一番良いのをくれ・6
“草原の餓狼”はリーダーであるシュライグ、そして年下の幼馴染である斥候ピエールの二人が立ち上げたパーティーだ。
冒険者の頂点を目指すべく積極的にスカウトしていった結果、何度かの入れ替えはあったものの二十人の納得いくメンバーを揃えることができた。
ほんの一年前まではネアンストールでもトップクラスのパーティーとして、トップランカーを常に争う立場にいたのだ。
自負はある。
メンバーの誰もが、自分たちは頂点に辿り着ける実力があると確信していた。
どんなライバルでさえも置き去りにして最高のパーティーになれると思っていた。
だが。
彼らは今、目の前の暴虐に心が折られようとしていた。
マンティコア。
理解不能なこの存在は圧倒的な暴力を撒き散らし、一人、また一人と倒されていく。
全力で回避をしていた。
直感を信じ、幾度も回避を繰り返し、辛くも盤面の維持ができていると思っていた。
だが。
たった一度のミス。それもミスとは言えないようなほんの僅かな逡巡、遅れ、角度。たったそれだけで暴虐の顎門に捕らわれていく。
攻撃を受けた者たちの生死は分からない。
後方でヒーラーが回復魔法をかけ、斥候たちが必死に運んでいる姿に目を向ける余裕すらなかった。
ただ目の前の暴虐に捕らわれないよう、全身全霊をかけて逃げ続けるしか無かったのだ。
もしかすると攻撃が通るかもしれない。
もしかすると隙を突いて有効打を与えられるかもしれない。
そのたらればすら頭に過らない。
リーダーのシュライグは今、パーティーがどんな状況に置かれているのかすら分からずに、ただひたすらに回避を続けている。
つい先程までは、マーモットの魔法が援護として放たれ、マンティコアがレジストによって無効化しているのを知覚していた。
だが、今はそれも無い。
気付かないのでは無い。
狡猾なるマンティコアは支援を行う者を判断し、ただ一撃を以って排除を行ったからだ。
突如として目の前に魔物の前腕が迫っていたマーモットに、なす術など無かった。
そして、近くに固まっていた魔法使いたちも腕の一振り、また尻尾の薙ぎ払いで排除されていった。
シュライグに、それを防ぐ手段など無かった。
目の前で仲間が蹂躙される様を呆然と眺めるしか無かったのだ。
心の中を絶望が支配する。
それでも意地と、生存本能がひたすらに回避運動を身体に命令していた。
だが。
シュライグの視線が、突然彼方へと飛んだ。
…………あ?
マンティコアを見据えていたはずが、空を、木々を、地面を、……どうして勝手に彼方此方を見ている?
そして再びマンティコアをその目に捉えた時、自身に何が起こったのかを理解した。
マンティコアが前脚を振るっている。
そしてそのすぐ横にもう一体のマンティコアの姿が。
ああ、そうか。仲間は全滅したのか。
シュライグは横合いから突然襲いかかってきたもう一体のマンティコアの攻撃を受けてしまったのだ。
強烈に頭を揺さぶられ、一時的に麻痺した感覚は自分の身体がどうなっているのかを教えてくれない。
だが、地面に叩きつけられ、錐揉みしながら転がる自分の頭を守ろうとした腕が言うことを聞かないことでダメージの大きさを察した。察してしまった。
(くそ、ふざけんな……! こんなところで……こんなところで終わるってのかよ!? 良い調子だったじゃねえかよ俺ら! 最高のパーティーになれるって、なってやるって誓ったじゃねえか! なのになんでこんな化け物が出てくるんだよ!)
マンティコアがゆっくりと近づいてくる。
必死に身体を起こそうとするが、苦悶の声が漏れるばかり。瞳には涙が滲み、視界を淀ませていく。
(来るな、来るな、来るな、来るな! 来ないでくれよ! 助けてくれ! 見逃してくれよ! こんなところで死にたくない!)
頭上からマンティコアが睥睨していた。
ゆっくりと前腕を振り上げ、そして振り下ろされる。
(やめてくれ! 助けてくれ! 誰でもいい、助けてくれよ! 俺を、助けてくれえ!!)
