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一時間に及ぶ丁寧な調査は案の定無駄骨に終わり、乱れた『脈』も整えた俺はすれ違う人に尋ねながら、ゆっくりと時間をかけて彼らが待つ部屋に向かう。
足が重く、ついでに気も重い。
……このまま城下に繰り出して酒場に向かいたい。
俺の中のサボり虫が囁くのだ、『もう、いいよね。俺、頑張ったよね……。もう、俺がいなくても……大丈夫だよね……』、と。
でも実際問題そうもいかない訳で。
名目上とはいえ調査報告をしなければならないし、召喚されたのはかつてとはいえ同郷の仲間だ。放置もできない。
なにより、まだ稲荷寿司を食べていないのだ。
あの〈職人ルナ〉曰く、今回のは特に自信作らしいから、それを食べずしての脱走なんて考えられない。
『でも脅威がない以上は人間の領分だよね! 稲荷寿司なら大丈夫! ルナなら後でいくらでも作ってくれるよ!』
黙れサボり虫。俺を誑かそうとするな。そんな甘言で俺が惑わされるものか……! ――ちょっとしか!
領分では確かに首を突っ込むべきじゃないだろうけど、これは性分の問題だ。
過去の大戦以来、久方ぶりに出会った同郷の輩。知らん顔はできない。
――そう、わかっているのに、
「……あぁ、着いちゃった…………」
遠回りをして、いつもの三倍遅く歩いたというのに。
無情にも目的地に辿り着いてしまった。
ヤダなぁ~……、恥ずかしいなぁ~……。
既に中には複数の気配があり、どうやら王も居合わせているようだ。
あの糞王の事だ。どうせ体面上は真面目を取り繕っておきながら、ネチネチと嫌味を言ってくるであろうことが容易に想像がつく。
マジ糞王。リコールしやがれ。
そう悪態をつくが、
…………ごめんやっぱ今のナシ。
すぐに前言撤回する。
アイツが退位したら、未熟なアルフォードが王になってしまう。今はマトモになって執務に励んでいるようだが……まだ王としては心許ない。素質はありそうなんだが、最高権力の座に座るのには早い。
遺憾ながら、非常に遺憾ながら、否が応にも糞王には頑張ってもらうしかないだろう。
……なんでウチの国には一人しか王子がいないんだよ。王族ならもっと励めよ。もっと子作りしろよ。
国の最高権力者なんだから、ハーレムの一つや二つ築いて見せろよ、ヘタレが。
おかげで後宮が存在意義を失ってんぞ。
後宮がメイドたちの休憩所と化してんぞ。
時々俺も昼寝場所として利用してんぞ。
さすが王族の利用する場所だけあって、寝心地は最高だぞコノヤロー。
……まあそれはいい。
ウジウジと不平不満が尽きないが、いつまでもそうは言っていられない。冗談はこの辺にしとくべきだろう。
今、本当に辛いのは俺ではなく、いきなり異世界に召喚されてしまったであろう先の二人なのだ。
まだ若い少年少女がたった二人。
見知らぬ土地に放り込まれ、どれほど不安な事か。考えただけで心が痛む。
亮ちゃんと呼ばれていた少年の方は何か勘違いしているようだったが、ルナから説明を聞かされて冷静になっている頃だろう。美野里という少女も、元から気が弱そうだったから心配だ。
国としては、巻き込まれたであろう『他世界の人間』相手では特別扱いは出来ないだろうし、対応に苦心するのは目に見えている。
二人の扱いとしては亡命者、または難民に近い処遇になってしまうかもしれない。
俺としても悪いようにはしないつもりだが、国の守護獣である以上は大っぴらに手を貸すこともできない。精々個人的に力を貸すぐらいだ。
………………あれ? 十分じゃね?
己惚れるつもりはないが、守護獣である俺が力を貸すのならこの世界に慣れるまで生活の補助は約束されたようなものだし、金銭面は勿論の事、命の心配もしないで済むだろう。
この世界での成人年齢である16歳にはなっていそうだったし、安心安全な働き先も斡旋してやれる。
…………あれ? 十分じゃね?
