レグナム奪還戦・15
戦場に腹の底まで震わせるほどの轟音が響いた。
誰もが固唾を飲んで見守る中、ゴーリンキ子爵がゆっくりと距離を取る。
竜の悲鳴が上がった!
竜の腹。正中線上に位置するそこには砕けた鱗の下から空洞らしき器官が露出している。
明確にダメージを与えたことは火を見るより明らかだ。
「筋肉! 筋肉! 筋肉!」
「筋肉! 筋肉! 筋肉!」
「筋肉! 筋肉! 筋肉!」
騎士団派の兵らから声援が上がり、やがて戦場全体に伝播していく。
鱗の下から覗く空洞は一体何の器官なのか。広域殲滅魔法が降り注ぐ中でやがて明確に判明することになる。
レイン・ミィルゼムの放った広域殲滅魔法が竜のレジストを抜いたのだ。
レジストが弱まっている。それはつまり保有魔力が減少したことを示していた。
魔力吸収器官が存在していたのだ! 弱点を潰した!
「畳みかけろ! ゴーリンキ子爵には魔力吸収器官への追撃をさせろ!」
ゲイルノートの命令に兵らが逸り立つ。
広域殲滅魔法が次々と鱗を舐める。その規模は次第に大きくなっていくーーレジストがどんどん弱まっている!
竜の目がメリオンを捉える。そして後方で隙を伺うゴーリンキ・マチョンの姿を怨嗟の籠った眼光で見つめた。
竜が体を丸めて弱点を隠した!
「構うな! 魔法を打ち込め! 物量で押し切るのだ!」
ゲイルノート自身も広域殲滅魔法で攻撃する。
そして遂にモルティア・クスハンの放った広域殲滅魔法が竜の鱗にヒビを入れた!
場所は首の裏側、付け根の位置。
メリオンが再び頭に飛び乗り、剥き出しになった肉へ剣を突き立てていく。
たまらず竜が頭をのけ反らせて悲鳴を上げた。
「バーッハッハ! 我が筋肉の真髄、再び味わうが良いわ!!」
弱点を露出した竜に向けてゴーリンキ子爵が再び突撃する。
しかしそれを易々と許す竜では無い。
手脚を伸ばし、全身を地に叩き付けるようにダイブ。
「ぬああああぁぁぁぁっ!!」
懐に飛び込もうとしていた怨敵が風圧で冗談のように吹き飛んでいく。
また、背に乗っていたメリオンも危険を察知し飛び降りることで難を逃れた。
「筋肉が!」
「マチョン子爵を守れ!! 風魔法で衝撃を殺すんだ!!」
自身らも突風で体勢を崩されながら、滑らかな放物線を描く巨体に必死に風魔法でクッションをかける。
だが“アームストロング流決戦装甲”を身に付けたゴーリンキ子爵の重量は数百キロに及ぶ。落下速度を殺すには至らない。
「我が!! 筋! 肉! を! 舐めるなああぁぁ!!!!」
ゴーリンキ子爵が強引に身体を捻って姿勢を変え、足から着地する。
土埃を撒き散らし、二十メートル以上も後退した彼はしかしそこで踏み止まった。
「回復魔法だ! 筋肉を回復させるんだ!」
「無用である!!!!」
大声で遮ったゴーリンキ子爵が大きく息を吐き出し、大剣を肩に担いだ。
あまりの強靭ぶりに周囲の兵たちが喝采を挙げた。
「道を開けよ! もう一撃、竜の土手っ腹に撃ち込んでくれるわ!!」
一歩、二歩と歩みを進める姿に指揮官たちがすぐさま反応し、指示を飛ばす。
「ゴーリンキ・マチョン子爵はご無事であられる! 本隊に連絡し、竜の隙を作るように要請せよ!」
「皆、陣形を整えよ! 筋肉の道を作り上げるんだ!」
興奮しきった指揮官の謎の単語に首を捻りながらもその場の雰囲気で陣形が組み上がっていく。
まるでモーセの海割りのように竜へと真っ直ぐ道ができ、ゴーリンキ子爵が走り抜ける。
だが見上げた竜の姿に目をかっぴらくことになった。
上半身を立ち上げ、広域殲滅魔法の嵐に晒されながらも真っ直ぐにゴーリンキ子爵を見据えている。
