一番良いのをくれ・5
「クソ、クソ、クソ、クソ、クソ!! クソッタレがああぁぁぁ!!!!」
シェルキナ近郊。
山間部から平野部にかけてのなだらかな草原を南に駆ける男が半狂乱になって叫ぶ。
“草原の餓狼”の斥候・クリムは自身の軽鎧に施された『聖光領域』を全開にして恐ろしいほどの速度で疾走していた。
「なんであんな化け物が出てくるんだよ! 聞いてねえ、聞いてねえぞふざけんなぁ!!」
慣れない全力疾走につんのめりそうになりながらも目を皿のように見回して目当てのものを探す。
だだっ広い草原だ。動くシルエットがあれば見つけるのはそう難しいことではない。
すぐに目当てのシルエットを見つけると、進行路にいる魔物と接敵しないルートを見極めて駆け抜ける。
その目から大粒の涙を流して。
時は少し遡る。
“草原の餓狼”は斥候陣が接触してしまった魔物との遭遇戦を迎えていた。
「ケルベロスの……番? は、ははっ、ビビらせやがって。おい、お前ら! 臨時ボーナスだぜ、これは。まさかビビってるやつはいねえよなあ!?」
現れた二つの巨体を見たリーダーのシュライグがほっと息を吐いて気炎を上げる。
おそらくはレグナムに巣食っていたケルベロスの残党だろう。
すでに二体の討伐経験があり、しかもその時と違って装備が充実している。少なくとも二体同時に相手取っても十分に討伐できる目算が立っていた。
「済まない、リーダー! 見つかるどころか同時に相手することになっちまった」
「問題ねえよピエール。それより他の面子を集めてくれるか。コイツらを手土産に凱旋するってな!」
「あ、ああ。了解した!」
武器を構える前衛陣にも心の余裕があり、誰もが強い自信に満ちている。
動いたのはケルベロスからだ。
六つの頭から闇魔法が次々と放たれ、“草原の餓狼”を襲う。
「ハッ、知ってんだよこっちは! てめえらの手の内はよ!」
シュライグを始め、パーティーメンバーたちは危なげなく攻撃を処理しつつ近接戦に持ち込んでいく。
「なんだったらこっちは俺一人で殺っても良いんだぜ! ランクアップしてえからなあ!」
「ずるいぜリーダー! こっちだって新装備を貰ったんだ。俺も一人で狩れる!」
「ふざけんな、んなの俺だってそうだぜ!」
口々に勇ましい台詞を吐きつつ、同時に言葉に負けない動きでケルベロスを翻弄して攻撃を加える。それは自身の言葉を証明するに十分なものだ。
マーモットを始めとした魔法使い陣からの援護のもと、終始優勢に戦いを進めていた彼らはまもなくの内にほぼほぼ戦況を優勢に傾けていた。
ピエールが他の斥候陣を回収し終えた頃にはボロボロになったケルベロスらが最期の時を迎えようとしており、シュライグの大剣が片方のケルベロスにトドメの一撃を見舞っていた。
そして残りは瀕死の一体のみ。
終わったな。
誰もがそう確信していた。
ケルベロスでさえも己の死を悟り、最期の足掻きと咆哮を上げ。
誰がトドメを刺すのか、目で牽制し合っているその時。
空から巨大なシルエットが瀕死のケルベロスを叩き潰した。
全員が、思考を麻痺させる。
一瞬。いや、それは数秒だったかもしれない。
戦場に訪れた静寂を切り裂くように、そのシルエットが咆哮を上げる。
ビリビリと鼓膜を震わせる轟音が“草原の餓狼”を襲う。
「……な!? まさかコイツは!?」
その雄々しくも強大な姿に目を見開いたシュライグの耳に空気を切り裂くような音が聞こえた。
それはまさに反射。シュライグは思考よりも早く地を蹴り、全力でその場を離れる。
それと同時に一瞬前までシュライグがいた場所に、新たなシルエットが空から襲いかかった。
降下の勢いのままに振るわれた前腕が地面を砕き、大量の土砂と衝撃波を周囲に撒き散らす。
前衛陣はギリギリのところで反応し、大きく距離を取って回避する。だがその攻撃主を見て絶句した。
「マ…………マンティ、コア」
それは誰の呟きだったろうか。
突如として目の前に現れた二つの巨体。
獅子の体に漆黒の翼を持つ、体長五メートルの暴虐の主が彼らを睥睨していた。
その視線は“草原の餓狼”に身体の芯まで恐怖を刻み込む。
衝撃波で大きく飛ばされたシュライグは受け身を取ってダメージを殺し、Sランクの魔物を睨みつけた。
(なんだよこの化け物は……!? ケルベロスとはまるでレベルが違う!)
