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06.霊廟の街、手向けの花



 ラザに連れられて宿屋の外に出る。戸口を潜ると、異国の街並みが私を迎えた。



「どこか行きたいとこは……あるわけねーか。とりあえず広場行ってみる?」



 ラザに連れられて歩き出す。歩いている間も、視線は右へ左へ、上に下にと動き回る。だって、何を見ても物珍しい。


 宿屋の窓から見た通り、灰色の石を組み上げた石造の街並みだった。異世界転移ものの描写によくある中世ヨーロッパ風、ではない気がする。どちらかというと東欧や、中東に近い。道の舗装はなく、風が吹く度に砂埃がうっすらと舞う。宿屋が面していたのはそう大きくない道で、両脇には極彩色の布や陶器から用途のよくわからない道具まで、様々な品物を売る店が軒を連ねていた。


 道行く人は皆様々な色の髪や目をしていて、明らかに日本人ではない。格好も、現代日本とはかけ離れていた。男性はチュニックのような上衣にズボン、女性は丈の長い簡素なワンピースに前掛けというのが多い。当然、私のセーラー服は浮きまくっていて、誰もが珍妙なものを見る目で見てくる。



「ヒノ、目立つからフード、深めに」


「う、うん」



 宿を出る前、ラザは私に自分の着ていた、フード付きのケープのような上着を差し出した。とりあえず来とけ、というのでその通りにしたのだが、それはこのためだったのだろう。素直にラザに借りたフードを目深に被る。……フードだけだったら服はあまり隠せないので意味がないと思うのだが。とはいえ、言われた通りにする。


 道はやがて、別の通りに合流した。先ほどの二倍くらいの幅で、自動車三台程度なら余裕で走れるだろう。道の両脇には何軒もの露天商が並んでいて、人混みもあってか実際より狭く見える。様々な色のテントの下、商人たちが隣の店にだけは負けまいとばかりに互いに声を張り上げては客を呼んでいる。商品は野菜に果物、軽食、ランタンに織物、水晶に鉱石、果ては生きた山羊や鶏まで。量と多彩さに圧倒されそうだ。



「……すっごい」



 いつかテレビで見た、中東のバザールそのものだった。


 ぽかんと口を開けたまま、人並みをかき分けて進むラザの背を追う。



「……すごい。すっごい。市場なんて初めて来た。どの街もこうなの?」


「中くらいの街なら大体こうだよ。ヒノのとこにはなかったのか?」


「商店街ならあるけど」



 比べるものではないだろう。息を吸うと、土埃と家畜の臭い、野菜の青臭い匂い、それから屋台の食べ物の匂いとがないまぜとなって鼻腔をくすぐった。


 人混みの中を私たちは歩く。あまりの喧騒に、互いの声も容易には聞き取れない。物珍しさに目ををきょろきょろとさせていた私だが、何かにつまづいてこけかけたので、それからは足元に気をつけつつ歩く。そういえば靴が壊れていたのだった。そんな私に歩幅を合わせながら、ラザが説明を続ける。



「普段はこの時間なら店仕舞いしてるとこも多いんだけどな。一週間ぶりに市場を開けたから、みんな張り切ってるのかも」


「一週間ぶり? 何かあったの?」


「それは……」



 前を歩くラザが足を止めた。私も立ち止まる。



「あれだよ」



 ラザが指し示した方向を見る。


 いつの間にか市場から外れ、小さな広場に来ていた。高台になっていて、中心には少女の像があり、その視線の先、高い山が一つ見える。周囲に高い建物がないせいで、この場所からなら街の外にあるあの山が見えるのだろう。


 少女の像の足元には、いくつもの花束が手向けられていた。



「さっきセダに聞いたよな? あれがヒノと俺たちが会った山。てっぺんに『皇家の霊廟』っていう古い城があるんだけどさ」


「あれが……」


「あそこにあるの、皇族専用の墓なんだよ。……で、十日くらい前にこの国の皇女様が死んで、あそこに葬られたばっかりってわけ。喪に服すために市場はしばらく休みだったんだよ」



 私は目を瞬かせた。


 皇女。墓。



「……もしかして、私とラザが会った部屋にいたのは」


「ああ。あれがティ……じゃなくてユ……ユー……なんだっけ、あ、ユーステティア皇女」



(なんっっちゅう場所にいたんだ私は!?)



