ネアンストール攻防戦・2
国防軍の内部では喧騒が支配していた。
納入された新型杖。その性能が知れ渡るにあたり、長らく戦場を経験してきた兵士たちはそれが何をもたらすのかをよく理解しているからだ。
高威力の上級魔法を連発できる杖。
それが魔物との戦いにおいてどれだけ有利に働くものなのか。いや、それどころか押し返すにとどまらないかもしれない。
これまでよりも多くの軍勢を引き連れてくるであろう魔王軍を前に怖気付いていた者たちもいたが、新たな杖の存在がそのような些事を吹き飛ばしていた。
ネアンストール駐留軍の指揮は今、かつてないほどに高まっていると言える。
なぜなら。
「この戦いを勝利することができたなら人類は再び世界の覇者たり得るだろう、ねぇ」
レイン・ミィルゼムは戦術補佐官の口にした大言壮語を思い出し、新型杖を握り締めた。
これまで魔王軍によって人類の地は削られ続けてきたのだ。ここネアンストールでは幾度となく食い止めているが、押し返すことはできないでいる。
専守防衛と言えば聞こえは良いが、打って出るだけの自力が無いのが現実だ。
「この新型杖があったところで数の差は如何ともしがたいものだがな」
この新型杖を全軍に、全世界に行き渡らせるには非常に多くの時間を必要とするだろう。そうして初めて反撃に移れるかどうか、というところでしかない。
この新型杖の性能は確かにそう思わせるだけの力がある。それは認める。
しかしもう一つ。そう、もう一つ、大きな変革が起きてこそ初めて反撃の時が来るだろうという直感が彼にはあった。
「筆頭殿もそれは理解しているだろうに。いや、しているからこそ確かめたいのかもしれんな。しかしこんな時に筆頭殿がいなくてはそれこそ示しがつかんだろうに」
今は私事で、公的には視察の名目で市内に出向いている魔法使い筆頭を思い、レインは肩をすくめてみせた。
ふと、レインは表情を引き締める。
風が、変わった。
常には無い鋭い眼で東の平原を睨む。その時はもうすぐそこまで来ていた。
この日、この時。
ゲイルノート・アスフォルテは三十五年の生を経てついに、己の才能を預けるに値する人物と出会った。
それは直感。
それは確信。
それは歓喜。
彼の、彼だけが持つ特別な才能が目の前で魔法石と向き合う少年に眠る黄金色の輝きを幻視させる。
(初めてだ。ここまで底知れぬ才能を秘めた職人は)
工房主であるロックラック氏も鮮烈な輝きを見せる傑物であったが、この少年の輝きの前にはそれすら霞む。
ならほどこれならあの杖を作り上げたのも納得できるというもの。それどころかロックラック氏の下で才能を磨けば神器すら作り上げるかもしれん。
「おや、お客さんだね」
彼の横で作業をしていた地味な男がゲイルノートに気付いた。
才気の輝きも小さく、存在感の薄さが際立つ。いや、少年の隣にいなければ才気も見られる程度にはあるのだが。
「ども」
会釈する少年の目は疲労が滲み、睡眠を取っていないのか隈が現れている。勅命を下してからずっと杖を作り続けているのかもしれない。
「私はネアンストール駐留軍を預かるゲイルノート・アスフォルテと言う。モッチーという冒険者は君だな」
普段であれば平民相手にはお前、という呼び方をするが、この場で悪感情を抱かせることを避けるため表現を柔らかくしたのだ。
「はあ、そうですけど」
「ちょ、ちょっとモッチー君、平伏して、平伏!」
少年はピンと来ていなかったが、地味な方が焦ったように促している。
「偉い人なんですか?」
「ここの防衛軍のトップだよ! それにアスフォルテ家は伯爵家でこの人は魔法使い筆頭、つまりめちゃくちゃ偉い人なんだよ!」
「へえ、魔法使い筆頭……」
そう呟いた彼の瞳に僅か興味の色が浮かんだのが見えた。
僥倖だ。
「苦手ならば格式張る必要はない。作業中に押しかけて済まんな。この杖について聞きにきた」
「ああ、それって昨日……昨日? 納品したやつですか」
腰に帯びた新型杖を見せるとすぐに得心がいったとばかりに肯定する。
だが随分と疲れを溜め込んでいるらしい。あまり長く居座っても気分を害するだけだろう。
そう懸念したが、意外なことに話を切り出したのは少年の方からだった。