って、この件はもういいか。
問題があるとすれば、元の世界に帰りたいと言われた場合だろうか。
そこら辺は難しいな……。
過去にこの世界に来た同郷の者達。彼らの中には帰りたいと願う者も当然ながらいた。
しかし、結局帰れたものは一人としていない。現状では元の世界への帰還方法が無いのだ。
大切な家族や友人、もしかしたら恋人も。そこら辺の追慕は酷だろうけど、感情は個人で折り合いをつけてもらう他ないだろう。
「俺だ、入るぞ」
陰鬱な面持ちでノックをし、非公式な場なので返事を待たずに扉を開くと――
「安心しろよ王様! この世界は僕が救って見せるからさっ」
「ごめんなさいごめんなさい! 亮ちゃんも悪気はないんです。ただちょっと熱くなりやすいだけなんです!」
そこには胸を張り、散らかった部屋で元気いっぱいに全身を光り輝かせている少年と、平謝りする少女が立っていた。
「…………」
はて、彼らはまだ状況を説明されていないのだろうか。
そしてなぜ部屋が無残な状態になっているのだろうか。
部屋は所々が焦げていて、飾られていたであろう調度品が跡形もなく四散している。
王は難しそうな顔で少年を睥睨し、護衛である近衛騎士団長含む彼らは王を護るように前に立ち、いつでも抜けるようミスリルの剣に手をおき警戒を強めていた。
ルナは離れた場所にいて、その表情は困惑と驚愕に彩られている。
…………俺は入室せずにゆっくりと扉を閉めた。
いったい、俺がいない一時間の間に何があったのか。
是非とも迷宮入りしてほしい難問にぶつかってしまったものだ。
紫電を全身から走らせながら高揚した顔でドヤ顔を決める少年。
必死に謝る少女。
部屋の惨状。
穏やかとは言い難い、淀んだ空気。
ルナの表情。
「……………………」
おそらく、少年が召喚された時に付随したなんかしらの〝魔法〟を暴走させてしまったのだろう。あの〝魔力暴走〟が俺の知っている『勇者召喚』と酷似しているのなら、彼に人外の法である〝魔法〟が扱えるようになっていても不思議ではない。
王やルナ達は突然の事態に驚愕するも、少年は自分の状態に気が付き興奮状態に陥っていると推察できる。
…………クソぅッ! 謎は全て解けてしまった! というか考える必要もなかった!
おい自称勇者! 何してくれちゃってんだよ! 落ち着くまで余計な事すんなよ!
しかも国の最高権力者に向かって尊大不遜な発言まで……!
あくまで俺は国を護る守護獣であって、王の決定には口を出さないスタンスなんだかんな!?
もしも王が処罰を決定したら庇ってやれねえんだよバカタレがッ!
「正気かよ……」
無論、だからといって彼らを見捨てるつもりはない。
しかしあれをとりなすとなると多大な労力が必要になるだろう。……要はメンドクセェ。
……早まったかもしれない。
初っ端から拗れた場面を見せられて、そう思い始めた俺は悪くないと思う。
…………いや、これは事前に考えられたことだ。むしろ俺が気に掛けるべきだったのかもしれない――と思い直す。
万一の高位存在が介入している可能性に備え、調査を優先させた俺のミスだ。
「コンラッド様」
後悔先に立たず。
俺が頭を抱えていると、扉からルナが顔を出す。
「えっと……、中はどういう状況……? いや、聞きたくはないんだけどね」
「それが……」
ルナから簡単に経緯を聞いてみると、なんの面白味も無く想像通りだった。
エンターテインメントとしては失格だ。期待を裏切らない内容にガッカリだ。
……まぁ俺はエンターテイナーではないので深く追及はしないが。
「はぁ……」
憂鬱だ。
認めたくはないが、どうやら俺はボッチだったらしいし。人と人とのとりなしなんて苦手分野だ。そういった調停は友人が多くいるような奴がやってほしい。
「申し訳ございませんコンラッド様。わたくしの説明が至らぬばかりに……」
「いや、気にすんな。ルナで無理ならあっちの理解力に問題があったんだろ。後は俺が受け持つから、お前は女の子のそばにいてやってくれ。……彼女の方は大丈夫なんだろ? 理解力的な意味で」
「彼女は、えっと……はい。そう、ですね。ミノリさんは彼と違って状況を理解し、今は落ち着いてくれていますわ」
「ん、了解了解」
つまりは男の子の方を何とかすればいいわけだ。
それなら、まぁ。
これで女の子がタリア嬢みたいな子だったら間違いなく詰んでたね。リザイン必至だ。
