レグナムの地竜・10
「全く、あの戦闘狂にも困ったものだね!」
「違いない。騎士団派が持て余すのも頷ける」
レイン・ミィルゼム魔法使い次席、そしてゲイルノート・アスフォルテ魔法使い筆頭は馬上で愚痴をぶつけ合っていた。
その矛先はもっぱら竜を前に我慢できず独断先行して行った騎士次席・メリオンへと向けられている。
「そもそも今回の戦いに参加させるつもりは無かったというのに、相変わらず嗅覚が鋭いことだ」
「あれだけ騒いでいれば当然だろう。むしろ誤算はこちらの動きに合わせなかったことだ。独断先行の上に死なれでもしてみろ、こちらの面目は丸潰れな上にせっかく積み上げ始めた騎士団派との協調の土台が崩壊しかねん」
「むしろ厄介払いをありがたがられたりしないかね?」
「無いな。一騎当千の騎士を失って笑っていられる指揮官などおるものか。間違いなく大きな禍根となる」
「はぁ……厄介だねぇ」
「ああ」
最低限の準備だけを整えたネアンストール防衛軍精鋭部隊100名は早馬を飛ばし東へ向けて疾走していた。
“重量杖”タイプを所持する魔導士隊隊員40名に最新装備を身に付けた精鋭騎士40名、そして『防御結界』発動用の盾を装備する重装騎士20名。
続けて時間を置いて後詰め部隊と輜重部隊が進発する手筈になっている。
このまま5キロほど進めばおそらく竜との邂逅があるだろう。それまでになるべくメリオンとの距離を詰めなおかつ即時戦闘に移れるよう構えておかねばならない。
厄介。まさにその言葉の通りだろう。
せめて善戦くらいはしていてもらわんとかなわん。それでなくとも一発くらいは殴っておかねば気が治らんな。
内心でも毒づきつつ、精鋭部隊は一直線にレグナムへの道を突っ走っていく。
竜を相手に絶望的な撤退戦を行なっていた“赤撃”のメンバーはかなりの善戦をしていた。
すでに道半ばを超え、折り返しは過ぎたと言える。……ただしそれは距離だけを見た場合に限っている。
戦闘が続くほどに体力も魔力も消耗していっている彼らはその消耗スピードが加速度的に上昇しており、もはや数度の撤退が限度となっていた。
すでにネアンストールへと辿り着く希望はほぼ潰えたが、それでも冒険者としての意地と僅かな希望に喰らい付いて戦い続けている。
「ツーヴァ! 一旦下がれ、俺が代わる!」
「了解!」
竜の眼前で動き回っていたツーヴァが慎重に距離を取り攻撃圏から逃れ、それを目で追いかけていた竜の死角からラインが肉迫。
だが腕を掻い潜った瞬間にはすでに竜の眼球はラインを捉えており、その顎門を開き食いかからんとしていた。
「それは何度も見たぞ!」
ラインは竜の前方へ回り込む形でそれを回避する。
いくら巨体で攻撃範囲が広いとはいえ、頭部が胴体と繋がっている以上は届く範囲が決まっている。それを把握していればスレスレでやり過ごすなど容易いことだった。
そのまま切り返し、一気に眼球へと大剣を突き入れる。
その刹那、竜の瞼が閉じられた。
ラインの大剣は硬質な音を立てながら虚しく弾かれてしまう。
「……くそ、あとちょっとだってのに!」
反撃に備えて素早く距離を取り、竜の攻撃圏内から離脱する。予想通り竜は頭を振り回してラインを弾き飛ばそうとしてきた。
悠々回避したラインは再び接近しようと身体強化のボルテージを上げようとするが、そこで自身の変調を認識する。
魔力の練り上げが遅い。
「っ……これが魔法薬の過剰摂取寸前ってやつか。まさか重戦士やってる俺がなっちまうとは」
身体強化は剣士にとっては必須技能。それが途切れることは戦闘続行不可を示す。つまり限界が訪れたということだ。
