第4話: 荒れ地の薬草園
ルシアンが用意してくれた薬草園の予定地は、城壁の北側に広がる荒れ地だった。
雑草と石ころだらけの緩い斜面。冷たい風が吹き抜け、枯れ草が音を立てている。見た目には、薬草園の面影などどこにもない。
だがリリアーナは膝をつき、手袋を外して素手を土に当てた。
——温かい。
冷たい空気とは裏腹に、土壌の奥から微かな熱が脈打つように伝わってくる。火山性の地層と地下水脈が交差する場所特有の、魔素を含んだ土壌。
「……すごい。この土なら」
「どうだい、お嬢ちゃん」
背後から声がした。ヘルダがベルクハイム村から歩いてきていた。杖を突き、息を切らしながら。
「ヘルダさん! お膝が悪いのに、こんな遠くまで……」
「ふん。若いのに任せっきりじゃ、死んでも死にきれないからね」
ぶっきらぼうに言って、ヘルダも荒れ地の土を掬い上げた。指先で揉み、鼻に近づける。
「いい土だよ。北の土はいい子を育てる。ただし——」
ヘルダの目が厳しくなった。
「石を退かして、枯れ草を抜いて、三日は寝かせてからじゃないと駄目だよ。いきなり種を蒔いたって根が張れない。急ぐんじゃないよ、お嬢ちゃん。薬草は急かすと拗ねるからね」
「はい」
リリアーナは素直に頷いた。星霜の庭でも同じだった。母が三十年かけて築いた庭は、一日では作れない。
石を退かす作業から始めた。
爪の間に砂利が入り込み、指先が冷えて赤くなる。初冬の北風が容赦なく吹き抜ける中、リリアーナは膝をつき、腰を折り、土と向き合っていた。
ヘルダは毎日、ベルクハイム村から通ってきた。
「この区画は月見草にいいね。日当たりはそこそこ、水はけがいい。月見草は根が浅いから、石は表面だけ退かせば十分だよ」
「あっちの窪地は?」
「陽だまり草向きだね。朝霧が溜まる場所は、陽だまり草が一番機嫌がいいのさ」
ヘルダの知恵は、学院の薬草学とは違っていた。理論ではなく、五十年の経験から導かれた勘と知恵。「この土壌の酸性度は」と分析するのではなく、「この土は甘い匂いがするから、あの子に合う」と判断する。
リリアーナの学院式知識と、ヘルダの民間薬草学。交わることで、どちらか一方では見えなかった景色が開けた。
「ヘルダさん。この斜面に霜晶草を植えたら、隣の月見草と相性が良いかもしれません。霜晶草の冷気が月見草の根を保護して——」
「おや。あんた、よく気がつくね。あたしも同じこと考えてたよ」
ヘルダが嬉しそうに笑った。深い皺の奥で、薄い茶色の目が光る。
三日目の昼過ぎ。石を退かし終えた区画に、ルシアンがふらりと現れた。
「よう。精が出るな」
「領主様。何かご用でしょうか」
「別に。散歩だ」
散歩。城壁の外の荒れ地まで散歩に来る領主がどこにいるのか。
だがルシアンは軍服風のコートの裾を気にする素振りもなく、土の上にしゃがみ込んだ。そして——雑草を一本、ひょいと抜いた。
「……領主様が雑草を抜くのですか」
「暇なんだよ」
暇なはずがない。けれど断る理由もなかった。
ヘルダが横目でルシアンを見て、にやりと笑った。
「領主殿。そっちの石、退かしてくれるかい。あたしゃ膝が悪くてね」
「はいはい」
三人で黙々と作業した。ルシアンが石を運び、ヘルダが植える場所を指示し、リリアーナが土壌を整える。不思議な取り合わせだった。
石を退かし、枯れ草を抜き、三日間土を寝かせた翌朝。
種を蒔いた。
まず月見草。白銀の花を咲かせる解熱薬の基本素材。種は砂粒ほど小さく、指先で摘まむと微かに光沢がある。
次に陽だまり草。鎮静作用のある黄金色の穂。蜂蜜と練れば咳の薬になる。
ヘルダが分けてくれた霜晶草の苗も、北向きの斜面に植えた。青い花が寒風に揺れる。
そして——最後に。
リリアーナは懐から小さな袋を取り出した。中には、数粒の種。
星霜花の種。母の庭から持ってきた、最後の遺産。
「ヘルダさん。ここに星霜花を蒔いてもいいですか」
ヘルダは掌の種を覗き込んだ。
「何の種だい?」
「星霜花です。母が見つけた薬草で……免疫を強くする力があります。冬を越した株だけが薬効を持つ、少し気難しい子ですけれど……」
