レグナムの地竜・5
「おい、おいおいおいおいマジかよ!」
狼狽したラインが禿頭を抱えて叫ぶ。
見るからに竜はこっちに向かっているじゃないか。しかもみるみる距離が縮まっている。
このままでは追いつかれるのは時間の問題だ。
「馬車、速度上げろ! 馬潰してもいい!」
「無理だよライン。荷馬車を切り捨てても速度が足りない。逃げるのは不可能だ」
「んなことは分かってる! だからさっさと速度上げろってんだ!」
「冷静になれ、言ってることがめちゃくちゃだ」
「……めちゃでも無茶でもやらなきゃ死ぬぞ」
ツーヴァの取りなしで語勢を弱めるラインだが、禿頭をガシガシと掻きむしって後方を睨み付けていた。
ここからネアンストールまではまだかなり距離がある。どう楽観的に見積もっても逃げ切るのは無理だ。
馬で走れば早くて半時間ほどでネアンストールに辿り着けるだろう。だが荷馬車を切り捨てても乗れるのは両パーティー共に二頭の二人ずつ。無理しても三人か四人。
そうなると確実に捨て石に残される人間が出てくる。しかもその人間が喰われたら再び生贄を残していかなければまた同じように追いつかれてしまう。
もしそのような手段を取った時、最終的に生き残る人間は一体何人いるのか。そもそもそうしてでも生き残ることができるのか。
「……ったく、つくづく損な性分だな、俺はよ」
「ライン。君の考えていることは分かるよ。自分なら長く足止め出来るかもしれない、だろう?」
重戦士であるラインは防具の防御力もそうだが盾に仕込まれた防御結界によって比類なき防御力を発揮する。もしその性能が竜にも通用するのであれば足止めとしてこれ以上はない人材と言える。
そしてもう一人、足止め役に相応しい人材はいる。
「そういうことなら僕だってそうだ。竜の攻撃を避け続けさえすればそれだけ時間を稼げるからね」
「おい、ツーヴァ。お前は残らなくていい。生贄は俺一人で十分だ」
「十分、なんて根拠はないだろう? 一人より二人。皆を確実に生かすなら戦力を出し渋るのは愚策だ」
「ったく、馬鹿野郎がここにもいたか」
「ははっ、同じ馬鹿野郎同士、一蓮托生といこうじゃないか」
“赤撃”の二人が覚悟を決める中、もう一人覚悟を固めようとしている人間がいた。
目深に被ったローブをめくり、幼さを残しながらも端正に整った顔を引き締める。その目には二色の瞳が後方を見つめていた。
「私も残る」
ティアーネが新調された杖を握って宣言する。
その一言が“赤撃”のメンバーを驚愕させた。
「何言ってんだティア、そんな役目は俺らに任せとけ!」
「そうだよ。ティアーネはまだ若いんだから」
「私は反対よ、ティア。残るなら代わりに私が残るわ」
「「それも駄目だ!」」
レイアーネの言葉を男二人組が拒否する。しかもティアーネの時よりも迫真に迫っていた。
「いいから女子供は殿なんぞ野郎に任せとけ! 俺らの格好が付かねえだろうよ」
「そうだね。レイアーネ、ティアーネ、君たちが命を捨てる場面はここじゃないと僕は思う。……馬を切り離すから早駆けしていち早くネアンストールに戻ってくれ。それでモッチー君のコネでも使ってなんとか軍を引っ張ってきてくれるとありがたい」
「おお、そりゃいいな。モッチーの頼みだったら英雄様も腰を上げてくれるかもしれんからな」
ラインやツーヴァとしても本気で軍が動くとは思ってはいないが、なんとか二人を説得しようとそれっぽい理由を作る。
だがそれでも折れてくれる二人ではない。
「駄目。見捨てない」
「だったら私も残るわ。ティアを残していくなんて却下よ、却下」
ティアーネが毅然とした我を見せると姉も決意を固めて宣言する。
こうなってしまってはどれだけ言葉を尽くし人事を尽くしても説得などできそうにない。そもそも尽くすための時間などもう残されていなかった。
迫りくる竜。決意を固めた男たち、女たち。判断するのはパーティーリーダーであるライン。
葛藤など僅かしか許されない中、激しく禿頭を掻き回し溜め息を吐く。
「……しゃあねえか。だったらここを俺たち“赤撃”の一世一代の大勝負にしてやろうじゃねえか」
「いいのかい、ライン。君は……」
「だからしゃあねえって言ってるだろう。なあに、何も死ぬと決まったわけじゃないからな、負けなきゃ負けじゃねえ」
「……ははっ、ならなんとしてでも軍を引っ張ってきてもらわなきゃいけないね。モッチー君には悪いけどコネをフル活用してでも援軍要請してもらおうか」
