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恋心に見切りをつけたくて辞職する予定が、何故か溺愛に向かっています

作者: Gina

よろしくお願いします。


「シュナイダー、この間の書類はできているか」


集中して数字と睨めっこしていたので、声をかけられるまで気配も感じなかった。

ビクッと肩が震えて目を上げると、入り口からこちらに近づいてくるアイスブルーの瞳とぶつかった。

途端に、心臓が踊りだす。


こうならないように気をつけていたのに。

それに、この方は今日は一日視察に出ていたはず。

近々、やんごとない方のお出張りがあるそうで、現在建設中の橋とその周りを視察に行ってたはずなのに。


「いい加減、慣れろ。そこまで怯えなくてもいいだろう」

「いいえ、怯えていた訳では……」


むしろ、その反対です。

でも、怯えていたと思われる方がマシかもしれない。

そう思って、最後まで云わずに言葉を濁す。


机の書類が積み上がった中から、さっき仕上げて綴じてある書類を取り出し、相手に向かって差し出した。


「その書類はこちらでしょうか、隊長」


相手は書類を手に取り、パラパラと中身を確認して満足そうに頷く。


「よし。よく短期間で仕上げたな。騎士達の当番を決めるのは大変だったろう」

「そうでもないです。皆さん、協力的で助かりました」


アイスブルーの瞳がちらりとこちらを向く。

これは本当のこと。

もうこの部署に配属されて2年になるけど、ここの騎士様達は気持ちのいい人たちが多い。


もともと内治省の文官をしていた私は、騎士団の事務官の募集に応募して、二年ほど前にこの第三騎士団に配属された。

男性ばかりの騎士団に応募するのは散々悩んだけど、騎士団の事務官は文官のお給料よりずっといい。

実家へ仕送りしている身としては、お給料が増えるのは何より有難かった。


「もうすぐ退勤時間だ。今日はもう上がれ」

「あ…はい。これだけ、キリのいいところまでやったら帰ります」

「相変わらずだな。無理するなよ」

「はい、有難うございます」


渡した資料をヒラヒラ振って、隊長は部屋を後にする。

騎士団では、騎士ではない事務官のために、狭いながらも詰め所とは別に部屋を用意されていた。

落ち着いて事務処理を進めるための配慮なのだが、防犯上の理由から扉はない。

女性の事務官は初めてだったらしく、部屋に扉を設置することも検討されたけれど、結局は衆人の目がある方が何かと安全だろうという意見に落ち着いたようだった。


去っていく広い背中を見送りながら、私は小さく溜息を吐く。

そろそろ潮時かなぁ……。

こんな気持ちを抱えて仕事を続けるのが、だんだん辛くなってきた。

五年前の水害で、大打撃を被った我が子爵家の領地もようやく立ち直ってきたので、実家に戻って良縁を…と、先日届いた両親からの手紙にも書いてあったっけ。

確かに、貴族令嬢としてはちょっといき遅れになってきたけど、そもそも水害で負債を背負った子爵家の令嬢なんて、嫁の貰い手がそうそういる訳がない……。

何も貴族に限らず、裕福な商家もいいと思うけれど、それは私と家の都合がいいのであって、あちら様がいいとは限らないし。

騎士団の主計部にいるのなら商家とも繋がりができそうだけれど、単なる事務官にはそれも望めない。


騎士団の事務官として働き出した頃は、本当に男性ばかりで少しビクビクして過ごした。

けれど家名があることで貴族と判るからか、所属する第三騎士団の皆さんからは遠巻きにされていたようだ。

でも段々と仕事を通じて会話を交わすうちに打ち解けてきて、今では色々と普通に話せるようになり、楽しいことも多い。

妙に馴れ馴れしい人もいないし、概ね丁寧で紳士的な態度で接してくれている。

有難い限りだ。


それでも、このまま不毛な気持ちを抱えて今の仕事を続けるよりは、いっそ仕事を辞めて実家へ帰るのもいいのかも…とも思う。

私は、暫く会っていない家族の顔を思い浮かべてみた。

弟のクレイグも背が伸びただろうな……。


頭を振って、無理矢理視線を机の上の表に落とし、さっきまで睨んでいた数字に集中した。

第三騎士団の予算案はまだ半ばくらいだ。


これをまとめ上げたら、思い切って云ってしまおうかーーー

私が仕事を辞めたい、って云ったら、隊長は何て云うかな。

それとも、別に「そうか」って云うだけかも。

あ、落ち込んできた…………。




結局、騎士団をあとにしたのは、あれから小一時間も過ぎてからだった。

あたりはとっぷり暮れている。

独身の騎士のための寮はあるけれど、女性はほとんどいないので寮など無い。

それでも、申請して審査が通れば、アパートを借り上げてもらえる。

私も騎士団から程近いところにアパートを借りているけれど、今日はすんなり帰る気になれなかった。

自然と、アパートとは反対の方角に足が向く。

ほんの時々足を向ける、街の一際華やかな一角に。


いるかな。

来たら迷惑かな。

そんなことを思いながら、美しいドレス達がショウ・ウインドゥに飾られている店の中を覗けば……。


「あらぁ〜、エルじゃない〜。来てくれるなんて、珍しいわね〜!ささ、入って、入って〜」


サッと店の扉が開かれ、金色の髪の美丈夫が満面の笑みで立っていた。

この人は、いつもこんな風に輝いてる。

私はほっとして微笑んだ。


「エルったら、またそんなに地味な格好して。ダメじゃない〜。アナタは磨いたら光るのよ」


地味も何も、騎士団の隊服のままだった。

髪も帽子の中に入れているので、上手くすると小柄な騎士見習いくらいには見えるかもしれないと思って、出来るだけ明るい道を選んでここまで来たのだ。

それにしても、暫くぶりに会う彼は、まるで昨日も会ったみたいに話してくれる。

この人は、王都での数少ない私の知り合いで、従兄のジーンだ。

私より先に王都に出て、今や新進気鋭のドレス・デザイナーとして話題を集めているらしい。

私の顔を見て何かを察したのか、彼は私を店に招き入れながら、後ろに控えるアシスタントの女性に言葉をかけた。


「踊る子馬亭に、夕食を配達してもらってちょうだい。二人分よ。メニューは任せるわ」


そして私の方を向くと、店の二階を指差してパチンとウインクした。


「話があるんでしょ。何でも聞いちゃうわよ」


ジーンに促されて二階に上がり、開けてもらった扉の先は趣味のいい調度品が揃えられた小部屋だった。

さしずめ、上客との商談にでも使うといった風情だ。


「…いいの?」


私が問えば、


「もう、今日は店仕舞いだ。気にするな」


口調の戻ったジーンが頷く。


女性を相手にする仕事なので、ジーンが店に出る時は女言葉にしているのは知っている。

ドレスの製作という、女性の繊細な好みを反映した話題を、男性とするのは女性は緊張するもの。

その上、ジーンは王子様のように素晴らしく整った顔立ちで、彼とドレスの話題をするとなるとヘンな誤解をするご令嬢方もいたらしい。

結果、解決策が女言葉…ということになったらしく、ジーンは店にいる時は女言葉以外話さないようになった。


部屋の椅子に腰掛けると、やはりジーンに話に来たかったのだと自覚する。

小さい頃からよく知っているこの従兄は、いわば兄のような存在で、騎士団の事務官に応募する時にも相談に乗ってもらった。

私が第三騎士団の隊長、ニコラス・アーリントン様に報われない思いを抱いていることを知っている、唯一の人間でもある。


「……実家に帰ろうかと思ってるの」


私の言葉に、ジーンは眉根を寄せた。


「急だな。もう決めたのか?」

「ほぼ決めた…かな」

「どうしてまた……失恋したのか?」

「意地悪ね。…私に、告白する勇気なんてないって判ってるでしょ」

「まあな。エルは変なところで意気地がないからな」

「変なところって…」

「実家が大変になったから、王城の官吏試験をこっそり受けて文官になるなんて、子爵令嬢にしては大胆だと思うぞ」

「そうかな……だって、お父様とお母様が大変な時に、何もしないで見ているだけなんてできないわ」


ジーンがうんうんと頷く。


「エルのそういうところだよ。何度も云うけど、俺がドレス・デザイナーになりたいと云った時も、勘当されてもいいから家を出て行く勢いだったのに、俺の両親を説得してくれたじゃないか」


本当に、何度もこの話をされて、その度にくすぐったい気持ちになる。

ジーンの実家は伯爵家で、彼はその三男だ。

そこで催される夜会によく私の両親も参加していたから、その度に私はジーンの家にお泊まりしていた。

ボールルームで踊る人たちを二階からこっそり見下ろしながら、ジーンがご婦人達のドレスの批評をするのをよく聞いたものだった。

そのうちに、ここをこうしたらもっと美しいラインになるのにとか、生地をこういう風に使ったら裾が綺麗に見えるのにとか、私が聞いていてもなるほど…と思うような意見を云うのを聞いていたら、そりゃあドレス・デザイナーは天職だと思うわよね。

