庶民に追放のはず
目の前のキラキラした男の子の顔を見た途端、アリア=テスカットラの脳裏に不思議な記憶が蘇った。
怒涛の記憶に、アリアは、
「ぴゃっ」
という小さく可愛い悲鳴を上げて意識を失った。
そしてアリアは、3日間も熱を出して寝込んでしまった。
アリアが目を開けた時、両親と兄が自分を囲んでいた。心配で家族皆が付き添っていてくれたのだ。
皆ほっと安堵し涙を浮かべていく。皆がアリアの目覚めを喜んでいる。
一方で、兄の姿を認めた時に、アリアは確信した。
私は転生してしまったらしい、と。
ちょっとやってみた乙女ゲームの世界だ。
茫然としつつも、アリアは比較的落ち着いていた。
なぜなら、32歳の状態に、現在4歳のアリアのこれまでの記憶、を追加で持った状態だったからだ。32歳の方が勝ってしまったのだろう。
さて、父親が涙を浮かべながらも、アリアを励ますように、部屋を見回し告げてきた。
「アリア、エドヴァルド様が心配してくださっている。毎日お花を届けてくださっている。ほら、ご覧」
安堵で涙を流している母親も言った。
「アリア、あなたはエドヴァルド様との顔合わせの席で急に倒れてしまったの」
そして、兄もやはり涙を浮かべてこう言った。
「喜べアリア、エドヴァルド様との婚約が決まったよ。おめでとう、アリア」
さすがにアリアは動揺した。
アリアが倒れている間にも、エドヴァルド様はアリアを気に入り、婚約が決まっていたらしい。
ちなみにエドヴァルド様はこの国の第二王子である。
***
この世界は乙女ゲームの世界と同じか、とても似ている世界だろう。
なお、ストーリーはありきたり。
14歳になって通える王立学園にヒロインが入学。
ヒロインは庶民だが特待生で入学できた。
他は貴族名家の子息子女が通っている。
ゲームとしては、出会う相手と会話して、時に行動や会話を選択して、誰かとハッピーエンド。終わり。
アリアは、前世にて、きれいなイラストに惹かれて3度ぐらいプレーした。
それほど難しくはなかったと思う。
ある程度満足したので他のゲームに移ったわけだが。
さて、転生したとなると問題があった。
自分はヒロインで無く、お邪魔キャラに転生したという事だ。
ヒロインに嫌味を言ったり嫌がらせをしてくるキャラクター、いわゆる悪役令嬢。それが、アリア=テスカットラ。
ちなみにブルーとレースが似合うお姫様チックなお嬢様。冷たい感じだ。
さて、現在4歳児のアリアは、うーん、と考えて、悩んだ
悪役令嬢は、最後まで嫌がらせをして、結局それが元で学園追放、ではすまなくて、身分剥奪で庶民に追放。だったと思う。
「じゃあ、もう良いかなぁ、それで」
とアリアは思った。
32歳の記憶を持つアリアは、今から心づもりをしていれば庶民としてやっていけるだろうと考えた。
それに、アリアは、現時点では、おっとりしたちょっと鈍くさい女の子だった。4歳児で、発音もまだ難しくて、舌足らず。
しかし名家の貴族令嬢として生まれたために、すでに淑女教育が始まっていて、これがアリアには嫌で仕方がなかった。
アリアは所詮悪役令嬢という脇役なので幼少時など詳しく知らないが、多分、王子様と婚約が決まったことで、淑女教育がさらに強化される気がする。アリアが親ならきっとそうする。
アリアは、前世、働いて働いて働いて疲れていた。そんな中で事故死してしまった。
また頑張るのは嫌だな、とアリアはしみじみと思ったのだ。
もう庶民で良い。
どうせ婚約破棄されて庶民に追放されるんだから、お勉強なんてしても無駄。もうやりたくない。
初めから庶民生活に目標を定めて、そっちに向けて生きよう。そうしよう。
つまりアリアは、『追放を免れるために運命変えてやりますわ!』という方向に頑張る子ではなかった。
***
そして8年。
周囲に怒られながらも結局甘やかされて育ったアリアは、もう12歳。
興味の向かない勉強は抜けるだけ手を抜いたために、洗練さのない令嬢になっているが、しかし家柄の良さと愛らしさで存在を認められているような状態だ。
とはいえ、庶民化に向けての調査と準備はやっている。
ゲームは14歳で始まって、16歳のパーティで結果が決まる。つまり、そこでアリアの庶民化が決まる。
つまりあと4年で、庶民になるのだ。
いよいよ本腰をいれて準備しないと。
なお、現時点で第二王子エドヴァルド様との仲はむしろ良好だ。
2つ年上のエドヴァルド様は、幼少時のアリアの幼く愛らしい様子に一目ぼれしたらしい。倒れた時の悲鳴さえ可愛かったらしい。
なのにヒロインに目移りしてアリアは捨てられる運命なのだ。この世は無常だなぁ。
というわけで、アリアは庶民化に向けて、頻繁にお忍びで町に遊びに行って友人の輪を広げたり、家をこっそり買って家財も揃えておく、とか、思いついてできることをやっていっている。
あと、刺繍は頑張っているから、それで稼いでいこうとは考えている。隠れ家に、すでに売ろうと思っている品も保管していってるし。この家も取り上げられたら物凄く困るけど。
将来について考えるアリアに向かって、声がかけられた。
「アリアお嬢様、ブルドン様がお待ちですよ」
