鍛冶師を始めよう
「いや、馬車があるっつってもよ。こりゃ買い過ぎだろうよ」
スキンヘッドを撫で上げ、ラインさんは呆れて首を振る。
「あ、あはは。必要なものを揃えてたらどんどん嵩張ってしまって。いや、反省してます」
「お前はこの世界に来たばかりで私物は無かったからな。納得しないでもないが、一度に買い込む量ではないぞ」
そこには馬車の一角を丸々占拠する荷物の山があった。本に素材に服にと金にあかせて買い集めた結果だ。
とはいえ俺の計算ではまだまだ買い足さなければならないものがあるので、これは序の口と言える。最速でスキルを上げるには経験こそが最も重要なのだから。
「ひとまずは基本スキルを習得しようと思うんです。そのためにも練習用の素材はあるに越したことはありませんし」
「おう。それはいいがどこに保存するつもりだ?」
「どこ……あ」
そういえばシルヴェストに戻った後のこと全然考えてなかった。拠点がないと常に持ち運ばなければならないのか。盲点だった。
「そういえば“赤撃”はシルヴェストを拠点にしてるわけじゃないんですよね?」
王都に来るまでの旅路で聞いた話では隣国クルストファン王国の出身で、一年ほど前までそちらで活動していたらしい。エルネア王国には探し物があると言っていた。
「そうだな。俺たちはクルストファン王国の人間だ。当然向こうに拠点がある」
「僕たちは装備を新調するためにここエルネア王国まで出張ってきたんだ。そしてある意味でその目的は達成されたんだけど」
「ある意味?」
ツーヴァさんの遠回しな表現は、良いものが買えたという意味ではなさそうだ。確かに皆の装備は使い込んでいるのが一目で分かる。
「そもそもクルストファン王国は魔物との戦いの前線になっているんだ。だから戦場には武具がいくらあっても足りやしない。武具屋からはどんどん徴発されて前線送り。ましてや他国の前線にも輸送してるとなれば僕たちフリーランスには回ってこないのさ」
確かに人類存亡の危機ともなれば最優先となるのも頷ける。ここエルネア王国ならば前線が接していないため入手できるかもしれないと足を運んだが、一定以上の性能の武具は前線送りになっていたようだ。
「で、入手の当ても無いし腐りかけてたところに護衛依頼が入ったわけだね」
“赤撃”が急な依頼にもかかわらず受けたのは勇者と繋がりを持つことで装備が回ってこないかと考えたからだったらしい。ちゃっかりしてるなぁ。
「じゃあ俺はついでだったってわけですか」
「正直に言えばね。ただ今は違うよ」
「今は?」
どういうことだ、と疑問に思う俺の背に何かが被さった。同時に胸に回された腕を見て、それがだれかはすぐに分かった。なぜって背中に柔らかい感触がむにむにと当たっているから……いや、潰れてる!?
こ、ここ、これは……や、やばい鼻がツンとしてきた!?
「今はケント君よりモッチー君の方が重要なのよ」
「あ、ああああの、レイアーネさん?」
「モッチー君には早く鍛冶スキルを上げてもらって、私たちの装備を作ってもらわなくちゃ」
「な、なるほど……。ところでその、あ、当たって……」
「何が当たってるの?」
「うえぇ!?」
抱き締める力が強くなって、さらに耳に息が吹きかけられる。くすぐったいのに身動きもとれず、顔が赤く染まっていくのが自分でもわかった。
からかわれているのに、何もできない。
結果として俺にできるのは固まって耐えることだけだ。
柔らけえ……いい匂いする……
いやいや、落ち着け俺。これは罠だ。俺が反応すれば喜ばせてしまうだけだ。
美人に喜んでもらえるならいいんじゃないか?
って馬鹿か俺は!
「姉さん、離れる」
俺の役得タイム……もとい、拘束から解放したのはティアーネの一言だった。
何事もなかったようにパッと離れる姉に残念、いやホッとしていると、俺はティアーネに引っ張られて馬車に乗せられてしまう。
「早く出る」
「はいはい、モッチー君を盗らないからそんなに怒らないの」
「違う」
むすっとしてるティアーネは初めてみた。ぱっと見ではいつもの無表情なんだけど、ちょっとだけ口がへの字になってる。
もしかして嫉妬してくれてるんだろうか。いや、まさかな。本人も違うって言ってるし。
「そんじゃ行くか。みんな王都に忘れ物は無いな?」
ラインさんに皆が頷く。
そして俺たち新生・“赤撃”は公都シルヴェストに向けて出発した。
「エンチャント・ウォーター」
俺の発動した魔法がツーヴァさんの双剣に水属性の付加を与える。ほんのりとした青い魔法の光がコーティングするように刀身を染めた。
それと同時に身体強化で素早さを強化したツーヴァさんが飛び出し、こちらに気づいて踵を返そうとした鹿の頭を斬り飛ばす。
一瞬の早業。
即死した鹿の胴体が崩れ落ちる。俺は背負い鞄からロープを取り出して回収に向かった。
エンチャントを消すとツーヴァさんが刀身を見せてくれる。
「分かるかい、モッチー君。エンチャントを付与すると返り血なんかも防いでくれるんだ。すると手入れもほとんどしなくて済むし、劣化も防げるわけだね」
返り血一つない刀身。なるほど、これを見せるためにエンチャントをさせたのか。練習だと思ってた。