ジーンもさすがにお兄さん達には、その話はできなかったみたい。

自分でデザイン画も描き始めて、こっそり私には見せてくれた。

だから、ついにジーンが行動を起こした時は、ご両親を説得できるのは私しかいないと思ったの。

だって、ジーンが素晴らしい才能を持っているのを知ってるのは私だけなんだもの。

それに、ジーンのデザイン画を見れば、伯父さんも伯母さんもきっと判ってくれると思ってた。

もともと仲のいい家族なんだから。


「ジーンは才能があるんだから、もったいないと思っただけよ」

「感謝してるんだ、本当にさ」


ジーンの真っ直ぐな感謝の言葉に、いつも照れ臭くなって、私は今回も照れ隠しにふふっと笑った。

その時、扉がノックされ、アシスタントのジェスが、踊る子馬亭から仕出しされた夕食を運んできてくれた。

ジェスは私に微笑いかけると、テーブルに夕食を並べてジーンに「今日はご用がなければ、これで失礼します」と一礼する。


「ん。いつも有難う、ジェス。お疲れさん」


ジーンはそう云ってジェスに微笑いかけた。

ジェスは、ジーンが素顔を見せる、数少ない人間の一人だ。

心持ち頬を染めてジェスが部屋を出て行く。

実は、ジェスがジーンに心を寄せていることは、ずっと前に気がついていた。

ジーンからもジェスの話を聞いていたし、彼女の働きぶりがジーンのために一生懸命なのが見ていてよく判ったので、誤解のないように、私はジーンの妹分だと伝えている。

あとは、ジーンがどう考えているか、なんだけど…。

ジェスはジーンにとって、大切な存在なのは間違いないんだけどなぁ……。


「それで、実家に戻ってどうするんだ?」


熱々のシチューに手をつけながら、ジーンが聞いてきた。


「どうって…。もうそろそろいき遅れちゃうから、良縁でも探そうかな、って」


私もシチューを一口食べて、頬を緩めた。

いつも通り、踊る仔馬亭のマトンのシチューは絶品だ。


「何だ、『冷徹騎士』様は諦めるのか?」


そう、我が第三騎士団の隊長、ニコラス・アーリントン様には『冷徹騎士』という二つ名がある。

笑うことは滅多になく、常に冷静で、状況を読むのも判断を下すのも素早い。

恐らく、彼の銀色の髪とアイスブルーの瞳も、『冷徹』イメージに一役買ってると思われる。

そして、彼はアーリントン侯爵家の次男でもある。


「諦めるもなにも……隊長は私なんて眼中にないって」


出来るだけ平気な顔をして云ったつもり。

胸がチクリと痛む。

眼中にないどころか、普段は大きく髪を一つに結い、騎士団の隊服で仕事をする私を女性として認識されているかも怪しいと思う。

う…自分で思って落ち込んできた。


「まあ、『冷徹騎士』様はその名の通り、男にも女にも冷たい対応らしいからな」


私の顔も見ずに、シチューを淡々と消化しながらジーンが素っ気なく云う。

そう。あれだけ綺麗に整ったお顔で無表情。

眼光鋭く、数多のご令嬢にも冷ややかな対応だと聞く。

でもその彼が、あんな顔をするなんてーーー



◆◆◆


あれは、騎士団に勤務し始めて半年ほど経った頃だった。

ある孤児院に強盗団が逃げ込み、孤児と職員を人質にとって立て籠っているという連絡が入った。

その月、王都内を警らする担当の第五騎士団の要請で、隊長をはじめ第三騎士団の騎士たちも応援に向かった。

心配された立て籠もりは長く続かず、第五と第三騎士団の連携による奇襲攻撃で強盗団は捕縛され、事件は迅速に解決された。

私も事件後、提出書類の作成のため、職員たちに聞き取りをしに件の孤児院へと向かった。

事件に巻き込まれて大変だったろう職員と子ども達に、ちょっとした手土産も用意して。


騎士団員たちは粗方撤収していたけれど、何人かは事件後の処理のために残っていた。

しかし見知った顔はなく、それぞれ自分の仕事で忙しげにしていて、誰も私に注意を向ける者はない。

騎士団の隊服を着て髪を帽子に押し込んでる私の姿は、小柄な騎士団の一員で、事務官には見えなかったのかもしれない。


「嬢ちゃん!こっちだ、こっち!」


その時、孤児院の入り口の方で手招きする人物がいた。

私を「嬢ちゃん」と呼ぶのは、一人しかいない。


「ジャッゴさん、大声で『嬢ちゃん』はちょっと…」

「ははは…悪い、悪い」


全然悪そうでもない、我が第三騎士団の副隊長は、駆け寄った私にカラカラと笑った。

第三騎士団の中でも最年長で、さっぱりして裏表のない性格のジャッゴさんは、騎士の皆に慕われている。

仄かに立ち上る甘い香りに気がついたようで、ジャッゴさんは私が下げている袋を見下ろしてニヤリと笑った。


「お、差し入れか。気が利いてるな」

「これは、孤児院の皆さんにですよ。メレンゲクッキーです。いつものように、食堂の調理場に手伝っていただきました」


お菓子作りは私の趣味だ。

実家でもよく作っていた。

複雑で繊細なものは作れないけど、簡単なクッキーやフルーツケーキくらいならお手のものだ。