「いいとも」
ヘルダはあっさりと言った。
「お嬢ちゃんの大切なものだろう? 大切なものは、ちゃんと根を張らせてやらなきゃね」
——根を張らせる。
その言葉が、胸の奥に沁みた。追い出されても。庭を奪われても。この種が根を張れば、そこが新しい庭になる。
星霜花の種を、丁寧に土に降ろした。指先で土を被せ、そっと押さえる。
「……頑張ってね。ここは寒いけれど、土はとても良い土だから」
薬草に語りかける癖は、この場所でも変わらなかった。
種を蒔いてから七日目の朝。
薄明の中、リリアーナは荒れ地に向かった。呼吸が白い。初冬の朝は体の芯まで冷える。
月見草の区画に手を当てた時——指先に微かな変化を感じた。
土の下。ほんの数寸。何かが、押し上げるように動いている。
リリアーナは息を止めた。
土が——割れた。
白銀の、細い茎。小指の先ほどの、小さな芽。
月見草の芽が、土を押し上げて姿を現した。
「……出た」
声が震えた。自分でも驚くほど。
追放されてから——いや、もっと前から。薬草園に別れを告げたあの夜から、リリアーナは一度も笑っていなかった。穏やかであっても、礼儀正しくあっても、表情は常に静かだった。
その静けさが、崩れた。小さな白銀の芽が、崩した。
「——よく、頑張ったね」
指先でそっと芽の傍の土を撫でた。触れてはいけない。まだ脆い。でも近くにいたい。
「ここは寒いけれど……土はとても良い土だから。きっと、大きくなれるよ」
隣の区画には、霜晶草の苗が根を張り始めている。陽だまり草も、窪地の湿った土壌に馴染んでいる。
だが——星霜花の区画に目を向けた。
何もない。土の表面に変化はなく、芽の気配すらなかった。
「……まだ、かな」
呟いた。星霜花は気難しい子だ。母の庭でも、発芽に一ヶ月以上かかることがあった。まだ焦る時ではない。
それでも。
あの種が——母の遺した種が芽を出してくれる日を、リリアーナは待ちたかった。
「——ああ、そういう顔もするんだな」
声は背後から聞こえた。
振り返ると、ルシアンが城壁の外壁にもたれて立っていた。
「……おはようございます、領主様」
「おう。……芽が出たのか」
「月見草の芽です。まだ小指の先ほどですけれど」
「小せぇな。こんなのが薬草になるのか」
「なりますとも。この子は白銀の六弁花を咲かせます。解熱薬の基本素材で……とても美しい花です」
ルシアンが立ち上がり、土を払った。灰青の瞳がリリアーナを見た。
「さっきの顔、いいな」
「……え?」
「笑ってた。芽を見て」
笑っていた自覚がなかった。——いや、あった。唇が緩んでいたことは、わかっていた。
「……お恥ずかしい。つい」
「恥ずかしがることかよ。いい顔だった」
ルシアンはそう言い残して、城壁のほうへ歩き出した。その足取りは軽い。だが——リリアーナの薬師の目は、今日もルシアンの右手が一瞬だけ左手首を押さえるのを見ていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第四話「荒れ地の薬草園」——石を退かし、枯れ草を抜き、種を蒔く。ヘルダの教えを受けながら、リリアーナが北の大地に新しい庭を始める話です。
「大切なものは、ちゃんと根を張らせてやらなきゃね」——ヘルダのこの台詞に、物語の全てが詰まっています。星霜花の種を土に降ろす瞬間は、リリアーナが新しい場所で「根を張る」決意の象徴です。
そして月見草の芽が出た朝。リリアーナが追放されてから初めて笑った瞬間を、ルシアンが見ていた。「そういう顔もするんだな」——この距離感がこれからどう変わるのか、楽しみにしていただけると嬉しいです。
一方で、星霜花はまだ沈黙しています。母の遺した種が芽を出す日は——まだ先のこと。
次話「最初の患者」では、リリアーナが辺境で初めての治療に臨みます。お楽しみに。
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