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「その薬草は毒かもしれぬ」と追放された令嬢薬師——領地に疫病が広がったとき、彼女の薬草園はもう枯れていた  作者: 歩人


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第12話: 解毒の光

 銀花毒の治療は、壁にぶつかっていた。


 調合室の机に文献が積み上がっている。灯架とうかの蝋燭が三本目に替わった夜。リリアーナは羽根ペンを置き、目を閉じた。


 浄属性の灌魔かんまで毒を中和する——薬師なら誰でも考える正攻法。手首の紋様は薄くなった。だが前腕から先は止まらない。抑えてはいるが、退いてはいない。


 紋様が心臓に達すれば、致死。


 ルシアンはそれを知っている。知っていて、何も言わない。左手首を右手で押さえる癖だけが、その事実を静かに語っていた。




「……飯は食ったのか」


 調合室の扉がきしんだ。ルシアンが片手に木皿を提げて立っている。黒パンと干し肉、スープの椀。


「三日連続だろう。いい加減にしろ」


 返事を待たずに文献の隙間に木皿を置いた。リリアーナが慌てて羊皮紙をずらす。


「ありがとうございます。でも、もう少しで——」


「もう少しで、何だ?」


 灰青の瞳が静かにリリアーナを見た。


「……まだ、です。従来の解毒法では——限界があります」


 限界。薬師がその言葉を口にするのは、敗北の宣言に等しい。


 ルシアンはスープを指で示して「冷める前に食え」とだけ言い、調合室を出ていった。




 翌朝。薬草園の南東の隅にいた。


 リリアーナは膝をつき、氷雪蘭ひょうせつらんの株に触れた。鑑草眼かんそうがんを発動する。紫の瞳が微かに光った。


 氷雪蘭の中を流れる冷却魔素が見える。浄化の力が、霜の結晶に凝縮されている。この力をもっと強く——もっと純度の高い結晶を使えば、毒紋を一気に凍結できるかもしれない。


 だが、それだけでは足りない。凍結しても毒は消えない。


 不意に、前世の記憶が浮かんだ。


 白い部屋。蛍光灯の——いや、光の種類は思い出せない。ただ、明るかった。教科書の一ページが脳裏に蘇る。文字は読めない。前世の文字だ。だが概念として——理解できた。


 「体内動態」という言葉の残響。毒素は血中濃度が一定以上にならないと排出経路が変わる。逆に——


「……一度引き出す」


 声が漏れた。


 浄属性で外から抑えるのではなく、氷雪蘭の冷却結晶で毒紋を一度活性化させ、体表に引き出す。引き出した毒を、解毒薬で一気に中和する。


 毒を抑え込むのではなく、引き出してから殺す。


 逆転の発想だった。




「ヘルダさん」


 昼過ぎ、リリアーナはヘルダの小屋を訪ねた。


「お嬢ちゃん、どうしたんだい。顔色が悪いよ」


「三日寝てないだけです。——お願いがあります」


「何だい」


「山の上の氷雪蘭が要ります。この村の畑のものより、もっと寒い場所で育った——結晶が厚い株です」


 ヘルダの薄い茶色の目が、リリアーナの顔をじっと見た。


「領主さんの毒の治療かい」


「はい。山の上の氷雪蘭の結晶が鍵になります。冷却力が、平地の三倍はあるはずです」


 ヘルダは膝をさすった。六十年の膝だ。山道を登るのは辛いはずだった。


「……あたしが採ってくるよ。山の上のを」


「ヘルダさん、膝が——」


「お嬢ちゃん。あたしの膝の薬、誰が作ったと思ってるんだい?」


 ヘルダがにやりと笑った。


「お嬢ちゃんの薬のおかげで、今朝は階段を十段登れたよ。山道くらい、行けるさ」




 夕刻、ヘルダが帰ってきた。腰の薬草袋から取り出したのは、親指ほどの大きさの氷雪蘭の結晶。透明な氷のような結晶の中に、青白い光が閉じ込められている。


「こいつは山の頂上近くに自生してるやつだよ。冬を三回越した株だ。あたしの母さんが『氷の心臓』って呼んでた」


 リリアーナは結晶を手に取った。指先がてつくほど冷たい。鑑草眼で見ると、冷却魔素の密度が平地の株の五倍はあった。


「……すごい。これなら、いけます」


「いけるってのは、どうなるんだい?」


「銀花毒を一度、体の表面に引き出します。この結晶の冷却力で毒紋を活性化させ、皮膚の近くまで浮き上がらせる。それを霜晶草そうしょうそうと月見草で作った解毒薬で一気に中和する——毒を抑え込むのではなく、引き出してから殺す方法です」


