泣き過ぎのはず
はい、と答えない自分は酷い。
期待に応えられない。
それでも変えられない。エドヴァルド様は選べない。
「私は、とても・・・」
感情を抑えようとして上手く行かず、悲しみで苦しくて、アリアの身体は震えてきた。
話そうとすると感情が逆に膨れあがる。
だからといって黙っているままは許されない。答えなければ。
動揺し涙をこぼすアリアを、エドヴァルド様が引き寄せた。そのまま抱き寄せられたのを、アリアとっさに抵抗し、離れたくて胸を押してしまった。
エドヴァルド様が力を弱めて身を離した。
「僕以外を、好きになったのか」
「だ、わたし、は、とても、」
体が震えてうまく話せない。どう話していいのか分からない。
酷く泣いている。貴族令嬢として正しい振る舞いでは無い。
***
あまりにアリアが泣いて止まらないので、エドヴァルド様は困りつつ、そのまま家に送ってくれた。
さらっと、この後食事を、と言われたけれど、とても無理だ。
断った事で余計に涙が溢れて止められなかった。罪悪感と自己嫌悪感が酷い。
家で到着を出迎えた父と母が、エドヴァルド様のエスコートを受けて馬車から出てきたアリアの様子に驚いた。まだ泣いていたからだ。
「僕が、急に詰め寄ってしまったので、泣かせてしまった」
とエドヴァルド様が父に向かって詫びるのを、アリアはとっさに首を横に振って否定したが、自分自身はさらに混乱した。
制御できない。
「今日はゆっくり休みなさい」
エドヴァルド様を送り出した後、父までもが困惑し、アリアを労わるような事を言った。
それがさらにアリアを泣かせた。
皆を困らせている。アリアは自分をどう扱っていいのか分からなくなった。
***
アリアは自室で泣いた。
混乱しながらも、以前にブルドンがくれた秘密のメモを取り出した。紫色の光源で内容を読み返す。
やっぱり自分は死ぬのだろうとアリアは思った。
「ごめんなさい」
呟きが漏れて、止まらない。
涙がメモにボタボタッと落ちて、アリアは濡れた手で慌ててメモと光源を片付けた。
誰かに聞いて貰いたい。
ケーテルはもういない。
ダンテには見せたくない。まだ来ない。今日は来ない方が良い。
ブルドン。会えないし、こんなに混乱している状態でとても会えない。
誰に聞いて貰えるのか。
母も無理だ。
誰に話せるというのか。信じてもらえる方が奇跡だ。
普通は慰めて励ます。
『大丈夫、暗殺なんて起こるはずがない、心配なら警備をもっと増やせばいい』
警備など確実でない。
エドヴァルド様はアリアしかいない。アリアは邪魔者だ。
***
良い子になろうというのが間違っている。
泣き疲れてやっと涙が止まったアリアは、ベッドにうつぶせに倒れ込んだ状態で思い至った。
アリアは婚約している方が正しい。少なくとも学園に通っている間は。
実際、そこを覆すのは無理そうだ。
だから、やっぱり、逃げる準備を整えるしか、アリアにとって心の平安を保つ方法は無いのだろう。
今、こんな風に監禁状態になって、分かったことはたくさんある。
家の資金で買った家は、16歳の時にも、すぐに見つけられるし取り上げられただろう。
暗殺から逃げるといっても、今のままでは、アリアには逃げ出す体力も技術も無かった。
これは予行演習だ。このままでは無理だと知れたのだ。
自分自身が身軽に動けて、資金も確保した状態で行方をくらませる、そんな方法を作らなくてはならない。家に内緒で。
泣き収まって、部屋に用意されていたフルーツでのどを潤した。
顔も洗いたいが、自室から出たくない。使用人の前に出たくない。
アリアは、ふと、テーブルの端を強く掴んでみた。ダンテの助言を思い出して。
今の自分には、自分の体重を支えるなんて絶対無理、という自信が湧き起こる。
「・・・」
婚約は解消できない。
だから、婚約はそのままに、運動量を確保しなくては。
・・・他にも、必要な勉強があれば学んだ方が良い。
資金を得るのはどうするのが良いだろう。刺繍の腕はコツコツ磨いてきたけれど。それでやっていけるだろうか。
16歳で逃亡して、どうやって生きよう。
やっぱり馬車は欲しいけど、アリアが馬車を制御する技術が必要なのでは。
それに、馬車と言うのは逃げるのに目立つのでは? 目立たない馬車?
それともやっぱり馬か。・・・馬のエサの確保も必要だ。
いや、馬の場合、姿が見えるから、馬車の方がやはり良いの?
ブルドンに何か便利なものを作ってもらえないだろうか。頼めばきっとアイデアをくれる。
家に監禁されてから、ブルドンたちに会えていない。
アリアの人生、あの、町の家で遊んでいた時が幸せの頂点だったのかもしれない。
町では楽しかった。買い食いも楽しかった。
悪化の原因は、婚約を解消したいと、アリアが父やエドヴァルド様たちに告白してしまったことだ。
隠して黙っていれば良かったのだ。
・・・だけど、あまりにも好きでいてもらって、言うべきだと思ってしまった。騙している気分だった。
浅はかだった? だけど理解を求めてしまったのだ。
また涙が滲んできた。
泣きすぎて頭が痛くなってくる。
頭が痛いからもう泣きたくない。だけど悲しいから涙が出る。
アリアは手を伸ばしてフルーツを食べることにした。
泣きながら、モグモグとブドウを食べる。
***
入浴を済ませた。もう寝よう。
ダンテが来るかもしれない。今日は会う勇気がない。
とはいえ、こんな、6階まで来てくれるのに無視というのも。
・・・寝たふりをしている?
