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≪清廉の間≫
王宮の奥深く――国王のみ入室を許された神聖な審殿であり国を守護する神獣の奥殿にして寝所。
室内は白を基調とした特殊な鉱石で造られ、感知も工作もできない魔法を守護獣自らが施した不可侵の領域。天井には『殺生石』を加工して打たれた劔が浮かび、穢れ無き純白に高貴なアクセントを加えている。
有事の際には王族を匿う砦としての役目もあるが、幸いにもそれが成されたことは建国以来一度もなかった。
そして、これからもこの部屋に侵入者など起こり得る筈がなかったのだ――
♦♢♦♢
「クックク――中々に持ったようだが、我に挑むには些か性急であったな、王よ。貴様の手の内など透けて見えるわ。どうだ? 刀身の無い剣を振り回した感想は」
「ま、さか……。儂の手を読んでいたというのか……!」
邪悪に嗤う超越者を前に、王国最高権力者は愕然とする。
今この場において。絶対者を前に。権力は正しくその意味を成さない。
「然り。我を相手にそのような使い古された手が通ずるとでも? 舐められたものだ。それは傲慢というものだぞ。我を前にしてその思い上がりは呆れを通り越して業腹だ」
「クッ……待ってくれ! 今一度! 今一度だけ――!」
「ならんッ! 貴様は勝負において敵に情けを望むのか? 貴様を信じ、無様に散っていった手駒たちに『悪手だったからやり直させてくれ』とでも言うつもりなのか?」
懇願を嘲笑うようにして敵対者は女王に手をかける。そこに躊躇や戸惑いはなく。ただ淡々と、事務的に、迷いが入り込む余地は皆無。
力無く倒れる王女を前に、王のかんばせが暗い絶望に歪む。
「……慈悲はないのか」
「笑止! 敵対者たる我に慈悲を乞うとはな見損なったぞ王よ」
王者の気迫を失った王に侮蔑の視線を送る。
布石は打った。ミスも無い。手は尽くせるだけ尽くした。勝算は十分にあったのだろう――しかし、それでも届かない。
海千山千の商人たち。
神算鬼謀の貴族たち。
富を狙い利権を欲する魑魅魍魎を相手にしても超然と佇んでいた王の面影は、ここに至っては也を潜める。
即位してから今まで。この窮地にして、これほどまでに苦渋に歪む国王の顔があっただろうか。
城は崩され、戦の先兵たる兵士は役に立たず、戦場を縦横無尽に駆け巡る騎士は倒れ、僧正の祈りも届かず、掛け替えのない女王も失った。
勝敗は決したというのに降参しない諦めの悪さは王者であった者の矜持故か。
「楽しませてもらったが、これ以上は助長が過ぎるな。これで――〝チェックメイト〟だ」
俺は死に体となった王に終焉を告げる。
盤上では俺の駒によって、王の王に逃げ場はない。完全に詰みの状態だ。
「キャッホー! これで626戦626勝0敗0引き分けだな。勝てないにしても引き分けすら一回もないって、これはもう快挙だろ。いくらなんでも弱すぎ」
「ぐぬぬ……儂だって将軍や皇帝相手なら……。なぜこうも勝てないのだ」
「フフンっ。文字通り年季が違うんだよ、年季が。『チェス』を教えたの誰だと思ってんだよ。俺に勝とうなんざ、それこそ百年早いね!」
あ、どうも。王国守護獣のコン吉です。好きな物は油揚げ。嫌いな物は面倒ごと。一応にして狐やってます。はい。
俺は現在≪清廉の間≫に設けられた畳の上にて、国王とチェスで遊んでいるところだ。
形態は獣人型。普段は隠している耳と尻尾を露出させて、これでもかと言った具合に見せびらかしている。
最近ではこのスタイルが楽になってきていて、狐の姿よりもこの姿でいることが多い。
「もう一局じゃ! もう一局やるぞコン吉!」
「何度やっても同じだっての。下手の横好きとはよく言うけど、せめてもう少し強くなってから出直して来いよ。そんなんじゃ白星が増える一方だぞ?」
「煩い! 王としてこのまま負けっぱなしでは沽券に関わる。今日こそはお主に土をつけてくれようぞ!」
この部屋は責任重き王にとって、肩ひじ張らずにいられる数少ない憩いの場所でもある。煩わしい喧噪から離れ、暫しの休息に身を委ねるには打ってつけなのだ。歴代の王たちもよくここに遊びに来ていたものだ。