 眠る黒髪の少女を思い出し、今更ながらに血の気が下がる思いがした。そういえばセダさんも「許可なくして立ち入れば死罪」と言っていた。皇女様の墓に無断侵入するなど、確かに打ち首にされても文句は言えないだろう。見つかったのがラザたちで良かった……のかはともかく、即死エンドにならなくて本当に良かった。


 一人青い顔をしている私を気にもせず、ラザが広場の中心に歩み寄り、少女の石像を見上げる。


 十代半ばくらいの少女だ。あどけなさの残る顔立ちで、彼方に聳える高い山を見つめている。



「これは……この人がユーステティア皇女?」


「いんや、これはアグナアタの初代皇帝だ。花は、多分皇女様に向けてだと思うけど」



 ふうん、と私も隣に並んで像を見上げる。私とそう年の変わらない少女と、皇帝という言葉は何だか結びつかなくて、変な感じがした。


 その時だった。



「お花を買っていただけませんか」



 振り向くと、子どもが立っていた。女の子だ。小学校中学年くらいだが、手足は棒切れのように細く、服もつぎはぎだらけだった。伸びた前髪の隙間から覗いた瞳が、怯えの色を滲ませながらこちらを見上げていた。



「ひとつ銅貨一枚です。どうか」


「あ……」



 言葉を失った私の前に、少し萎れた白い花が差し出されていた。少女が抱えるバスケットの中にはまだたくさんの花が残っている。ブーケなどというものではなく、何本かを束にして糸で縛っただけの、粗末な花束だった。



「私、お金もってないんです……ごめんなさい」



 銅貨が十円玉ではないことは確かだろう。そもそも、財布は宿に置いて来てしまった。喘ぐように断った私に、少女は落胆も露わにそっと目を伏せ、一礼して立ち去ろうとした。



「……待って。俺が買う」



 声を上げたラザに、少女が目を瞠った。ポケットから硬貨を探り当てたラザが、彼女にそれを差し出す。銀貨だった。



「五束くれ」


「! はい、ありがとうございます……!」



 少女が追加で四束取り出し、ラザに差し出した。代わりに銀貨を受け取る。大事そうに銀貨を握りしめた手は肌荒れが目立っていた。



「ありがとうございます、本当に……」


「いいよ、こっちこそありがとう」



 少女は何度も何度も頭を下げ、去って行った。小さな背中が市場の人混みに紛れて消えるのを、ラザと並んで見送る。



「……あーあ、今週の小遣い使い込んじゃったよ」



 花束を抱えたラザが嘆いた。その声を聞いて、やっと私も言葉を取り戻す。



「今の、は……あんな、小さな子が……」


「よくあることだよ。親がいないとか、貧しいとか。よくあることだ。宿無しが溢れかえってない分この街はまだマシな方だと思うよ」



 少女が消えた雑踏から、私は視線を外せなかった。



「小銀貨一枚なら、明日の飯代くらいにはなるだろ」


「…………」



 胃の中に鉛が注がれたような、そんな錯覚がした。



「ところでヒノ、この花いらねえ?」


「いや……いいよ。ラザが買ったものでしょう?」


「俺が花なんか抱えててもセダに笑われるだけだよ」



 しゃーない、と呟いて、セダが石像へと歩み寄った。五束全てを献花台の上に乗せる。何もせず枯らしてしまうよりはよっぽど良いだろう。


 これでよし、と満足げに頷いて、ラザは私に向き直った。



「帰ろうか。腹減ったし」



 気づけば太陽は完全に沈み、夕陽の橙から宵闇の紫へと空の色も変わりつつあった。市場のランタンには火が灯り、屋台以外の商人たちは店仕舞いを始めている。あれだけあった人通りも少なくなっていた。


 行きとは違う道を、行きと同じようにラザの背を追って歩く。ラザが帰路に選んだのは裏通りで、飲食店の厨房なのか、どの建物の窓からも灯りとともに食事時らしい匂いが漏れ出していた。


 喧騒は遠く、今ここにいるのは私たちだけだった。



「本当はさ」



 唐突に。


 独り言を呟くように、前を歩くラザが言った。



「ああいうこと、しちゃいけないんだ」


「……」


「キリがないから。最後まで救い通せる自信がないなら、気まぐれで手を差し伸べるなって、セダが」


「……うん」


「俺、馬鹿だから。全部忘れてその場の勢いだけで行動して、その度にセダに怒られるんだけどさ」


「そっか」


「一度でも助ける方が残酷なこともあるから、って」


「……そうだね」



 私はただ頷いた。


『俺にはおまえを助けてやる義理も義務もない』──どこまでも冷たくて、どこまでも正しい言葉だ。混乱して、縋り付く私にセダさんが告げた言葉だ。



「でも、私は、ラザがしてくれたことに意味はあると思う」



 そして反論する。そうせねばならなかったからだ。



「助けられたことがあるのと、ないのとじゃきっと違う。救われたって、思う」


「ヒノ」


「だから──ありがとう」



 ラザが振り返った。


 上手く笑えていますように、と私は願う。ラザの表情は、暗くてよくわからなかった。



「帰ろっか。お腹空いたし」



 私の言葉に今度はラザが頷く。そしてまた、二人して夜を迎えつつある裏通りを歩き出す。


 明日から、何とかして一人で生き抜いて行かなければならない街を、今日だけは誰かの背を追って、私は歩く。




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