助けようと思っているはず
翌日もアリアはどこかぼんやり過ごしていた。
昨日のエドヴァルド様のお陰で、怯える気持ちは薄らいでいたが、それでも事実をよく受け止められないでいた。
そして、エドヴァルド様を支えるのが自分の役割、という思いが頭を占める。一方で、前世の知識があることで、どうして良いのか分からなくなる。
ケーテルも参っているようで休みを与えることにした。
アリアは、温室で過ごした後、自室に戻る。
やる事は変わらない。全ての侍女を待機不要として、一人でボーッとする。
思考停止していると自分で感じる。
侍女が開けていった窓に近寄り、外を眺めていると、
「入っても良いでしょうかね」
という小さな声が上から聞こえて、アリアはハッと驚いた。
「ダンテです」
「嘘。何、ダンテ」
「相談がありまして」
「どこ?」
「屋根ですが、入りますよ」
返事を迷っているうちに、ダンテがヒョイ、と窓から入ってきた。
「信じられない・・・」
「今、仕事をさぼっています」
「そう」
「それで、アリア様に頼むしかないと思って、やってきました」
「正攻法で来るべきじゃないのかしら」
「・・・数日前のショックからは戻られましたか?」
「・・・まだ変な気分でいるの」
「そうでしょうね。だけど、お願いがあってきました」
「なぁに」
「ブルドン様と、あなたの侍女の事です。問題が発生しています」
「何?」
これは白昼夢かと信じられない気分でいたが、ブルドンとケーテルの事だと言われたアリアは慌てて意識を戻した。ぼんやりしている場合では無い。
ダンテは部屋の中を見回し、アリアに目を止めてまじまじと告げた。
「侵入しておいてなんですが、アリア様は警戒が無さ過ぎですね」
「本当に、あなたが言うのはどうかと思うの。それより、ケーテルとブルドンお兄様がどうしたの」
「はい。どこまでご存知か分かりませんが、えー。ブルドン様とあなたの侍女が恋仲で、アリア様は応援していた。それは合っていますね」
「・・・えぇ」
あ、ダンテにバレた。とアリアは思った途端、ザァと血の気が引く思いがした。
え。どこまで、誰までに? まさか、両家全員!?
アリアが戻らなかったことは大事になった。
状況を説明する必要があったはずだ、ケーテルも、ブルドンも。なぜアリアを一人にしたのか、何をしていたのか、と。
「ブルドン様が、あなたの侍女と結婚すると宣言しました。それを聞いたアドミリード家の方々は、ブルドン様を説得して宥めようとしていますが、ブルドン様に全く聞く耳はなく、身分を捨ててケーテルを妻にすると宣言しました。一人息子なので旦那様も奥様も、アドミリード家関係者が大騒ぎです」
「・・・」
「アドミリート家がこちらのテスカットラ家に、状況確認をしまして、その侍女も、清い仲だが想い合っていると。ただ、身分違いで相応しくないと泣いているという回答でした」
「えっ・・・」
ケーテル! そんな事になっていたなんて。
休みを与えない方が良かった!? せめて自分の傍にいてもらった方が良かった!?
いや、ケーテルにとってどちらが良かったのか。
「アリア様の一件も、侍女の職務放棄で起こった事ですし。問題があります」
「それは私が悪かったのよ! 勝手に抜け出したのは私なのに!」
「そうですね。まぁそれは置いておいて、実は俺は、アドミリード家に勤める前に、あなたの侍女とは顔見知りでした」
「・・・そう、なの」
そういえば、町でダンテが気さくな声をケーテルにかけようとしたことをアリアは思い出した。
「あなたの侍女が悩むのもまぁ、分かるので、ちょっと・・・まぁ、彼女の悩みが減るように、彼女の身元保証人と言いますか、相談しに行きまして、するとそちらは貴族の嫁になるなら良い、と了承が取れました」
「・・・変な言い方をするのね?」
アリアは不審に思って首を傾げたが、ダンテは相手にしない。
「聞き流すべきところでしたよ、アリア様。それで俺は、わざわざ骨を折って、あなたの侍女を訪問してやり、それを伝えました。ただ、俺の言葉を信じません」
「・・・信じてもらえないなんて、どういう関係なの?」
「本題はそこではありません」
じゃあ何。
「アリア様には、この問題を解決する策がありますか? 俺から見ても、ブルドン様が家を捨てるのは無理だろうと思えます。一人息子ですからね」
「確か、ブルドンお兄様も、できるなら貴族をお望みだと思うの・・・」
「ならば、侍女の身分を格上げするしかない」
「つまり、えぇ。そうね、ケーテルを我が家の養女にすれば良いの。お父様の娘が難しいなら、私の養女でも良いと思う」
「それができるのですか?」
「ブルドンお兄様の熱意があれば。それに応える形で可能だと思う」
「こちらの家もその形を受け入れて良いという事ですね」
「ケーテル本人の意思の確認が必要だわ。勝手に決めてはいけないと思う」
「ではケーテルに伝えてください。俺の言葉を信じろと」
「そう伝えるには、私がダンテとその身元保証人の方の事を知らないと思う」
「そうですね。とにかく、助けるなら早くしてください。ケーテルが不遇の扱いを受ける可能性がある。アリア様の一件の責任を取らせるとか、色々理由はつけられる」
「! ケーテルに今から会いに行くわ」
「頼みます」
「ありがとう、ダンテ。そうだ、あの日も、助けてくれてありがとう」
「お詫びとお礼に、今度は肉とビールを奢ってください、町で」
