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05.ようやく説明回・その1

 

 ヒノ、と名乗った少女の部屋を出て、二人と一匹は隣の部屋に移動する。先程までいた客室と全く同じ内装だ。ここが、セダウェンとラザが今晩眠る部屋である。窓から見える日はすでに傾きかけていて、もう暫くすれば蝋燭が必要となるだろう。



「面倒なことになった」



 自分の寝台に腰掛け、セダウェンは開口一番に告げた。



「わけがわからん。ふざけるな。こんなことなら神殿を出ない方がましだった」



 苛々した様子で言葉を重ねる。



「霊廟に侵入する羽目になるわ、墓守(ガーディアン)どもに追いかけられるわ、宰相の私兵はうろついてるわ……挙げ句の果てに世界渡り(ラプス)だと?」


「霊廟に行くって言い出したのはセダじゃんか。『確かめたいことがあるんだ』とかなんとかで」


「ああそうだ。見事に嵌められた」



 銀色の双眸が、ぎろりと、ラザの足元──白い小動物を睨みつける。



「満足か? 一体どこまでがおまえの読み通りだつた?」



 小動物は答えない。そもそも人語など解すはずもないのだが、セダウェンは射殺すような目で小動物を見下ろしている。


 相対する小動物はというと、面倒臭そうにセダウェンに一瞥をくれ、それから短い足からは予想もつかぬ身軽な動作で反対側の寝台に飛び乗り、身体を丸めた。長い耳がぺたりと垂れる。



「っほーう、黙秘か、いい度胸してるじゃねえかこのクソ猫……」



 およそ聖職者とは思えぬ口調だった。セダウェンの腕が伸び、小動物の首根っこを摘み上げる。容赦なく小さな身体を揺らす。



「いい加減話せ! 洗いざらいだ!」


「セダ、動物虐待よくないぞ」


「口を割らねえこいつが……っ!?」



 小動物が思いっきり身体を捩り、セダウェンの手から逃れたと思えば、長い尾を使って器用に腕に飛び乗り、そのまま駆け上がり、そして、セダウェンの顔面に向かって体当たりをかました。



「っ……の……」



 女神もかくやという美貌を躊躇なく足蹴にし、空中で一回転した獣は危なげなく寝台に着地する。


 ふん、と鼻を鳴らす小動物に、セダウェンの中の何かが切れたようだった。



「────殺す!」



 本気の取っ組み合いを始めた人間(※二十四歳)と小動物を前に、ラザは溜息をつく。


 セダ、これでも偉い神官様なのになあ、と思うが、下手に制止しても矛先がこちらに向かうだけだ。ほとぼりが冷めるまでどこかに退避しよう、と考える。



「セダー、俺その辺ぶらぶらしてるから」



 小動物の動きに翻弄されているセダウェンはきっと聞いていないのだろうが一応言い置いて、ラザは喧騒を背に部屋から出た。向かう場所は決めていた。


 隣の部屋も、十分「その辺」だろう。


 ✳︎✳︎✳︎




 ショックを受けている場合ではなかった。しっかりしろ、と私は己の頬を叩く。


 とにかく何かをしよう。現状を整理したいし、情報だって圧倒的に足りていない。この部屋だって、いつあの人たちの気が変わって追い出されるかわからないのだから。


 まずは室内の観察だ、と思い私は辺りを見回した。


 宿屋の客室らしき部屋だった。薄いマットレスが乗ったベッドがふたつ、その間にサイドテーブルと燭台。高い宿ではなさそうだ。少し埃っぽい。


 私の座っているベッドの横に唯一の窓があった。窓にかかったカーテンの隙間から、光が差し込んでいた。カーテンというよりは布切れのようなそれを捲ると、窓ガラスがないことに気がつく。調べてみるが、窓が開いているというわけではなく、もともとそういう作りのようだった。部屋が埃っぽいのはこのせいだろう。



(……窓ガラスが普及していない、とか?)