「はぁい」
最近新しく入った侍女ケーテルだ。アリアは緩んだ返答をする。
ちなみに、ケーテルはいかにも『できる女』という感じのお姉さんだ。恐らく、淑女教育に全く身を入れないアリアの気を引き締めるために、優秀な侍女が傍に配置されてしまったのだろう。
ちなみに優秀なので、アリアはさらに楽ができるという矛盾。
さて、アリアはポテポテとした足取りでゆっくりと応接間に向かう。
ちなみにブルドンは従兄弟だ。アリアの2つ年上で、同年代の男性に比べてもどこかぼーっと呑気な性格をしている。
第二王子の婚約者であるアリアと仲良くさせなくては、と親が思うらしくて、交流を深めるために遊びに来るのだ。
「ブルドンおにいさまー、お待たせいたしました」
開けられた扉を通って、従兄弟に声をかけた瞬間だ。
ブルドンが、カッと目を見開いた。
そして、あろうことか、アリアを指差し、
「あ、ああ、あぁああ、あ、あ、ありあ」
と言った上で、どっと後ろに倒れ込んだ。
危うく後頭部を床に打ち付けるところを、彼についてきた彼の使用人が慌ててかけより受け止めたので、すんでのところで頭部の強打を避けることができた。
「ブルドンお兄様!? どうなさったの、しっかりなさって!!」
さすがの事態にアリアも驚き蒼白になった。ブルドンに手を伸ばしたところで、傍の侍女、ケーテルが鋭く制止した。
「お嬢様、動かしてはいけません!」
「お医者様を! お願いいたします!」
ブルドンを支える使用人が訴える。
「誰か!」
慌ててアリアも叫ぶように声を上げた。
***
ブルドンは意識を失っている。
先方の家に連絡し、一方でとにかく安静にと、今はアリアの家の客室のベッドで眠っている。
なお、ブルドンとアリアの家の関係は良好だ。皆心配してブルドンの意識が戻るようにと祈りながらベッドの傍に集まっていた。
倒れてから3時間が経った頃だ。
スゥっとブルドンの瞼が開いた。
「!」
「ブルドン!」
「気が付きましたか!!」
皆が口々に声をかけようとする中、ブルドンはどこか青い顔色のままでアリアたちを眺め、アリアのところで目を止めた。
そのまま身体を起こそうとして来る。
まだ寝ていた方が良い、という周囲の反対を押し切り、ブルドンは固く決意したような表情で、
「アリア様と話をさせてください、二人きりで」
と申し出た。
あまりに強い意志を感じさせる瞳をしている、と父が判断して、アリアを残して皆退出した。
とはいえ、アリアの侍女と、ブルドンの付き人は部屋の隅に控えたままだが。
ブルドンは侍女と付き人さえ気に入らないようで眉をしかめたが、ため息をついたようだ。
「内密の話がしたい。もっと端にいっていてくれ。こちらの話を聞くなよ」
「承知いたしました」
アリアも困ったが、一応、ケーテルに、同じことをお願いしてみた。あまりにもブルドンが真剣な顔をしているからだ。いつものほほんとした雰囲気の従兄弟しか知らないので、余程の話があるらしい。
「ケーテルも端で、お願い」
「かしこまりました」
さて、とアリアは改めて従兄弟のブルドンに視線を向ける。
ブルドンは、内密の話らしく、傍に寄るように言った上で、声を潜めた。
「きみ、アリア=テスカットラだ。第二王子エドヴァルド様と婚約している」
「はい」
何を今更、とアリアは思ったが、向こうは突っ込めないほどの真剣な様子だ。黙って聞こう。
「・・・俺の2つ下だから、今12歳だな」
「『俺』?」
アリアは首を傾げた。ブルドンは、自分の事を『私』と言うのに。『俺』などと初めて聞いた。
「12歳だな」
「はい・・・」
なんか変だなぁ、と思いつつ、アリアはコクリと頷きもつけて返事をした。
「アリア=テスカットラ」
ブルドンは身を乗り出してきた。酷く真剣なままの態度で。
「きみ、きみは従姉妹だ。きみこのまま行くと、殺されるぞ! 一刻も早く対策を練らないと、暗殺とか暗殺とか暗殺とか、とにかく死ぬ!」
「・・・ぇ?」
「俺を信じろ! いいか、アリア=テスカットラは、ヒロインを苛めてとにかく色んなパターンで命がヤバイ!」
「え、嘘よ、私は平民になるの・・・」
あまりにも衝撃を受けていたアリアは、素でそんなことを答えた。
ブルドンは必死で首を横に振った。
「いやいやいやいや、死ぬから! 俺、従姉妹で、おっとり可愛い妹だと思ってる、殺されるなんて冗談じゃないよ!」
「え、嘘、だって・・・」
「嘘じゃないっ!」
ブルドンは力強く言ったところで、ふらついた。
「俺は、転生者で、チクショウ、なんでこんなモブに、あぁ、でも・・・うぅうう」
なんだか混乱しているようだ。
アリアは泣きそうになりながらもブルドンの事を心配した。
「ブルドンお兄様? しっかりなさって!」
「俺は、日本で、クッソ、なんでだよ、あ、う、う、でも、うあ」
「ブルドンお兄様! しっかり!」
アリアが心配で肩に手を添えた時、ブルドンはまた意識を失ったらしく、急に身体の力が抜けてぐにゃりと姿勢を崩す。
「ひゃ、え、ケ、ケーテル! ケーテルきてっ!! 助けてっ!」
アリアは慌てて、部屋の隅に控えている自分の侍女を呼んだ。