あの二の舞はごめんである。彼女は俺の中で伝説となりつつあるからな。色んな意味で。
「陛下、失礼致します。『儀式の間』の調査が終わりましたので、そのご報告に参りました」
「ぉお! ……コンラッドか。待っておったぞ」
俺が臣下として改まって入室した意味を察し、人間としての名を呼ぶ王。
事情を説明できていない以上、俺が守護獣であるのを伏せておく事にした。守護獣の説明までしていると時間が掛かり過ぎてしまうからだ。
長年連れ添った王とならばこれぐらいの意思疎通は何てことは無い。細かな機微に疎くては、商人や貴族を相手取る事など不可能なのだ。
「あっ! お前はさっきの」
指を差すな指を。
「これは異世界からの来訪者様。先程は挨拶も出来ずに失礼しました。私はコンラッド・ハイロニアと申します。恐れ多くも陛下より王宮魔導士補佐を任せられている者です」
という事にしておく。
事実そんな役職なんて存在しないが、話しを円滑に進める為の嘘だ。別に心苦しくも無いが許してくれ。
嘘も方便。昔の人は良く言ったものである。
「私達は年も近いようですし、仲良くしてくださると嬉しい限りです」
「ちっイケメンが」
にこやかに接したというのに、悪態をつく自称勇者。
イケメンって……。この世界で初めて言われたぞ。
どちらかと言えばイケコンと言われるほうが嬉しい。だって俺コン吉だし。
イケてるコン吉。……いいかも。
あ、でも駄目だ。イケコンだとイケてる婚活みたいになってしまう。独身女性の琴線に触れてしまうではないか。
そういったデリケートな問題をむやみやたらと刺激するのはいただけない。
「なにやらお気に障ってしまったのならば申し訳ありません。なにぶん普段は部屋に引き篭もって事務仕事ばかりしているもので、対談には慣れていないのです。私に含むところはございませんので、そんなに邪険にしないでください。宜しければ御二方のお名前を教えては下さいませんか?」
頭の中で馬鹿な想像をしながらも、それをおくびにも出さずに下手に出る。
この子は自己顕示欲が強いようだし、上から高圧的な物言いをされれば反発してしまうだろう。
「…………僕は海藤亮介。そっちは幼馴染の石島美野里。日本で高校に通ってた学生だ」
「よっ! よろしくお願いします」
苦虫を噛み殺したように自己紹介する亮介少年。
そんなに俺に挨拶するのが嫌か。
美野里少女みたいに大袈裟に頭を下げろとまでは言わないが、それでももう少し取り繕えよ。
礼儀と礼節を重んじる日本人精神はどこにいった。第一印象って大切なんだからな。
「なるほど亮介殿に美野里嬢ですか。こちらでは聞き慣れませんが素敵なお名前ですね」
でも俺は大人だからな。それくらいで目くじらを立てたりしない。ちゃんとリップサービスも忘れない。
「えへへ~素敵なお名前だって亮ちゃん。良かったね、褒められたよ」
「バカ、美野里。そんなの社交辞令に決まってるだろ。簡単に喜ぶなよ。なんでお前はそう単純なんだ……」
一先ず、これで多少はさっきまでの殺伐とした空気も少しは緩和できただろう。
まだ近衛騎士からは警戒の気配は無くなっていないが、それは仕方がない。仕事だしな。
俺が来た事でいきなり斬りかかる可能性が無くなっただけでも良しとしよう。それぐらいの信頼は得ているつもりだ。
「それでコンラッドよ。調査の結果はどうであった?」
更に冷却期間が欲しいのか、それとも単純に重要度を優先させたのか。王は報告を求める。
俺としてはさっさと同郷である子供二人の身の振り方を決めて、ちゃっちゃと安心させてやりたいのだが。
俺の落ち着きようから、危険が無い事はわかってるだろうしな。詳細については、人払いをした裏ですれば事足りる。
「はい。今回の騒動の原因は、〝魔力暴走〟で間違いありません」
しかし、王が求めるのならば俺に否応は無い。
どうせならばと、この場で聞いている巻き込まれた二人にも状況を分かりやすいように説明をする。
おそらく王もそれを望んでいる。
「偶発的に起きる自然災害――〝魔力暴走〟。魔素の乱流によって巻き起こるこれが、過去に類を見ない程に高濃度高密度であったために空間が歪み、天文学的確率で術式を形成、発動。理に干渉し、魔法でありながら魔術として『特殊な召喚術式』を完成させ別世界に繋がった――これが事の顛末となります」
