役割のはず
「どういうことです、俺が殴ったのは医者、アリア様を助けた人!?」
「そう、そうなの、私」
ダンテは驚きながらもアリアを抱え直し、
「とにかく、ケーテルの元にあなたを連れていきます」
と、また走った。
アリアの庶民用の家につき、ダンテが乱暴にチャイムを鳴らす。
ケーテルがすぐさま飛び出してきた。
「アリア様・・・! ダンテ、ありがとう!」
アリアを受け取り、抱きしめて泣く。
ダンテが早口で状況を伝えた。
「皆に合図を、それから、俺は恩人を殴ってしまったらしい、今から戻る。おい、良いか、しっかりしろ」
「えぇ、ごめんなさい、アリア様、」
泣きながら頷くケーテルとアリアたちを見て、ダンテはまた町に走る。
アリアは慌ててダンテの後ろ姿に声をかけた。
「あっ、ありが、と・・・!」
ケーテルもダンテも、酷く心配させた。
「アリアお嬢様、ご無事、ですか? 一体どこにいらしたのです」
ケーテルが泣きながら尋ねてきた。
「ご、めんなさい。ごめんなさい。あの、手を、離せなくて、それで、薬をって」
「何かされていませんか、殴られたり、脅されたり、されていませんか」
「薬を買えって、それで」
「薬・・・!?」
「お医者様が、連れて来られて、買ったの」
「飲んだのですか!?」
「私じゃなくて、陰みたいな、不思議な、人が、病気で・・・」
「アリアお嬢様は、飲んでいないのですね!?」
「えぇ」
アリアは頷いた。ケーテルが震えている。
「私は買っただけで、連れて来られたお医者様と、逃げてきたの。町に出た時に、ダンテが、来て、間違えてお医者様を殴ったみたい」
「ダンテも探してくれていたのです」
「ブルドンお兄様は?」
「私が、頼りにならず、それでブルドン様が・・・あ、皆に知らせなければ」
ケーテルがアリアを抱きしめながら、上を見た。
***
三階の灯りをつけることが、アリアが見つかった合図だったらしい。
多くの他の屋敷の者たちも集まり、中にはブルドンもいた。アリアは皆に囲まれて屋敷に戻った。大騒ぎになった。
後で分かったが、ブルドンが屋敷に応援を求めに行き、使用人をつれて戻り町を探した。ダンテもずっとアリアを探し回っていた。
あの医者のフォローもされたそうだ。ダンテが思い切り殴ったため負傷していた。その治療と、その医者を頼る患者のフォローのために屋敷から人が派遣された。
一方でアリアは、何があったのかを家族に話した。
ふと、ケーテルが傍にいなくなっていると気づいたアリアは、ケーテルを元に戻すように懇願した。それでもその日はケーテルは傍に戻ってこなかった。
翌日、ケーテルについて尋ねてばかりのアリアのところに、項垂れたケーテルが戻ってきた。
アリアは一生懸命謝ったが、ケーテルも深々と謝罪してばかりだった。
何かが落ち着かない。朝も昼も、食欲が湧かず碌に食べられない。
勿論、その日の予定は全て取り消しになった。
アリアは、自分が楽観しすぎていたと考えていた。前世の記憶があるから楽勝だと。少なくともゲームが始まり終わる、16歳までは無事のはずだと。
だけど、本当に何もなく平和な世界なら、暗殺なんて起こらない。
じっとしていられない気分の一方、動くことが怖くて戸惑われる。
母が傍についていてくれた。
落ち着かせようとしてくれる。頭を撫でたり、歌を歌ったり、鳥を見せてくれたり。
戻ってください、もう大丈夫、とアリアが言っても母が戻らないのは、アリアの様子がおかしいからだ。
だけどこれでまだ落ち着いている。どうしようもない。
でも、またあの人たちが急に現れたら?
腕を掴まれた恐怖がにじり寄ってきて、アリアは急に身震いを起こす。
母が大丈夫、と言いながら抱き寄せてくれる。
***
「アリア。エドヴァルド様が来られたよ。出掛けようとおっしゃっている」
ノックの上、入室してきたのは兄のジェイクだった。
そのすぐ後に、エドヴァルド様が入って来られた。アリアも母も驚いた。
エドヴァルド様は母と挨拶の上、アリアに少し悲しそうに笑み、手を差し出した。
「アリア様。町に、今から行きましょう。お見せしたいものがあるから」
町は怖い、とアリアは思った。なぜそのような誘いをするのだろう。
「知るのは早い方が良いと考えて、迎えに来たんだ。王としての父上にも許可を貰ってある。動けなくなる前に、私と行きましょう。大丈夫。私がついているから。怖がらなくて良い」
「・・・どこへ?」
とアリアは聞いた。王様にも許可を貰った?
