第5話 サラは逃げ道を塞がれた
「最近治安が悪くなった。その原因を作ってる奴らが最近外から流れてきたやつららしくって、奴らのシノギが人身売買だ。お陰で俺たちの悪い奴らの評判が悪くなって敵わない」
「悪い人たちの評判が悪いのは、普通なんじゃあ?」
「普通だね。ただ俺は、悪い奴らが悪い事をするせいで、不幸になる人間を極力作りたくない。悪い奴らっていうのは大抵がもう善良な世界では生きていけないような奴らだけど、だからって普通の人間の普通の幸せを奪っていい事にはならないだろう?」
それは確かに、と私は頷く。
「だから俺は数年前、この王都に蔓延っていた闇を一つに纏めた。悪い奴らを全員俺の傘下に入れて、従わせて、その上でちゃちな悪事をしなくてもちゃんと金稼ぎができるようにって、あたらしいビジネス形態を作って、うまく回るように調整して、適材適所に人を配置して……」
ビジネスとは、私たちの家の始祖にあたる『英雄』と呼ばれた人の国ので使われていた言葉だった筈である。
前に、その人の日記を読んでいた時期があった。
実際にその言葉を使っている人を見たのは初めてだけど、たしか『仕事』と同じ意味の言葉だったと思う。
「カイン兄様、そんな事してたの? 私、全然知らなかった」
「そりゃあ言わないでしょ。だって世界を二つに分けた時、サラは間違いなく善良な世界の住人だもの。知るだけでもその世界は壊れる。サラはその感覚、感じた事があるんじゃないかな」
そう言われて私は「うん」と答えた。
裏王族。
自身の出自がまさにそうだ。
そういう存在がいる事が、私自身がそうである事が、私を純粋な平凡でいさせてはくれない。
「で、そのうちの一つがこの酒場なんだけど、他にも色々とあるんだよ。情報部門だとか、実働部隊だとか、物資補給だとか、他にもね。これで俺たちは俺たち、一般人は一般人でうまく世界に線引きができたと思った。それなのに、だ」
そこまで言うと、声が止まった。
どうしたのかと、下がっていた視線を上げてみると、キラキラとしたとてもいい笑顔の兄様がいた。
「あいつら、俺の努力を踏みにじるような真似をしやがって。そもそもさぁ? 他人の家に泥の付いた靴で上がって床を踏み荒らし、たくさんの足跡を残したまま掃除の一つもなく過ごしているようなもんだよねぇ。人様の所有物を勝手に汚すなんて、絶対にやっちゃあいけない事だよ」
「所有物……」
えらく傲慢な事を言っているなとは思うけど、大切な物を、大切に作って維持してきた物を壊される事ほど嫌な事もないだろう。
私にだってそういう経験は……あれ、思いつかない。
そういえば、カイン兄様って私の事をよく驚かせに来たり意地悪したりはするけれど、一度だって私の所有物を駄目にしたり、大切に積み上げてきた物を台無しにしたりして来た事はないような気がする。
兄様って、人の事を揶揄って楽しむ迷惑な趣味の持ち主ではあるけど、嫌な人っていう訳ではないのよね。
でも。
「だから、キッチリ分からせてあげなきゃあ」
ニヤリと笑った兄様が、怖い。
普段は雲にフワフワと好き勝手にどこかに飛んで行ってはいつの間にか帰ってきているような人だけど、自分のものに手を出された時の怒りようったら他に類を見ないくらい怖いのだ。
基本的に私の兄姉は皆、普段は優しいけど怒らせると怖い人が多いけど、中でも一番何をしでかすか分からない怖さを持っているのは、間違いなくカイン兄様なんじゃあないかと私は思う。
「という事で、そんな奴らがこの町で人を攫っては他国に売りつけるあこぎな商売を勝手にしてるから、これからぶっ潰しに行くぞ!」
「『行ってらっしゃい』したいんだけど」
カイン兄様が何かしないといけないっていうのは分かったけど、私に何かできるとは思えない。
できれば勝手に行ってほしい。
そんなふうに思った私に、カイン兄様はキョトンとする。
「え、だってサラには経験を積んでもらわないと。じゃないと女王になれないし。大丈夫、俺がついてるんだから」
「別にそこを心配している訳じゃあないんだけど」
実際に、カイン兄様は普段どんなに私に意地悪でも、約束は守るし結局私に優しい。
それを知っているから、私だって慣れない酒場なんていう場所に今もいる訳で。
でも。
「カイン兄様、私を巻き込んだら面白そうとか今、思ってない……?」
上目遣いに彼に尋ねる。
彼は数度瞬きをして、その後ニッと笑って言った。
「勿論面白そうだとも思ってる」
「いやぁだぁ~、帰る!」
逃げようとソファーから立ち上がったが、クシーさんが入り口の前に立った。
で、出れない……。
そう思った次の瞬間には、後ろから肩にポンと両手が置かれて。
「一緒に行こうね」
頭の上からそう言われ、逃げ道を完全に失った私は、ガックリと肩を落とす。
それを見た兄様は、「さてと」と言って手を二度叩く。
一体何の合図かと思えば、クシーさんがスッと扉の前から退いた。
そして代わりに。
「私をお呼びだねー? カイル君!」
バァンッと勢いよく開いた扉から、元気いっぱいの女の子が入ってきた。
彼女は私を見つけると、「ほぉ? この子が?」と言い、それに兄様が「そうだ」と答える。
彼女は顎に手を当て「ふむふむ」と言いながら、いつの間にか私の肩から手を離して一歩下がった兄様を尻目に、私の周りをぐるりと回り、隅から隅まで私を観察。
そして。
「じゃあ行こっか!」
言いながら、彼女にグイッと手を強く引っ張られた。
瞬間、ブワッと足元からあおり上げるように、風が吹き上がり私の体が浮く。
「えっ、えぇーっ?! カ、カイン兄様ぁ~?!」
踏ん張りようにも足が地に付いていないのだから抵抗さえできない。
急な謎の展開に、振り返って兄様に助けを求めるも、彼は「いってらっしゃーい」と呑気に手を振るだけだ。
その顔は楽しそうで、いつもの私をからかう時の顔とまったく同じで。
「化けて出てやるーっ!」
捨て台詞としてギリギリ絞り出したその言葉を最後に、角を曲がって兄様の姿は見えなくなってしまった。