アリアは横になってシーツを被ったが、音を耳にして、やはりムクリと起きてしまった。
窓から人が入ってくる。じっと目を凝らす。やはりダンテ。それ以外なら恐怖以外の何者でもないが。
ダンテが室内をゆっくりと見回し、アリアを見つけた。
そのまま黙って立ち止っている。
ベッドにいるので困っているのか。
アリアはベッドを抜け出して立ち上がり、傍に向かった。
「・・・寝ていましたか? 帰りましょうか」
「ううん」
「どうしました」
「・・・」
ダンテが顔を近づけてきた。マジマジとアリアを見つめてくるのが分かった。
「声が変だ」
「・・・」
「何かあった」
ダンテが確信したように断定して来る。しかし声が変だと言われると声を出しにくい。色々バレそうな予感がした。
ダンテが、無言のままのアリアをじっと見つめて、手を伸ばしてきた。
頬に手を添えられた。
「どうしました。何があった」
真剣に尋ねられる。
どうして頬に手を添えるのか。手のひらから表情を確認しようとしているの?
「・・・どうしました?」
三度目、ダンテは少し躊躇うようにゆっくりと優しく聞いた。
アリアは目の前のダンテの服を掴んだ。少し引き寄せた。ダンテの手が外れた。アリアの身体の方がダンテに近づいた。体格差のせいだ。
近づいたダンテの胸元にアリアは黙ったまま頭をつけた。
何か言うべきだろうが、言葉にできない。声も出しずらい。
ダンテも無言でじっとしている。
しばらくそのまま突っ立っていると、アリアの頭にダンテの手のひらがゆっくり乗った。少し温かい。
しばらく動かず、それから、少し撫でられる。
無言だ。
温かい、とまた思ってから、アリアはやっと頭を少し上げて身体を離した。
ダンテの手も離れていく。
見れば、ダンテが真顔でじっとアリアの様子を見つめている。
多分、3度も聞いてくれたのに、アリアが無言のままだったせいで、ダンテはただ黙っている。
「泣いてたの」
とアリアは白状した。
そして、確かに変な声だ、と自覚して苦く思った。泣き過ぎ。
ダンテは少し困った心配そうな顔になり、しかし黙ってまた手を伸ばしてアリアの頭を撫でた。
アリアは少し笑んでしまった。
情けない気分だけど、慰めてもらって嬉しいと思った。
するとまた感情が揺れてきた。まずい。
俯いて黙ってしまう。
「何か、酷い事を言われた?」
と小さく優しく、ダンテが尋ねてきた。
アリアは首を横に振った。今、声を出すとまた涙が出る予感がする。
「酷い事をされた」
ダンテの質問のような確認に、またアリアは首を横に振る。
「では、何があった。心配になる」
ダンテが腰をかがめて俯いているアリアの顔を覗き込んでくる。
「また泣きそうだ」
と指摘される。心配そうに笑まれている。
アリアは口を引き結んだ。絶対泣く。それにダンテには話し辛い気分になった。
エドヴァルド様に、丁寧に真摯に、アリアだけだ、と言葉を貰ったのだと。
・・・駄目ー! また駄目ー!!
気配に気づいてアリアは感情を抑えようと思ったが無理だった。
事情を考えただけでアリアはまた涙を感じた。
あんなに泣いたのに!!
アリアは自分が腹立たしくなった。
ダンテがため息をついた。
「話してくれないと相談にも乗れない」
ダンテが仕方なさそうにしながら、姿勢を戻し、アリアの頭に手を乗せてアリアを抱えるように立った。
「・・・」
恥ずかしい。とアリアは思った。
身動きして見上げる。
ダンテがアリアの動きに気づいたようにじっと見てくる。
困っている。
「あの、ね」
とアリアは事情を話そうと思った。しかしまた声が揺れた。俯いてしまう。
ダンテが頭をまた撫でた。
情けない。
「当ててみましょう。今日、父親に怒鳴られた」
アリアは首を横に振る。
「母親に窘められた。いや、原因は母親」
違うと首を横に振る。
「原因は父親、または兄」
違う。首を横に。
「・・・家族では無い」
頷く。
「・・・」
ダンテが黙る。考えているのか。思い出したように頭を撫でられる。
「なら、第二王子か?」
アリアは、わずかに頷いた。
「第二王子。今日会った?」
頷く。
「・・・あぁ、婚約は解消できない、あなただけだと、そういう事を言われ直した」
頷いた。なぜ当てられるのか。アリアは不思議に思って、顔を上げた。
ダンテが気づいてアリアを見る。
「・・・声も変で今もまだ尾を引いている。余程、好きだと言われて、罪悪感でも持った」
「・・・」
「あなたは、エドヴァルド王子が、好きなのか?」
「・・・いいえ」
ダンテがどこかホッとした。アリアはじっと見上げていた。
ダンテが苦笑して見せた。
「好きでもない相手に好きだと言われ続けるのも、また苦痛だな」
「でも、ご立派な方なの」
「ほら、声が変だ。水分をたくさんとらないと」
「・・・フルーツを食べたの」
「そうか。でも水も飲んで」
「えぇ・・・」
「第二王子とは、結婚しなくて良い」
とダンテが言った。
「・・・えぇ」
「したくないのでしょう?」
「・・・。結婚、しない人だと思って、考えなくて、もう、」
「好きだと言われてももう無理だ。好きでもない相手だから余計に」
「・・・そう、なの」
「16で逃げて、好きな相手と結婚すれば良い」
アリアはじっとダンテを見つめた。
「一緒に、逃げてくれる?」
とアリアは確認した。以前、ダンテは言った。
ダンテが真顔でアリアを見つめた。
動揺したのか、視線が彷徨う。そしてまたアリアを見る。
どこか驚いている気がする。
見つめ合う。
 