騎士さま達は甘いものなんて食べるかな、と思いつつ差し入れたら案外好評だったので、私も気を良くして、時々作っては差し入れていた。

最近では、食堂の料理人の皆さんにもお分けする条件で、厨房をお借りする許可も頂いた。

手が空いている料理人の方たちが手伝ってくれることもある。

料理人の方たちの多くは、料理は作るがお菓子は別物、ということらしい。


「騎士団には、別にとってあります」

「それはいい。こっちだ」


お酒も飲むけど、意外と甘党でもあるジャッゴさんは一瞬目を細め、先に立って歩き出した。

孤児院の中は、思ったよりひっそりとしていた。

遠くで誰かが話しているのが聞こえる。

よく通る声は、聞いたことあるような気がするけど、全然知らない声のようにも思う……。

声は段々と近くなり、知ってる声だと確信した。

でも、私が知ってる声とは全然違う……?


「恐かったろう…泣きたかったら、もっと泣いてもいいんだぞ」


少しだけ開いた扉のところで立ち止まり、中の様子を伺うと、部屋の中央あたりで椅子に坐った男の子に話しかける隊長がいた。

隊長は屈んで男の子と目線を合わせ、心持ち眦が下がっている。

彼のそんな表情を見るのは初めてで、心臓がドキンと大きく一つ鳴った。

部屋の奥の方には職員さんらしい人たちがいて、泣いている他の子どもたちに話しかけている。

恐い思いをした子たちばかりだ。

話をして、話を聞いて、心のケアをしているのだろう。


隊長の目をじっと見ていた男の子は、腕で涙をぐいっと拭うときっぱりと云った。


「もう泣かない。僕、強くなるんだ。みんなを守れるように、僕も騎士になる」

「そうか」


そう云った時、隊長は見たこともない笑顔で男の子に笑いかけた。

少しはにかんで、嬉しそうに。

隊長は男の子の頭を撫でて、「頑張れよ」とまた笑った。

今度は満面の笑顔だった。


今まで無表情な隊長しか見たことのなかった私は、唖然としてその笑顔に見入っていた。

さっきから心臓の動きがおかしい……。

どれくらいそうしていたのかーーー


小さな咳払いが頭の上から聞こえて、私はハッと我に返った。

見上げると、ジャッゴさんが意味ありげに見下ろしている。

知らない間に顔も赤くなっていたらしい。

私は顔をブンブン振って、開いている扉をノックした。


部屋の中の視線が一斉にこちらに向くのが判る。

隊長もきっとこっちを見ているだろうけれど、私は視線を部屋の奥に向けて、隊長とは目を合わせないようにした。



◆◆◆


あのあと、メレンゲクッキーを職員さんに渡したら、周りにいた子どもたちにもとっても喜んでもらったっけ。

あれからだったな…。

いくら顔が良くても、無表情で冷たい印象だったから、出来るだけ避けるようにしていた隊長を目で追うようになったのは。


隊長が表情を変えることは滅多にないけど、部下の騎士が困っていると、彼はさりげなく手助けするように周りの人に働きかけている。

きっと、自分が直接関わると、大事になってしまうことへの配慮なのだろう。

言葉は多くないけど、かける言葉それぞれには、部下への気遣いや労りが込められていることにも気づいてしまった。

もちろんそれは、部下の私へも同じわけで……。

隊長は皆と同じように気遣ってくれているだけだとわかっていても、私の恋心は加速するばかり。


それでもあれから一年半ほど頑張ってきたけれど、そろそろ限界だった。

隊長が誰かのものになるまでは…なんて、烏滸がましいことは考えていない。

それに、私だってそれなりに幸せになっていいはず。

手に届かない高嶺の花に焦がれて年老いていくなんて、真っ平ごめんだ。


シチューを平らげて満足そうにお茶を飲んでいたジーンが、不意に口を開いた。


「領地に戻って、良縁を探す…だっけか」

「それが一番いいと思ってる」


カップを戻したジーンが顎に手をやりながら、ちらりとこちらを見る。

何か思いついた時の仕草だ。


「それじゃあ、スタンなんかどうだ?まだ独身だぞ。それに、結婚したら子爵位をもらうことになってるはずだ」

「スタン兄さん?ない、ない。私たち、兄妹のように育ったでしょ。恋とか愛とか、今更そういう感情にならないでしょ」

「そうか…?」

「じゃあ、ジーンは私を結婚しようと思うくらい好きになれると思う?」

「………」

「嘘でも、そこは『なれる』って云うところでしょ」


ちょっとの間絶句したジーンは、ハーッと溜息を吐いて頷いた。


「…だな」


私たちはふふふっと笑い合った。

スタンはジーンのお兄さんだ。

貴族間の政略結婚はよくあるけれど、姉妹であるジーンのお母さまと私の母は大恋愛の末に結婚した。

よって、双方の家とも母親主導で恋愛推奨とされている。

とても仲の良いーーーもっと云えばラブラブなーーー両親の元で育った私も、両親ほどではないにしても、それなりに愛ある結婚がしたいと思うのも仕方ないことじゃないかと思う。