あとは己が身に残る魔力のみ。たったそれだけで竜と対峙し続けなければならない。
チラリとツーヴァに視線を送る。
軽鎧のため魔力消費が少なく持久戦に強いツーヴァは魔法薬の使用は控えめであり、未だ余力を残している状態。精神的な疲労を抜きにすればまだまだ戦えるだろう。
そしてティアーネ。
本人の主張によればまだ戦えるとのことだが、先の戦争でのことを考えればすでに限界寸前なのは間違いない。
さらにミーナ。
支援に徹しているためまだまだ余裕があるが、元来がヒーラーでもある彼女は攻撃の面ではどうしたってティアーネには劣る。いくら優秀な杖を手にしているとはいえ、ティアーネの代わりが務まるはずはないし、そこからさらに妨害までするのは不可能だ。
残りはレイアーネになるわけだが。
彼女は生粋のヒーラーであり、攻撃力や支援能力ではミーナやティアーネと比べるべくもない。杖にしたって未だ魔法石一つのタイプで性能では二人の杖に遠く及ばないし、仮に杖の性能が同じだとしても役割交換はできない。
…………詰んだ、か。この状態でネアンストールまで辿り着くのは不可能だ。
せっかくこれまでモッチーのおかげで快進撃を続けてこれたのになぁ。Aランクにもなれてこれからどんどん活躍してやろうと思ってたのに。
思えばあいつと出会ってからは驚天動地の連続だった。異世界から来たってのもそうだが突然あれやこれや馬鹿みたいに買い込んだかと思えば閃いたとか言って世界最高の杖を作り上げてしまう。おまけに鍛治を始めればあっという間に鎧も剣も盾もとんでもない代物を作り上げて防衛軍に引き抜かれちまった。
ああそうだ、何回も幻の名酒にありつけたことは忘れちゃいけねぇ。おかげで安酒で満足できないくらい舌が肥えちまったが、あの感動の前には後悔なんてあろうはずもないからな。
……でき得ることならこのままモッチーの進む先を見てみたかった。いつかあいつに酒を覚えさせて酌み交わしてやりたかった。
「なんて、叶わない夢か」
動きが止まったラインと魔力に余裕のないティアーネに代わって、今はツーヴァが一人で竜を相手している。
ミーナの妨害魔法を喰らわせるためには彼女から意識を外させる必要がある。そうしなければレジストされて効果を発揮しないからだ。
これまでライン、ツーヴァ、ティアーネの三人でこなしてきた役割を今はツーヴァが一人でやろうとしている。……消耗した状態で。
不可能。
考えるまでもない。人間一人が背負える荷なんて知れている。
せめて自分かティアーネのどちらかでも機能していれば話は変わるが……。
「……待て」
ふと気付く。ツーヴァは今、本当に竜を引きつけられているのかと。
背筋に走った悪寒を証明するかのようにツーヴァから視線を逸らした竜はその眼を巡らせていく。
その先にいるのは魔力過剰消費によって消耗しきった魔法使い・ティアーネの姿。
竜がその首を持ち上げ、大きく息を吸う。
ブレスの予兆。
それに対し回避行動に移ろうとしていたティアーネは足を縺れさせて蹲ってしまう。それでもなお逃げるため立ち上がろうとするが、ふらついた身体は思うように動いていなかった。
限界寸前などではない。すでに彼女は限界を超えていたのだ。
回避は不可能。
誰もがこの後ティアーネがブレスに飲み込まれる姿を幻視し、硬直する。
だがただ一人、ラインだけは違った。
「させるか…………させっかよおおおおぉぉぉぉ!!」
自らの衝動に突き動かされるように猛然と駆ける。
どんな方法でもいい。とにかくティアを射程外まで!
だがそれよりもブレスが放たれる方が早かった。
二人の姿が眩い閃光の中に消えるーー