(3)
静寂の続いていた王宮の廊下にひとつの足音が響いた。
「王女!」
穏やかな昼下がりの庭を眺めていたサリュエルは来訪者の手をとると、その甲に優しくキスをする。
「王の御加減はいかがですか?」
「………あまり芳しくは」
伏し目がちに答える彼女を気遣うように彼は優しく微笑みかけた。
ジェノウィーズ・ハーツ・ノヴィア。
現国王のたった一人の娘であり、病に伏せる王に代わって国を治める齢28歳の王女。
長い金の髪を後頭部でひとつに結び凜とした美しさをもつ彼女は、しかしながら今サリュエルに弱々しく微笑みを返している。
「この国はどうなってしまうのでしょう…… 父王が倒れられ、わが国への侵略を目論む国は確実に増えています。 それなのに神の言葉を聞く唯一の神女は不在のまま。 神は…… 神は自ら築かれたこの国を見放されたのでしょうか? 私はこの国の王女として民を守って行けるのでしょうか」
「王女……」
「私には、とても……」
「心配はいりませんよ。 我々臣下が手を尽くしていますし、神もきっと何か考えがおありなのでしょう。 神女イオの失踪も、もしかしたらトラ神のお考えの内かもしれません」
尚も不安げな表情の彼女にサリュエルは励ますように背に手をまわした。
「今、軍を強化するために才能ある兵を募っています。 まだお触れを出して間もないが、既に国中からかなりの人数が集まっているようです。
……それとディドをご覧になられましたか?」
「ディド? ……貴方が育てたという伝説の『ゲートキーパー』ですね。 まだ見てはいないけれど、イオに良く似た黒髪の少女だと聞きました」
王女はそこで一度言葉を切ってからサリュエルに問い質した。
「その子がイオの娘だと言うのですね?」
「いえ、ハッキリとは」
「でも、貴方は子を預けた女性を見たのでしょう?」
「暗闇でしたし、黒いフードを被っていましたから、はっきりと顔までは見ていないのです」
なにしろ突然のことでしたから、と苦笑する。
「そうですか」
サリュエルの言葉に、王女は小さくため息をもらした。
「ですが、この国では黒髪は珍しい。 容姿が似ているとなるとその可能性は高いかと」
「ええ、確かにそうですね。 でも、それならば……」
父親は?
言いかけて王女は口を噤んだ。
これは軽々しく口にできる話題ではない。
婚姻が許されない神女が禁忌を犯したのであれば、罰が下され次の神女が選ばれてしかるべきである。
それが、なされていないとなると……
ディドは神の子かもしれない。
彼女は心の中で呟いた。
「どうしました? 王女」
サリュエルの声に、王女は顔を上げた。
「いえ、なんでもありません」
「トラ神の加護によって平和を保ってきたこの国に、今必要なのは神女です。 我々には神の言葉が必要です。 なんとしても、イオを探さねばならない。 『ゲートキーパー』はあらゆる能力に長けているという。 イオの娘であるならば、なおさら彼女の行方が解るかもしれません。 ただ……」
「ただ……?」
「あの子はまだ、本来の力に目覚めてはいない。 直ぐにとはいかないでしょうが、それは私がなんとかしてみましょう」
「わかりました。 この件はディドを良く知る貴方に任せます」
サリュエルは、王女の手に再び軽くキスをするとお辞儀をしてから歩き始めた。
「……少々荒療治だが」
そう呟いた彼の言葉は、風に揺れる木々の音にかき消され、王女はもちろん誰の耳にも入ることはなかった。