「なあ…『冷徹騎士』に告白してみたらどうだ? 当たっても砕けないかもしれないだろ」

「当たりたくも、砕けたくもありません。それに隊長は、『冷徹』じゃないです。部下の第三騎士団のみんなには充分優しいもの」

「へえ…お前にも優しいの?」


私は、ジーンの言葉に短い溜息を吐く。


「判り易い優しさじゃないけど、みんなに平等に優しいんです、隊長は。…私が女だと認識されているかは定かでないけど…。ああ、もうっ。こんなことを云いたいのじゃなくて…」

「重症だな」

「判ってる。だから、ジーンには王都を離れる前に会っておきたかったの」


ジーンの眦が下がった。

から元気を出してみても、ジーンにはお見通しみたいだから、それももうやめた。

騎士団の隊服が支給されることもあり、あまり女性だと判らないようにした方が面倒が少ないだろうと、目立たないようにして、隊服を進んで身につけてきたのは私の意思だ。

だから、私が女だということを知らない騎士団員も多いと思う。

今さら隊長には女として見て欲しいだなんて、都合が良すぎるよね……。

思案顔のジーンに、今度は私が問いかけた。


「そういうジーンはどうなの?」

「え?」

「好きな人、いるんでしょ?」


きょとんとした顔のジーンは珍しい。

いつもと形勢が逆転して、私はちょっと楽しくなった。


「想像にまかせるよ」

「あっ、ずるい。うかうかしてると、誰かにその人を攫われちゃうわよ」


私はジェスを思い浮かべて云いながら、顔がにやけるのを自覚する。

だって、ジェスは綺麗なミルクティーブラウンの髪と素晴らしく美しいエメラルド色の瞳をしていて、店に来る令嬢も目を瞠るくらいだ。

だから彼女はいつも地味な格好をして伊達メガネまでかけ、目立たないように心がけている。

いつでもジーンが気持ちよく仕事ができるよう気を配っているジェスは、健気で私が男だったら絶対にお嫁さんに欲しいと思う。


けれど、ジーンはそれには答えず、別のことを考えていたようだ。


「エル、お前、明日は休みだろう?」

「あ…うん、そうだけど…?」

「よし、明日はオレに付き合え。ジェスの力も借りよう。今夜は遅いから、ジェスのところに泊まるだろう?」

「たぶん…そうなると思う」


ジーンのところに来るのは、いつも仕事終わりで翌日が休日の時だ。

以前に、それなら私のところに泊まればいいわ、とジェスが提案してくれ、それ以来ジーンに会いにくる度にジェスにお世話になっている。

だからジェスとは女同士、色んな話をするようになった。

ジェスの、ジーンへの気持ちを聞き出したのも、私はジーンの妹分だと宣言したのもジェスの部屋でだった。


ジーンはすぐに店の近くのジェスが借りてる部屋まで送ってくれ、ジェスを部屋の外へ誘い出すと何事か話をしていた。

二人とも、ちらちらとこちらを見ていたから、多分私に関することなのかもしれないけれど……その夜、ジェスからどんなに聞き出そうとしても笑顔でかわされ、結局ジェスからは何も聞き出せなかった。




翌日。

昼過ぎにはもう私はヘトヘトだった。

何故かジーンの店には「臨時休業」の札がかけられ、私はお店にある鏡の前に坐らせられてジーンの顔馴染みという美容師さんに朝から髪を整えられていた。


「ん〜、いい髪質ね。ただちょっとパサついてるわ。キレイなウェーブがかかってるからそれを活かして、パックをしてから少し切りましょうか」


女言葉を話す男性美容師のアディさんには、ジーンで免疫があるのでビックリしない。

それに、髪も女性にとっては繊細な好みの話題なので、確かに女言葉の方が話をするのに気が楽かも。

とは云っても、私が意見をいう隙間もなく、ジーンとジェスがああでもない、こうでもないとアディさんと相談して決めていく。


髪の次はお化粧。

騎士団では、女性であることを強調しないようにしていたのでお化粧などしたことがない。

今までもほとんどしたことがなく、道具も持っていない。

これはジェスが担当してくれて、ジーンとアディさんのアドバイスを聞きながら仕上げていく。


「エルはもともとキメの細かい、綺麗な肌をしているから、肌の良さを引き出す薄めのお化粧がいいと思ってたの。目と眉と頬骨を強調できれば、それだけでほら!こんなに違うわ。目を開けてみて」


目元の化粧を終えたジェスの言葉にゆっくり目を開くとーーー


これが私…?