「それ、性能が足りないんですよね? だから直接来たんでしょう?」
「……なぜそう思った」
「うちの魔法使いもその杖くらいの性能じゃ実力を発揮できなくて作り直したんですよ。魔法使いの筆頭ならそれよりもっと高い性能じゃないと満足できないはずですから」
「作り直した? まさか希少なSランクモンスターの魔法石を使ったとでも言うのか!?」
でなければAランクモンスターの魔法石を使ったこの杖を超える代物を作り出すなどできないはずだ。
だからこそ反射的に返してしまったが、脳の冷静な部分が即座に否定する。
Sランクモンスターの討伐報告などここ最近では耳にしたことなどない上に、そもそも軍を動員して壊滅覚悟でようやく討伐できるかどうかという相手だ。冒険者の身で討伐などできるはずもない。
そこまで考えてからやっと、本来なら初めに考慮しなければならない事項に頭を巡らせることができた。
違う。まだ新しい技術を持っているのか、彼は。
「Sランクモンスターの魔法石? そんなのは使ってませんよ。というか見たこともないですし。最初に作ったやつはBランクの魔法石を使って試作したんですけど、最終的にAランクの魔法石をメインに使う形に落ち着きましたね」
「Bランクの魔法石でこの杖よりも高い性能を出したというのか? それにメインに使うとはどういう意味だ。説明してくれ」
「ああ、そうでしたね。端的に言えば複数の魔法石を接続したんですよ。一つより二つ三つ使う方が性能が良いのは当然でしょう?」
「…………なん……だと……。使い捨てにすることなく複数の魔法石を接続する技術が確立されたというのか」
「下地はありましたから。これからは誰でも高性能の杖を作れるようになるはずですよ」
ここにきてさらなる新技術。これだけでもう直接会いに来た甲斐があったというものだ。
それに子供でも分かる単純な理屈。
魔法石を繋げれば繋げるほど性能が上がるのであれば、理屈上はどこまでも性能を上げられることになる。
(それはつまり俺の力をどこまでも高めることができるということだ)
「理論についても詳しく聞きたいところだが、魔王軍の侵攻が迫っている現状では時間が潤沢にあるわけではない。そこでだ。今できる最高の代物を用意するならどの程度の時間を必要とする?」
「最高……とことんデカくすればそれだけ高性能にできますけど、杖どころでは収まらない大きさになるんですよね。だから杖の枠内に収まる重さに抑えるわけだから……半日は最低でもかかると思います」
「半日? 随分と早いな。技術部の試算によればこの杖と同じものを作るのに丸一日を必要とするとの報告を受けているが」
「慣れると早く魔法陣を刻めるようになるんですよ」
なるほど、そういうものか。
ゲイルノートは専門外なので納得したが、内心で首を振っているローンティズを始め一度でも試したことのある人間ならば全力で否定するだろう。
「ただ魔法石はBランクのものしか無いんですよね。Aランクとか、それこそSランクの魔法石をふんだんに使えば相当性能の高いものを作れるはずなんですが」
「なるほど、道理だ。では現状で用意できる代物でも構わない。国王直属の魔法使い筆頭として、ここネアンストール駐留軍を預かる者として正式に杖を発注させてもらおう。最優先で作ってもらいたい」
「はあ。なんとか作ってみます」
おっと、レインの分も発注しといてやらないといじけてしまうか。
「それと可能なら二本用意してくれ。無理をさせることになるが」
「いえ、事態が事態なので。出来るだけやってみます」
ゲイルノートは少年ーーモッチーと握手を交わし、上機嫌で工房を出た。
晴れ渡った空は暖かな日差しで迎えてくれる。駆け足ではあったが充実した時間を過ごし、さらに自分の飛躍も約束された。
人生でこれほど満足できる時間をどれだけ得られたことか。
魔法使いとして不完全燃焼のまま終わるはずだった。だがこれから急速に変わっていくだろう。
一陣の風が吹いた。
「……む」
それは浮ついた思考を冷ますほどに冷ややかなものだった。
暖かい日とはいえ外套でも持ってこれば良かったか。
ここまで走らせて来た馬の轡をチェックしながら取り留めのないことを考えーー
ネアンストールに警報の大音量が響き渡った。