冗談のつもりで挟みつつ、しかし万に一つの希望として段取りだけは整えておくことにする。
“赤撃”は馬車を止め、片方の馬を切り離した。
そして驚いてこちらを振り返っている“猛き土竜”の面々に告げる。
「ここは俺らが引き受ける! 必ずネアンストールまで生き延びろ!」
「スルツカ! 先行して状況を伝えてくれ! 軍が動いてくれないならモッチー君を探してなんとかしてもらってくれ!」
馬を走らせ、“猛き土竜”の馬車に追いついたところでスルツカが乗り移った。
彼は一度振り向いて強く頷くと、一気に馬車を突き放してネアンストールへと猛進していく。二度と後ろを振り返ることなく。
「ええい、離せお前ら!」
「ならんぞ馬鹿弟子が! ただ無駄死にするだけじゃとなぜ分からんか!」
「思いとどまってください! みんなの覚悟を無駄にしてはいけません!」
そしてノルンやセレスティーナが馬車から飛び降りようとする“狼藉者”ウルズを必死に押さえ付けている。二人がかりでも今にも振り解かれそうなほどだ。
その間にも馬車はみるみる進み、大きく距離を離している。それを見送って“赤撃”のメンバーは竜へと向き合う。
…………の、前に。
ラインは禿頭を掻いて溜め息を吐いた。
「はぁ……。何のために俺らが身体張ったと思ってんだ。残られたら意味がねえだろうよ、ミーナ」
「ふひっ。優良な就職先に無くなられると困るなの。この優秀な美少女魔法使いが手助けしてやるからたっぷり恩に着るなの」
紫髪の尊大な少女が不敵な顔で仁王立ちしていたのである。
ミーナは“赤撃”の決意を察するや否やすぐさま馬車を飛び降り、合流してきたのだ。
「就職先ってお前。俺らは誘った覚えはねえんだがよ」
「ふひっ。堅いこと言うななの。タダで最新装備が手に入って可愛いマスコットも付いてるなんてズルイなの。とっとと門徒を開け、なの」
「おまっ、別に仲間に入らなくてもモッチーならいくらでも作ってくれんだろうよ。それにティアは立派な戦力だ。マスコットってわけじゃ……」
言いつつ、ラインは憎まれ口の裏に隠されたミーナの本音に気付いて語勢を失った。
「……いや、すまねえなミーナ。ハッキリ言って余裕がねえ。今はお前とお前の杖の力が絶対に必要だ。頼りにさせてもらうぜ」
ラインの言葉を皮切りに“赤撃”の面々も感謝の言葉を告げる。
「ありがとう、ミーナ。君の力はみんなが認めてる。その君が力を貸してくれるのなら僕たちは何倍も戦えるよ」
「本当に助かるわ。それと回復なら私に任せて。貴女には私の代わりに支援をお願いするわね」
「ん、感謝。がんばろ」
それぞれがこれまで積み上げてきた信頼を以って応え、頷く。
「ふひっ。任せるといいなの。それに駄目そうだったら勝手に馬を貰ってすたこらさっさなの」
「……いや、うん、まあ一声くらいはかけろよ?」
脱力しつつ、メンバーは馬車の荷台に集まって積んでいた木箱を開く。
中には大量の体力回復薬と魔力回復薬。もちろんモッチーのストックから遠慮なく持ち出してきたやつだ。
“猛き土竜”との共同探索を考慮し、二パーティー全員に十分に行き渡る量を計算しているため、五人で使うのなら全員が過剰摂取の中毒になるだけの量が揃えられている。正直、市場価格で価値を計算するのが恐ろしい量だ。
「ふひっ。相変わらずモッチーは便利なの。どうせなら中級とか上級も作らせるといいなの」
「おいおい、あいつの本分は鍛治だぞ……たぶん。いや、魔法石技師……いや……うん、まあ少なくとも冒険者じゃあねえな」
「ミーナ、ライン。話してる時間は無いよ。ひとまず持てる量だけ取ってくれ。後は必要に応じてレイアーネに運搬してもらう形にしよう。瓶が割れてしまっても困るからね」
地響きはもう否が応にも緊張感を掻き立てている。ツーヴァの取りなしで急いで身支度をし、レイアーネが馬車を少し離れた場所に移動させた。
そして“赤撃”は新たにモッチー謹製の杖を持つ魔法使いミーナを加え、いよいよ以って災厄の魔物と相対する。
地響きと轟音を立て迫りくる巨大な魔物。土色の体色に百メートル近い体長を持つ竜。
「ほんじゃあ野郎共、一世一代の大勝負、始めようじゃねえか!」
見上げるほどの巨体を前にラインが口上を述べ、各々が最後の覚悟を固めた。
あまりにも突発的かつ歴史的な戦いが今、始まる。