「さぼっている時に?」
「違います。俺をつまらない仕事から借り出してくれればいいんです。懲りないお嬢様ですね、もう一人で歩かないでください」
「抜け出したい時はダンテが一緒にいてくれるのね」
「構いませんけど、適当にあしらいますからね」
「それで良いわ、ありがとう、ダンテ」
アリアが笑うと、淡々と答えていたダンテが最後にふっと笑んだ。
「どういたしまして」
そして、窓から上に姿を消した。なんだか慣れている気がする。
そんなことより、ケーテルだ。
アリアは急いでケーテルの部屋に向かった。
***
ケーテルは自室にいなかった。
家政婦長や執事長と一緒に、色々尋ねられているところだった。泣いている。
貴族令嬢のアリアは、遠慮せずバァン、とドアを開けた。
「ケーテルッ!」
大きな音と声に皆が驚いてアリアを見た。
アリアだと分かると、マナーを咎めるために、執事長が立ち上がり眉をしかめる。
「ごめんなさい」
とアリアは先に謝る事でその動きを止めて、座って涙を浮かべながらアリアを見るケーテルの腕をつかんだ。
「私、ケーテルに相談したいことがあるの! とてもとても急ぎなの!」
「アリアお嬢様。私たちは今、とても重要な事をケーテルに確認しなければならないのです」
「ブルドンお兄様との恋を応援している事を、黙っていてごめんなさい」
先にアリアは謝った。絶対、もう皆知っている。ダンテがそう知らせてくれた。
「私、今も応援しているの。だから、協力して、お願い、ケーテルの事が大好きなの!」
「アリアお嬢様・・・」
家政婦長が困った様子で呟きつつ、執事長と視線を交わす。
「とにかく、私、ケーテルに相談したいことがあるの。今すぐ!」
「・・・ケーテル、行って来なさい」
アリアの駄々っ子状態に、執事長がケーテルに頷いて見せた。
皆、どうして良いのか困っている感じがした。
***
自室にケーテルを連れ込んだアリアは、誰もいないはずの室内に目を走らせた。
「どうされましたか」
「誰もいない事を確認しているの」
「・・・」
たぶん、誰もいない、だろう。ダンテとか。
よし。
「ケーテル、座って」
アリアはソファでケーテルを隣に座らせて、その手を取っていった。
「ダンテが、この部屋に侵入してきたわ」
「!」
顔色を変え、立ち上がろうとしたケーテルを引っ張る。
「多分もう帰ったの。ケーテルとブルドンお兄様の事を伝えに来てくれたのよ」
「・・・ダンテさんが、ですか?」
「えぇ。やっぱり心配しているのだと思うわ。ケーテルに会いに行ったけど、信じてもらえなかったと言っていた。実は顔見知りだったって」
ケーテルが言葉を失ったように突っ立っている。
アリアが引っ張ったので、再びソファに座り直した。
「身分差の事だけど、ブルドンお兄様の熱望に応える形で、我が家の養女になる方法があるの」
「・・・そんなわけには、参りません」
「ケーテルはどうなりたいの?」
「・・・ブルドン様はとても、素敵な方です。けれど、無理ですわ!」
「でもブルドンお兄様は多分、ケーテルでないと無理っていうぐらいケーテルが好きよ」
傍で見ていたのだ。『この人』とブルドンは決めている。
「間違いなく両思いなのに、ブルドンお兄様のことを捨ててしまうの?」
「私、どうしたら良いでしょうか・・・?」
感情が込み上げたらしく、どっとケーテルが泣いた。
「皆が良いと言っているのだし、このまま幸せになれば良いと思うの」
「でも、私には資格がありません」
「じゃあ、資格はなかったのに選ばれてラッキー、で良いと思うの。ケーテルも幸せになれば、ブルドンお兄様は最高に幸せになれる。ケーテルがお別れすれば、ブルドンお兄様、立ち直れるか分からないと思うのだけど」
アリアの言葉に、ケーテルが濡れた目でアリアを見つめる。
「ひょっとして、ブルドンお兄様が家を捨てて庶民になった方が嬉しい?」
「そんな。身分を捨てさせるなんて、とんでもありません」
「そう。あぁでも、ブルドンお兄様は、あの家があまり好きではないご様子だから、捨てても良いと思っているのも本当だと思うけど・・・」
アリアはふと気づいた。ブルドンを馬鹿にする使用人が揃っているらしいところに、使用人の嫁を迎えたらどうなるか。
大事なケーテルも見下される。
あっ、非常に腹が立つ。アリアが。
自然と据わった目になったアリアは言った。
「大事なケーテルを大切にしてくれない家にお嫁に出せないかも。ブルドンお兄様は家を捨てるので正解かもしれないわ」
貴族らしくない意見にケーテルが不思議そうにアリアを見た。
「まぁでも、そこは、ブルドンお兄様が考えてくださりそう。自分の家の事だもの。ブルドンお兄様はケーテルを大事にしてくれるから、判断を間違ったりしないはず。そこは信頼しましょ」
ニコッと笑んだアリアに対して、ケーテルは瞬いた。
「とにかく、ケーテルは結婚して良いと思うのよ。庶民でも貴族でも、ブルドンお兄様と。ダンテがね、大丈夫だ、俺を信じろと伝えてくれ、って言っていたわ」
「・・・ダンテが本当に?」
「本当」
アリアは笑ってみせた。
「・・・ダンテは、アリアお嬢様の事を気に入っています、ね」
「え?」
どういう意図かとアリアはじっと見る。
「ダンテがわざわざ、口添えを頼むなんて」
「・・・ケーテルを心配しているのよ、それだけ」
ケーテルは少し、信じられ無さそうな、不思議そうな顔をしていた。