恐怖で目を閉じ、奇跡を願う。
そして自身の死の時が。
訪れなかった。
轟音が、響く。
「ぐっ……おおらあああぁぁぁぁ!!!!」
頭の上で誰かの声がした。
涙で滲む目を開き、呆然と目の前の光景を眺める。
「無事か、シュライグ! おい、クリム! さっさと担いでいけ!」
「お、おう!」
フルプレートメイルの大男が、マンティコアの前腕をひしゃげた盾で受け止めていた。
いや、受け止めたからひしゃげたのだ。シュライグは誰かに担ぎ上げられながらそれに気が付いた。
「ぁ……ぇ、ぇぃぇぎ」
「ああ、そうだよリーダー! “赤撃”が助けに来てくれた!」
涙声のクリムが救世主の正体を教えてくれる。
その時、マンティコアの悲鳴が上がった!
驚きでクリムが振り返る。
シュライグも声の場所を探した。
そして見る。
左前腕を失い、悲鳴を上げるマンティコアの姿を。
「あ……“首狩り姫”か!」
クリムがそれを成した人物の正体を教えてくれた。
前脚が綺麗に切断されて転がっている。
怒りの眼で“首狩り姫”を睨みつけるマンティコアが黒き翼で叩き潰しにかかった。
スパン、とあまりにも呆気ない音と共に黒翼が断ち切られる。
だがマンティコアはそれを無視して反対側の翼を振るい怨敵に襲いかかった。同時に体を回し、強靭な尾が“首狩り姫”を襲う。
“首狩り姫”は風に揺れる葉っぱのようにするりするりと攻撃を躱し、そして瞬時にトップスピードでカタナを一閃する。
円を描く軌道は尾と重なり、中ほどから切断した!
「す……すげえ」
クリムが呆然と呟いた。
「お……ろせ、く、クリム。み、みる、みとど、ける……!」
「な、リーダー!」
「いいか、ら、お、おろせ。お、れはさいご、でい、い」
「わ、分かったよ」
シュライグは木に身体を預けるように座らせてもらい、戦闘の様子を真剣な眼差しで睨む。
マンティコアの一体を“首狩り姫”が。もう一体を双剣士ツーヴァ、“狼藉者”ウルズ、“氷雪の魔女”の三人が相手取っていた。
“首狩り姫”は手負いの魔物に無理攻めすることなく、回避からのカウンターで少しずつ相手の四肢を切り裂いていく。
対してもう片方のマンティコアと対する三人は前衛二人で翻弄しつつ、ツーヴァの双剣が少しずつ傷を付けていく。
“狼藉者”の打撃は有効打になっておらず、“氷雪の魔女”の魔法はレジストされており、形勢は膠着といったところだった。
そこに背後から影が迫る。
それはリーダーの重戦士ラインだった。
死角から飛び込んだ彼は魔法剣の一振りで尻尾を根本から切り落とした。
マンティコアが反射的に振り返る。そこにすかさずツーヴァの刺突剣が首元に迫った。
魔物が反応する。頭を引いて刺突剣を避けると顎門を開いてツーヴァの頭に喰らいつく。
だがツーヴァは瞬時に距離を取り、間合いの外へと逃れた。
判断が早い。魔物が反応したと見るやすぐさま回避行動へと移っていた。だからこそ余裕を持って回避できたのだ。
戦い慣れている。
見ただけでそれが良く分かった。
双剣士ツーヴァはマンティコアと過去に戦っているのだ。それも今の自分と同じレベルの装備で。
だからこそ更なる性能を持つ新たな装備を手にしたことで安定した戦いができているのだ。
そして唐突に一つの戦いが終わる。
“首狩り姫”の一閃がマンティコアの首を落とした。
彼女はたったの一人で、暴虐の主を討伐してしまったのだ。
嗚咽が漏れた。
嫉妬。羨望。憧憬。それらが入り混じり、感情がぐちゃぐちゃに掻き回されて涙が溢れる。
俺もああなりたい。俺も強くなりたい。なぜ俺は勝てないんだ。なぜあれが俺じゃないんだ。
そして“首狩り姫”が合流したラインらは安定した戦いそのままにもう一体の暴虐を討伐する。
トドメを刺したのは双剣士ツーヴァの刺突剣。脳天に捩じ込まれた爆炎の一撃だった。