「昨日アリア様が入ってしまった場所に。私は何度か行っているんだ。大丈夫、一緒に行きましょう。昨日は驚いたはずだ・・・今日は、あの人たちとあの場所に、私は花を贈りに行く。・・・アリア様のために、行きましょう、一緒に」
「・・・はい」
アリアは頷いた。その手を取る。
エドヴァルドが優しく顔をほころばせた。
***
出掛ける用意を手早く整え、アリアはエドヴァルドの馬車に乗り込んだ。
連れていきたい人はいるかと尋ねられて、ケーテルを挙げた。
兄ジェイクが、ならば当事者としてブルドンも連れていこうと言い、ブルドンも呼び出した。ダンテがブルドンの付き人としてついてきていた。
夕暮れが近い。
エドヴァルド様が、ある一角で馬車を降りる。アリアの手を取り、エスコートしてくれる。
たくさんの花束を抱えたエドヴァルド様の付き人たちがついていく。ケーテルもブルドンもダンテもいる。
エドヴァルド様と進むと、いつの間にか昨日そっくりの路地を歩いていた。
不安になり、頻繁にエドヴァルド様の表情を確認しようするアリアに気づくたび、エドヴァルド様はアリアを安心させるために笑みをくれる。
たどり着いたのは、昨日と同じか違うか分からない、同じような広場だった。よく見えない場所だ。
足を止め周囲の建物にいる人のような影を見渡し、エドヴァルド様が静かに言った。
「ここにいる人全て、私たちには顔が見えない。不思議だね。皆、大人しく、この後どうなるか知っている様子なんだ。・・・数日で消えて、なくなると」
言葉が出ないアリアにエドヴァルド様は優しく笑み、後ろに従う一人が持つ花束から、数本受け取った。
「一緒に行こう。怖くないから大丈夫だよ。私は、小さな頃にこの場所を教えられて、何度か定期的に訪れているんだ。花を、一人一人、1本ずつ渡していく。『私たちは、あなたがいると知っています、これはその気持ちです』という意味を込めて、贈っている。私が、花を育てているのは、この人たちに贈るためでもある」
エドヴァルド様が促す。アリアも一緒に歩くことにした。
建物に入り、人だと思える存在に、花を一輪、エドヴァルド様は丁寧に渡す。相手も受け取り、大切に両手で花を掴んでじっとしている。
エドヴァルドは歩いて、他の存在にまた一輪。
手に持つ花が無くなると、後ろの付き人から数本受け取り、繰り返す。
「随分昔に、この姿の人たちの居場所にと、この場所が作られた。王都には現在、7カ所ある。それまでは、居場所がなくて大変哀れだったそうだよ。町の人は気づかないのに、貴族に不思議と見えるそうだ。ただ、医者は知っている事も多い。巻き込まれてしまう事があるそうだ。自分たちの事がよく分からない人がたまにいて、助けを求めてここに連れ込むのだそうだ。まさかアリア様の身に起こるなんて・・・一人でいたせいかな」
もう二度と一人で歩くのは止めよう、とアリアは思う。
「・・・この人たちが何かという事は、医者から教えられて代々伝わっている。例えば、町で花に水をやる女性、例えば、毎日木を切る男性。この人たちは、彼らだった。白いものと入れ替わって、この人たちが身体から出てくるそうだよ。どうも、身体の中身が入れ替わっている。交代しているようなんだ」
え?
アリアはエドヴァルドの表情を見上げながら聞いた。
「身体から出て、居場所がなくて彷徨って・・・昔の王族がこの場所を作って与えた。ここにたどり着けたら、ここで休めばいいと。それで、数日後には消えてしまう。・・・不思議だね。でも、私たちの世界はこんな風にできているらしい。顔も知らないし見たこともない人たちが生きていて、その上に、私たちがいるのだと、教えられた。大勢の名も顔も知らない民たちの日常。それが私たちが守るべき暮らしだと」
エドヴァルドが、全員に花を一輪ずつ渡し終わるまで、アリアはずっと傍にいた。
半時間かかった。
今や、全てが手に花を持ち、じっと静かに只ずんでいた。
「では、もう行きましょう、アリア様」
エドヴァルドがアリアに言った。
アリアは、
「はい」
と答えて頷いた。
一緒に路地を進み、見慣れた町の一角に戻れば、空にはもう星が瞬いていた。
***
帰り、エドヴァルド様は、礼を告げたアリアに言った。
「どういたしまして。・・・きっと見せた方が良いと思ったんだ」
と。
「私もあなたも、この国を支えていく王族貴族だから。・・・存在も顔も分からない人たちの全てを、私たちは守っていかなくてはならない」
アリアはじっと見つめた。
優しく丁寧な第二王子エドヴァルド様。
そればかりでなく、彼はきちんとこの国の中心の一人として責任を感じて生きていた。
アリアが知らない事をたくさん知り、受け止めていた。
アリアは自分が情けなくなった。
前世を持ち大人ぶっているくせに、目の前の14歳の少年に届かない。
「・・・アリア様、私を支え続けて欲しい。国の全てを知っていて欲しいなんて思ってはいない」
エドヴァルドは真剣な表情をしている。
「私の逃げ場所でいてください。私が逃げたり隠れたい時、あなたがいてくれれば、私はそれだけで救われる」
「・・・エドヴァルド様」
エドヴァルドが、横に並ぶアリアの手を取り口づけた。
「どうか、変わらず私の傍にいて」
アリアは返事もできず、じっとエドヴァルドの瞳を見つめ返した。
王家の者としての務め、責任感をエドヴァルドから感じる。
そして、アリアも同じだ。エドヴァルドを支える事だ。それは、務めだ。名家の貴族令嬢、そしてアリアの。役割だ。
「エドヴァルド様を、尊敬いたします・・・」
「ありがとう」
真面目に呟くように答えたアリアに、ゆっくりエドヴァルドの表情がほころぶ。
***
部屋に戻ったアリアは、エドヴァルドについてしみじみと噛みしめた。
アリアがまだ訳が分からないうちに、真実を伝える方法で力になってくれた。
アリアが怯えて動けなくならないように。
すでに人格者だ。自分など届かない。尊敬する。
エドヴァルド様を支えるのが、アリアの役割なのだろうとアリアは思った。
恋など関係なく。
自分は、エドヴァルド様の傍にいるべきだ。国を支えるエドヴァルド様を、支える者だ。
「・・・」
だけど、そのような未来が訪れるのだろうか。
身分剥奪か、暗殺か。
だけど。
自分は役割を放棄して良いのだろうか。
14歳の少年が、もう国を思って生きているのに。