緩くウェーブのかかった髪はハーフアップに編まれ、大きく強調された目元と薄く紅を引かれた綺麗な女性が鏡に映っていた。

うんうん、とジーンが頷くのが鏡越しに見える。


「我々の手にかかれば、これくらいは想定内だ。普段、エルが構わなすぎなんだよ」

「あとで、自分でできる髪のまとめ方を教えあげるわね」


アディさんも上機嫌で、両手を胸の前で合わせて云った。

ジーンが鏡の中の私に視線を合わせる。


「さて、ここからはオレの出番だ。今更だが、エル、騎士団の事務官は隊服の着用は必須なのか?」


私は一度視線を外し、うーん、と考えた。


「そうね、必須ではないわ。分かり易いし便利だから隊服を着てる人も多いけど、着用を義務付ける規定はなかったはず」

「そうか」


それを聞いて、鏡の向こうでジーンが破顔した。

しかも、何か企んでる顔だ。


隊服は、サイズを申告すると支給される。

女物はなく、男物だけだけれど、実家に仕送り生活の事務官には有難いことだった。

多くはないものの、事務官の中には私服で通う者もいて、「隊服は堅苦しい」と云っていたのを聞いたことがあったっけ。


「じゃあ、まずは採寸だな。ジェス、頼んだ」

「はい。お任せください」


ジーンの言葉にジェスが応え、彼女は私を連れて着替えの部屋に入って行った。

もうこの時点で、慣れないことの連続で私はヘトヘトになっていて、抵抗する気も起きず、ジーンやジェスのなすがままだった。

そこでジェスに採寸され、その採寸表をしっかりジーンに見られた時は恥ずかしさで顔が真っ赤になったけど…。


けれどジーンは慣れたもので、採寸表を元にあれこれと衣服を選んでは、ジェスに助けてもらって私は何度も着替えることになった。

ジーンのお店は、夜会用のドレスをはじめとした煌びやかな衣装もあるけれど、貴族がお忍びで使うような洋服や、普段使いの洋服も取り揃えている。

結局、ブラウスやスカートを何着か、それにちょっとしたお出かけに着られるドレスも数着、私の好みも聞きながらジーンが選び、代金を払うと主張する私に、首を振ってジーンは云った。


「これはオレの感謝の気持ちだ。ようやく形にできた。但し、条件がある」

「条件?」


ここでジーンはニヤリと笑った。

何だか嫌な予感がする…。


「明日から、この服を着て騎士団で仕事をするんだ」

「ええー…」

「女として意識されてないんだろう?これなら、嫌でも意識するさ」


誰、と云わないまでも、その仄めかしは恥ずかしい…。

ジェスが小さく目を瞠ったのが判った。

彼女には、好きな人がいるとは伝えているけど、誰とは告げていない。

でもこれで、騎士団の人間だと判ってしまったわね。

いや、もう察しのいいジェスなら判っていたかな。


「あら〜、アタシ、いいことに協力したわねっ!頑張るのよ!」


アディさんは手を叩いて、素直に喜んでいる。

踊る子馬亭から再び夕食を仕出ししてもらい、皆でテーブルを囲んでから、荷物を持ちがてらジーンが私を送って行ってくれることになった。

もちろん、陽はとっぷり暮れている。


「ジーン、本当に色々と有難うね」


歩きながら、隣のジーンを見上げて改めて今日のお礼を云う。

ジーンらしい背中の押し方は、私には考えもつかなかった。

これだけ、みんなに協力してもらったんだから、明日はちゃんと選んでもらった服で仕事に行こう。

隊長にも、女性だったんだ…と判ってもらえるはず。

それで良しとしよう。

私も自分の気持ちに区切りをつけなくちゃ。


「おう。騎士団を辞めるとしても、ちゃんと自分の中で踏ん切りをつけるんだぞ」

「うん…そうする」

「誰が騎士団を辞めるだと…?」


その時、後ろから声がかかって、私の肩がビクンと跳ねた。

聞き覚えのありすぎるこの声…。

どうしてこんなところに……?


振り向いた私を庇うように、ジーンが一歩前に出る。


「オレの連れに何か用でも?」

「連れ…?」


周りを凍らせる温度で呟いた声の主の、アイスブルーの瞳が射抜くように私に向けられた。

私が言葉を失っていると、ジーンがさらに続ける。


「オレたち、デートの帰りなんですよ」


ええっ、それは違います…と、慌てて否定しようとするのを、ジーンが私の手を握って視線を彼に向けさせ、小さく頷いた。

何か考えがあるってこと…?


「シュナイダー、騎士団を辞めるのか?」


一瞬、隊長の視線がジーンと繋がれた手に向けられたけど、凍りつくような視線は再び私に戻ってきた。

さすがに無表情でも判る。

今、彼は物凄く不機嫌だと。


「それは…」


まだ覚悟ができてなくて、云い澱んだ私のあとを繋ぐようにジーンが隊長と対峙した。


「将来のことを話し合っていたのですよ。ですから…」

「私はシュナイダーに聞いているんだ」


隊長はジーンの言葉を遮って、真っ直ぐに私を見つめてきた。

冷たく光るアイスブルーの瞳を見返して、何故そんなに不機嫌なのかと素早く考えを巡らせる。

辞めるから仕事を放り出すと思ってる?

彼氏(と思われてる)に現を抜かしてると思われてる?

答えは判らないけど、私はそれでもこの人を嫌いにはなれないんだ、と思う。


そしてこれは千載一遇の機会かも、と気がついた。

騎士団の詰所で顔を合わせている時は、思い切って切り出すことなどなかなかできないに違いない。


「隊長、騎士団を辞めることは考えています。でも、すぐにではなく、来年の予算案を作成して仕事の区切りがつき、出来るだけご迷惑のかからない時期にしようと思っていました」


覚悟ができると、言葉はするすると出てきた。

隊長は一瞬、大きく目を瞠った。

初めて見る表情だ。


「…理由は。何が不満だ」

「不満などありません。個人的なことです」

「個人的?その男と…」


隊長の視線がジーンに向けられる。

私も釣られてジーンを見上げると、眦を下げたジーンが心配そうに見下ろしていた。

やり取りの意味を理解して、ジーンは許可するように小さく頷いた。

でも、それは私が嫌だ。


「それは関係ありません。一身上の都合、ということで辞表は書かせていただきます」


隊長の瞳が揺れた。

今日は初めて見る彼の表情ばかりだ。

黙り込んだ隊長に、ジーンが声をかける。


「彼女を送っていく途中なんで、話が終わったら失礼します」


さり気なく、ジーンの腕が肩に回された。

驚いて見上げると、「そのまま」と囁きが降ってきた。

そう云えば、デートの帰りという設定だったっけ。

背中から刺すような視線を感じながら、私たちは黙々と歩き続けた。


私のアパートが近づいてきたところでジーンがポツリと云った。


「オレを使ってくれて良かったのに」

「それはダメだよ」


私はくるりとジーンの前に立ち、彼を見上げた。

角を曲がったところで、とっくにジーンの腕は私の肩から離されている。


「私が幸せになりたいのは本当。そのためにどうすればいいのか、今一生懸命考えてるところよ。でもそれはね、誰かの幸せを邪魔してまでじゃない。ジーンも自分の幸せを見つけて」

