レグナムの地竜・11
十年前。
冒険者として名を売り出し始めていたラインは同郷出身の仲間たちとパーティーを組んでいた。
キザったらしいが憎めない銀髪の好青年・クラウド、そして村一番ともてはやされていた同じく銀髪の美女・ツィーネ。二人は兄妹だった。
三人はFランクからEランク、Dランクと破竹の勢いで昇格していき、瞬く間にCランクの昇格試験へと漕ぎ着ける。そしていつの間にかネアンストール冒険者ギルドの中で期待の新星と噂されるようになっていた。
ラインはその時、一つの決意を胸に秘めていた。
もしCランクに昇格できたらツィーネに告白しよう、と。
そして見事に昇格試験に合格し、ラインは一世一代の勝負に出る。
結果は……失敗だった。
失意の底に落ちたラインは明くる日の探索で集中力を欠き、索敵が疎かになってしまう。しかも運の悪いことにBランクモンスターと遭遇してしまった。
普段であればもっと早くに気付き、速やかに撤退していただろう。だがこの日、気が付いた時には接近を許しすぎて戦わざるを得ない状態になってしまっていた。
くそっ、ツィーネだけは死なせてたまるか!
後悔と共に自ら殿を買って出たラインだったが、顔面に一撃を喰らいあっさりと意識を手放してしまう。
そしてしばらく後に意識を取り戻したラインが見たものは腑を喰らい尽くされ絶命したパーティーメンバーたちだった。
口をつくのは止まることない嗚咽。ボタボタと止めどなく溢れる涙。
この日、ラインは全てを失った。
なぜ自分だけが生きているのか。どうして守れなかったのか。
いくら後悔してもしきれず、いつしか酒に溺れ暴力沙汰を繰り返すようになっていく。
自分の感情が分からず、ただ衝動のままにもがいていた彼はやがて金が尽き、住処を失い、路頭に迷う。そうして空腹と虚無感の中で自らの人生を悔いたまま命を捨てようとしていた。
もし生まれ変わることがあったら……今度こそ誰かを守れるようになれるといいな。もう失うのは……たくさんだ。
そうして意識が遠くなっていく中、ラインの前に一人の人物が現れる。
「のう、もう一度やり直してみんか。このまま朽ちても何も残らんぞ?」
「……うるせえな。誰だよ爺さん」
「儂は冒険者のノルン。お主の才能、尽きさせるには惜しくての。どうじゃ、儂の下で今一度やり直してみんか? せっかく生きながらえた命、何も為さぬまま終えてはならん」
こうしてノルンに拾われ、冒険者としてのノウハウを叩き込まれるようになる。
やがてラインは少しずつ立ち直っていき、一つの決意を立てた。
今度こそ、パーティーメンバーは誰も死なせない。絶対に俺が守る。
数年後、ノルンの下を卒業したラインは新たにパーティーを結成した。
それが“赤撃”。
ラインが命をかけても守ると誓った新たな仲間たちだった。
「ライン!」
声が、聞こえる。
まだ幼い、震えた声が頭上から届いていた。
その声の主が誰なのか考える前に身体がピクリとも動かせないことに気付き、ぼんやりとした頭のまま何があったのか思い出そうとする。
視界には地面が広がっており、どうやらうつ伏せで倒れているようだ。当然生きているようだが、自分の身体がどうなっているのか分からず少しずつ不安が思考を侵食していく。
どうして俺は倒れているのか。
その答えは突如響いた轟音が示してきた。
巨大な咆哮。
それを耳にした瞬間、ラインの意識は一気に覚醒し状況をはっきりと思い出す。
竜。
レグナムから追いかけてきた災厄の魔物。いかなる攻撃も通じず、圧倒的な暴威を振り撒く怪物。
そうだ。俺はティアを助けるためにブレスに飛び込んで背中の盾でなんとか防御結界を発動させたんだ。
ラインは腰を屈めると同時に盾を地面に突き立て、ティアーネを全身で庇う後ろ向きの姿勢のままギリギリで防御結界を使った。
不安定な姿勢だったが、それが功を奏し防御結界は斜めに効果を発揮していた。まさしくブレスを上方に逸らすための道筋であるかのように。本来なら消し飛んでいたはずの二人は奇跡的に難を逃れることに成功したのだ。
だがその代償として盾は消し飛び、ラインの背中は全体を重度の火傷に犯されてしまっている。
「ライン! ライン!」
ティアーネの必死な声が耳朶を打つ。
返事ができない。喉を動かすことはおろか視線を動かすことすらできず、まるで自分の身体と意識が切り離されてしまったかのような感覚だ。
状況はどうなってる。意識が飛んでからどのくらいたった? みんなは無事なのか?