「何者かによる手引きという可能性は?」
「私の名に懸けて介入者はいない、と断言させていただきます」
王もやはり介入者の可能性を考慮していたようだが。元々〝魔力暴走〟は人為的に起こせるようなものではない。
王都の、しかも王城内で、ここまで大規模発生したのが初めてだったために調査はしたものの、神獣であるこの俺が調べて痕跡を見つけられなかったのだ。
まずその可能性は無いと言い切れる。
「そうか」
俺の言葉でようやく安心したのか、短く息を吐き出す王。
続いて、警戒態勢の解除を傍に居る近衛騎士の一人に勧告するように指示を出す。それを受けた近衛騎士が部屋を出て扉を閉めると、今まで成り行きを見守っていた被害者亮介が起動する。
「なっ! ちょ、ちょっと待ってよ。偶発的? 僕たちはそこの姫様だか巫女様に呼び出されたんじゃないの!?」
指差す先には困惑したルナが。
彼女の頭にはクエスチョンマークが浮かんでいる。
だから指を差すなっちゅーの。
「彼女は侯爵家の令嬢であり王宮魔導士でもありますが、王族の血は入っておりませんし巫女でもありませんよ。また、優れた素質と魔力は持っていますが、異世界から誰かを召喚するなんてマネはできません」
「それじゃあ僕らは、この世界を救うために呼び出されたんじゃないのか!?」
「呼び出された? 何のことだかわかりませんが、貴方方お二人は事故によってこの世界に来てしまったようです。この世界には〝魔物〟や〝魔獣〟という脅威はありますが、幸いにして世界崩壊などの兆しは伺えませんので、救う必要もないでしょう」
――守護獣という守護者がいるしな。
心の中でそう付け足して。
この世界の事情はこの世界の者たちで対処できている事を告げる。
「そんな……」
すっかり俯いてしまった亮介だが。
少し性急に事を進め過ぎただろうか……。
きっと彼は物語で語られる英雄に憧れていたのだろう。
異世界なんて通常では考えられない事態に直面し、しかし不安を上回る期待に胸膨らませることによって心の安寧をはかっていたのではないだろうか。
しかとて俺によって期待を奪われる真実を突き付けられた。
今の彼に残るのは、無慈悲なまでに残酷な、帰ることはできないという事実だけ。
もしかしたら、俺は酷く残酷なことをしているのではないだろうか。
「……残念ながら、元の世界への帰還方法はありませんが、私が可能な限り生活を援助しますので――」
言いながら思った。これでは何のフォローにもなっていないではないか。
こんな事、何も今伝えないでもいいじゃないかと。
「すいません。配慮に欠ける発言でしたね……」
……こういう配慮ができないのだから、俺に友人がいないのも納得だ。
大人ならば、まずは落ち着けるように心を砕き、休息できる部屋でも手配してやるものだ。
数日ぐらいならば王も、城での彼らの滞在を許してくれるだろうし。
そんな事にも頭が回らないだなんて……守護獣が聞いて呆れる。
平時な世が続いたからか、すっかり平和ボケしてしまっていたようだ。不甲斐ない。
今の彼らはかつて戦争に巻き込まれ、肉親を失った子供たちと何ら変わらない立場にいる。
頼れる存在もなく、身寄りもない戦争孤児たち。
彼ら二人の場合は世界すら違うのだ。その心情は計りしれない。
その心はステンドガラスのように繊細で、粉雪のように触れれば溶けてしまうほどに儚くなっていると考えたほうがいいだろう。
それなのに、そんな子供相手に無神経に接するなど……。
「亮介殿……」
俺が自分を殴ってやりたい衝動に駆られながら、落ち込む亮介に言葉をかけようと近づくと、
「うぁあおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
俯いていた亮介が奇声を上げて飛び上がり始めた。
「落ち着いてください亮介殿! あなた達のことは私が責任をもって――」
「それってつまりは『巻き込まれ系テンプレ』ってことだろ? なにそれ大好物! この世界に来て初めて会った相手も貴族の女の子だし、侯爵家っていったらかなり上位の貴族だろ? その令嬢でこんな美人なら正道筆頭ヒロイン候補は間違いねっ! 剣と魔法の世界でハーレム無双。サイッッーーーーーーーーーーーーコォじゃないか!!!」
「おい待てこらクソガキ。テメー落ち込んでたんじゃねえのかよ」
こいつ、バカなんじゃねえのか?