「……危ないんじゃないかい」


「はい。失敗すれば毒紋が暴走します。高熱が出ます。最悪の場合——」


 リリアーナは言い淀まなかった。


「命に関わります」


 ヘルダが黙った。しばらくリリアーナの目を見つめてから、ゆっくりと頷いた。


「お嬢ちゃんがそう決めたなら、あたしは手伝うよ。何が要る?」




 ルシアンを調合室に呼んだのは、翌日の午後だった。


 治療法を説明し終えた後、沈黙が落ちた。灯架の炎が揺れている。


「——つまり、一度毒を引き出す。失敗すれば命に関わる」


「はい」


「成功の確信は?」


「……ありません。ですが手がかりはあります。そして——このまま浄属性の灌魔だけでは、紋様の進行は止められません」


 リリアーナは目を逸らさなかった。


 ルシアンが椅子の背もたれに体を預けた。灰青の瞳が天井を見つめ——それから、まっすぐにリリアーナに向いた。


「お前を信じる。——冗談じゃなく」


 いつもなら、この後に「半分は」が続く。軽口で本音を包む、ルシアンの癖だ。


 だが——続かなかった。


 リリアーナの胸の奥で、何かが静かに震えた。


「……必ず、成功させます」




 投薬は深夜に行った。


 調合室の寝台にルシアンが横たわっている。左腕の袖を捲り上げると、銀色の紋様が灯架の光に浮かんだ。


 リリアーナは氷雪蘭の結晶をルシアンの前腕に当てた。冷気が肌に染み込む。もう片方の手で解毒薬の小瓶を握る。


「いきます」


 灌魔を始めた。氷雪蘭の結晶を通して、冷却魔素をルシアンの腕に注ぎ込む。銀色の紋様が——反応した。


 光った。


 手首の細い線から、強い銀光が走った。紋様が浮き上がる。皮膚の下に潜んでいた毒紋が一気に可視化され、前腕を超え、肘を超え、上腕にまで銀色の枝が広がった。


 こんなに深かったのか。リリアーナの背筋が凍った。


 ルシアンが歯を食いしばった。額に汗が噴き出す。


「——大丈夫だ。続けろ」


 声が掠れていた。


 リリアーナは解毒薬を紋様の上に注いだ。霜晶草と月見草の根で作った薬液が銀色の線に染み込み、灌魔の浄属性と結合して——毒紋を内側から分解し始めた。


 一分。二分。体感では永遠のような時間。


 そして——紋様が揺らいだ。


 手首の端から、銀色が薄れ始めた。光が弱まり、線が細くなり——消えていく。


「……効いている」


 リリアーナの声が震えた。


「効いています……!」


 手首から前腕にかけて、紋様が退いていく。全てが消えたわけではない。上腕にはまだ残っている。だが半年以上消えなかった手首の紋様が、今、目の前で消えている。


 ルシアンの呼吸が少しずつ落ち着いた。灰青の瞳が薄く開いた。


「……消えてるのか」


「はい。手首が——きよらかになっています」




 翌朝。


 ルシアンは寝台の上で目を覚ました。左手首を見た。


 銀色の紋様が、消えていた。


 手首を握った。開いた。握った。


 痛みが、ない。物心ついた頃から常にあった鈍い痛みが——ない。


 調合室の隅の椅子で、リリアーナが目を擦りながら立ち上がった。薬草で染まった指先が、寝不足で僅かに震えている。


「お加減は——」


「リリアーナ」


 ルシアンが左手首を差し出した。


「お前の薬は、毒じゃなかった」


 静かな声だった。嘘のない声だった。


 リリアーナは微笑んだ。目の奥が熱かった。泣きはしない。薬師は、患者の前で泣かない。


「ええ。私の薬草は、毒ではありませんから」




 薬草園の南東の隅で、星霜花せいそうかの芽が少し伸びていた。白い茎が細く、けれど真っ直ぐに空を向いている。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


第十二話「解毒の光」——銀花毒の治療が動き出した回です。


ヘルダが膝を押して山に登る場面が書きたかった。「お嬢ちゃんの薬のおかげで階段を十段登れた」——リリアーナが作った膝の薬が、巡り巡ってルシアンの命を救う氷雪蘭の結晶を手に入れる鍵になる。薬草は嘘をつかない。善意も嘘をつかない。


ルシアンの「お前を信じる。冗談じゃなく」は、この男にとって重い言葉です。いつも軽口で本音を包む人が、冗談を脱ぎ捨てた。リリアーナはそれを「薬師としての信頼」としか受け取りません。この鈍さが、わたしは好きです。


歩人


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