友人の存在
俺も希月も、さらには滝もその声に反応して振り返った。
声の主達はこの部屋に入るなり、ひとりは滝に向かって突っ込み、殴り込んだ。
滝は急いで腕を胸の高さまで上げて防御の体制に入り、攻撃を受け止める。
「お前…暮谷か!」
「はい。まさか先輩と戦うなんて、思ってもいませんでしたよ」
押し合いになりながら滝が険しい表情で叫ぶと、暮谷は冷淡に答える。
その後、二人はちょうど同じタイミングで後ろに飛び、睨み合いながら後退した。
声の主のもうひとりは、希月のそばに駆け足で来た。
「き、霧丘?!どうしてここに?」
俺は思わず霧丘に聞いてしまった。霧丘は少し苦笑いする。
「電車に乗ろうとした時、第一高校の保健委員の『小林さん』っていう人に呼び止められて…。お話ししてたら、なんか成り行きで第二高校に…」
霧丘に対して、第一高校の生徒として申し訳ない気持ちが溢れる。
しかし小林か…どこかで聞いたような。
あ、毒物関係に詳しい小林くんか。
説明を俺にしながら、霧丘は希月に錠剤を渡していた。
「これ、私の高校で作った解毒剤。私が毒を盛られたときも、これ飲んだから」
薬を手渡された希月は、思い切り薬を飲み込んだ。
「ありがとう!」
希月はすぐに動こうとしていたが、さすがに霧丘に止められていた。
一方の暮谷は、滝と殴り合いにまで発展していた。
殴り合いとは言っても、お互いに相手の攻撃を避けまくっているせいか、痛そうな音は聞こえない。
「暮谷くんって、戦闘部だったんだ」
希月は咳き込みながら、ぼそりと呟いた。なんとかその声を聞き取れた俺が頷き、解説する。
「ああ。暮谷は希月と違って、基本的には武器はもたないスタイルらしい」
ちなみに生徒会に入ると部活はできない決まりがあるが、暮谷は学級委員長というクラスの仕事をしているだけだ。
そのため、暮谷は部活に所属できる。
滝の怒涛の蹴りを、暮谷は薬品が並ぶテーブルの上に飛び乗り避けた。
薬品を入れたビンやフラスコが、悲鳴を上げるように床に落ちていくが、暮谷は全く気にせずに飛び蹴りを狙う。
「滝先輩…俺はあなたを尊敬してました。強くて優しくて…良い人だと思っていたのに」
冷淡に言った暮谷だったが、滝に攻撃をかわされたため、少し悔しそうな顔になる。
飛び蹴りを避けた滝は、若干薬棚にぶつかった。だがその衝撃の反動を利用し、着地した希月に素早く殴りかかる。
「そうか」
短く、そして素っ気なく答えた滝に、暮谷は少し不満を覚えたらしい。
「そうですよ。…でも今思うと、あなたは俺を利用しただけだったんですね!」
少し怒りを含めて暮谷が言った。その隙を突かれたのか、滝の拳を暮谷は避けきれず、腹にまともに食らう。その勢いで暮谷は薬棚に強くぶつかり、膝をついた。
滝はそんな暮谷の目の前に立ち、少し笑いながら見下してきた。
「ああ、そうだ。俺の予定では、情報部の『奏寺』はお前と友達になって、クラスに馴染み、情報部以外にも『居場所』を作るはずだった」
薬棚にぶつかった痛みを耐えながら、暮谷は滝を見上げた。
「だから…奏寺と相宮の喧嘩の仲裁に、俺を誘ったんですか?」
「ああ。そうすれば情報部の先輩が毒事件の犯人と思ったとき、奏寺はクラスという居場所に逃げられる。そうすれば、奏寺は情報部を辞め、情報部は壊滅すると俺は思った」
この滝の言葉は、俺に向けられていることに途中で気付いた。
そう言われると、俺は…。
俺はあの時ことを、初めて希月と屋上で会った時のことを思い出した。
俺は希月と会う前、城戸と電話をしながら、屋上から暮谷を探していた覚えがある。
もしあの時、暮谷を見つけていたら。
俺はきっと暮谷の所にすぐに行った。
そして希月と会うことはなく、かわりに暮谷と和解し、その流れでクラスメートとも仲良くなっただろう。
それはそれで、良い未来だったのかもしれない。
だが、それは希月と屋上で出会わない道だ。
もし初対面が保健委員の教室だったら、希月に毒事件のことを話さなかっただろう。
そのため希月に、白池先輩が犯人の可能性は低いと言われない道になったはずだ。
暮谷と友達になる、つまり希月と出会わなかったら、俺は白池先輩が犯人だと完璧に思い込んでいたかもしれない。
そうしたらきっと俺は失望して、クラスという逃げ場があるため、情報部を辞めていただろう。
俺は滝に向かって、しっかりとした言葉を放つ。
「恐ろしい奴だな、お前は…」
まあ、さすがに希月の登場は予想になかっただろうが。
滝はこちらを見て少しだけにやけると、再び暮谷を見た。
「だが暮谷、お前の力じゃ俺には勝てない。この数十秒で分かっただろう?」
「そうですね…」
暮谷がやっとの思いで立ち上がると、滝が暮谷の胸倉を掴み持ち上げた。
「暮谷…お前は負けだ」
「ふふっ」
不適に暮谷が笑い出す。不審な出来事に滝が顔をしかめると、暮谷が申し訳なさそうな表情をした。
「確かに、負け同然ですね」
「どういう……なっ?!」
咳を押し殺し、静かに滝の背後に回った希月が、木刀で思いっきり滝の頭を叩いた。
滝はうなり声を上げて、その場に倒れ込む。
「い、いつの間に…!」
滝が憎らしげに希月を見た。
希月は滝の表情を無視し、持ち込んでたロープを取り出すと、滝の両手首に巻いて手錠のようにした。
「油断禁物ってやつだね。そうやって戦闘部にばかり目を向けているから、守衛部への注意力が劣るんだ」
希月のその言葉を聞いて、暮谷が深い溜め息をついた。
「ありがとう。助かった……けど、まさか守衛部に助けられるなんて」
「うん。おれもびっくり」
希月が真顔でそう言うと、滝の肩を軽く叩いてみせた。
「それで戦闘部さん。おれたち、ちょっと助けたい人がいるから、こいつ頼む」
暮谷は笑顔で頷き、携帯電話を取り出して応援を呼んでいた。
俺は遠くから、一応滝に質問をする。
「それで、その。うちの情報部員は?」
「言うわけないだろ!」
「…だよな」
思っていたより強く言い返された。
滝もストレスが溜まっているんだろうな…。
去り際に、俺はふと思い出したのでもう一度滝を見た。
「そういえばあんた、闇鍋パーティーの翌日の話し合いに参加しなかったと聞いたが」
一瞬だが、滝は悲しそうな表情をした後、俺から顔を背けた。
「闇鍋で当たったふりして、こっちに戻ったんだ。…どうでもいいだろう。そんなこと」
「どうでもいい、ねえ…」
俺は少し嫌味っぽくそう言った後、低い声を心掛けて、冷たい言葉を言い捨てた。
「葉山副会長は、物凄く悲しむだろうがな」
滝は顔色を変えることなく、ただただ無言でいた。
…きっと、滝にとっても友達というものは、かけがえのないものだったのだろう。
だが、きっと滝と葉山副会長が会うことはもうない。
俺たちは応援に来た戦闘部とすれ違いながら、薬品研究部の教室を去った。