即位式でも使われる部屋で何してんだって思われるかもしれないが……ここは守護獣の寝殿。つまりは俺の部屋だ。
自室で何をしようが文句を言われることはない。モーマンタイだ。
しかし、問題はないのだが、王がここに来てから結構な時間は過ぎようとしている。そろそろ職務に戻らなければ執務が滞ってしまうだろう。
「今日はここまでだな。また今度相手してやるから仕事に戻れよ。長くここに居過ぎるとまた宰相にどやされるぞ?」
「好きに喚かせておけばよい。今日いう今日は一勝するまで帰らん!」
「いや働けよ仕事中毒者。お前唯一の取柄だろうが」
まったく、どうして王国の王族ってのはこうも熱くなりやすいかね。普段は賢王然としてるくせに、一度熱くなったら周りが見えなくなるのだから困り者だ。
「駄目、今日は終わり。俺にだって予定があるんだよ。いつまでもお前の相手ばっかりしてらんないの」
「予定じゃと? 守護獣であるお主に?」
王は訝しげにな視線を送ってくるが。
なんだよ、俺に予定があったらそんなに不自然かよ。
「…………コン吉よ見栄を張るでない。お主は十分に王国に貢献してきた。それは誰しもが認めるところ。例え友人がいなくとも、誰もお主を乏しめたりせぬ。……しかしすまんかったな、気づいてやれなんで」
「なにその優しい微笑み!? 人を病んだ寂しい奴みたいに言うなよ!」
馬鹿にするなよ俺にだって友達の一人や二人ぐらい……………いるよね?
あれ? 考えてみたら、胸張って友達って言えるのって誰だろう……。
帝国のタヌ子は変態ストーカーだし、連邦のブタ丸は面倒な戦闘狂。友達なんて生易しいもんじゃない。
だったら聖国のウサたん?
……娘同然の相手を友達とは言わねえよな。
マズイ。考えてみたら俺って友達と呼べる相手がいないかもしれない。
もしかしたら…………これは推測どころか憶測にも満たない〝もしかしたら〟の話だけど。
万が一俺に友人と呼べる相手がいなかったとして、本当の本当にもしかしての仮定として、更には俺の感性が確かなものだとした上での可能性の話だけれど……。
俺ってばボッチ?
「な、なあ、俺たちって友達だよな? こうしてボードゲームで遊んでるし、何年も同じ時間を共有してきたし、これって友達を通り越して親友とも言える間柄だよな? ……そうだよな? そうだと言ってくれ!」
「……ああ、友だとも」
王に詰め寄り詰問する。
返答は肯定。張り詰めた糸が一気に緩む。
「そ、そうだよな。……うん。……知ってた! よし! 今日は特別に俺の尻尾を撫でさせてやるよ。ほれ、存分に味わえ。ただ匂い袋は敏感だからあまり強く撫でるなよ。逆撫でも禁止な」
上質の絹なんて目じゃない、それこそ最上の手触りを味わえるフワサラな尻尾を差し出したが――続く王の言葉で途端に引っ込める。
「それでお主の気持ちが晴れるのなら。儂が犠牲になる事でお主の心が救われるのなら。儂はお主の友という事にしておこう。儂は為政家だからな、真実とは異なる仮面をつけるのも吝かではない」
「この糞王が! やっぱりテメェには触らせん!」
憐れみを含む優しさが胸をえぐる。
「同情なんていらねえんだよ! 余計に惨めになるじゃねえか!」
「いだだだっ! こ、これ、髭を引っ張るでない! この髭を手入れするのにどれだけ時間と労力を掛けてると思うておる!」
「知るかこのクズが! 幻獣の気持ちを弄びやがって! ぬけろ! ぬけろ! ぬけちまえ!」
別に良いしぃ~。別に一人でも寂しくないしぃ~。
友達? ああ安部公房の戯曲のことだろ。
あのブラックユーモアセンスはかなりイカしてる。この世界に無いのが悔やまれるレベルでな。
「おーいたた……。危うくダンディーな儂の髭が抜けるところだったぞ」
「抜かせこのモジャ髭」
毛根を根絶やしにしてやろうかとも思ったが、場所は違えど同じく毛を想う身だ。引き抜かずに溜飲を下げてやる。感謝しろ。
「ふぅ……それで、だ。その予定と言うのは何なのだ? 帝国の件なら事後処理を含めて滞りなく収まったぞ。皇子の婚約も無事に継続中だ。……まさかとは思うが、次は連邦などと言うのではあるまいな?」