「エル…何を……」

「私に遠慮してたでしょ。ジーンはずっと私に恩?みたいなのを感じてたから、私より先に自分が幸せになっちゃいけない、って思っていたのじゃない?」


ジーンは目を瞠って、私を見下ろしていた。

ってことは、当たり、かな。

何となく、そうじゃないかな、と思ってはいた。

私もついつい、ジーンに甘えてしまっていた。


「もう充分だよ、ジーン。私はいっぱい返してもらってる。王都に来てからいつも相談に乗ってもらったし、今日だってそう。ちゃんと遠慮せずに、今日のみんなの好意を受け取ったでしょ?だから、ジーンもちゃんと幸せになって」


ジーンは赤くした目を空に向けた。

私は私で、滲んだ涙を指でそっと拭った。

ジーンは自慢の従兄だもの、幸せになって、本当に。


「あの隊長…」


暫くして、普段通りに戻ったジーンが呟いた。


「エルを逃すなんて、とてつもなく見る目がないな」

「ふふふ…ジーン、元気が出るからもっと云って」


ジーン…それは従兄の欲目というものだと思う…。

でも、今夜は有難くそういうことにさせてもらうね。

ジーンは優しい目で私を見下ろしていた。

心地よい風が吹いていく。


「でも、きっとそうはならないと思うぞ」

「え、何か云った?」


ジーンが何か呟いた言葉は、小さすぎて聞きそびれてしまった。

私が聞き返すと、彼は首を振って口角を上げた。

何か大事なことを聞きそびれた気がする……。


「何でもない。ほらそこだ。お疲れさん」


気がつくと、もう私のアパートの前まで来ていた。

色々あって、興奮して眠れないかもと思ったけれど、身を清めてベッドに入った途端、私は翌朝まで泥のように眠ってしまった。





周りの囁く声が聞こえてくる。


「おい、あれは誰だ?」

「事務官か?女の事務官なんていたか?」

「いいなぁ〜、第三は事務官が女だったのか」


昨日の高揚した気分はどこへやら、今日から私服で騎士団へ向かうと思うと胃が痛くなるほど緊張した。

今まで出来るだけ目立たないようにしてきたので、女性の事務官がいることを認識していない人も多いはず。

でも今日のようなレモンイエローのブラウスに深緑のロングスカート、スカートより少し薄い同系色のベストが人目を引くことは充分に承知している。

昨日服を選んだ時のことを何度も思い出し、大丈夫だと自分に云い聞かせて、前だけを見て第三騎士団の自分の席まで何とか辿り着いた。

お化粧も髪も教わった通りにできたはず。

変な格好でなければいい。

ちゃんと女性として見えていたら、なおいいのだけど。

遠巻きにざわざわと聞こえる会話が、自分に関することばかりのような気がするのは自意識過剰だと自分に云い聞かせる。


仕事を始めようと、引き出しを開けて覗き込んだところで、上から大きな影が差した。


「本当だったんだな」


弾かれたように顔を上げると、アイスブルーの瞳とぶつかった。

無表情からは何も読み取れないけれど、あまり機嫌は良さそうではない…。

私は立ち上がって、隊長を見上げた。


「何がでしょう?」

「隊服はどうした?」


質問の答えは得られず、質問が返ってきた。

だいたい、察しはついたけれど。


「隊服の着用を義務付ける規定は、事務官に関してはなかったかと思います」


私の答えが気に入らなかったのか、隊長の眉間に皺が寄った。

無表情が崩れるなんて、昨日から私は彼の不機嫌を誘ってばかりらしい。


「風紀が乱れることを考えないのか」

「風紀…?」


意外な言葉に、私は一瞬きょとんとする。

隊長を通り越して、部屋の向こうの廊下に目を遣ると、いつもより歩いている騎士さんの数が多い気がした。

しかも、こちらに視線をちらちら送りながら歩いていく騎士さんたちもいる。


「隊長。ただ物珍しいだけです。珍獣と同じです。他にも私服で通う事務官もいるとお聞きしているので、そのうち慣れると思いますが」


ようやく女性と認識されただけで、風紀が乱れるなんて心外だわ。

残念だけど、私にそこまで魅力があるとは思えない…。

けれど、次の隊長の言葉に私は目を瞠った。


「君は…自分がどれだけ男を惑わすか判ってない」


思いがけない言葉に、驚いた顔をしていたと思う。

隊長さんも私を見て、驚いたように目を瞠った。


「ーーー何でもない。仕事に戻れ」


くるりと背を向けて去っていく後ろ姿を、私は呆然と見送った。

何を云われたの、私……?

風紀を乱すって……。

男を惑わすって……。


ただ普通に女性らしい格好をして職場に来ただけなのに、そんな風に云われるなんて思ってもいなかった。

気がついたら涙が滲んでいた。

悲しいのか、悔しいのか判らない。

気持ちがぐちゃぐちゃだ。

こんな格好、して来なければよかったのかなーーー




こんなことじゃいけない、と気合を入れ直して書類の山に取りかかる。

休み明けは書類が溜まっているので、予算に取りかかる時間はないかもしれない。

早く仕上げたいのに……。


「嬢ちゃん」


声をかけて入って来たのはジャッゴさん。

一息つこうと思って、お茶を飲んでいた時だった。

何事かと立ち上がった私を、ジャッゴさんは上から下まで見下ろし、「なるほどなぁ」と一人頷いている。


「ジャッゴさん、どうかしました?」

「いやぁ、似合ってるよ、その格好」


手放しの褒め言葉に、頬が赤くなるのが判る。


「おっと、この程度でその反応はちとヤバいなぁ」


そう云われても、何がヤバいのかさっぱり判らない。

困惑顔の私に、ジャッゴさんはニヤリと笑う。


「嬢ちゃん、ヘンな輩が絡んで来たら、俺らを頼れよ」

「あ、有難うございます」


ヘンな輩とは誰のことか判らずに、それでもジャッゴさんの言葉は有難く受け取っておく。

ジャッゴさんは満足気にうんうんと頷き、部屋を出がてら通路にいる騎士さまたちに大声で曰った。


「おい、お前ら、第三の事務官に用があるなら、隊長かオレを通せよ!判ったな!」


他の騎士団の方が、私に用事などあるはずがない。

ジャッゴさんの大声に威嚇されてか、騎士さま達は蜘蛛の子を散らすように通路からいなくなった。




ジャッゴさんの他にも、第三騎士団の騎士さま達何人かーーー主に、既婚者のおじさま騎士さま達だがーーーは、「似合ってる」「かわいい」「明るくなっていい」と、その日のうちにこっそり褒めてくださった。