「とはいえ例えば炎をエンチャントすると刀身にも影響を及ぼしてしまうんだよね。だからその場合は武器そのものに炎に耐性を持たせるのが一般的だよ」
強い炎だとその熱で刀身が緩み、打ち合いで折れたり歪んだりするらしい。ツーヴァさんの武器はそういった耐性の無いシンプルな鉄剣だった。
「それなら解体するナイフにもエンチャントした方がいいですかね?」
「間違っちゃいないけど、実地でそんな贅沢な使い方をする人は滅多にいないよ。魔力は大切だからね。とはいえモッチー君の場合は戦闘で魔力を使わないから、セーブする必要はないかな」
続いて指示に従って鹿を解体する。
縛り上げた死体を木に吊るして血抜きをし、皮は剥ぎ取り売却用に。そして内臓を取り出し、不必要な部分は土に埋める。
本来なら肉を切り分けるのだが、今回はストップがかかった。
「この後食べる分だけ削いだら後はティアーネに凍らせてもらうよ。今日の夜には近くの村に寄って一泊するからそこでまるごと売却するんだ。切り分けて売却してもいいんだけど、このままの方が何の肉か説明はいらないし、何より楽だからね」
水属性を持つ魔法使いにはそういう役割もあるのか。マグロ漁船なんかが冷凍して運ぶのを人力でやるわけだな。
ツーヴァさんが拾ってきた手頃な枝に血抜きした鹿を吊り下げ、肩に担ぐ。
「重い……ツーヴァさん、これ一人で運ぶのは大変なんですけど」
「頑張ってね。大丈夫、ちゃんと護衛するから」
「はあ、そうですよね。これも新入りの仕事か〜」
枝を揺らしてバランスを取る。ここからキャンプ地までちょいちょい距離があるんだけどなぁ。
俺たちは行きに通った王都と公都を結ぶ街道ではなく、一日長くなる上に魔物に遭遇しやすいルートを選択していた。
遭遇しやすいとはいっても誤差みたいなもので、ここエルネア王国内では人が住むエリア周辺には大した魔物は出ない。ほとんどの魔物、特に危険なものは駆逐されているからだ。
こちらのルートを通ったのは主に俺の研修が理由だった。魔物が出ればちょっとくらい経験値は入るだろうとのことだったが、幸か不幸かまだ遭遇していない。
そこで移動中は勉強、休憩中は実地訓練、そして野営中は魔道具の運用と一日を通して経験値集めをしている。
必死こいてキャンプに戻ると焚き火の前でラインさんが見張り、馬車の中で女性二人が魔道書を読みふけっていた。あれはティアーネに頼まれて買ったやつだ。
「ほう、鹿か。なかなかの大物だな」
「運が良かったよ。ティアーネ、凍らせてもらえるかな」
呼びかけに顔を上げたティアーネがとてとて来て、冷凍魔法をかける。
「エターナルフリーズ」
「うおっ、寒っ!」
鹿の死体が急速に冷気を増し、パキパキと固まっていく。
だがそれを肩に担いでいる俺は冷気を間近で受けるのだ。たまったものではなかった。
時間にしてわずか二秒ほどだったが、カチカチに固まった肉から流れる冷気は容赦なく俺の体温を奪っていく。
「これ、どこ置けばいいですか!」
「ああ、そこの切り株に置けばいい。大丈夫か?」
「ここですね。……っと、あー寒かった。とりあえず大丈夫です」
防具着てて良かった。無かったら凍傷になってたかもしれん。てかどこまで冷やしてあるんだよこれ。まさか絶対零度か?
焚き火に背を向けて、冷え切った背中を温めていると、罰の悪い顔をしたティアーネがぺこりと頭を下げた。
「ごめん」
「ああ、いいよ。それにしてもいい魔法だね」
「ん、中級」
これで中級か。こんなん食らったら即死だと思うんだけど、まだ上があるってことだよな。恐ろしい。
「エターナルフリーズは本気で撃てばもっと広範囲に高威力で打てるよ。ただ今のティアの持ってる杖だとその魔力圧に耐えられなくてね。もちろん上級魔法も撃てないんだ」
魔法というのは基本的に杖などの補助具が無くとも使えるが、個人差はあれどせいぜい中級魔法までしか使えない。
そこで中級以上の魔法を扱うために補助具が必要となる。とはいえ補助具自体にも等級はある。一般的な木の枝と魔法石で作られた杖では中級のいわば下から中くらいまでしか対応していない。それより上の魔法を使うためにはもっと性能の良い素材を使った補助具を使わなければならない。
ティアーネの持っている杖は木の枝に水属性を持った魔法石、通称水魔石を嵌めてある。これは水属性魔法の発動に対してブースト効果を与えるものだが、発動限界が高いものではないため、一般的な杖とあまり変わらないという。
「性能の良い杖を使えば上級魔法も使えるんだけどね。レイアーネのもそうだけど、今は乗り換え待ちさ」
ツーヴァさんもそうだが、“赤撃”のメンバーはみなそれぞれ実力に対して装備が見合っていないようだ。だからこそ一年もエルネア王国で探し回っていたのだから。
とはいえ必要な素材が採掘されてもそれは前線送りだし、魔物を倒すにはやはり前線に出張るしかない。
こうなればもはや魔王軍と戦い魔物を倒し、その素材を使って装備を強化するしかなくなる。そして“赤撃”のメンバーはそれを覚悟しているようだった。
とはいえ俺も最強の装備を作るためには前線に行かなきゃならない。パワーレベリングのためにも魔物を倒す必要があるからな。
公都に着いたら準備をしてクルストファン王国へと発つ。それが今後の方針だ。