「ちょっとライン、生きてるの!? すぐに回復魔法をかけるから……」
この声はレイアーネか。良かった、ちゃんと無事でいてくれたらしい。
てことはツーヴァとミーナがあれの相手をしているのか。二人ともまだ無事なんだろうな。
っといけねえな、死んでもいない俺がこんなところでぶっ倒れたままってのは。きっちりあの世に行くまでは鞭打ってでも戦わなきゃならねえ。
レイアーネの回復魔法が届き、徐々に身体に活力が戻っていく。
ああ、感覚で分かる。背中やられてたか。鎧は……この分だともう機能しないな。
大剣もどこかに吹っ飛んだらしい。てことは俺はもう何も装備が無くなったのか。ははっ、本当に満身創痍じゃないかよ。
「……助かった、レイアーネ。もうなんとか動ける」
「ええ。でも無理しないで。貴方は先に離脱すべきよ」
「!! 何言ってんだ、俺だけ尻尾巻いて逃げ出せるか! 誰かを犠牲にしてまで助かろうなんて思ってねえ!」
「ダメよ。あなたはもう戦う力が残ってない。これ以上何をしようって言うの?」
その言葉にズキリ、と胸を圧迫するような衝撃が走る。
「囮になって少しでも時間を稼ぐ。最後まで希望を繋いでみせるさ」
「最後……」
「できるかできないかじゃねえんだよ。やるんだ」
回復魔法のおかげで身体はしっかり動く。魔力はもう雀の涙ほどで装備は何一つ無いが、なあにたったそれだけのこと。最後にゃ食われることになるが仲間が逃げる時間を少しでも稼げりゃそれでいい。
ああそうだ、俺はずっとそれを望んできた。俺のせいでツィーネとクラウドを死なせてからずっとこうして誰かの為に命を投げ打つことを考えてきたんだ。
……今度こそここが俺の墓場だ。
見据えた先、ミーナの妨害魔法が竜の頭を覆うのが見えた。
立ち上がり、二人を連れ立って逃走に移る。
「レイアーネ、ティア。俺はたぶん次で最後になる。だから今言っておく。……無事に逃げ切ってくれ。絶対に諦めるな」
「なによ……なによそれ。勝手に決めて勝手なこと言って。そう言うあなたが真っ先に諦めてるじゃない」
「ライン。諦めたらダメ」
「諦めじゃない。現実を見ての判断だ」
……すまん二人とも。けどどうしたってもう全員揃って助かるなんて無理な話なんだ。もうここからは誰かを犠牲にしながら逃げるしかない。
仮にネアンストールから防衛軍が出張っていてくれても、いまだ半分の距離しか稼げていない以上、軍備を整えてとなると合流はまだまだ先だ。せめてあと半刻は耐えなければならないだろう。
だが俺もティアも機能しない以上、ツーヴァとミーナだけでそれだけの時間を稼ぐなんて不可能だ。ともすれば次で全滅だって十分にあり得るのだから。
ミーナの放った闇が徐々に薄れていくのが遠目にも見える。
あの闇が消えた時が俺の最後の戦いの始まりになるな。
そう独りごち、再び前を見た時だった。
「おい…………ウソ、だろ?」
続く道の向こうから数騎の馬がこちらへと駆けてきていた。
皆が気付き、食い入るように観察する。
着込んでいるのは鎧。それも軍隊で導入されている型式の物だ。
「援軍……援軍だ!」
数えたところ七騎。しかし誰もが竜を見据え更に速度を上げている。
ネアンストールからの援軍。その先陣だった。