シュライグの脳裏に浮かんだのはかつて“赤撃”が言っていた言葉。
『ケルベロスはマンティコアに比べると数段落ちる。Sランクの中でも下位だろうな』
あの時は何を言ってるんだと思った。
そんなに差があるはずないだろう、と。
だが一目見ただけで痛感した。
「撤退だ!!」
“赤撃”はたった四人でコイツを討伐した。だが全員が瀕死で相打ち状態だった。
あの時の“赤撃”の装備と今の“草原の餓狼”の装備はほぼ同等。魔法使いは明確に劣るが、それでも前衛陣に劣るところは無いはず。
馬鹿野郎、こんな化け物たとえ一体でも今の俺たちの手に負える相手じゃねえよ!
一瞬だけ脳裏を過ぎった蛮勇に罵声を浴びせ、メンバー全員の動きに目を配る。
斥候陣が真っ先に退路確保へと向かっている。
前衛陣が殿を。魔法使い陣が中間に位置取りをする。
大丈夫だ。打ち合わせ通りに冷静に動けている。
“赤撃”だってあの竜から撤退戦を生き延びたんだ。俺たちだってマンティコアから逃げ切ってみせるさ!
気合いを入れてマンティコアを睨みつけたその時。
前衛の一人がシュライグの真横を吹き飛んで行った。
「……は?」
予備動作らしきものは無かった。
だが一体のマンティコアが地を蹴り、右前脚を振るっていた。結果だけを認識した。結果だけしか認識できなかった。
ふざ、け……
「っ!?!?」
直感だった。
シュライグは全力でバックステップを取った。
目の前を、マンティコアの前脚が。
地を殴り、抉り。
衝撃と土砂がシュライグに襲いかかった。
咄嗟に大剣を盾にして頭を守る。
(直感を信じるしか無かったよ。見てから反応なんてできない)
その瞬間、脳裏を過ぎったのはかつて“赤撃”にマンティコアについて尋ねた時。双剣士ツーヴァが語った言葉。
そういうことか!
ほんの僅かな予備動作。経験から導かれる予測。
自分を信じ、来ると思ったなら迷わず動く。逡巡など許されない。常に限界を要求される極限の戦い。
シュライグは盾にした大剣を引っ込める。
目を切るな! 僅かな予備動作すら見逃しちゃならねえ!
マンティコアの目が、シュライグを捉えていた。
「っ!」
強引に地を蹴った! 右に、無理矢理方向転換する!
半身になって飛び退った場所に、マンティコアの左前脚が突き出されていた。
速えぇ!! ……だが! 不可能じゃない!
避ける、避ける、避ける、避ける、避けるーー
マンティコアとシュライグの攻防は一方的だった。だがシュライグの直感が、全ての攻撃から命を守っている。
しかし。
シュライグに攻撃の機会が訪れない。
あまりにも早い連撃が、遠心力を利用した大味な攻撃を得意とする彼の戦い方に付け入る隙を与えないのだ。
同時に周囲へと目を配ることすら許さない。シュライグは、釘付けとなっている。
他方で、もう一体のマンティコアと対する前衛陣はなんとか形勢を維持していた。
頭数の力で、全員が全力回避の中でも牽制を行い、魔物の狙いを一人に絞らせない戦いをしている。
攻撃の機会を窺いながらそれらを見ていた男、マーモットは盤面がやがて劣勢、そして敗勢に変わることを悟ってしまった。
マンティコアを倒すビジョンが、見えない。体力が切れた時が敗北、いや、全滅の時。
あの身体能力を相手に逃げ切ることなど不可能だ。そしてあれらを倒せる戦力などーー
「クリム!! “赤撃”を探せぇ!!!!」
気付いた時には近くにいた斥候に怒鳴るように指示を出していた。
クリムが、目を見開く。
「南に行け! まだどこかで探索してるはずだ! 急げ、全滅する前に!!」
「お、おう!」
慌てて走り去るその背を見送ることなく、マーモットはシュライグの援護のために魔法の構築を始める。
マンティコアに当てるのは難しい。だが、シュライグに当てないようにすれば牽制にはなる!