。戻していただかなかったらどうなっていたことか・・・。それで、マーガレットさんは私にその分の働きを期待しているおられるのですわよね?」
「はい!」
マーガレットは、はにかんで嬉しそうだ。
「エドヴァルド様との関係を協力するので良いでしょうか? どのような形が良いかご希望はあるのでしょうか?」
アリアがどこか真面目に一生懸命尋ねると、マーガレットも真顔になった。
「婚約を解消してほしいです。本当は好きじゃないのでしょう? ダンテさんも可哀想!」
マーガレットの言葉に一々動揺を覚えてしまうが、アリアは答えた。
「こ、んやくは、解消をお願いしたのですが、無理でした。家の事情もあるのと、エドヴァルド様からの要請もありました」
「じゃあ、やっぱりもう今すぐ駆け落ちしてください。アリア様とダンテさんのためにも。私のためにも」




