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「その薬草は毒かもしれぬ」と追放された令嬢薬師——領地に疫病が広がったとき、彼女の薬草園はもう枯れていた  作者: 歩人


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第1話: 星霜の庭

 朝露が薬草の葉先に宿り、東の空がうっすらと朱に染まる頃。


 リリアーナは三つ編みの髪を揺らしながら、星霜せいそうの庭を巡っていた。


「おはよう。今日も元気そうね」


 月見草つきみそうの株に屈み、露を指先で確かめる。昨夜は満月だった。月見草は満月の翌朝に摘むと解熱の薬効が最も高くなる——それは母が遺した手記に記された、この庭だけの知恵だ。


「もう少しだよ。あと三日もすれば、ちゃんと摘み頃になるからね」


 声をかけると、葉が朝風に揺れた。応えてくれたような気がして、リリアーナは目を細める。


 星霜の庭。ハルトヴィヒ侯爵邸の東翼に広がる薬草園は、母が三十年かけて育てた宝物だった。数百種の薬草が季節ごとに花を咲かせ、一年を通して何かしらの薬草が収穫できるよう配置されている。


 東の隅には氷雪蘭ひょうせつらんが青みがかった葉を広げている。南方での栽培は極めて難しい希少種だが、母が二十年かけて株を定着させた。高熱に即効の素材であり、解毒にも使える。

 南の陽当たりには陽だまり草が黄金色の穂を揺らし、日差しを受けるたびに甘い香りが漂う。鎮静作用がある。蜂蜜と練り合わせれば、咳の薬になる。

 中央の花壇には星霜花せいそうか——母がこの庭でたった一株から増やした固有種だ。白い花弁が今朝の風に揺れ、朝露を宿してきらきらと光っている。冬を越した株だけが免疫を強くする薬効を持つ。どの薬草も、隣に何を植えるかで薬効が変わる。母はその組み合わせを三十年かけて見つけ出した。


 朝の庭は特に好きだった。露が陽光にきらめき、薬草の匂いが層をなして立ちのぼる。甘い月見草、清涼な氷雪蘭、ほろ苦い陽だまり草——混ざり合うその香りが、リリアーナにとっての「家」の匂いだった。


 七年前。母が流行り病で倒れた日、枕元でリリアーナの手を握り、こう言った。


「あの庭の子たちを、頼むわね」


 母を看取ったのは、この庭の薬草で煎じた薬だった。母自身が命を懸けて証明した——薬草は嘘をつかない。効く薬は効くし、効かない薬は効かない。


 あれから七年。リリアーナは母の手記を読み込み、薬草の一つ一つと向き合い、この庭を守り続けてきた。


「リリアーナ様!」


 門の外から声が響く。杖をついた老人が、肩で息をしながらやってきた。


「ヴィルヘルム爺さん。今年も咳の薬ですね」


「はい、そろそろ季節の変わり目で……姫君にしか頼れませんで」


 リリアーナは微笑んで、庭の隅に設えた調合台に向かった。陽だまり草を三枚、月見草の根を少々、蜂蜜で練り合わせる。指先が手際よく動くたび、甘くほろ苦い薬草の匂いが立ちのぼる。


「これを朝晩、白湯さゆで。一週間もすれば楽になりますよ」


「ありがたや……ありがたや……」


 ヴィルヘルムは何度も頭を下げ、大事そうに薬袋を抱えて帰っていった。


 その背中を見送りながら、リリアーナは思う。


 この仕事が好きだ。母から受け継いだこの庭で、この手で薬を調合して、誰かの痛みを和らげる。


 社交界にはろくに顔を出さない。十九にもなって刺繍も踊りも苦手だ。令嬢としては落第生かもしれない。けれど、この手で薬草を摘み、すり鉢で薬を練り、困っている人に渡すとき——この手が自分の誇りだと思える。