 外を見るとすっかり日は傾いていた。今何時だろうか、後でスマホで確認しなければ。


 窓向こうの風景は、私がよく知る現代日本とはかけ離れていた。建物は彩度の低い石造で、二階建てが多いから、この部屋(多分三階)からでも見通せた。車はないし、電柱も電線もない。遠くに集まっている色鮮やかなテントの群れは、出店か何かだろうか。賑やかな喧騒とは対照的に、私の心は重く沈んだ。



「本当に、異世界、ってこと……?」



 気を抜くと、心細くて泣き出してしまいそうだった。視界が滲みかけたので、制服の袖で乱暴に拭う。泣いている場合ではないし、何より、泣かないと決めた。


 次は持ち物の確認をしよう。スクールバッグを取り、ベッドの上に中身を広げた。この世界における私の全財産だ。


 ノートと教科書が数冊ずつ、ペンケース、家の鍵、財布、櫛だの鏡だのが入ったポーチ、少量のお菓子、薄手のカーディガン、それからスマートフォン。私とともにこの妙な世界に飛び込んだ仲間たちだ。スマホを確認すると、五時を回った頃だった。


 溜め息が出る。見知ったものがあると精神的に楽だが、これでどうしろと。とりあえず、カーディガンを羽織ってセーラー服の汚れを隠す。寝る前に洗濯すれば、朝には乾くだろうか。


 また溜め息をつこうとした時、ノックの音が聞こえた。びくりと肩が震える。



「ヒノ? ラザだけど入っていい?」


「! はい、どうぞ」



 扉が開いて少年が顔を出す。知らず知らずのうちに身構える。



「別に何もしねえよ。……向こうの部屋が居づらいからこっちに逃げてきたんだ」



 入ってきた少年が、心底困っていますという表情で肩を竦めた。私の真正面、さっきまで銀髪の青年が座っていたベッドに腰掛ける。



「あの、向こうの部屋で何か……?」


「セダとティアが喧嘩してる」



 セダ、というのはあの銀髪のお兄さんのことだろう。ではティアというのは誰だろう、とまで考えて、思わず口をついて出た言葉があった。



「ティアって? まさか、あの猫みたいな動物のことですか?」


「……ぁ」



 少年がさっと顔色を変えたのを私は見逃さなかった。



「あー……もしかして知らねえの? あの白いの、猫じゃなくてファニアって魔物なんだ。死ぬほど弱いから危険ゼロだけど」


「ファニア……ティアっていう名前のファニア、ってことでしょうか?」


「あー……うん、そう。そのティアとセダが今大喧嘩してるんだよ」


「人間と動物が喧嘩って、なんでまた」


「セダって大人気ないからなあ。横暴だし、面倒くさがりだし、俺のことこき使うし、すぐ蹴り入れてくるし!」


「はあ……」



 適当に相槌を打ちつつ、その裏で思考を巡らせる。強引な話題そらしに気づかないわけがない。



(……チャンスかも。色々聞こう)



「ええっと、ラザさん、でしたっけ」


「ラザでいいよ。年近いし敬語もなしでいいよ」



 あの遺跡で会ったときとは随分接し方が違う。もしかしたら、敵対さえしなければこれが彼の素なのかもしれない。



「じゃあ、ラザって呼ぶね。私も陽乃でいいから」


「おう! よろしくな」



(……思ったよりいい人なのかも?)



 そう思いかけるが、遺跡での一件を思い出すと信用しすぎるのもよくないだろう。とにかく色々聞き出したい。


 聞き出したいが、さて、何から質問すべきか。


 何とかしなくてはと思った私の目に入ったのは、散乱した荷物の中の一つだった。



「ね、お菓子食べる?」


「菓子! 食う!」



 ラザの顔が輝く。何というか、心なしか千切れんばかりに振られている耳と尾の幻覚まで見えた。騙しているようで罪悪感が湧く。


 スクールバッグの中に放り込んだポーチをまた取り出して、中を覗き込む。昼休みに友だちと交換したものの残りだから、量はないが種類はあった。飴にキャラメルにクッキーにチョコ菓子。クッキーの袋を取り残りをしまう。五百円玉くらいのが大きさの何枚か入っているので、分けやすいだろう。



