ネアンストール攻防戦・4
平原の先に黒い影が広がるにつれ、国防軍の中に緊張が走っていく。
少しずつ、少しずつ平原を侵食していく影は全て魔物たちが成すもの。止む気配すら見せぬそれらは地響きと砂埃、そして重く冷たい風を打ち付けてくる。
それは過去のいずれよりも遥かに大きな軍勢。
ネアンストールの防壁を、町を、住まう者たちを容易く蹂躙してしまえる。……そう錯覚させるに十分すぎる威容。
だが。
「臆する必要などない!」
ゲイルノートの声が風魔法に乗って防壁上で待ち受ける兵士たちへと降り注ぐ。
「我々はこれまで長きに渡ってこのネアンストールを守り続けてきた。数多の同志たちの魂と今ここにいる我らの勇気がこの防壁で魔物どもの侵攻を跳ね除けてきたのだ!」
激戦を繰り返し、夥しい血と肉を受け続けたこの防壁はそれでもなおこの地にて最終防衛ラインの役目を果たし続けている。
「諸君、奮起せよ!」
ゲイルノートが腕を掲げる。
「魔物どもの侵攻を食い止め、我らの力を示すのだ!」
地を揺るがすほどの進撃、そしてそれを押し返すような怒声が防壁を満たしていく。
ここに、後世において歴史の転換点と呼ばれる重大な戦が勃発した。
そして戦いの舞台は防壁のみにあらず。
ネアンストール冒険者ギルドの長、スレイニン・シェイルクラフトが率いる冒険者の一団もまた、ネアンストール北一キロにある防壁出入り口より出立していた。
小高い山を越える形で平原を迂回した彼らは高台から魔物の軍勢を睥睨する形で待機している。
彼らの役目は側面からの強襲だ。
後方からの支援も無く、一匹でも多くの魔物を間引くための特攻隊である。
ギルド長・スレイニンは眼下を埋め尽くす魔物の群れを眺め、今回ばかりは命はない、と覚悟を決めていた。
「冒険者は使い捨てが常。己の命は自ら長らえさせるもの。……だがこの数を前にしては、な」
例年の倍を超える数だ。危険度とてただ単純に倍というわけではなく、また国防軍による迎撃とて成功する保証は無い。
しかしここで逃げるという選択肢は無い。
ギルドの長として、ネアンストールに住まう者として、剣士のプライドとして。逃亡の二文字は許されないのだ。
だがここに集まった冒険者たちの中で命尽きるまで戦える者はどれほどいるだろうか。
彼らは命を元手に糧を得る職業だが、限界を見極めて撤退することもまた重要な能力だ。ゆえに命の危機に見舞われると迷わず逃走するだろう。
そうなった時、瞬く間に戦線は崩壊する。やがて魔物の群れに飲み込まれていく中で冒険者たちはにべもなく散り散りに逃げ去っていく。
その時に自分はどう振る舞うべきか。
ただ修羅と化し魔物を殺し続けるのか。それとも一人でも多くの冒険者を生かすために殿を受け持つのか。それを考えねばならない。
「……いかんな」
戦う前から負けることを考えているとは。
スレイニンはいつになく弱気になっていることに苦笑する。
やはり士気が低い冒険者たちの中にいると思考を引きずられてしまうものなのか。それとも自分自身が魔物の大群を前に怯えているのか。
だが中には士気の高い冒険者もいるようだ。
「おうおう、獲物がわんさかいるじゃねぇかよぉ。あれ全部食っちまったら一生遊んで暮らせるんじゃねぇか?」
赤髪の巨漢。武器を持たず、身体強化魔法にあかせて素手で戦う問題児。
付けられた渾名は“狼藉者”。“狼藉者のウルズ”だ。
「これ、あまりはしゃぐでない。儂らの目的は話したじゃろうが」
「ふひっ、どうしようもないなの。ニワトリでも三歩までは覚えてるなの」
「ぬうぅ、導けば輝くと考え育ててきたが。やはり儂の見る目が誤っていたのかのう」
これまでギルドに長らく貢献してきた“先導者”ノルンを筆頭に、仲間の“猛き土竜”の面々は温度差があるようだが。
しかしメンバー内には浮き足立った雰囲気など感じられない。普通これだけの大群を前にすれば怯えるなり虚勢を張るなどするものだが、彼らにはそれが無かった。
考えられるのは色々ある。自らの力によほどの自信があるか、すでに逃げ出す算段をしているか、はたまた死にたがりの狂人たちか。
そして落ち着いているパーティーは他にもあった。
熟練のパーティー、腕の立つパーティー、命知らずのパーティー。それぞれが名のある冒険者たちだ。
その中に一つ気になるパーティーがある。
“赤撃”。キングファングや百を超えるアースジェネラルモンキーの群れ、冒険者殺しを食い破り最近急激に実績を積み重ねているBランクパーティー。その実力はもはやAランクに届きつつあった。
そして彼らに注目する理由はもう一つ。
フードを目深に被った魔法使いの少女の持つ杖だ。煌びやかで明らかな異彩を放つ異物。これまでの常識をかなぐり捨てデザイン性を持たせながらも明らかに多大なる力を秘めた杖。
いかなる伝手を使ったのか。あれがもし予想通りに常識外の性能を持つと言うのならもはや国宝となって然るべきものだ。それを一介の冒険者が持っていることなど通常ではあり得ない。
そしてそれだけの杖を扱う魔法使いはいかほどの戦果を期待できるものだろうか。よもや目の前の大群を滅するほどでは。
「……まさかな」
スレイニンはふと脳裏に浮かんだ考えを打ち消した。幻想を語っても仕方のないことだ。
眼下では進行する魔物の大群がやがて通り過ぎようとしている。
「頃合いか」
スレイニンは冒険者たちを振り返り、バスタードソードを高く掲げた。
「皆、やることは分かっているな! 我々はネアンストールを守る国防軍を援護するため、一匹でも多くの魔物を刮ぎ落とすことが役目だ! 無闇に突撃せず、確実に潰していけ!」
「「「「おおおおー!」」」」
号令のもと、各パーティーが思い思いの進路で魔王軍へと向かっていく。そしてスレイニンもまた歩調を合わせて進撃する。
ネアンストール防壁で待ち受ける国防軍。
ネアンストール防壁へ殺到する魔王軍。
そして魔王軍を斜め後方から急襲する冒険者たち。
歴史的な戦いの口火を切ったのは国防軍。ネアンストール防壁で待ち構える魔法使い筆頭ゲイルノート・アスフォルテの放った上級魔法ーー広範囲殲滅魔法だった。