優しい騎士さま達の気持ちは有難く、私はそれからも私服で騎士団に通う日が続いている。

ただ隊長からは、心なしか避けられている気がしていた。

私もまた何を云われるか恐くて、必要以上に隊長には関わらないようにしている。

でも目で追っちゃうのは仕方ないよね。

そしてここ最近、何故か時々隊長と偶然目が合うことがあるような気がしていた。

目が合ったと思ったら、思いっきり逸らされてしまうのだけれど。


そんなある日。

久しぶりに隊長が事務官の部屋へ現れた。


「シュナイダー、ちょっと話がある。執務室へ来てくれ」


無表情のまま、それだけ云うと部屋を出ていく。

今?今よね?

私はようやく続きに取りかかった予算案を閉じると、隊長の背中を追った。


各騎士団の隊長には執務室が与えられている。

そう広くはないものの、隊長同士の会議にも使用されることもあり、しっかりした造りの部屋だ。

この前隊長の執務室に入ったのは、事務官に就任した時だった。


隊長に続いて執務室に入ると、護衛を兼ねて待機している騎士さまに隊長が「外してくれ」と簡潔に告げる。

騎士さまは隊長と私を交互に見て、でも何も云わずに扉を出ていった。


二人きりなんて気まずい…。

けれどそんなことは構わずに、隊長が近寄ってきた。


「単刀直入に聞こう。先日会った男は何者だ?」


予想外の質問に、私は目を見開いた。

先日会ったと云うのは、ジーンのことだろう。

でも何で、今ごろ…?

隊長の眉間に皺が寄っている。

それに、威圧感が凄い。

気圧されて後退しても、間合いを詰められる。


「どうして、そんなことを今ごろ…?」


正直に答えたくなくて、私はつい質問を質問で返す。

隊長の瞳が揺れた。

けれど追求は続く。


「あの男は、君の従兄だと云っていた。本当なのか」


真剣なアイスブルーの瞳が私を見つめていた。

もう後退する余地がなく、私は壁に追い詰められた。

隊長は私の左側に手をつき、私の顔を覗き込む。

それだけで、思考が止まったみたいになった。

心臓が駆け足で走り出し、顔が赤くなっていくのが判る。


「あの…それは…」


時間稼ぎのような言葉しか出てこない。

云っていた…ということは、隊長はあれからジーンに会ったと云うこと…?

本人が云ったというなら、何もこれ以上誤魔化すことはない。


「ジーンは従兄です、本当に」

「デートだと云ったのは、ふざけただけだとも云っていたが…?」

「ええ…まあ。ジーンは兄みたいなものですから」


隊長の眉間の皺が深くなる。

どうして…?

どこに不機嫌になる要素があるのか、全く判らない。


「君の口から、他の男の名前を聞くのがこんなに不愉快だとはな…」


呟いたように云った隊長の言葉に、私はまたもや目を瞠る。

え、どういうこと……?


私はそこでこれ以上ないくらいに目を瞠った。

隊長が微笑んだのだ。

しかも、私に向かって。


「それでは、私にも君を口説く権利があるはずだ。そうだろう?」

「口説くって…」

「君に決まった相手がいないのなら、容赦はしない。全力で行くからな」

「全力……」


凄いことを云われていると判っているのに、頭がついていかない。

鸚鵡みたいに言葉尻を繰り返すだけだ。


と、ここで隊長はスッと腰を落として跪いた。

またもや予想外の行動に驚く私の右手を取って、恭しく額にいただく。


「エレノア・シュナイダー嬢、心から愛している。私の剣にかけて、生涯君を守らせて欲しい。今は、顔も見たくないほど嫌いでなければそれで充分だ。私の愛を伝え続けて、いつか私の十分の一でも好意を持ってくれるなら、私はそれで満足だ。君の分も私が君を愛する。どうか私に君を愛する許可をくれないだろうか」