「クッキーでいい?」



 小袋をパーティー開けにしてラザに差し出す。一口かじって、少年は幸せそうに食べ始めた。餌付けしている気分だ。悪いことをしているわけじゃないのに何故か後ろめたい。


 私も食べる。さっくりした食感が口内に広がった。ふたりでもくもくと、いやもぐもぐと食べ続ける。



「イセカイのお菓子も案外普通なんだな。うまいけど」



 ラザが口を開いた。



「この世界にも似たようなお菓子、あるんだ?」


「あるぞ。滅多に食えないけど」



 窓ガラスといいお菓子といい、あまり技術が発達していない世界なのかもしれない。よくある異世界転移モノなら中世ヨーロッパ風、とくるところだが、どうだろうか。



「なあ、ヒノの世界には、俺が知らないうめえもんがいっぱいあるかな」


「さあ……私がこっちの食べ物を知らないからよくわかんないや。ラザは食べることが好きなの?」


「おう!俺、メシ食うために生きてんだ!」



 言い切ったラザに思わず吹き出してしまった。



「あ! 笑うなよな!」


「いや、ごめ……ふふ」



 ──この世界に来て、初めて笑ったような気がする。愛想笑い以外で。笑う私を、不服そうな表情でラザが見ていた。


 笑いが収まる頃には、さっきまで逡巡していたのが嘘のように言葉が出ていた。



「ね。色々聞いてもいいかな、私まだ混乱してて……ここがどこなのかもわかってないの」


「あー……結局セダ、聞くだけ聞いてヒノには何にも説明してなかったもんな」



 ラザが腕を組み考え込む。



「俺たちのことはあんまり話せないんだ。話すなって、セダが。俺も……あんまり、聞かない方がいいと思う」



 ラザが視線を落とした。


 その言い方だと、「自分たちは後ろ暗いところがありますよ」と言っているようなものだと思うのだが、つついても私にメリットはないだろう。とりあえず触れずにおこう。わかるよ、と私は頷く。



「大丈夫。簡単なことだけでいいの。ここがどこなのかとか、あの遺跡?が何なのかとか」


「りょーかい。じゃあ場所の説明からいくか」


「うん」


「まずこの世界の名前なんだけど、『アイアス』っていうんだ」


「待って、世界に名前なんてあるの?」


「あるけど。ヒノの世界は違うのか?」


「ないよ……」


「ふうん、まあいっか。ここはアイアスの中でも人族最大の国、アグナアタ皇国。皇都がイスラリウスっていうんだけど、そっから東に馬で二日くらいの街だな。テュムルスって街だ」



