(1)
「行って来ます、おばさま!」
ディドは、いつもより明るい声で給仕の女性に挨拶をして寮を出た。
笑顔になるのも無理は無い、あと一週間で月に一度の休校日がやってくるのだ。
趣のある町並みや、馬車で大通りを通過した際、視界に飛び込んできた華やかな店舗は忘れられない。
何よりもサリュエルに会えることが嬉しくてたまらなかった。
王都の魔術学校は寮制のため、通いだしてからは挨拶すら交わせていない。
初日の別れ際、次に会うのは休校日だと約束したのが最後の会話だ。
休校日には、二人で街へ出て買い物をして午後にはお茶を飲みながら学校の話をたくさん聞いてもらおう。
そんなことを考えながら、ディドは校舎へと向かった。
静かな朝も、講堂前の廊下では各寮から出て来た生徒たちの声で賑わっている。
ディドは講堂の入り口を通過したところで、後ろからドンッと突かれてバランスを崩した。
呆気に取られて振り返ると、そこには女子学生が立っている。
知らない子だ。
年齢はディドよりもひとつふたつ上だろうか。
混じり気のない金に波を打つ長髪は一瞬サリュエルを彷彿させるが、上質で華やかな服装と膨らんだ胸元を見れば、目の前にいるのは間違いなく女性だと解る。
ただ、その女子学生の視線は確実にディドを敵視していた。
「下賎な南方人、お退きなさい!」
案の定、口を開いての第一声はこれだ。
「黒髪なんて、ホント野蛮」
驚いて訳の解らないまま道を譲ると、彼女はすれ違い様にもう一声浴びせてから講堂の奥へと歩いていった。
しばらくその場に立ち尽くしていると、今度は別の女の子に声をかけられた。
「ディドちゃん、おはよ!」
聞き覚えのある軽快な声。
学校に入って最初に知り合った友達、フォルナだ。
ひとつ年上の彼女は面倒見が良く、入学したばかりのディドに対していろいろとアドバイスをしてくれた。
いつも笑顔を絶やさず人懐っこい性格で、すぐに打ち解けることができた。
もちろん彼女は突き飛ばしたりしない。
ディドはくるりと振り返って挨拶を返す。
「ディドちゃんってば、また厄介な奴に目をつけられちゃったね」
「え?」
「ほら今の女よ、シェリル・ランフォード! 知らないの?」
「うん、知らない」
「代々宮廷魔術師を勤めるランフォード家の一人娘でさ。 ちょっと金持ちで能力があるからってお高くとまっちゃってんの!」
「へぇ、そうなんだ」
「んも〜気のない返事ね!」
「だって、ホントに知らないんだもん。 そのシェリルが、どうして私なんかに?」
「あら、そうきますか」
フォルナはディドに向かって人差し指を立てる。
「良い? ディドちゃんは入学早々中級クラスにクラス分けされたのよ! そんな特例いままでに一度も無いんだから!」
「そんなこと私に言われても困るよ。 決めたの私じゃないし」
フォルナのオーバーな身振り手振りに対して、落ち着き払っているディドの返事が両極端で、周囲にいた生徒たちからはかすかな笑い声が聞こえてくる。
「と・に・か・く! 今やディドちゃんは校内一の有名人! 常に一番でないと気が済まない相手にとっては黙って見過ごせない存在ってこと!」
「……そういうものなのかしら」
「そういうものなの!」
教室の入り口まで二人の会話は続いていたが、非常にきつい女性の声によって遮られた。
その声に、ピンと背筋が伸びる。
恐る恐る振り返ると、細面に三角眼鏡をかけ、長い髪を後頭部で綺麗に束ねた女性が立っていた。
清楚なドレスを身にまとった彼女は、二人が所属する中級クラスの担任だった。
「ミス・パティ! その下品な言葉使いは何ですか! 宮廷魔術師を目指す者が、そのような口の利き方で良いと思っているのですか!? それにミス・アーサー! あなたもです! いつまで、ここに立っているおつもりですか! はやく中に入りなさい! 直ぐに講義は始まるのですよ!」
「はい、先生!」
「ごめんなさい」
流石のフォルナも担任から降り注ぐ雷には応えたのか、しゅんとなって頭を下げた。