私の指先に額を擦り付けて、真摯な言葉を紡ぐ隊長を信じられない思いで見下ろすーーー

だって、今までそんな素振りは微塵も見られなかった。

誰にでも平等に接して、だからこそ、私ももう諦めなくちゃ、と思っていたのに。

でも…隊長は、こんなことを冗談で云う人じゃない。


「信じて…いいんですか」


それでもやっぱり、確信の持てない私の口からは頼りない言葉が溢れる。

隊長はサッと顔を上げ、立ち上がった。

私の真意を確かめようと、アイスブルーの瞳が私の瞳を覗きこむ。


「もちろんだ。どうしてそう思う?」


私は微笑おうと思ったけれど、ちゃんと笑顔になったかは自信がない。


「だって、今までの態度からは、そんなことちっとも……女性と思われているかも自信がありませんでした」

「それは! いや…確かに、自分の気持ちをはっきり自覚したのはごく最近だが…」


珍しく、隊長は歯切れが悪く云い澱んだ。

言葉を探して逡巡する隊長は、いつもの自信たっぷりな彼とは思えないほどだ。

私は思い切って口を開いた。

隊長が気持ちを伝えてくれたように、私もちゃんと彼に気持ちを伝えたいーーー


「私は…」


アイスブルーの瞳がこちらを向く。


「私は、ずっと隊長のことが好きでした。この格好も、隊長に女性だと意識して欲しくて…ジーンは協力してーーー」


云いながらスカートを摘んで見せようとしたものの、最後まで云うことはできなかった。

硬いものに力強く囲われて呼吸が奪われる。

隊長の腕の中だった。


「本当に…?」


耳元で囁かれ、私は必死に頷いた。

力が少し緩み、ほうっと肺から息を吐き出す。

見上げると、今まで見たこともないほど甘く微笑まれて、ありえないほど隊長の顔が近づいてくる。


「隊長、ではなく、ニコラス、と」


隊長の唇が私のそれを塞ぐ。

驚いて目を見開いたままの私に、隊長は一度目を開けて微笑んだ。


「目を閉じて、エレノア」


名前を呼ばれて、背筋に震えが走る。

隊ちょ…ニコラス様は啄むようなキスを何度もくれた。

唇をノックされて薄く開くと、ぬるりと熱い舌が侵入してくる。

慄く私の舌を絡め取り、歯列をなぞり、何度も何度も角度を変えてニコラス様の口付けは続いた。

お互いに荒い息をしつつ唇が離れた頃には、私は頭がぼうっとしていて、ニコラス様の言葉が頭に入ってこなかった。


「エレノア、以前に口付けをしたことが…?」


剣呑な光がアイスブルーの瞳に浮かぶ。

懸命に云われた言葉を理解して、必死に頭を振る。

あるわけがないわ。

十六で文官になってから、実家への仕送りをしつつ働いてきた身には、恋愛などほど遠い。

私の態度に納得してくれたのか、ニコラス様の眦が下がった。


「悪かった。あまりに気持ちよくて…つい…」


ニコラス様の明け透けな言葉に、ぶわりと頬に熱が上がってくる。

彼は私の髪に唇を落としながら、囁き声で云った。


「エル、と呼んでも?君の従兄がそう呼ぶのを聞いて、どれだけ悔しかったか……」


そう云って眉根を寄せるニコラス様は、もう恐くない。

むしろ、そんなことで不機嫌になるなど、ちょっと可愛らしく感じてしまう…。


「お好きにお呼びください。隊ちょ…ニコラス様」

「私は存外、嫉妬深いようだ。君の気持ちを知ったら尚のこと。君を家に閉じ込めて、誰にの目にも触れさせたくない」

「それは…」

「判っている。できる限り君の自由にできるように、心の広い男になるよう努めよう」

「私も…」

「…?」


ニコラス様が嫉妬深いなんて、想像ができない。

嫉妬してくださるなら、嬉しい、と思うくらいなのだけど。

それなら、私もお伝えしておかなくちゃ。


「私だって、ニコラス様の口から女性の名前が出たら嫉妬します。それは覚えておいてくださいね」


云い終わると同時くらいに、また急にニコラス様の唇が降りて来て、口付けはすぐに深いものになった。

私は彼についていくのが精一杯で、酸欠になりそうなころ、ようやく唇が離れていく。

はぁはぁと息を継ぎながらニコラス様を見上げると、彼はペロリと舌で唇を舐める。

その姿は見たこともないほど色っぽく、私の中の深いところがビリビリと震えた。


「今のは、君が悪い」


悪びれもせず、ニコラス様が云う。


「君の可愛い嫉妬心を聞いたら、我慢できるわけがない」


彼は私の顎を右手で持ち上げ、息がかかるほど顔を近づけた。

アイスブルーの瞳は私の瞳を見ながら、時折ちらりと視線が下を向き、唇に降りていく。


「いつか『ニック』と呼んでくれ」


ニック…!

隊長をニコラス様と呼ぶのも勇気がいるのに、愛称で呼ぶなどとてもとてもすぐにはーーー

熱を帯びたアイスブルーの瞳から視線を外して、私はようやく小さな声で答える。


「いつかは……努力します」


ちらりとニコラス様を見ると、彼は満足そうに微笑み、私の髪を一房掬って唇を押し当てた。

その仕草が何とも艶っぽく、また首筋から熱が上がってくる……。


その時。

コンコン、と扉がノックされた。

外から声がかかる。


「おい、ジャッゴだ。入ってもいいか」


ニコラス様の入室許可が得られるまで、扉は開けられないらしい。

彼はフーッと長く息を吐いて、名残惜しげに私をちらりと見る。


「無粋なヤツだな…」


小さくそう呟いたあと、扉に向けて「入れ!」と声をかけた。

扉が大きく開かれて、ジャッゴさんが立っている。

が、ジャッゴさんだけじゃない。

第三騎士団の面々がその後ろから執務室を覗き込んでいた。


「良かったな、ニック。その顔だと、上手く行ったんだろ」


ジャッゴさんが、ニコラス様と私の顔を交互に見比べてニカッと笑った。

彼は唯一、ニコラス様を愛称で呼ぶ人物だ。

その後ろで、第三の騎士さま達がどよめいた。

ジャッゴさんが部屋に入ってきて、その後ろからついてきた第三の騎士さま達に私たちは取り囲まれた。


「おお〜、ついにか〜」

「良かったなぁ」

「ヒヤヒヤしてたぜ」

「うわー、マジか」

「オレ、狙ってたのに〜」

「まあ、こうなると思ってたよ」


口々に色んなことを云われて、私はまた顔が熱くなっていくのを感じる。


「フランツ、スワンソン、覚えたぞ」

「ヒッ…」

「うぐっ…」


氷点下の声が騎士さまの名前を呼ぶと、呼ばれた騎士さまは顔を青くして立ち竦んだ。


「今日くらい、許してやれ。婚約したのか…?」


ジャッゴさんがニコラス様の肩をバシンッと叩いてそう云うと、皆が「おおっ」とどよめく。


「婚約は…まだだが、すぐにでも調える。エル、いいね?」

「はい…」


ニコラス様が私に向かって微笑んだ。

途端に、部屋の中がシーン…と静まる。


「隊長が……」

「…笑ってる……」

「嘘だろ……」


ジャッゴさんまで、目を丸くしてニコラス様を見つめていた。

ニコラス様も気がついたのか、あっという間に無表情に戻る。


「ニック、本当に良かったなぁ」


もう一度、ジャッゴさんがニコラス様の肩をバシンッと叩いて、カラカラと笑った。

騎士さま達も、口々にお祝いの言葉をニコラス様と私にくれた。

部屋の中が騒がしくなる中、そっとニコラス様の声が降ってくる。


「今日は家まで送らせて欲しい」


私はアイスブルーの瞳を見上げて、思い切りの笑顔で頷いた。





お読みくださり、ありがとうございました。

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