一章 四話 『希望の棘』
「いづ…いでぇ…」
今、好人が襲われているのは足先から膝下までにかけてしみるような激痛、吹き飛ばされ壁に叩きつけられた、背中に響く鈍痛だ。
ーーだが、それよりも。
「な、んで、頭の方が痛えんだよ…?」
頭を中からこじ開けられるような、尋常ではない頭痛に好人は悶絶している。
中からエイリアンかなにかが出てくるとすら思う行き場のない痛みに、歯を食いしばり片目を瞑る。
こんな中妄想なんて不可能だ。
よって足の火傷も治せないし動けない。
爆風で吹き飛ばされてから好人は体のおもむくまま壁に体を預け、自由にきく両手で頭を抱える状態だ。
こうしていたら頭痛がおさまるわけでもないのに、それでもこうしていないと正気を失いかねないという不安がそうさせる。
鼓膜もやられたんだろう。
カミがなにやら叫んでいるがなにも聞こえない。ただ響くのは耳鳴りのみだ。
ゲームオーバー、そう悟った。
『神』の神?カミガミ戦争?
艶やかな黒髪と漆黒の瞳が印象的な美少女に出会って、突拍子も無いことを聞かされた。
それから緑ダウンジャケットがフラスコで攻撃してきて、それで始めて自分の能力を使った。
テンションは上がったけどクソ痛かった。
つーかフラスコで攻撃とかなんかショボくね?ほら、神様の戦いってドーン!山グシャー!海パッカーン!みたいな感じじゃないの?
それから炎を出して不意打ちするもかわされて、やっと通った攻撃は妹直伝の回し蹴り。結局物理かよ。
それで今相手の爆弾フラスコをもろくらって死にそうだ。
カミに出会ってまだ三十分も経っていないことに嘆きを通り越して呆れる。
全ての神の力を使える力。つまりチート級の能力。異世界転生モノで言えばスキル『鑑定』。
なんの悪戯か主人公みたいな能力を持った俺が一瞬で終わるって笑える。
こんなフラスコの使い方を最大限の振り幅で間違えてるようなマッドサイエンティスト野郎に。
片手で腹を抑えながらのそりのそりと緑ダウンジャケットが近づいて来る。
もう動けるのね、やっぱ僕の蹴りは天下は狙えねーや。
殺されるのか、僕は。
随分他人事のような気がした。
ゆっくり時は流れているように見える。頭だけがくるくる回っている。頭痛が酷いはずなのに。
ーー走馬灯、そう判断した。
今から近い記憶から再生されていくのか?じゃあ次は龍恋寺と家紋探しを手伝った記憶か?
するするとふわふわとしたピンク色の髪の可憐な少女の姿が流れる。
あのピンクの天使の笑顔を拝みたくなかったと言えば嘘になる。
学年でもトップクラスの美少女に微笑んで欲しくなかった訳じゃない。
だがそれは間違いだ。本当はいつもニコニコしている彼女の困り果てた顔が見るに耐えなかっただけだ。
あの、僕を優しいと勘違いしている彼女は、ちゃんと家に帰れただろうか。道に迷ったりしないかあの頭じゃしんぱ……
ーーねえ。
声が響いた。
それが強制的に僕の走馬灯を切断する。
女性的な声色で妙に透明感のある、そして人を小馬鹿にしたような雰囲気も感じられる。そんな声だった。
ーーうざったいんだよねえ、君が〝嘘〟だとか〝本当〟だとか言うの。
頭蓋に反響する声は当然外部から聞こえた情報ではない。
いわゆる〝っ!?こいつ、脳内に直接!?〟みたいな感じである。
もしも思考すればこの声の主に届くのだろうが、それを許さないなにかが声と共に存在していた。
ーーま、それはそうとね。頼むよ、〈制約〉の方はなんとかしておいたからさ、せいぜいなんとかしてくれ。こんな序盤に敗退するなんてうざったいしだるったい。
制約?
なんの話だ?