そして口元には光の粒子が舞い散っていた。
「ブレスだああぁぁぁ!!!!」
「盾隊!! 全力で筋肉をお守りするんだ!!!!」
呼応するようにいくつも『防御結界』の壁が作り上げられていく。
二十枚、三十枚……それはゴーリンキ子爵を守るための決死の防御だった。
そして竜のブレスが放たれる。
眩い閃光が結界を瞬時に蒸発させ、地平線の彼方まで突き抜けていくーー
閃光が収まった時。そこには駆ける巨体の姿があった。
「バーッハッハッハ! 外しおったな間抜けめ!」
死ぬ覚悟で『防御結界』を発動させた兵たちも無事な姿で困惑している。
竜のブレスは『防御結界』は消滅させたが、彼らの頭上を通り過ぎていた。
すぐにその理由がはっきりする。
竜の顎の下に巨大な氷の山が突き立っていた。
氷山に角度を変えられ、ブレスを上に逸らしたのだ。
「誰だか知らぬが大義であるぞ! この借りは我が筋肉の躍動で返すとしよう!」
鎧の下でゴーリンキ子爵の筋肉が膨張する。血圧が上昇し、こめかみに血管が浮き上がった。
氷山に乗り上げたことで弱点が露出している!
魔力を消耗し過ぎたためか竜の動きが緩慢だ。すでに背に乗って傷口を攻撃するメリオンに反応できていない!
大上段に大剣を振り上げ、竜の懐に飛び込んでいく。
「ぬううううん!!!!」
全力の一撃が弱点へと叩き込まれる。
それは鱗を砕き、肉を蹂躙し、魔力吸収器官を完膚なきまでに叩き潰した。
竜が身を捩って痙攣する。
傷口からは夥しく血を流し、前脚でゴーリンキ子爵を払おうと振るうが力が無い。悠々と回避し、大きく距離を取った。
「バーッハッハ! どうやら瀕死のようだな! この鍛え上げた筋肉で介錯をしてやろうぞ!!」
兵から魔力回復薬を受け取ったゴーリンキ子爵はそれを一気飲みし、再び突撃姿勢を取る。
その時だった。
巨大な大剣が根本からボキリと折れる。
見れば至るところでヒビ割れを起こしていた。
「ぬあぁにいぃぃ!?!? 我が筋肉に耐えられなかったのかあ!?」
だが大剣を恨むまい。超常的な身体強化と堅牢すぎる鱗のぶつかり合いだ。むしろ二度の攻撃に耐えたことを誉めなければならない。
ゴーリンキ子爵は唇を噛み締めることで溢れそうになった罵声を飲み込んだ。
「ゴーリンキ子爵! 竜が!」
「逃走に入ります!」
「何い!!??」
そこに思いもよらない報告が入った。
そしてそれは本隊で戦うゲイルノートの目にもはっきりと映った。
「この期に及んで逃げるのか! 竜よ!」
あれだけの巨体で逃走に入られると物理的に防ぐ手段が無い。
だがここまで来て逃してなるものか!
死んで行った者たちのためにも。この勝利を確実なものにするためにも。
「足止めをーー」
口をついて出た言葉はしかし目の前の光景に遮られる。
漆黒の闇が竜の手脚に纏わりついていた。それらは粘性を持った液体のように運動エネルギーを吸収する。
竜が体勢を崩した。そのままつんのめるように地面へと倒れ込む!
良くやった! 知恵の回る娘だ!
この千載一遇の好機を逃してはならん。一撃で致命傷を叩き込む!
ゲイルノートは全力の魔法を構築する。
杖の性能を限界まで引き出し、最大最強の一撃を。ゴーリンキ子爵の開けた土手っ腹の弱点に。
「光子聖域」
竜の腹の下から超高密度の光線が噴き上がった。
それは鱗に遮られ散らされる。
だが鱗の無い場所。ゴーリンキ子爵によって破壊された剥き出しの魔力吸収器官から。
体内へと肉を焼き尽くしながら突き進んでいった。
竜が全身を震わせながら絶叫する。
それでも一歩、二歩と歩を進めーー
ーー頭上から降り注いだ雷撃に焼かれ地面へと頽れた。