第11話 一乗谷炎上(朝倉義景 最期)
天正元年八月。
一乗谷の空は、不気味なほど静かだった。
朝倉義景は、書院の縁側に座り、
庭の池に映る夏雲を見つめていた。
「……来たか。」
遠くで、地鳴りのような音がした。
織田軍が、ついに越前へ侵攻したのだ。
義景は、池に落ちた一枚の葉を見つめた。
その葉は、ゆっくりと沈んでいく。
「静謐は、ここまでか。」
そこへ、山崎吉家が駆け込んできた。
「御屋形様!
織田軍、城下に迫っております!
早く御避難を――!」
義景は、静かに首を振った。
「吉家。
わしは逃げぬ。」
吉家は震えた。
「御屋形様……!
越前は、もう……!」
義景は、懐から二通の書状を取り出した。
ひとつは近衛前久から。
もうひとつは今川氏真から。
「敗者の漂泊は、敗者の美学を照らす。」
「敗者の生存は、敗者の道を開く。」
義景は、二通の文を並べた。
「前久殿は漂泊を選んだ。
氏真殿は生存を選んだ。
ならば、わしは――」
義景は、池の水面を見つめた。
「敗者の“静謐”を選ぶ。」
吉家は涙をこらえきれずに言った。
「御屋形様……!
それは、死を意味します!」
義景は、静かに微笑んだ。
「吉家。
死は敗北ではない。
滅びは、美学の完成だ。」
その時、外で叫び声が上がった。
織田軍が城下に突入したのだ。
朝倉景鏡が駆け込んできた。
「御屋形様!
もはやこれまで!
わたしと共に脱出を――!」
義景は、景鏡の目を静かに見つめた。
「景鏡。
わしは、越前とともに滅びる。」
景鏡は、言葉を失った。
義景は、書院の柱に手を置いた。
その木の温もりは、幼い頃から変わらない。
「この谷は、わしのすべてだ。
この静謐を壊させぬために、
わしはここで終わる。」
吉家が震える声で言った。
「御屋形様……
前久殿と氏真殿に、何と伝えれば……」
義景は、懐から最後の書状を取り出した。
封には、花押が押されている。
「……これを、前久殿へ。」
吉家は受け取った。
「御屋形様……これは……?」
義景は、静かに言った。
「敗者の連環は、わしの死で完成する。」
その瞬間、外で爆音が響いた。
炎が一乗谷の家々を包み始めた。
義景は、書院の縁側に座り直した。
「吉家。
わしは、ここでよい。」
吉家は涙を流しながら頭を下げた。
「……御屋形様。
どうか、安らかに。」
義景は、池に映る炎を見つめた。
「静謐よ。
わしと共に、滅びよ。」
炎が書院に迫る。
熱風が吹き抜ける。
義景は、最後に空を見上げた。
「前久殿……
氏真殿……
あとは、頼んだ。」
その声は、炎に飲まれた。
こうして、一乗谷は燃え落ち、
朝倉義景は“敗者の美学”を完成させた。
その死は、敗北ではなく――
敗者の連環を結ぶ“最後の筆”だった。