ーーじゃあね。また会おう。カミの契約者さん。
頭痛が、透明な声と共にピタリと止んだ。
◇
ひどく、遠くに行っていたような気がする。
僕の意識がそう言った。
透明な声に引き戻されたのは絶対絶命の現実。
目を開けたら緑ダウンジャケットが倒されてる訳でもないし火傷が治っている訳でもない。
ただ、尋常ではない頭痛は全く感じられなかった。
のそりのそりと緑ダウンジャケットが近づいてくる。
その右手にはフラスコが握られていて、微かに震える手は心の激情を表していた。
急に緑ダウンジャケットの足が止まる。
あまり近づきすぎると自分も爆発に巻き込まれるからだろう。
距離は三メートルくらい。
「バイバイ♪」
歪んだ声だった。
常に人を嘲笑うような人間観が生み出した負の声。
先程の声色とは本質は似ているのだろうが、何かが決定的に違う。
するりとフラスコが手から離れて宙を舞う。
そこで僕とフラスコを隔てるように壁を創造す
「オラァ!!!」
謎の人影が僕の前に現れ、緑ダウンジャケットを怒号にも似た気合いと共に蹴り抜く。フラスコごと。
緑ダウンジャケットは再度蹴られた訳だが、先程とは話が違う。
段違いの威力の差。〝なにか〟が折られる嫌な音が聞こえる。
それと同時に緑色の液体を直接触れた人影の足は爆発した。
やはりとんでもない衝撃と爆風だ。
砂煙が再び宙に舞い、人影に纏う。
「ゲホッ、ったく鬱陶しいな!」
謎の人影は手を振り回し強制的に舞った砂煙を払う。そこでやっと顔が認識できた。
そうでなくても重低音気味の悪ガキ口調。それには聞き覚えがある。
「……っ、ジャイアン?」
「おう、ヨッシー。お前も同じ口ってなんの偶然だよ?」
クラスメイトで親友の岩崎剛がニヤリと、それこそ悪ガキっぽく笑って立っていた。
同じ口。
それで全てを理解する。
奇跡的な親友の救済に心が躍るがそこに小さい棘が刺さった気がした。
「っ、っていうか足!足は大丈夫なのかよ!?」
あのエネルギーの爆発をもろくらったジャイアンの足。
普通の人間よりもいくらか頑丈だからって傷一つつかないわけがない。
「あー?大丈夫だよ。それが、俺の神力だからな」
その一言で仮定が現実へと変わる。やはりジャイアンもカミガミ戦争の参加者なのだ。
「俺の神力は『不動の巨人』!体を鋼みたいにする力。まあ鋼より何倍も固えらしいけどな」
体を固く、一口に言ってしまえばそうなのだろうがそんな簡単な神力でもないだろう。
衣服にその能力はつかないらしく無残に溶けたズボンからしなやかに黒光るジャイアンのたくましいふくらはぎが見える。
まるで世界には存在しないような精錬された金属を纏っているようだ。少し触ってみたい。
「つーか大丈夫なのかはお前の方だろ、ヨッシー。その足ひでえ火傷じゃねえか」
「ん、これは今なら治る。見てろ……」
足に治癒の波動を当てる。
これが発生している最中は不思議な感覚だ。ということはコツが掴めるかもしれない。
例のごとく激しい熱と共に火傷は治った。
あらためて治癒能力の凄まじさを痛感させられる。
「おお。治った。つーかどうしたんだよ。菫のお見舞いに行った帰りに、爆音が聞こえてみたらなんでお前が謎の包帯人間と戦ってるんだよ」
「僕がふっかけられたんだよ。こちとらカミガミ戦争の説明聞いて三分くらいだったのに」
カミと出会ったくらいからの経緯をかくかくしかじかで説明した。
「ーーへえ、神の神様。似合ってないと言うか不釣り合いというかなあ。だけどカミガミ戦争は三日前に始まってんじゃないのかよ?なんでこんなに遅く?」
「カミ曰くハンデらしいぜ。カミガミ戦争参加者中僕だけその存在を知らなかったらしい」
「ふーん……」
ジャイアンは何かが引っかかるように語尾を伸ばした。
なんか納得いかないとこでもあるのか?そう、聞こうとした。
その時。
「ゲホッ!……ガ、ガアァ……」
背後で呪いが詰まったようなうめき声が聞こえた。
喉に突っかかるものを吐き出した前半の生物的な音と対照的に後半のうめき声は、怨嗟を体現化したような声だった。
「っと。これ以上のおしゃべりはやべーっぽいな」
緑ダウンジャケットは口に手を当て片膝をつき、立ち上がろうとしていた。
あの嫌な音が骨が折れた音くらいはわかる。
腹部に二度入った蹴りは一度目で亀裂が入り、二度目で完全に破壊された。
緑ダウンジャケットの口の方に巻かれている包帯には、赤黒いものが滲み始めていた。
なんで骨まで折られて戦意消失しないんだ?
狂気。
緑ダウンジャケットの動きにはそれが混じっている。
あれは死にたくないから足掻いているなんていう綺麗な理由じゃあない。
もっと歪んだ行動理由が今の緑ダウンジャケットを操作している。
まるで負けたら命より大切な〝なにか〟を失うようなーー
「おいお前、今は戦うのなしにしないか?」
「!?」
いきなり放たれたジャイアンの休戦宣言に緑ダウンジャケットと僕は困惑する。
「ほら、なんつーか。俺も人を殺したくねーしよ。お前もボロボロで戦えねーじゃねえか。じゃあウィンウィンだろ?ここは矛を収めよーぜ」
ジャイアンは頭をかきながら言う。
緑ダウンジャケットは一瞬目を見開くが、キッと鋭く、細くする。
「ふざ、けるな」
淀んだ声でそう吐いた。
「何言ってんだジャイアン!カミガミ戦争のルールはもう聞いてるはずだろ?たしかに人を殺めるのは抵抗があるだろうけど……」
その先の言葉が上手く出なかった。喉の奥でつっかえている。
「ヨッシー。人を殺したら人じゃなくなっちまうぞ」
ジャイアンはいつになく真剣な表情をしていた。いつもは優しそうな目に、刃が宿っているような気がした。
「だけど!」
そんな甘いこと言うな!と、反論しようとした時、気づいた。
ジャイアンの顔には、言葉ない叫びが込められている。
お願いだから、わかってくれ。そんな叫びが。
緑ダウンジャケットはジリジリと後ろに下がり、僕たちと距離を取っている。
「早く行け」
ジャイアンがそんな顔のまま声を出す。
「チイッ」
ジャイアンに負けない眼光で睨むと舌打ちをし後ろに動くスピードを上げる。
徐々に緑ダウンジャケットは小さくなって見えなくなった。
最後まで、背後を見せなかった。
「なにがあんな風にさせるんだろうな」
ジャイアンがこぼす。
それと同時に詰まっていた息が大きく出た。
これからジャイアンとはいろんなことを話し合わなくてはいけない。
「ジャイアン……」
「なんだ」
「もう無理」
夕日が沈みきると同時に、僕の意識は暗夜へと落ちていった。