第9話 悪者たちとの対面
兄様の言葉に、男は僅かにたじろいだ……ように、私には見えた。
そして彼の選択は。
「……っ、お前が通信で呷ったのが悪い」
「開口一番で『無理だ』とか言うからだよ」
兄様の胸倉から手が離れた事に、私はホッと胸を撫で下ろす。
っていうか、怖いナニコレ!
兄様って、こんな環境に身を置いてるの?!
怖くないの?!
馬鹿なの? アホなの?!
安心したら、そんな怒涛のツッコミが脳内にブワッとあふれ出した。
「じゃ皆、予定通り動いてね。《《信じてるよ》》」
「チッ、行くぞ」
渋い顔で言った男の号令で、治安の悪そうな他の人たちも動き出す。
「覚えた? サラ。あれが俺のそれなりに重宝してる手足の一つ」
「えっ、あの人偉い人なの?!」
「そうだよ。あんな顔面の怖さで人を殺しそうな顔しておいて、実はサラと気が合う趣味もある」
「えー……」
ギャップっていいよね、なんていうかなりどうでもいい事を言う彼に、私はちょっとだけ引いた。
顔だけじゃない。
あんな簡単に人の胸倉を掴むような人、たとえ気が合う趣味を持っていたとしても仲良くなれる気はしない。
「とりあえず、実働部隊はさっきの男の顔だけ覚えておけばいいよ。逆にあとは信じない事。分かった?」
「う、うん」
「よかった。じゃあ行こう」
そう言って歩き出した兄様に一拍遅れ、慌てて置いて行かれないようについて行く。
「兄様、これからどこに行くの?」
「そんなの決まってるじゃん。悪い奴らが囚われたところ」
「えっ、もうその人たち捕まえたの?」
「いや、これからさっきの奴らが捕まえる。諜報部隊とあいつらの力づくですべての拠点が割れたからね」
え、さっき一足先にここを去ったあの人たちが悪い人たちをこれから捕まえるのに、私たちが到着した時には既に捕まえ終わってるっていう事?
そんな馬鹿な、と思った。
基本的にカイン兄様は、有言実行を旨としている。
でも、それにしたってそんなすぐには。
そう思ったのだけど――私は兄様があの男の人を『重宝している手足の一つ』と言っていたのは、伊達じゃあなかったという事なのだろうか。
たどり着いた時には、既にボッコボコにされた上で拘束された、治安の悪そうな人たちが地面に転がっていた。
「遅ぇよ」
「ごめんごめん、ご苦労さん」
人間のうめき声と、鼻につく錆びた鉄のような臭い。
それらが充満する一室に連れてこられてしまって、私は内心で「ひぃぃ~、怖いぃぃ!」と悲鳴を上げた。
この年になって外で兄様に抱き着く訳にもいかず、しかし何かに抱き着いていないと怖くって、小さくしてストラップとして鞄に付けていたクマをぬいぐるみサイズに戻してギュッと抱きしめる。
抱きしめれば少しだけホッとした。
できれば話し相手にもなってくれればより気も紛れるところではあるんだけど、スヴェインは人前では喋らない。
仕方がないので、ちょっと怖いけど、辺りを観察してみる事にする。
王都の外れにこんな廃墟があったんだなぁ、と改めて思う。
ここは、王都の中でも所謂貧民街になってしまっている場所だ。
先程ここに来るまでも、どこもかしこもボロボロで、夜だというのに屋根も何もない場所に泥や砂ぼこりで汚れ頬の瘦せこけた人たちが、座っていたり転がっていたりする街並みを見てきた。
私は今、この区画に入る前にカイン兄様から渡された魔法道具を身につけている。
口を覆う布で、それをすれば強い臭いでも遮断できるらしい。
兄様はつけないの? と聞くと、彼は笑って「臭いも一つの情報だからね。臭いで分かる脅威もある。それを封じるのは自殺行為に近いね」と言った。
そうなのか、と思いながら私は魔法道具を付けた。
この区画に近づいていたからか、既に刺激臭がしていたのだ。
端的に言えば、臭かった。
生理的に涙が出てくるくらいには。
それも貰った布を付けるとまるで先程までの鼻を刺すような臭いが嘘のように何事もなくなったけど、あの臭いの中にあって尚ほんの僅かの涙目にすらなっていない兄様を、私は改めて「すごいな」と思った。
こういう場所があるというのは、知識では知っていたけれど、実際に来ることはなかった。
私は普通に、毎日小さな幸せがあればそれでよかったのだ。
小さな幸せのある毎日を保つために大切なのは、自ら危険に首を突っ込まない事だった。
何かに巻き込まれたとして、私にはその場を切り抜けられるだけの運動神経や戦闘力もなければ、誰かを言い負かしたり誰かに勝る程の頭脳もない。
何なら怖がりで、今だって見知らぬ場所にいる事やボッコボコにされた荒くれ者たちを前にして、足がガクガクと震えている。
カイン兄様と一緒じゃなければ、絶対にこんなところには来ていなかった。
そんな私の一番の自衛が、『そういうものとは関わらない事』だったのだ。
転がされている荒くれ者たちを改めて見ると、痛々しい腫れや傷があるものの、体自体は健康体に近そうだった。
少なくとも、先程見た道端に座り込んでいたあの人たちのようにやせ細ってもいなければ、ボロきれのような布を身に纏っている訳でもない。
「な、何故俺らの事が」
「あれだけ派手に動いておいて、逆によく『見つからない』だなんていう自分に都合のいい高を括れたな。人攫いの噂なんて、一般人の間でも普通にされる程だっていうのに」
ボコボコにされた男の呻くような声に、カイン兄様がハッと嗤った。
「そ、そんなのどこにでもある話だろ」
「ねぇんだよ、それが。この王国内ではな」
「王国、内……?」
「聞いた事ない? 王国内のゴロツキたちは、数年前にどこもかしこも統制された。頂点に立つのは、銀髪の男。身軽で慈悲深く、何より冷酷。懐に入れた奴らは重用するが、対立者と裏切者には容赦ない」
聞いた事があるのだろうか、男が驚いたように目を見開いた。
その口がかすれ声で「まさか」と呟く。
後半部分は分からないけど、たしかに兄様は銀髪だ。
「俺はね、この王都を支配下に置いた後、大中都市に信用の置ける人間を派遣した。小さな町や村には、近隣都市にいる派遣した奴らの人選に任せて指揮系統を構築。この国の裏社会を統制し、他国の裏社会や同国の裏社会同士のビジネスを展開し、しょうもない悪さはさせないようにしてるんだ」
言いながら、兄様は男の前に中腰で座る。
「だからね、目立つんだよ。よそ者がやってきて俺らの市場を無秩序に荒らすと」
兄様の表情は、私の位置からは見えない。
それでも兄様がどんな表情をしているのか、どんな感情を抱いているのかは、何となく察する事ができる。
「王国の裏社会は、貧弱そうに見える男一人によって統制される、緩い国だとでも思っていたのかな? それとも他国の裏社会との摩擦を考えて、手を出してくる事は控えると? 他国やこの国でも似たような事を考えている人間が少なからずいるだろうっていう事は、俺だって分かってはいたよ。分かっていたから、ある種待っていた。お前らみたいな馬鹿が何かしでかすのを」
笑っているのに、冷え冷えとした声。
怒っている。
それも、とてつもなく。