 一気にカタカナが増えてきた。私地理苦手なのに、とどうでもいいことを思い出す。


 というか、聞き捨てならない単語があった気がする。



「人族、って。ひょっとしてそれ以外にもいるの?」


獣族(ベスティア)とか賢精(アールヴ)とかな。この辺じゃ見かけないけど。……もしかして」


「私の世界にはいなかったよ……」



 冗談抜きで頭が痛い。ザ・ファンタジーにもほどがある。



「まあでも、ここはアグナアタ領の中心だから。人族以外は殆どいないよ。魔物はいるけど」


「まもの」


「ファニアも魔物だし、霊廟──あの山でヒノが追っかけられてた屍人(アンデッド)もそう。あの山、無断で侵入すると屍人になる呪いがかかってるんだ」


「…………もしかして、私もあのままあそこにいたら危なかったのかな?」


「どうだろ。あの山に入っても呪われないのは、皇族か、神職か、その加護を受けた奴だけなんだけど」


「心当たりはないなあ……」



 ぞっとする。あのゾンビたちの仲間入りなんてことにならなくて、本当に良かった。



「…………」



 俯いて口元を覆った私に、ラザも察したらしい。気遣わしげな声がかかる。



「大丈夫か?」


「うん。大丈夫、平気……とはいかないけど、何とかする」



 今更手が小刻みに揺れている。誰かが清めてくれたのか、掌にも、触れた頰にも、汚れはなかった。ラザから見えない位置に手をやって、私は笑ってみせる。



「すごく……びっくりしたんだ。私の世界には、魔物もいなかったから。襲われるのも初めてだったの」


「……その割には手慣れてたよな、『あの時』」



 ラザがじと目になった。何を言いたいかわかって、私は慌てて声を上げる。



「あれは! 無我夢中っていうか、痴漢に遭ったらこうしろって、お兄ちゃんに教わって!」


「素人とは思えないっつーか。人のこと蹴るのにまったく躊躇ってなかったっつーか」


「いやでも! そっちだって私のこと足蹴にしてたし! おかげで制服汚れたんだけど!」


「服の心配かよ! まあでも悪かったよ、あん時は完全に敵だと思ったから。とりあえず確保しとくかーってなってた」


「私も、完全に変質者かと思った。……思いっきり蹴っちゃってごめんね」



 顔を見合わせて、そして二人同時に吹き出した。


 笑っていられる状況じゃないのに、本当に、おかしい。


 ひとしきり笑ったあと、ラザがそういえば、と口を開いた。



「ヒノ、兄ちゃんがいるのか?」


「いるけど、どうして」


「気を失う前に呼んでた」


「そっか……いるよ。両親は小さいときに亡くなったから、お兄ちゃんが私の親みたいなもので」



 お兄ちゃん。私は瞠目した。何故今まで忘れていたのか。


 スカートのポケットに手を突っこむ。突然焦った様子を見せた私に、ラザが驚いていた。


 ポケットの中で指先が何かを掠める。引っ張り出すと小さな巾着袋が出てくる。その中に、銀のネックレスがあった。安堵の息を吐く。


 蝶の片翅を象った、三角形の銀のモチーフが揺れる。翅は青く、西陽を受けてきらりと光った。それを見てラザが言う。



「首飾り?」


「うん。お兄ちゃんとお揃いなの。なくしてなくて本当に良かった」



 安堵の息を吐いて、巾着の紐をしっかり締めてポケットに戻す。大事なものなのだ。


 もう一年以上前の話になる。中学校の卒業式から数日後。店のショーウィンドウに飾ってあったところを一目惚れして、私の十五歳の誕生日祝いに買ってもらったものだ。ペアでしか売っていなかったので、結果的に兄とお揃いになってしまった。照れながらもお守りとして持ち歩いてくれていたことを、今でも覚えている。


 それが、ともに過ごした最後の誕生日だった。兄のペンダントは今どこにあるのだろう。一年前のあの日も兄が持ち歩いていたのなら、兄と一緒に、どこに消えてしまったのだろう。


 考えても答えの出ないことだと、私は頭を振った。



「ラザは両親、いるの?」


「俺? 俺はわかんねーや、いないと思う。寂しくないよ、セダが保護者みたいなもんだからさ」


「セダさんが?」


「おう。俺がガキの頃に拾われてからずっと一緒なんだ。……セダはできることなら返品したいってすぐ文句言うけど」



 そしてラザは、無邪気な笑顔ではなく少し大人びた、過去を懐かしむような表情をした。



「……ひとりは、寂しいからさ。俺にできることなら、何でも手伝うよ。セダも、口ではああ言ってるけどできる限りの力にはなると思う。何だかんだで面倒見いいしさ」


「……うん、そうなんだろうね」



 ラザの口振りから、セダさんを心から信頼しているというのが感じられた。この人は多分嘘を吐かない人だというのは、短い時間を話しただけの私でもわかった。──信用、してみていいだろうか。


 とはいえ、セダさんの口振りからするとラザたちがこの街を出るのはそう遠くはないだろう。どうやらここへはただ立ち寄っただけのようだし。


 となると、私はやはり一人でこの状況をどうにかしなければならない。一人きりで、この世界で生きていかなければならない。



「……イセカイから来たんだったら、この世界のこと何にも知らねえってことだよな」


「うん……そうなるね」


「だよな。よっし!」



 俯く私と同じことを考えていたのだろうか。何かを思いついたのか、ラザが立ち上がった。そして部屋のドアを示す。



「出かけようぜ! この街案内してやるよ! 俺も初めてだけど!」


「は……ええっ!?」



 思いがけない申し出に素っ頓狂な声を上げる。


 もちろん有り難い申し出なのだが、この部屋から出ていいものなのか。私の不安を打ち消すように、ラザが言葉を重ねる。



「大丈夫大丈夫。夕飯までに戻って来ればバレないって」


「それフラグじゃない? 本当に大丈夫?」



 だが、断れるはずもない。


 乗った、と言う代わりに私もベッドから立ち上がる。


 かくして私は、異世界アイアスの街テュムルスに降り立つことになったのである。




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