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ガトーショコラ(中編)

「お気に召していただけましたか?」


 はっと我に返った。気付けば、隣に少女が立っている。

(そういえば、こいつがいたんだっけ)

 食べるのに夢中で、忘れていた。


 まだ美味しさに陶然(とうぜん)としながら、思わず問いかけていた。

「あれ、あんたが作ったわけ?」

「はい」

「すげえな。……めちゃくちゃ、うまかったよ」

「ありがとうございます」


 少女ははにかむような、本当に嬉しそうな顔をした。

 それを見て、苦笑して俺は、背もたれに身をあずける。


「あーあ……なんだろうな。あんたみたいな小さな子でも、こんな美味いもの作れるっていうのに、俺はなんの特技もなくて、なーにやってんだろ……。毎日、なんとなく、ただ流されるように生活しててさ」

「……お客様、もしかして、私のこと子供だと思ってませんか?」

「は? え、子供じゃないの? ――いや、小せえからさ、悪かったよ。じゃあ、本当は何歳なわけ?」

「女性に年齢を聞くのは失礼ですよ」

「そんなこと気にするような年なの!?」

「まあ、私のことはどうでもよくてですね」

「俺はすげえ気になってきたけど……」


 ぱらり。

 と、少女はいくつかの種のようなものを机の上に置いた。

 クリーム色で、楕円形をしている。大きなピーナッツみたいだ。


「……なに、これ」

「カカオ豆ですよ」

「これがカカオ!?」

 思わずその種――カカオ豆らしいが――を手に取った。

 しげしげと見つめる。顔に近づけても、何のにおいもしない。


「うそだろ? だって、全然チョコレートの色してねえじゃん。カカオって、チョコレートの原料だろ?」

「はい、そうです。よくご存知ですね」

「いや、それくらい知ってるだろ……。この種、茶色くないし、白いしさ。それに全然いい香りもしねえ。はっきりいって、まずそうだし」

「まあ、概ね正しい意見です。これ、このままではチョコレートになりませんから」

「あ? そうなの?」


 少女はケースを取り出し、お皿の上に数枚の薄い板状のものを並べて見せた。

 これは、今度こそ自分のよく知るチョコレートだ。

 ただし、色の濃淡がどれも違う。


「チョコレートの……といいますが、カカオの味を決めるのは、まあ色々な要因があるのですが――大まかに言ってしまえば、産地、発酵、焙煎です」

「産地、発酵、焙煎……」

「ええ。試しに、どうぞ。このチョコレート、食べ比べてみてください。まずはこちらの3種類を」

「お、いいのか? じゃあ遠慮なく」


 3cm四方程度の小さな板チョコを、順番にかじっていく。

「――面白いな! 香りが全部違う」

 最初のは、どこか花の香りを思わせるフローラルなアロマ、次は爽やかでスパイシーな印象、最後はナッツのような奥深く重厚な風味。


「今食べていただいたものは、全て産地が異なるカカオ豆から作られたチョコレートです」

「産地でこんなに変わるのか。……でも、それなら、それだけでもう味って決まっちゃうんじゃねえの? ――生まれた時点である程度将来が決まっちまうって、なんか、面白くねえな」

「そう思いますか? それでは、次はこちらの3種類をどうぞ」


 続いて並べられたチョコ片を、再び食べ比べる。

 俺は再度感嘆の声を上げた。

「今度のも味が全部違う! チョコレートって、こんなに色んな味があったのかよ……」

 柔らかな苦味とすっきりした酸味を持つもの、ローストアーモンドとキャラメルのようなナッティで香ばしいもの、そしてフルーティでワインのような香り高いもの。


「今食べていただいたものは、豆の産地と種は全て同じです」

「え、まじで!? だって、全然風味違ったぜ?」

「ええ。たとえ元が同じ豆でも、発酵や焙煎の方法や時間によって、カカオはまったく異なる表情を見せます。――ですからね、美味しいチョコレートも、もともと美味しかったわけではないのですよ」

「もともと、美味しかったわけじゃない……」


「正確には、カカオ豆からチョコレートを作るには、さらに複雑な工程を経るのですが、そこは省略いたしましょう。要するに、様々な工程――経験といいかえてもいいですが、それを通して、初めてチョコレートはチョコレートになるのです」

「……なんか、人間も一緒だな」

「おや、そう思われますか」


「人間も、ただ生まれただけじゃ生きていけねえだろ。俺なんかも、毎日毎日、やりたくもない、なんの役に立つかも分からない、勉強やら、委員会やら、塾やらやらされてるぜ。高校行くのは大学に行くためで、大学に行くのは就職するためで、じゃあなんで就職するのかっていったら――別に俺自身が働きたいわけじゃない。でも、働かないと生きていけない。人間らしい生活を送るためには」

「高校は、お嫌いですか?」

「好きではねえよ。意味もないことばっかやらされるしさ」

「では――」


 瞬間、少女の瞳が真っ直ぐに俺を見つめた。


「では、あなたにとって意味のある勉強とはなんですか?」

「そ――」


 それは、と。そんなものはと。

 答えかけて、絶句した。


 とっさに、俺には何も思いつかなかったからだ。


 そんな俺を見て、少女はさらに言葉を重ねる。

「質問を変えましょうか。今、あなたにとって価値のある経験とは、なんですか? ――あなたは、将来どんなことをしたいと思っていますか?」

 

 俺は答えられない。

 考えたこともなかった。

 俺が考えていたのは、現状への不満ばかりで――。


 答えられない俺に、ふわりと、少女は表情を緩め、カカオ豆を手に取った。

「先ほど、チョコレートの人間も一緒と仰いましたが、確実に違うところがあります」

「違うところって……なんだよ」

「チョコレートは、どんな味になるか、自分で選ぶことはできません。けれど、人間はどんな自分になるか、自分で選ぶことができるということです」


「自分で選ぶことが、できる……」

「はい。――だって、そうでしょう? 今の毎日もお忙しいとは思いますけれど――がんじがらめに縛られているわけではない。現状がつまらないと言うのなら、空き時間でもっと楽しい、自分が本当にやりたい、他の事をすることも――もしそれが分からないのなら、探すことも、できるはずです」

「……」

「産地や種は決まっていても、発酵や焙煎でいくらでも味は変わります。どんな味になるのか――チョコレートと違って、人はそれを自分で選ばなければ」

「……」


「与えてくれないと嘆くのは、子供と同じです。現状がいやなら、あるいは将来の自分のために、今何ができるのかを考えなければ。のんきにしていると、せっかくのカカオ豆が腐ってしまいますよ」

 そういって、にこりと笑う。

「まあ、私なんかは、どんな経験も何かの糧にはなっていると思いますけれどね。何事も、体感は値千金の宝です。とはいえそれも、本人の捉え方次第ですけど」

「……」

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