 それだけでいい。それだけで——十分だ。




 穏やかな日々が変わったのは、あの男がやってきた日だった。


 新しい侍医マティアス・ヴェーバー。王都の医学院を首席で卒業した——という触れ込みで、ハルトヴィヒ侯爵邸に赴任してきた。


 清潔な白衣、後ろに撫でつけた黒髪、灰色の瞳。初対面で交わした言葉は穏やかだった。


「侯爵令嬢のリリアーナ様ですね。薬草園をお持ちだと伺いました。ぜひ一度、拝見させていただければ」


「ええ、もちろん。どうぞご覧になってください」


 庭を案内しながら、リリアーナは薬草の一つ一つを説明した。月見草の収穫時期、星霜花の免疫強化の薬効、氷雪蘭の解毒作用。

 マティアスは微笑みながら頷いていたが——その目は笑っていなかった。


 氷雪蘭の株の前で足を止めた時、彼は薄く笑ってこう言った。


「珍しい草ですな。しかし、薬物辞典には載っていないようですが」


「この庭の固有種ですので。母の代から使っていて、副作用の報告は一度も——」


「ほう。しかし、それは医学的な根拠とは言えませんな」


 穏やかな口調に、棘があった。


 最初の異変に気づいたのは、その三日後のことだった。

 いつものように薬を受け取りに来た領民が、少し困った顔で言った。


「姫君、侍医の先生に怒られてしまいまして。姫君の薬を飲んでいると言ったら、『正式な医師の処方を受けなさい』と……」


「そう……ですか」


 胸がざわりとした。けれど、領民が困っているのだ。深く考えずに薬を渡した。


 それから半月の間に、マティアスの態度は少しずつ変わっていった。

 最初は遠回しだった。


「リリアーナ様、この薬草は医学院の薬物辞典に載っていないものですね。成分が不明では、安全性を保証しかねますが……」


「星霜花はこの庭の固有種です。母の代から使っていて、副作用の報告は一度もありません」


「ほう。しかし、それは医学的な根拠とは言えませんな」


 領民がリリアーナの薬を求めるたびに、マティアスの表情が険しくなっていくのが見てとれた。

 「先生の薬より姫君の薬のほうが効くんですよ」——領民のその一言が、侍医のプライドを深くえぐったのだろう。


 けれど、リリアーナにはどうすることもできなかった。


 薬草は嘘をつかない。効く薬は効くし、効かない薬は効かない。




 ある日の昼過ぎ。庭に戻ると、星霜花の花壇の傍にマティアスの足跡があった。


 白衣の裾が擦った跡。花壇の縁の土が僅かに乱れている。

 リリアーナは膝をつき、星霜花の茎を確かめた。折られてはいない。——だが、土に見慣れない黒い粒が混じっていた。


 指先で摘んで、鼻に近づける。


 ——影夜草かげよぐさの種。


 黒紫の葉を持つ蔓性つるせい植物。日陰にひっそりと這い、花は咲かないが、葉を潰すと甘い匂いがする。経口摂取で嘔吐と下痢、大量に摂れば呼吸困難——薬師であれば常識として知る毒草だ。


 宮廷薬師が、そんなものを庭に紛れ込ませるはずがない。


 紛れ込ませたのは——別の誰かだ。


 リリアーナは影夜草の種を小瓶に入れ、ポーチにしまった。


 夕暮れの庭で、星霜花の白い花弁が風に揺れた。満開の花が、夕陽を受けて淡い桃色に輝いている。


「……守るよ。お母様の庭は、わたしが守る」


 呟いた。だが胸の奥に、かすかな不安が影のように差した。


 あの男の灰色の瞳が、庭を見回した時の冷たさ。「雑草ですな」——口にはしなかったが、そう言いたげな目だった。


 星霜花が風に揺れる。その白い花弁が、少しだけ心もとなく見えた。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


第一話「星霜の庭」——朝露の庭で薬草に「おはよう」と語りかける、薬師リリアーナの日常から始めました。


書きたかったのは「失う前の幸福」です。この庭がどれほど大切なものか、母から受け継いだ命がどれほど尊いものか。それを読者にも感じていただいてから、次話以降で奪われていく——その落差を描くための第一話です。


そして新任侍医マティアスの登場。穏やかな笑顔で庭を巡りながら、その目は笑っていなかった。「医学的な根拠とは言えませんな」——たった一言に、これから始まる嵐の全てが詰まっています。


次話「讒言と追放」では、マティアスの策が動き出します。お楽しみに。


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