顎をさすりながら、鋭い視線を探るような視線と織り交ぜて向けて来る国王。俺はそれに苦笑する。
「あー違う違う。今日はこの後にルナと会う約束があってな。なんでも美味しい稲荷寿司を御馳走してくれるそうなんだ」
ふざけ合ってはいても、こういう国が関わる時はしっかりと王族してるのだから敵わない。支配者としての器は一級品なのは俺が良く知るところだ。
こいつは王として責任の重さをよく理解している。
王の仕草や表情、何気なく発する一言が周囲に影響を及ぼすという事をしっかりとわかっているのだ。そうでなければわざわざ≪清廉の間≫に息抜きになんて来ない。
「ほう……ルナフォード嬢か」
ルナとはリトワール侯爵家の令嬢であるルナフォード・リトワールのことだ。彼女とは半年前に起きた『婚約破棄断罪事件(笑)』の一件で仲良くなった。
本来ならば卒業と同時に挙式をあげるはずだった彼女だが、あの事件で王太子アルバートとの婚約破棄は無事成立。以降、馬鹿王子ことアルバートは執務に明け暮れ、ルナは素質もあり、今では王宮魔導士として城に勤務している。
アルバートはまだ電波を諦めきれない様子だが、二人とも現状が性に合ってるのか、案外楽しくやってるみたいだ。
「何だかんだと言っときながら上手くやっておるようではないか。今からでも婚約するか? ん? 申請の方は保留にしてあるぞ」
「アホか。幻獣である俺が人間と婚約なんて出来る訳ないだろうが。何度同じ事言わせんだ」
大体、ルナとはそんな甘ったるい関係ではない。彼女とは……そう、言う慣れば同志と言う言葉が一番シックリくる。
『婚約破棄断罪事件(笑)』にキツネうどんの素晴らしさを語って以来、彼女は油揚げに宿る無限の可能性に気がつき、探求者としての道に目覚めたのだ。
侯爵家の令嬢で料理などしたこともなかっただろうに。それでも王宮魔導士として働く傍ら、暇を見つけては調理に没頭している。
その飽くなき探求心と貪欲なまでの学ぶ姿勢は、俺から見ても舌を巻くの一言。
一度キツネうどんを調理している様子を盗み見た事があるが――
頭に鉢巻。白いエプロン。打ち棒を扱う姿はまさに職人。実にサマになっていた。作る事に関してはもう俺なんて足元にも及ばないだろう。
……まぁ元々俺は料理なんてできないけど。
「お前も一度ルナの料理を食べさせてもらえって。キツネうどんに関してはもう一角の人物だぞ? 香辛料の配合から生地の割合。そして自家製の油揚げを食べたらもうやみ付きになるから。店を出したら毎日通う自信があるね、俺は!」
「う、うむ。……そのうち機会があったらな。――おぉそうだ! そろそろ儂も戻らねば! アルだけでは処理できる案件も限られるでな。王としての責務を全うせねばならん! では儂はこれで帰らせてもらおう。ルナフォード嬢には宜しく言っといてくれ」
そう言い残し、そそくさと立ち上がって退出する王。
ッチ、露骨に逃げやがって。あの様子じゃ絶対に食べる気ないだろ。
いつも油揚げの話になるとこうだ。油揚げ料理は建国当時からある伝統ある料理だってのに。この非国民が。
王が伝統料理を軽んじるとか。反乱が起きても知らねえからな。
「おっと、俺もこうしちゃいられないな。待たせるのも悪いしそろそろ行かないと」
愚王のせいで要らん時間をくってしまった。
これでルナが機嫌を悪くして稲荷寿司にありつけなかったら、タヌ子に頼んで王に〝呪術〟をかけてもらおう。そうしよう。
内容は執務に影響を及ぼさない範囲で、『体臭が六倍臭くなる』ぐらいが妥当か。最近は王も加齢臭が気になっているようだし、良案かもしれない。
護衛の騎士や文官が王に近づくたびに鼻頭にシワを寄せる……ふふっ、それはそれで見て見たいな。
やっぱりこの件に関係なく実行しよう。そうしよう。
悪戯好き。
それは狐である俺にとって、決して逃れることのできない習性であり運命なのである。
人に優しく自分に甘く。鎌首をもたげる誘惑には抗わないし逆らわない。
俺はそんな都合のいい、自分に正直な狐なのだ。